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なんだか、更新がすっかり止まっていて、旧読者の皆様にはすみません。

写真は石垣島の八重山博物館にある、中国が尖閣諸島を日本の領土と認めていたという資料です。
これは1919年に中国福建省の漁民31人が尖閣諸島沖で遭難し尖閣諸島魚釣島に漂着した際に石垣村の住民が彼らを救助したことに対して中華民国長崎領事が石垣村長に送った感謝状です。
上の資料の右から4行目に、中国自身が尖閣諸島のことを日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島と表記している箇所があります。
尖閣諸島が昔から日本の領土である根拠を英語で世界に発信しましょう。ことあるごとにご自分のサイトに貼ってください。↓外務省から公表されています。
From 1885 on, surveys of the Senkaku Islands had been thoroughly made by the Government of Japan through the agencies of Okinawa Prefecture and by way of other methods. Through these surveys, it was confirmed that the Senkaku Islands had been uninhabited and showed no trace of having been under the control of China. Based on this confirmation, the Government of Japan made a Cabinet Decision on 14 January 1895 to erect a marker on the Islands to formally incorporate the Senkaku Islands into the territory of Japan.
Since then, the Senkaku Islands have continuously remained as an integral part of the Nansei Shoto Islands which are the territory of Japan. These islands were neither part of Taiwan nor part of the Pescadores Islands which were ceded to Japan from the Qing Dynasty of China in accordance with Article II of the Treaty of Shimonoseki which came into effect in May of 1895.
Accordingly, the Senkaku Islands are not included in the territory which Japan renounced under Article II of the San Francisco Peace Treaty. The Senkaku Islands have been placed under the administration of the United States of America as part of the Nansei Shoto Islands, in accordance with Article III of the said treaty, and are included in the area, the administrative rights over which were reverted to Japan in accordance with the Agreement Between Japan and the United States of America Concerning the Ryukyu Islands and the Daito Islands signed on 17 June 1971. The facts outlined herein clearly indicate the status of the Senkaku Islands being part of the territory of Japan.
The fact that China expressed no objection to the status of the Islands being under the administration of the United States under Article III of the San Francisco Peace Treaty clearly indicates that China did not consider the Senkaku Islands as part of Taiwan. It was not until the latter half of 1970, when the question of the development of petroleum resources on the continental shelf of the East China Sea came to the surface, that the Government of China and Taiwan authorities began to raise questions regarding the Senkaku Islands.
