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前回の質問にたくさんのコメントいただき、ありがとうございました。
皆様の回答結果
1位 急性大動脈解離 (stanford Aで脳への血流低下→失神)
2位 急性心筋梗塞 (一過性房室ブロック→失神)
3位 くも膜下出血
その他 気胸、高血圧脳症、脳挫傷、VTなど
でした。
私も皆さんと同じように考えました。
しかし、正解者は一人もいらっしゃいません。
では、つづきをどうぞ
患者「うう・・・背中が痛い」
大変いやな予感がした。
解離か?
私「どんな感じの痛みですか?締め付けられる感じ?背中が裂けるような痛み?」
患者「うーん、なんというか、胸全体が締め付けられるような・・・。息をするのも痛いです」
下壁梗塞で失神か? 呼吸に伴う痛みなら気胸があるかも・・・?
頭部CTも撮らないと・・
とりあえず、ざっと頭部、胸部の単純CTを撮影。(注:大動脈解離の診断には造影をしないといけません)
頭部CT 出血はなさそう・・(微小なクモ膜下出血は診断できる自信なし)
胸部CT 気胸なし、胸部大動脈径 拡大なし
(うーん・・・、わからない)
採血
トロポニンT 陰性
CPK 698 U/Lと上昇 他はすべて正常
次は心エコーか・・
私「心臓のエコーを撮りますから、左下に横向きになれますか」
患者「痛い!そっち向くと痛い!ああ」
私「左向くと痛い?」
患者「はい。動くと痛い」
私「・・・もしかして、背中も打っていますか?」
患者「覚えていません」
患者の妻「私も、倒れるところを見ていなかったので・・。でも、打っているかもしれません」
私は患者の胸椎を一つずつ押してみた。
患者「ああ!!そこ!痛い!!」
ある点で圧痛があった。
私「整形の先生に診てもらいましょうか」
*
整形外科診察の結果、
第6.7胸椎圧迫骨折だった。
まさか、「吐き気」を主訴とする救急患者が胸椎圧迫骨折とは、思いもしなかった。
その後、吐き気の訴えはなくなり、安静によって痛みも徐々に軽快していった。
意識消失の原因は精査中である。
つづく
いやー、ヒヤヒヤしましたよ。ほんと。
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昨日は御用納めでした。
私は外来の日ではなかったのですが、どうしても年内に書いておかないといけない紹介状などの書類があったため、病棟の回診を終えた昼過ぎに病棟とは別棟のクリニックへ赴きました。
書類を書いていたら、隣の診察室から聞き覚えのある声がしました。
市内の開業医の○○先生が自分のかかりつけの患者さんを連れてきていると看護師から聞き、書類を書く手を止めて待合室に出ました。すると、懐かしい後姿が目に入りました。辛かった研修医時代をともに大学病院で過ごした同期医師に間違いありません。
「○○クン!」
患者さんとともに受付へ向かう後姿に、思わず研修医の時に読んでいた呼び方で呼びかけました。
「おお!」
と、振り向いた彼は研修医の頃から十数年歳を経た○○クンでした。
彼のクリニックは年末の休みに入っているそうなのだけれど、心不全の既往のあるかかりつけの患者さんから「胸がなんとなく苦しい」と電話があり、今日も開いているうちの外来に電話して心電図と胸部レントゲンの検査に来たようでした。検査の結果はとくに問題なかったようです。
しかし、わざわざ患者さんに同伴してくるところが彼らしいのです。
「いやー、変わらないねえ」
「そっちこそ全然変わらないねえ」
「そんなことないよー、老けたよー」
年末年始、かかりつけの医療機関が休診になってしまうと不安になる患者さんが多いことだと思います。不安に思うとそれだけで胸が苦しくなってしまう患者さんもいるのです。
そして、そんな患者さんにしっかり寄り添ってあげられる医師の姿。
師走の忙しさの中、心安らぐ一場面に遭遇しました。
皆様、よい新年をお迎えくださいませ。
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天国へのビザを出版していただいている会社から封書が届きました。
出版から2年。増刷から1年が経過し、販売期間終了とのお知らせでした。
これ以上流通を継続させるためには、別途料金がかかるとのことですので、販売を打ち切りにすることにしました。
まだ在庫はたくさん残っているようですが、残った本の処分は出版社に任せることとなりました。
このブログを通して拙著をお買い上げくださった皆様方、心よりお礼申し上げます。
出版を通し、全国の多くの方々と交流ができたこと、本当に有意義でした。
著書の宣伝目的で始めたこのブログも2年間で160万アクセスを超え、本当に驚いています。
ブログを通して多くの出会いがありました。かけがえのない宝ものです。
心より感謝申し上げます。
では、また逢う日まで
・・・・・・
え?ブログ終了?
