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みなさん、さなだ虫って見たことありますか。
私は、1度だけ見たことがあります。
自宅のトイレで・・・
ある日長男がトイレの中から叫びました。
「ママー、ちょっと来てー」
息子はうんちを大量にすると私をトイレに呼びつけて自慢するので、いつものそれかと思いましたが
トイレで息子が固まっていました。
「なんか、お尻から変なもの出てきた・・・」
見てみると、白いゴムのような長いものが、息子の肛門からビローンと出ています。
「何か変なもの食べたでしょ!」
と私。ゴム手袋をして、引っ張ってみました。(ゴム手袋は便秘の次男の摘便用に常時用意してあります)
白いゴムひものような物は、どんどんんどんどん、手品のように出てきます。
それが、寄生虫だと理解するのに、しばらく時間がかかりました。
慎重に引っ張ったつもりでしたが、途中でちぎれてしまいました。その物は正確にはわかりませんが、2メートルくらいあったと思います。
それはにょろにょろ動いています。
息子は恐怖におののき、
「僕、どうなるの?僕、どうなるの?僕、死ぬの?」
私「だいじょうぶ、だいじょうぶ。しにゃあせん。これは、寄生虫だよ」
と言いつつ、学生時代、寄生虫の講義をさぼっていたので、その寄生虫の名前がわかりません。
近所に住む両親を呼んで検証してもらいました。両親は
「おお、これは、さなだ虫じゃ」
と、即座にその寄生虫の俗称を言い当て、大変なつかしがっておりました。
さて、頭が残っていると、またにょきにょき生えて成長するというさなだ虫(正式名:広節裂頭条虫、または日本海裂頭条虫)。息子の腸の中で、断端からまた長く成長しているだろうと思い、
しばらくたってから、息子にビルトリシドというお薬を飲ませて、条虫駆除を試みました。
何も出てきませんでした。
日にちをおいてもう1回試みました。
やはり、何も出てきませんでした。
息子は、前処置のマグコロールという下剤で、肛門がただれてしまい
「もういやだ~!!僕、おなかに虫がいてもいいもん」
と言っておりました。
あのさなだ虫君の断端が、息子の腸の中で成長し続けているのか、もういないのか、不明のままです。
広節裂頭条虫、または日本海裂頭条虫の感染源は生のサケ、マス。それ以来、うちの家族は誰もサーモンの刺身を食べません。
さなだ虫はダイエット効果やアレルギー予防効果があるなどと言われていますが、長男は肥満気味で、花粉症です。
ちょっと気色悪いですが写真です
今日の話は天国へのビザとは何の関係もございません。
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年末、iPodに入れたミスチルのベストアルバムを聞きながら、大掃除(というか、いつもの掃除に少し毛の生えた掃除)をしていました。
その中に、私の好きな歌で蘇生という歌が入っていました。
何度でも何度でも僕は生まれ変わっていける~
という希望的な歌で、蘇生=生まれ変わること という解釈で歌詞に使われているようですが、医学的には、蘇生をしても生まれ変わることはありません。うまくいって蘇生前と同等、最悪の場合、植物状態です。
蘇生して、すっかり健康な体になってくれればいいのですが・・・。
今のご時世では考えられないのですが、研修医の1年目の時、関連病院の当直のバイトに行かされました。夜中に透析患者が心不全になってやってきました。救急車で来院するやいなや、私の目の前で呼吸が止まりました。看護婦さんがすかさず、挿管セットを私の目の前に突きつけました。
私は心臓バクバク、足はガクガクでしたが、挿管は成功し、その患者さんは息を吹き返しました。これが、私の初めての蘇生の成功例です。
1週間後に、またその病院へバイトに行き、そーっと病室を覗いてみると、その患者さんは何事もなかったかのように、ベッドに座っていました。私は「やったー!」と、自分の手で人の命を助けた喜びに勝手に浸りました。しかし、今思うと、その患者さんは蘇生しても、透析を続けていかなければならないことに変わりなく、患者さん自身も息を吹き返してよかったと思っていたのかどうか、本人に聞いてみないとわかりません。もしかしたら、あの時死んでしまえばよかったと思われていたのかも知れません。
蘇生しても医者の自己満足だけに終わることも、結構あるように思います。
92歳の老人(認知症もなく、大変しっかりした方です)が骨折で入院していました。夜中に痰がつまって窒息し、当直医は慌てて挿管して人工呼吸器をつけました。その老人は元々肺結核の後遺症で片肺を手術されており、呼吸機能は低下していました。人工呼吸器からの離脱を何度か試みましたが、すぐに低酸素血症となり、離脱は不可能と思われました。約半年間、老人は人工呼吸器をつけられていました。意識はずっとはっきりしていました。「こんな状態なら死んだほうがまし。牢獄に入っているより辛い」と、いつも紙に書いていました。
本当にお気の毒に。92歳という高齢でこんな状態なんて、もし自分だったら耐えられない。と私は思っていました。
しかし、半年後、老人は人工呼吸器から離脱できたのです。すごい回復力です。
復活した老人は車いすを自分で運転して、病院の廊下を走り回っていました。ただし、気管切開といって、喉に穴は開いたままです。
ある日、私は聞きました。また痰がつまって呼吸が止まったら、人工呼吸器を希望しますか?