Furthermore, none of the points raised by the Government of China as "historic, geographic or geological" evidence provide valid grounds, in light of international law, to support China's arguments regarding the Senkaku Islands.
最近、中国語でも主張を公開しています
↓特にこれはネットに何度も貼って下さい。
我国关于尖阁诸岛领有权的基本见解
自一八八五年以来, 日本政府通过冲绳县当局等途径多次对尖阁诸岛进行实地调查, 慎重确认尖阁诸岛不仅为无人岛, 而且没有受到清朝统治的痕迹。在此基础上, 于一八九五年一月十四日, 在内阁会议(“阁议”)上决定在岛上建立标桩, 以正式编入我国领土之内。
从那时以来, 在历史上尖阁诸岛便成为我国领土南西诸岛的一部分, 并且不包含在根据一八九五年五月生效的≪马关条约≫第二条由清朝割让给我国的台湾及澎湖诸岛之内。
因此, 尖阁诸岛并不包含在根据≪旧金山和平条约≫第二条我国所放弃的领土之内,而是包含在根据该条约第三条作为南西诸岛的一部分被置于美国施政之下,并且根据于一九七一年六月十七日签署的日本国与美利坚合众国关于琉球诸岛及大东诸岛的协定(简称为冲绳归还协定), 将施政权归还给我国的地区之内。上述事实明确证明尖阁诸岛作为我国领土的地位。
另外,尖阁诸岛包含在根据≪旧金山和平条约≫第三条由美国施政的地区,中国对这一事实从未提出过任何异议,这明确表明当时中国并不视尖阁诸岛为台湾的一部分。无论是中华人民共和国政府,还是台湾当局,都是到了一九七零年后半期,东海大陆架石油开发的动向浮出水面后,才首次提出尖阁诸岛领有权问题。
而且,中华人民共和国政府及台湾当局从前提出过的,所谓历史上,地理上,地质上的依据等各类观点,均不能构成国际法上的有效论据来证明中国对尖阁诸岛拥有领有权的主张。
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あけましておめでとうございます
昨年ほとんど更新していなかったこのブログですが、気がついたら250万アクセス超えていました。
年末に、なんと5か月ぶりに更新したのですが、m3のピックアップブログにのせていただき,右下がりだったアクセス数がまた上向きに・・・
ほとんど更新してないのにすみません。恐縮です。
言い訳をすると、日常が忙しくて・・・というより更新する気がおこらなかったというか・・・正直言うと気持がブログから離れてしまい・・・
以前はどうしてあんなにせっせと睡眠時間を削ってまで更新していたんだろう・・・?って不思議に思うようになっていました。
ここ半年ぐらい他の医療系ブログにもほとんどアクセスせず、自分のブログのことも全く忘れていたという状態でした。
というわけで、今度もいつ更新するかわかりません。
時々、こんなブログ削除してしまおうかと思うこともあり・・(って書くと削除しないでというコメントが来そうですが、削除しませんのでコメントしないでね)
アクセス数を見てとても恐縮しています。
すんません、すんまそん、
すみませんです
コメントにもできるだけ返事をしようと思いつつ、
何ヶ月もコメントに気づかなかったりして・・
(すみません!すみません、特に志村建世様)
こんなブログですが今年もよろしくお願いします。
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たまには医療と関係のない話を
我が家の息子たちは「クレヨンしんちゃん」が大好き。
長男が幼稚園に入ったころから、毎年親子でクレヨンしんちゃんの映画を見に行くのが恒例行事みたいになっていた。今年も下の子が「しんちゃん観に行きたい」と言うので、ゴールデンウィークに見に行くことにした。てっきり長男も行くものと信じて疑わなかったのに、長男から「僕は行かない」と言われた。
「ええっ!!行かないの~?なんで?行こうよ」と誘っても
「僕はいいから」と、ついて来なかった。
去年までは観たがったのに・・・。いつの間にか成長してしまったのだなあ、と何となく寂しかった。
(でも、テレビのしんちゃんは今でも好きで、まだ観ている。確かに映画よりもテレビの方が面白い)
それで、次男と二人でしんちゃんの映画を観に行ったものの、今年のしんちゃんはちょっと不気味で幼児にとっては怖かったようだ。映画の途中で泣き出してしまい、映画館を出てきてしまった。
次男、怖くて出てきてしまったけれど続きが気になるらしい。しばらくすると
「ママー、またしんちゃん観に行こうよ。今度は最後まで我慢してみるからー」と言い出し
「えっ!そのうちテレビでやるからさあ、テレビで観ようよ」(汗)
てな具合。
前置きが長くなったが、「クレヨンしんちゃん」と言えば、かつては親が子供に見せたくないアニメの代名詞だったはず。
5歳のしんちゃんはお尻を出してふりふりダンスをするわ、おちんちんをゾウの鼻に見立ててて「ぞーうさん」と歌うわ、親の名前を呼び捨てにし、大人をおちょくり、きれいなおねいさん(お姉さん)を見るとナンパを始める・・・強烈な幼児である。