とは、言っていませんけど。。。
このまま終わるのもよいかも
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お年寄りの患者さんは一度入院すると、なかなか退院しない。
入院の原因になった病気が治っても
「長いこと寝ていて歩けなくなってしまった。歩けるようになるまで病院に居させて欲しい」
と言う理由がほとんど。
「歩けるようになるまで」の部分は
「身の回りのことができるようになるまで」
「もう少し体がしゃんとするまで」
「元通りの生活ができるようになるまで」
「寒いから暖かくなるまで」
「暑いから涼しくなるまで」
・・・
などなど、いろいろなバージョンがある。
確かに歩けないのに退院しても困るだろう。
でも、いつ歩けるようになるのか分からないのに、いつまでも入院していてもらうわけにはいかない。治療が必要な人が入るベッドがなくなってしまうからだ。
そこでできたのが
である。
以下、wikipediaから引用------
急性期病床削減による稼働率アップによる医療資源の有効活用と、患者を療養型病床群に入院することによる医療費の拡大を抑制し在宅復帰を目指すため2000年に新設された病棟。 但し、脳卒中や大腿部骨折、廃用症候群などある程度限定された患者が入院し、リハビリ医や理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)らの支援で集中的な訓練に取り組む病床。
-------------------------
病名や発症からの期間など制限があり、すべての患者さんが適応になるわけではないが、
回復期リハビリテーション病棟へ移っていただけば、
患者さんはゆっくりリハビリを行ってから家へ帰れるし
急性期病棟の稼働率も上がって
患者さんにとっても病院にとっても有益で 一石二鳥
・・・の筈なのに・・・
回復期リハビリテーション病棟へ移るように勧めると、拒否する患者さんたちがいる。
なぜか、というと、
「せっかくこの部屋に慣れたのに、病棟を移れとは何事だ!」
ということらしい。。。。(@▽@)
肺炎で入院したあるおばあさんが、肺炎は治ったものの、下肢の筋力が落ちて思うように歩けなくなった。
肺炎後の下肢廃用症候群としてリハビリの対象となる。
そこで、回復期リハ病棟に移ってゆっくりリハビリをしてから帰ったらどうか、と勧めたら、
「部屋を移るくらいだったら、もう退院する!」
と言い出した。原疾患は治癒しているのでこちらは退院してもらっても全然構わない。
しかし、退院当日になって
「やっぱり歩けない」と泣き出した。
だったらやっぱりリハビリをしましょうよ、回復期リハ病棟に移ればすぐ退院しなくてもいいですよと言うと
「リハビリなんかイヤダ!」
と言う。
それを聞いていた同室の他科入院中の患者が、聞えよがしに言った。
「まったく、なんでこの病院はさ、すぐ患者に部屋をかわれとか、病棟かわれとか言うのさ。
せっかく部屋でみんな友達になったって言うのにさー。
こっちだって金払って入院してんだからね!