老人の答えは 「希望する」でした。
半年間、あんなに辛かったのに、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのです。元気になった喜びのほうが強かったということでしょう。
しかし、老人は92歳であることに変わりありません。また肺炎になりました。抗生剤をしばらく投与すると、よくなります。が、やめるとまた熱が出る、という状態を繰り返しています。
不死身に見えた彼にも、やはり寿命はあります。いつかは終わりが来るのです。
いつまで戦えばいいのでしょう・・・。
終末期医療に答えなんてないのです
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今日は、外来に完全房室ブロックの患者さんが来て、救急搬送しました。一般の方のためにご説明いたしますと、完全房室ブロックというのは心不全や心停止をおこす可能性がある危険な不整脈です。ただちに専門施設に搬送して、処置をする必要があります。
ところが、患者さんは、
「ワシはそんなに悪くない。」「大丈夫や、大丈夫や。」(なぜ、あなたが決める)
「とにかく1回自転車でうちに帰らせてくれ。」
「シルバー会の会合があるから、入院なんてできん。」
ゴネゴネゴネゴネ
そんなこと言ってる場合じゃありません!!
子供にいつも叱っている様な調子で言ってしまいました。忙しい外来で、こういう患者さんが一人いると、とっても疲れます。でも、こんこんと言い聞かせたら、最後は素直に言うことを聞いて救急車に乗っていただけました。
人手のない病院ですから、外来が終わってから、私が救急車に同乗して大きい病院へ搬送しました。送って帰ってきたのは2時近く。朝からずっとトイレにも行けないのは、女性には辛いですー。
帰ってきたら、MRさんが年末の挨拶で、医局の前にずらーり。 勘弁してー。
病棟が落ち着いていたのが救いです。
夜は病院の忘年会があり、子供を二人連れて出席しました。ビンゴゲームでホテルの宿泊券が当たりました。
たまにはいいこともあるもんだと、
明日も頑張って働こうと思う、単純な私でした。
(明日も通常通りの勤務です。)
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昼に麻子が医局に戻ると、医局の廊下にはいつもの如く製薬会社のMR(医療情報担当者)達が、ずらりと列を成していた。医局に入ると、西浦と、彼が好んで使っている脳梗塞治療薬の製薬会社のМRが、何やらこそこそ話をしていた。
「でさ・・、今度・・・にあるクラブ・・・ワインがたくさん置いてあって、・・・あそこの女の子が・・・、いいらしいからさ、ヒヒヒ」
西浦は医局に入ってきた麻子に気づくと、話をすぐに切り上げた。
「じゃ、そういうことで。」
個人的に接待を受ける相談のようだった。現在、国公立の病院では、製薬会社から医師への接待は禁じられているのだが、この病院のような民間病院や、私立の大学病院では自由だ。営業マンがお得意様に接待をして、営業成績を上げようとする。それは当然の事のようでもある。しかし、製薬会社からの見返りのために、何の関係もない患者が不必要な治療をされているとしたら・・・!
西浦はその皮下脂肪の多くついた顔に、なにやら薄ら笑いを浮かべて麻子の方を一瞥すると、医局から出て行った。西浦が出て行くと、遠慮がちに、とある製薬会社の新人MRが、麻子に声を掛けてきた。
「先生、お疲れのところ申し訳ありません。ひとつだけ、よろしいでしょうか。」
もたついた口調で言いながら、MRは新薬のパンフレットをおずおずと鞄から取り出す。このMRが先日、西浦にこっぴどく叱られていたのを、麻子は目の当たりにしている。新薬の宣伝を西浦にするのが他の医師よりも遅れたと言う、取るに足らない理由で、だ。それは、そのMRが医局を訪問したときに、たまたま西浦が不在だったからというだけなのだが、西浦は上司まで病院に呼びつけ、どなりちらしていたらしい。
西浦は気に入らないことがあると、すぐに担当MRの上司を呼びつける。それも、わざと自分の忙しい時間に約束をして、何時間でも待たせるのだ。MR達も西浦にうまく取り入って気に入られれば、適応の有無にかかわらず、じゃんじゃん薬を使ってもらえる。機嫌を損ねたら最後、その製薬会社の薬は西浦の処方から完全に排除される。処方される患者にしてみたら、そんなことで薬を決められるのは、たまったものではない。
本来、MRの仕事は医者に媚を売ることではなく、薬剤に関する情報を正しく迅速に医師らに提供することである。しかし、西浦のように、MRに対し自分が王様であるかのような態度を取る、勘違いした医者は時々いる。
麻子は、志摩子からさっき聞いた西浦の台詞を思い起こしていた。
「延命措置をするかどうかは医者が決めることだ。」
それは麻子の研修医時代、麻子の指導医が言った言葉とそっくり同じだった。そして、それは麻子に、ある患者の記憶をよみがえらせた。