しかし、ちょっと前に、こんな育児書が話題になっていたようだ。「クレヨンしんちゃん」はじつは最高の子育て教科書だった!というものだ。
子育てにとても大切な27のヒント―クレヨンしんちゃん親子学 汐見 稔幸
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著者は東大の教育学の教授。続編も出版されている。
本書によると、5歳児がお尻やおちんちんを出すのは正常な行動で、大きくなったら自然にしなくなるから大丈夫。親をからかうのは親子関係がうまくいっている証拠。虐待されているような子供ならそんなことはできない。
ふむふむ。そんなものか。確かに長男も5歳の頃は人前でお尻ふりふりダンスをよくやっていたが、さすがに今はやらない。
我が家の子供たちはしんちゃんのようにグラビアの水着の「おねいさん」を見てデレーっとすることはないが、二人とも私のおっぱいは大好きでいつも触ってくる。
著者によると、幼少期にこういう欲求を適当に満たしてあげないと、「のちのち別の形で現れてくる」と。それは、つまり、性犯罪をおかすかも? ということかしら。それはまずい。
それを読んでからは、息子たちよ、こんな貧弱なおっぱいでよかったら、今のうちにどんどん触ってくれーと思っている。
しんちゃんは一人で公園や友達の家へ遊びに行き、一人で「ただいまー」と家に帰ってくる。5歳児が一人で遊びに行くというのは現代ではなかなかあり得ない事だ。
昔の子供たちは子供同士の遊びの中で、社会性を自然に身につけていった。同級生との横のつながり、自分より年長の子供や年少の子供のタテの社会があった。そして、叱ってくれる近所のおじさんやおばさんがいた。
しかし、今の小学生は塾や習い事で忙しく、なかなか外で遊ぶ機会が少ない。先生の監視下にある学校や塾だけでは社会性を身につけることは難しいのではないだろうか。
そう考えると、引きこもりが大量生産されてしまった理由がわかるような気がする。ちょっとでも危なそうなことは「やっちゃだめ」と言われ、外で友達と遊ぶ機会もなく、親の言うことだけ聞いて育って、いきなり社会の荒波に揉まれたら、ヘチャッとくじけてしまうのも頷ける。
先日テレビで、現在引きこもりは日本に168万人いてそのうちの過半数は30代と言っていた。忌々しきことだと思う。
多くの引きこもりの人たちは親の年金収入などに頼って、テレビ、ネット、ゲームをして1日を過ごすらしい。親が死んだらどうするんだろう。
我が子らが成人するころ、団塊の世代が高齢者となり、多くの引きこもりたちが親を亡くして生活保護を受けることになったら・・・。今の少ない子供たちが彼らを支えてかなくてはならない。その頃国の借金はいくらになっているのだろうか。色々考えると子供たちが可哀想になってくる。だから、私は増税には反対しない。将来大人になる今の子供たちの負担をこれ以上増やしたくない。
ずっと前に読んだおすすめの育児書をもう1冊。
ほんの少しのやさしさを (子育てシリーズ) 平井 信義
¥ 1,260
副題に「叱らないしつけのすすめ」とあるので、タイトルだけ読んで、「え?子供を叱らないなんて・・・」と思ったのだが、読んでみてなるほどと思った。子供のために叱っているというのは親の勝手な思い込みで、実際は自分の思い通りにならない子供に対して親が感情的に怒っていることがほとんどという。自分を思い返してみてもそうである。とくに親の言うことを素直に聞くおとなしい子供を、親が考えるいわゆる「よい子」の枠に押し込めるようにすると、子供の自主性が育たず、自我が芽生える思春期以降にやばいことになるようだ。しんちゃんみたいに、図太い子供なら心配ないのだろうが。
引きこもり大増産の今の時代、やはり「クレヨンしんちゃん」のようなたくましい子供は理想的・・・なのかも知れないと思った。
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最近あまり更新ができていないこのブログですが、ブログ開設1年半で100万アクセス達成いたしました。
いつも訪れてくださる読者の皆様、心よりお礼申し上げます。
そもそもこのブログは天国へのビザ の宣伝目的で始めたものです。ここまでアクセスが伸びるとは思いもしませんでした。
ペースは落ちるかも知れませんがこれからも続けていきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
↓興味深いニュースがありました。ブロガーの皆様、ご自愛を
://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080410-00000001-jct-sci
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ずっと以前、4歳で急性骨髄性白血病に罹り、5歳という短い生涯を終えた航平くんの本を紹介した。http://blog.m3.com/Visa/20070217/2
その著者、航平くんのお母さんである横幕真紀さんの講演を聴いた。
横幕さんは今、二人のお子さんを育てながら、市から委託された子育てコーディネーターの仕事をしている。また、ボランティアとして、航平くんが治療を受けた病院で、小児癌で長期入院している子供たちの会「まるっけ会」(まるっけというのは、抗がん剤で髪の毛が抜けて丸坊主になった状態のことらしい)を立ち上げた。