部屋かわれと言われたって、言うことなんかきかなくったていいんだよ」
・・・・・・・・
何もわかっていらっしゃらない患者さんが多いようなので、
「あのう・・・病院にも病院の事情がありまして、
かくかくしかじかこれこれ・・・こういうわけで
何も病院が意地悪してお部屋を移るように言っているわけではないんですよ」
と、わかりやすくその同室患者さんに説明した。
すると、
「ほう、そうなんかい。はじめてわかった。
それならそうと、何で早く言わんかい!おまはんたちがちゃんとそういうことを説明しんから、わからんのじゃ!」
と逆切れ。(++)
***
で、肺炎治療後のおばあさんは
「明日になったら歩けるようになる!!」
と言い張り、急性期病棟に居座っておられます。
ま、現場はそんな感じで、
なかなか厚労省の考えるようにうまくはいきません。
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ご無沙汰しています。
9月後半から子供の行事やら何やらが続いて更新できず、すっかり間延びしてしまいました。それにも関わらず、毎日たくさんのアクセス、ありがとうございます。
えーっと、間が空きすぎてどんな話だったのか、書いている本人も忘れてしまいました。(え!?^^;)
数日後、勝さんが亡くなったのとまさに同じ個室で、また一つの人生が幕を閉じようとしていた。
林年治(仮名)、80歳。C型肝炎から肝硬変となり、肝癌を発症していた。1年半前に慢性硬膜下血腫を併発したのをきっかけに、寝たきりになった。入退院を繰り返していた年治さんの在宅での介護は、失業中の長男が担っていた。
年治さんの妻は早くに他界し、長女は遠方へ嫁いでいた。年治さんは長男と二人暮らしだった。長男がリストラに遭ったのは、年治さんが寝たきりになったのとほぼ同時であった。長男は年治さんの介護の合間にハローワークへ通い、職探しをした。しかし、50歳代の長男に仕事は見つからなかった。
年治さんは呼吸器感染症や尿路感染症を繰り返し、頻繁に入院した。入院するとすぐに「家へ帰りたい」と口にした。退院の許可が出ると、長男はいやな顔一つせず、年治さんを家へ引き取った。
その年治さんがまた入院した。今度は意識レベルが低下しての緊急入院である。血圧も低く尿は昨日からほとんど出ていない。主治医はいよいよ生命の危険があることを長男に伝えた。
報せを聞いて、遠方の姉も病院へ駆けつけていた。
年治さんは昨晩から下顎呼吸をしていた。浅い呼吸のたびに顎が軽く持ち上がる。呼吸が近々止まることが予想された。
正午を過ぎ、突然年治さんの呼吸が止まった。その時、病室には長女しかいなかった。
長女は携帯で弟に向かって叫んだ。
「早く来て!!お父さんが!!」
数日前の光景と一瞬重なった。
「お父さん!お父さん!タカヒロがすぐ来るから!頑張ってー!!」
「アンビュー!」
主治医はアンビューバッグのマスク部分を年治さんの口元に当て、手動による人工呼吸を開始した。心拍はまだ正常だ。
「林さん!頑張って息して!」
主治医も思わず叫んだ。献身的に年治さんの介護をしてきた長男には何とか臨終に間に合って欲しいという願いから、自然に大きな声が出ていた。
「すうーっ」
年治さんは一つ大きな呼吸をした。
「お父さん!お父さん!!」
心拍が落ち始めた。
「親父!」
長男が病室に飛び込んできた。長男は自宅から自転車を走らせてやってきた。幸い、年治さんの自宅は病院から近い。
「タカヒロ!ごめんね、私が今のうちにシャワー浴びて来いなんて言ったものだから・・」
「ううん、いいよ、そんなこと」
主治医はアンビューバッグを年治さんの顔から外した。元々、心肺蘇生はしないという約束が交わされていた。「父が苦しまないように」それが姉弟の願いだった。
年治さんの心拍は速やかに平坦となった。この世に何の未練もないよとでも言うかのように。
「お父さん!ありがとう!今までありがとう!」
まず姉が、泣きながら父親の耳元で叫んだ。
「親父!ありがとう!」
次に弟が、反対側の耳元に顔を寄せ、上ずった声で叫んだ。
温かい空気に包まれて、年治さんは天へ昇って行った。
年治さんもきっと言っているに違いない。「お前たち、ありがとう。タカヒロ、家で介護をしてくれて、済まなかった。感謝している」と。
人生の終わり方は百人百様である。
人生の最終章のほんの短い部分を垣間見るだけでも、その人のそれまでの人生がどのようなものだったか、何となく想像ができる。
人が幸せになるために必要なのは、富や名声ではない。
必要なのは、感謝と思いやりの心。
勝さんと年治さんから、そんなことを教えられた。