横幕さんはこう話した。
「なんでうちの子だけが」とは決して思わないようにしている。
「うちの子だけでじゅうぶん」と思う。
これは、航平くんと同室で、航平くんより先に亡くなった優真くんから教えてもらったことと。
航平くんと親友になった6歳の優真くんは、GVHDに罹り、全身の皮膚が焼け爛れたようにめくれてしまった。
その後、航平くんの皮膚も少しめくれかけた。それを知って優真くんはこう言った。
「なんで航くんまで?」
横幕さんはこれを聞いて、6歳の子供が自分よりも他人のことを心配するなんて、すごい!と思ったそうだ。
それ以来、横幕さんは優真くんを見習って 「うちの子だけでじゅうぶんだ」と思うようになったという。
横幕さんは、さらにこう話した。
航平を亡くしたことは不幸以外の何でもないけれど、
今、「幸せですか?」と聞かれたら、「幸せです」と答えます。
これには大変感動した。
自分だったらどうだろう。子供を亡くしてしまった後、横幕さんのように思えるかどうか、自信がない。
横幕さんは言った。
航平の死を受け入れることができて、初めて前に進むことができた。
航平くんが亡くなった後、横幕さんはどうして自分だけが生きているのかわからなかったという。航平くんと一緒に自分も死にたいと何度も思ったそうだ。
でも、生きているのではなくて、生かされているのだと考えるようになった。それなら、しっかり生きなければ。ああすればよかった、こうすればよかったではなく、航平の闘病中、すべてがベストだと思って選択できた選択肢のように、明日死んでも悔いのない人生を送ろうと思う。そして、胸を張って航平に会いたい。あれから、お母さんもがんばったよ、いい人生を送ってきたよ、と。 (ずっとそばにいるよー天使になった航平ー あとがきより)
横幕さんは、航平くんの亡くなった病院へ通い、保育士の資格と経験を活かして、小児癌の子供たちと一緒に製作活動をしている。
子供たちからは「航平ママ」と呼ばれているそうだ。
子供たちの喜ぶ顔が本当に嬉しいと言う。
航平くんのことを皆に伝えていきたい、そんな想いが横幕さんに生きるエネルギーを与えている。
朝起きたら、生きていることに感謝、ご飯が食べられることに感謝、歩けることに感謝、話が出来ることに感謝
生きることは感謝の連続だと言う。
講演を聴いて、涙が止まらなくなった。
我が子の死に直面した後、それを受け入れられるかどうかは、その人の育ってきた環境、教育、思想などに左右されるのだろう。誰もが受け入れることは出来ないのかもしれない。
我が子の死----
この世でこれ以上辛いことがあるだろうか。
経験した人にしか分からないだろう。
我が子を亡くしたやり場のない悲しみを、訴訟という形にする人たちもいる。訴訟に勝ったところで、誰かを悪者にしたところで、果たして悲しみは癒えるのだろうか・・・
横幕さんには子育てコーディネーターというよりも、グリーフワーク支援に携わっていただけたらと思う。
子供の死を受け入れられない親御さんの心が少しでも救われるように・・・
航平ママ、本当に素晴らしいお話をありがとうございました。
最期まで病気と闘った航平くんと、航平ママに、心から敬意を表します。
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今朝
いつものように目覚めて、
いつものようにボサボサ頭のパジャマ姿でリビングのドアを開けたら
見知らぬ男性が床に寝ていた
・・・・・
夫がその隣で寝ていた
夫の友人だった
あー、心臓に悪い
その後、子供が起きてきて
寝ている他人を見つけてびっくり
「パパのお友達みたいよ」
すると子供がひとこと
「よくこんな汚い部屋に・・・」
すいません・・・・
つД`)
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研修医1年目の時代を共にした医局の同期から、天国へのビザ の感想の電話をもらった。年間250~300冊の小説を読むという彼(すごっ)
「おもしろかった。文章表現はプロの書いた小説に比べたら洗練されてはいないが、内容がいい。
第2作は描くのか」
今のところ頭にないと答えると、いきなり
「描けよ!」
は・・?
「お前が医者をしていて矛盾に思うことはこの程度じゃないだろう!もっと描け!」
ひ・・・
「いや、こんな才能をここで終わらせたらもったいない。磨けばもっといいモノが描けるぞ」
ふ・・・
「ところでもうひとつ気になることがあるが」
へ・・・
「旦那とうまくいってないのか?」
ほ・・・!?
いや、だって、あれはフィクションであって、主人公の家庭が円満だったら小説として面白くないので・・・
「そうか。だったらいいが」
いやー、辛い時代を共にすごした同期とはありがたいものですな。夫婦仲まで心配してくれて・・・
続きが読みたいとはよく言われますが、
「矛盾に感じるのはこの程度じゃないはずだ」と言われたのは初めてで、夫婦仲を心配されたのも初めてで新鮮だったので記事にしてみました。
ところでこちら↓ 天国へのビザの音声紹介をいただいています。
医療ポッドキャスティング ご興味のある方は是非聞いてみてください。
ところで 天国へのビザ は Amazon でいよいよ出品者からしか買えなくなりました。入手困難なようです。
ぜひ再版してほしいという方 ↓クリックしてみてね。
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明日、私の命はありますか?
明日、自分が生きているという確証はない。
明日、大地震が起きるかも知れない。
火事で焼死するかもしれない。
交通事故で即死かも知れない。
致死性不整脈で死ぬかもしれない。
通り魔に刺されるかもしれない。
または、診察中に患者に刺される事だって、ありうる。
明日自分の身に何が起こるかなんて、誰も知らない。
前回の記事を書いていて、ふと思った。
民香さんは亡くなる前日、明日に自分の命がなくなるなんて、夢にも思わなかっただろう。
彼女の血のつながった子供たちも共に亡くなった。
「民香が生存したという証を残したい」とご両親は仰ったそうだ。
民香さんが日頃何を考えて生きていたのかは、周囲の人の証言から推察するしかない。
たとえ日記を記していても、家が焼けてしまったのでは日記も残らない。
それを考えると、ブログというのは大変便利なツールである。
たとえ家が燃え尽きてしまっても、ブログは残る。
自分がこの世に確かに存在したという証を世界に残すことができる。
さあ、あなたもブログをはじめてみませんか
えっ?もうやってる?余計なお世話って?
失礼しました。
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医師として、夏が来れば思い出すのは遥かな尾瀬、遠い空ではなく「熱中症」「溺水」である。
はからずも、先日、院内の患者さん向けの勉強会で、熱中症についての講義をした。「炎天下で車の中に小さなお子さんを置き去りにして死亡するというニュースが時々ありますが、これも熱中症の一種です」とお話した矢先に、信じられないような事件が起こった。保育園で園児が車の中に置き去りにされて亡くなったのだ。ご両親のお気持ちを考えると居たたまれない。あってはならないことである。
自分の経験では、16歳の熱中症の死亡例を診たことがある。もう10余年前のことだが、炎天下での部活の練習試合中のできごとだった。救急車で運ばれてきた少年の体温は42度。瞳孔はすでに大きく開き、意識はなかった。もがき苦しむように全身の痙攣を起こしていた。この時点で救命は無理と思われた。至急体温を下げるため、検査室のアルコールをビンごと持って来させてガーゼに浸し、手分けして少年の全身を必死で拭いた。
少年の意識は回復することなく、数日後に多臓器不全で亡くなった。少年の心拍が停止したとき、母親が少年の名を叫ぶと同時に失神した。非常に痛ましい光景であった。今も鮮明に脳裏に焼きついている。
ある病院で日曜日に当直していたときは、川で溺れた18歳の青年が救急車で運ばれてきた。この当時はまだ救命救急士による気管内挿管が認められていなかった。救急隊員はアンビューバックでの人工呼吸を青年に施しながら、川から30分以上かけて遠い道のりをやってきた。到着時、瞳孔は開き、意識はなかった。直ちに気管内挿管を行った。チューブからピンクの泡が噴き出た。肺水腫だ。連絡を受けて駆けつけた母親の号泣する声が、休日の静かな病院の廊下にこだました。忘れられない光景だ。
毎年、夏が来ると、熱中症や水難事故のニュースが後を絶たない。
元気な若者の命が突然にして失われるのである。残された家族の心情は筆舌しがたいものだ。防げるはずの事故が二度と起こらないことを、祈るばかりである。
2007年 夏 春野ことり
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本日2つ目のお知らせです。
ブログを少しの間お休みすることにしました。
理由は個人的なことです。
実は、ある雑誌のコーナーの執筆を依頼されました。
編集の方が、拙著「天国へのビザ」をお読み下さり、是非にとのことで、引き受けることにしました。
今の私、医師、母、主婦、ブロガーと・・・
あ、そうじゃなくて
医師(従事している時間は一番長い。あ、時間が長いだけじゃなくて真面目にやっているつもりです)、
ブロガー(今や私生活の中でかなりの位置にきている)
母(←子供たちゴメンヨ。こんな母で)
主婦(←ギリギリ主婦。チョー最低限)
の順
で・・・めいっぱいなんです。
今の状態で更に依頼原稿を書くのは、私の能力では無理。
お金をいただいて原稿を書くというのは初めてのことで、
引き受ける以上は、きちんと仕事をしたいので、
ブログを少しお休みして執筆に集中したいと思います。
というわけで、おそらく2~3週間、お休みします。
今まで、天国へのビザにお越し下さっていた皆様、誠にありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願い致します。
ブログ休止中も、今までの記事のコメントへのお返事は書くつもりです。
では、またお逢いしましょう。
皆様、お元気で
管理人:春野ことり