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勝さんは主治医が不在の時に急変した。
流動食を嘔吐した後、ガクガクと震えだし40度の高熱が出た。動脈血酸素飽和度は80%と低下し、末梢はチアノーゼを来した。呼ばれて診に行くと、勝さんの眼球は上転し、呼びかけに全く反応のない状態だった。
考えるよりも先に手と口が動く。採血と胸部レントゲンの指示を出し、血液ガス分析を行う。酸素分圧はやはり低い。二酸化炭素の貯留していないことを確認して酸素の高濃度投与を行う。ルート確保し、輸液・・・。
「先生、ルート取れません」
枯れ木のような勝さんの腕の血管は本当に細く、点滴の留置針を刺す場所が見当たらないのだった。複数の看護師が挑戦していたが、ルート確保は困難を極めていた。しかし、ルートは取らなければならない。
ベッドの傍らで不安げにしていた妻に状況を説明した。レントゲン写真上ははっきりした影はまだ出ていないが、嘔吐物が気道に入って感染を引き起こしている可能性が高いこと。絶食にして点滴をする必要があるのだが点滴のルートが取れないため、中心静脈へカテーテルを留置する処置を行うことを簡潔に話した。
妻は理解したのかどうかよく分からなかったが、こういう緊急時は家族にゆっくり説明する時間などない。しかし、医療訴訟にでもなれば家族は「納得のいく説明がなかった」と言い、マスコミはそれを強調するのだ。
妻が病室から外へ出された後、中心静脈カテーテル挿入の処置に入った。 穿刺部位にはいろいろある。通常は鎖骨下静脈または内頸静脈を使用するとされるが、鎖骨下静脈は気胸や動脈穿刺を起こしやすく、個人的にも嫌な思い出があり最近は使用していない。緊急時なので一番得意で危険な合併症も少ない大腿静脈から穿刺することとした。
入りやすい人ならものの5分もあれば完了するのだが、勝さんの場合はやや難航した。外套は確実に静脈内に入っているのに、カテーテルがつかえて進まないのだ。穿刺し直して何とかカテーテルを挿入し、その後レントゲンで確認をすると、なんと、カテーテルの先端は下大静脈に到達することなく、総腸骨静脈の分岐部で『く』の字に屈曲し反対側の総腸骨静脈に迷入していた。こんなことは狙ってもできるものではない。しかし、ルート確保の意味ではこれでも十分用を成す。
輸液と抗生剤の点滴を行うと、勝さんの意識は戻り、また元のように会話ができるようになった。熱もすみやかに下がった。とりあえず、急場は凌げたと安堵する。
末梢からルートが取れるようになったため、無用の長物となったカテーテルは抜去した。
その後戻ったきた主治医に妻は、高カロリー輸液をして欲しいと言った。主治医が中心静脈カテーテルが入らなかったことを告げると、妻は言った。
「身体を傷つけられたのに・・・」
その後も勝さんの口から出る悪態は変わらず、日にちが過ぎた。しかし、日に日に身体が弱っているのは誰の目にも明らかだった。
ある日の朝、看護師が巡回に行くと、勝さんの呼吸は止まっていた。妻が病院に来たのはそれとほぼ同時だった。
つづく
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「患者に向かってその態度は何だ!」
勝さんは(仮名)76歳。胃がんの手術後、がん細胞がお腹の中に散らばってしまう腹膜播種という状態で大学病院から転院してきた患者さんである。
食事はほとんど食べることができず、鼻から胃へ通した管から栄養を摂っている。身体は枯れ木のようにやせ細り、自分では動くこともできない。しかし、言葉だけは活力に満ちていた。
「俺を誰だと思っているんだ!」
「お前なんてクビだ!」
毎日スタッフに怒鳴り散らした。相手は老い先短い末期がん患者だからと多めに見ても、やはりスタッフも人間。特に、夜勤で人手が足りない中を眠らずに働いているときに理不尽な罵声を浴びせられると相当頭に来るようだ。夜勤明けの看護師から勝さんへの苦言を聞くのがいつしか毎朝の日課となっていた。
勝さんはかつて銀行で要職に就いていたらしい。
勝さんの妻は上品な身なりで日中よく勝さんに付き添っていたが、妻も勝さんに追随していた。
勝さんが「こんなおむつの当て方しやがって!」と言えば、妻も「本当ね。ひどいわね」と憎々しげな感情のこもった声で言った。何がひどいかと言えば、おむつの中に尿を受けるために長方形の小さなおむつを二重に当てるのだが、それが少し斜めになっていたというだけだった。
勝さんの妻は夜になると自宅へ帰って行ったが、真夜中に夫の事が突然心配になるらしく、夜中の2時や3時によく詰所に電話をかけて夫は大丈夫かと聞いてきた。病院は24時間営業のコンビニではない。真夜中の電話はほとほと迷惑だ。しかし、電話をかけてくる妻の声は不安のため追い詰められた感じで、看護師が「大丈夫ですよ」と優しく言ってあげると落ち着くのだそうだった。後からわかったことだが、勝さんの妻は精神科に通院して治療中だったそうだ。
そんなある日、勝さんの大学病院に入院していた時の元主治医から、今の主治医に連絡が入った。勝さんの娘が元主治医のところにやってきて、「転院した病院の看護は酷い。一部始終をビデオに撮ってやる」と言いにきたそうだ。
それを聞いたスタッフはカンカンに怒った。罵倒されながらもそれに耐え、下手に出て看護しているのに・・・。文句があるなら直接こちらに言ってくれればいいのに、元いた病院にわざわざ告げ口に行かれるなんて、非常に気分が悪い。しかも、言いに行ったのは、日ごろほとんど病院に来たことがない「娘」だという。
翌日、その娘が朝から病院に来て勝さんのベッドサイドにべったりと侍りついていたそうだ。さすがにビデオカメラは回す気配はないようだった。
師長が娘さんと話し合いの場を設けた。娘さんは父へのスタッフの接し方が雑だと不満を言ったらしい。師長は謝罪して今後は注意しますと答えたそうだ。
大学病院などの大きな病院から移ってきた患者さんから看護内容を比較されて時々苦情がでるそうだが、大きな病院と小さな病院では看護体制がまったく違うことを多くの人は知らないようだ。大きな病院は大抵「7対1看護」という看護区分を取っている。つまり患者7人に対して1人の看護師という意味で、手厚い看護をする体制が整っている。中小の病院は看護師が足りず、その半分くらいのスタッフでなんとかこなしている。看護師の数に応じて入院料も違ってくる。看護師が少ない看護区分であれば入院基本料も安い。大きな病院と同じ手厚い看護を要求されても土台無理なのだ。その点は患者サイドも理解してくれないと困るのだが。
しかし、医療者には口応えも許されず、平身低頭するばかり。患者さまは神様で、医療者はそれに服従する奴隷なんだろうか。
いつから医療はこんな風になってしまったのだろう。
その勝さんが急変したのは、主治医が不在の時だった。
つづく
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飯野奈津子様、初めまして
私は地方で内科勤務医をしている者です。「福島県立大野病院事件」にかねてより関心を抱き、この裁判に注目をしてきました。8月20日、時論公論であなたが酷い報道をされたことをネットを通して知りました。
私は報道を見ていませんので、ブログ時論公論 「産科事故裁判からの問いかけ」 に基づいて意見を述べさせていただきます。
まず、この部分
----------------------------------------
<事故の課題>
しかし、裁判で無罪判決が出たからといって、今回の事故に問題がなかったわけではありません。刑事責任を問うほどの過失がなかったとしても、遺族にとっては見過ごせない問題がありますし、医療界の反応にも納得できない部分があるからです。
----------------------------------------------
質問です。判決結果は「過失による医療事故」ではなく当時の医療水準に照らすと標準的な治療による不幸な病死であるというものでしたが、それにも関らず、なぜ「事故」という言葉を使われているのでしょうか? あなたが、裁判所の判断に逆らって、この事件を「事故」と言い切る根拠はどこにあるのでしょうか?ぜひ教えていただきたいです。
次にいきます。
---------------------------------------
▲ まず、警察や検察の問題です。捜査によって明らかになった事実もあって、遺族は警察や検察に感謝したいと話しています。手術が始まってから女性が亡くなるまでの間、病院からの説明は一切なく、その後も納得のいく説明がなかったからです。お産の場合、とりわけ家族の期待が大きく、いくら説明しても納得してもらえないという話を産科医からききます。その難しさもあるでしょうが、医療は不確実で専門性が高い分野だからこそ、医師の側が真摯に説明して、理解を得る努力が、必要ではないでしょうか。その努力を怠ったまま、警察の捜査を批判しても、納得は得られないと思います。
---------------------------------------
「大野病院では当時被告の医師一人だけで、地域のお産をすべて担わざるを得なかった」とあなたは前述しておられます。手術中に不測の事態となり担当医は一人で懸命に女性の命を助けようとしました。そんな時にどうやって家族への説明をするのでしょうか?分身の術を使えとでもおっしゃるのでしょうか?
これは担当医の責任ではありません。あなたもご指摘のように「担当医が一人で地域のお産を担わざるを得なかった状況」が問題なのです。
あなたはなぜ被告医師が真摯に説明して、理解を得る努力を怠ったと言い切れるのでしょうか?あなたは医療者サイドへの取材をされたのでしょうか? 患者さんやそのご家族の中には、医師が説明をしても耳を傾けない方がいます。説明しても「聞いていない」という方もいます。なぜ一方的な遺族の言い分だけ聞いてそれを鵜呑みにされるのでしょう。
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▲医師不足の問題についても、だから死を避けられなかったというのでなく、だからこそ、慎重に手術に臨んでほしかったというのが、遺族の思いです。
今回、執刀した医師は、手術の前に輸血や子宮摘出の可能性を遺族に説明しており、難しい手術であることは認識していたとみられます。それなのに、輸血血液も十分供給されず、一人しか医師がいない体制で、なぜ、手術に臨んだのか。手術の前に、大きな病院への転院や医師の応援要請を、関係者から助言されたのに断っていたことも、裁判の過程で明らかになりました。医師不足の中でも、医療機関が連携するなど、安全を確保する努力を重ねることが、医療側に求められているのだと思います。
-------------------------------------------
またもや「遺族の思い」ですか。「遺族」「遺族」ということばが何度も出てきますが、これは「民事裁判」ではなく「刑事裁判」です。遺族の感情は判決に関係がありません。
あなたはこの裁判の争点について冒頭で述べられていますね。「癒着胎盤という危険な状態だと、手術の前に予測できたかどうかという点」と「手術を始めて癒着胎盤と分かってから、そのまま胎盤をはがす処置を続けたことが適切だったどうか」ですよね。その結果が「手術前に予測するのは難しかったとした上で、処置を続けたことについても、大量出血の可能性は予測できたものの、当時としては医療水準に即したものだったとして、無罪判決」となったのですよね。
つまり、医師に過失はなかったと判断されたわけです。その裁判所の判断を無視するかのように「慎重に手術に臨んでほしかったというのが、遺族の思いです」これでは筋が通りません。
「手術の前に、大きな病院への転院や医師の応援要請を、関係者から助言されたのに断っていたことも、裁判の過程で明らかになりました。」
「関係者からの転院の助言を断った」という主張を多くの記事で見受けますが、関係者というのは助産師で、助産師がなぜそう言ったかという根拠も明らかにはされていません(第3回公判)。医師が助産師の助言に従わなかったから罰せられるという道理はありません。医師を逮捕して何度も公判を開いてわかったことがこの程度しかないのです。鬼の首を取ったように書くことではありません。
また、医師の応援要請を断ったと書かれていますが、被告医師が応援医師の要請をしたことは第11回公判で証言されています。
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<まとめ>
今週初め、今回の事故で亡くなった女性の父親に会うことができました。帝王切開手術で生まれたお孫さんは今年3歳。上のお孫さんは7歳です。2人の孫のためにも、娘の死を無駄にせずに、二度と同じような事故が起きないよう、取り組みを進めてほしいと、静かに語っておられました。無罪判決は、刑事責任を問うほどの過失がなかったと判断したにすぎません。遺族の思いを受け止めて、今回の事件を教訓に、安心して医療を受けられる態勢を整えていくことが、何より必要なのだと思います。
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最後まで一方的に遺族の考えばかりを主張していらっしゃいますが、こういう報道を偏向報道と呼ぶことにご自分ではお気づきになりませんか。
「無罪判決は、刑事責任を問うほどの過失がなかったと判断したにすぎません」
あなたは被告医師に刑事責任を問うほどではないにしろ過失はあったと言いたいようですね。では、どんな過失があったと思われているのでしょう。あなたの文章から推測すると、「関係者(助産師)からの転院の助言を断って一人体制で手術に臨んだこと」でしょうか?
医師不足のために一人で手術をしなければならなかったことは被告医師の責任ではありません。今回のケースで、術前に判明していたのは帝王切開後の前置胎盤だけです。専門家が吟味した結果「癒着胎盤を手術前に予見するのは難しかった」という判決です。このような1%の可能性で危険かもしれないという症例をすべて高次医療機関に送っていたら、高次医療機関がパンク状態になることはお分かりになりませんか?
最後に「遺族の思いを受け止めて、今回の事件を教訓に、安心して医療を受けられる態勢を整えていくことが、何より必要」
と書かれていますが、そのためには具体的にどうすればよいとあなたはお考えでしょうか? ぜひ聞かせていただきたいものです。
比較しては悪いですが、女性自身 6月24日号シリーズ人間(p.76-82)の記事は公平中立な立場でよく取材され、素晴らしいものでした。あなたのものとは雲泥の差です。ぜひバックナンバーを取り寄せてご一読されることをお勧めします。
今後はNHK解説委員の名に恥じないように、勉強に励まれますことをお祈りいたします。
かしこ
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わけあって、削除しました
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先日、92歳、一人暮らしの良雄さん(仮名)が、娘さんに連れられて受診した。一週間前から食事が摂れなくなり、薬も飲めていないと言う。
特発性血小板減少性紫斑病でステロイドをずっと内服している良雄さん。ステロイドの減量を試みて、血小板が突然5千を切り、緊急入院したのは十年以上前のことだ。以来、減量をあきらめ、プレドニン10mgをずっと飲み続けてきた。この年齢まで感染症や骨折、胃潰瘍など、副作用の発現もなくお元気に過ごされてきた。
長年飲んできたステロイドの突然の中止は危険である。良雄さんもそれを承知のはずだった。
余程しんどかったのだろう。入院嫌いな良雄さんが、自分から入院がしたいと言った。
「先生、もうだめや・・」
息も絶え絶えだった。
私は良雄さんの家族に厳しい話をせねばならなかった。
しかし、そんな話はまるで必要がなかったかのように、輸液とステロイド投与で、良雄さんは見る見るうちにお元気になられた。
数日後に病室を訪ねると、ベッドの上に正座をしていた良雄さんは、私の顔を見るなりこう言った。
「先生は神様のようだ」
恐れ多いやら、気恥ずかしいやら・・・。
そのまた後日、良雄さんの部屋に回診に行くと、すっかり元通りに回復した良雄さんから、こう尋ねられた。
「先生のお子さんはおいくつになられましたか?」
「上の子は十歳です」
「ほう、そんなに。
いやね、私、先生のお子さんが生まれた日に、たまたま外来にかかりましてね、看護婦さんから『今日生まれましたよ』って聞いたものですから。
おいくつになられたのか一度聞いてみたいと思っていたのです」
「まあ、そうですか。もう十年もたったなんて、早いですね」
「先生は全然変わりませんねえ」
「あら、良雄さんも全然変わりませんよ」
互いに褒め合い、二人して、わははと笑った。
ほんの十日ほど前に、ご家族に覚悟をしてくださいとお話したことが、嘘のようだ。
ありがとう、良雄さん。
患者さんがよくなることは、医療者にとってかけがえのない喜びである。患者さんが医療者に感謝すれば、医療者もまた患者さんに感謝をする。喜びを与えてくれてありがとうと。
思い返せばこの十年、あっという間だった。次の十年も、あっという間に過ぎるのだろう。
患者も私も、歳を取る。すべての人は平等に一年ずつ歳を重ねる。ただし、老いの速度は人それぞれに違うようだ。
良雄さんと、さらに十年後も、こんな風に笑いながらお話しできたらいいと思う。
「お子さんはもう二十歳ですか。あれから二十年も経ったなんて、早いもんですね」などという会話を想像すると楽しくなる。
しかし十年後、良雄さんは102歳である。
そこまで求めるのは、ちょっと酷であろう。
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