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今日も、小説の紹介はお休みです。
今日のお昼、特別養護老人ホームから、94歳の心肺停止した女性が救急車で搬送されてきました。特養から連絡があってから、当院へ着くまでに30分かかっており、蘇生は行いませんでした。
特養の職員が家族へ電話したところ、嫁にあたる人が出て、
「私は関わりたくないんです。」
と言われ、ガチャッと電話を切られたそうです。
他の家族に連絡が取れ、こちらに向かっているという情報をもらいましたが、待てど暮らせど、家族は来ず。
その老人が当院へ運ばれたのは午後2時でしたが、午後6時になっても家族は病院へ来ませんでした。家族の家は当院から車で30分の距離です。
結局、夜になっても家族は現われず、身寄りのない方を専門に扱う葬儀屋さんにご遺体を引き取りに来ていただき、後のことはお任せしました。
当院には霊安室がないため、その老人のご遺体はそれまでの間、救急処置室にずっと寝かされていました。
1世紀近く生きた老人の生涯は、こうして最期の幕を閉じました。なんと淋しい終り方でしょう。
ご冥福をお祈り致します。
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その日、麻子は出勤すると、まず、急性期病棟の最も重症な入院患者を診に、病室を訪れた。その部屋は集中治療室と呼ぶには設備がお粗末すぎたが、看護師の目がよく行き届くように、ナースステーションの最も近くに位置し、重症な患者が四人まで収容できるようになっていた。麻子は、新しく人工呼吸器の装着された患者がいるのに気づき、「あら?」と思わず声を上げた。
「この患者さんは・・・。」
いつもは寝たきり病棟にいる植物状態の患者だった。口から気管内にチューブを通されたその患者のベッドの両サイドには、大小数種類の点滴がぶら下げられていた。その患者の主治医は西浦だった。彼は麻子が今までに見てきた中で最悪の医者だった。病院中のスタッフから嫌われ、看護師達は陰で彼に鼠というあだ名をつけていた。
「ねえ、シマちゃん。あの患者さん、どうしたの?」
麻子は夜勤明けで帰ろうとしていた看護師の志摩子に尋ねた。
「せんせー、昨日大変だったんですよー。あの患者さん、肺炎で呼吸状態悪くなっちゃってー。」
小柄でクリクリとよく目の動く志摩子は、興奮するといつも抑揚のある口調に加えて、語尾が長く伸びた。
「人工呼吸器はご家族の希望なの?」
「まさかー。鼠が家族の希望なんて聞くわけないですよー。延命措置するかどうかなんて、医者が決めることで、家族が決めることじゃないって、いっつも言ってますからー。」
それは、麻子が、かつて別の医者の口から聞いた覚えのある台詞だった。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862230962/ref=sr_11_1/249-4503063-7813949?ie=UTF8
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「先生にお願いがあります。」
源次郎が突然言った。
「なんでしょう。」
源次郎がとても真剣な顔付きをしていたので、麻子の頬の筋肉もおのずと引き締まった。
「もしもの場合、私に延命措置は一切しないで頂きたい。」
麻子は唐突な申し出に少々とまどったが、源次郎の意を決したと言うような真っ直ぐな瞳をみつめると、こう言った。
「わかりました。文章にして持っていていただくと誰が見てもわかるので、そういうものを作っておかれたほうがいいでしょう。」
いつものように、秀子が源次郎の言葉を補足した。
「この人、絶対に麻子先生に死水を取ってもらうんだって、いつも言ってるんですよ。本当に先生が頼りなんです。親子以上に歳が離れているというのに・・。」
麻子の父親は、麻子が幼少のときに亡くなっていた。麻子は無意識に、自分の父親が生きていたらこんな感じなのだろうかと、源次郎に父親像を重ねていたのだった。実際は、源次郎は麻子の父親よりも一回り年上だったし、源次郎の実の娘といえば、麻子よりも十五歳年上で、高校生の息子がいた。
「わかりました。もしもの場合、必ず私を呼んでください。いつでも駆けつけますからね。必ず、私が山脇さんの死水を取ります。」
こうして、源次郎の最期のときの約束が交わされたが、源次郎の腫瘍は悪性と決まったわけではなく、良性のものであれば、まだ生命予後は長いはずであった。しかし、源次郎の体力が日に日に下降していることは確かだった。
もし、ここで麻子が「何をおっしゃいますか。山脇さんはまだまだそんなこと考えなくてもいいんですよ。」などという卑怯で無責任な言葉を発したなら、源次郎はひどく落胆しただろう。自分に対してストレートに投げられた球はきちんと受け止めて真っ直ぐに相手に投げ返す。これは麻子が臨床医としての経験から身につけた礼儀のひとつである。
麻子の「必ず死水を取る」という言葉は、この上なく源次郎を安堵させた。源次郎はその日から毎晩その言葉を反芻し、おかげで安らかな眠りに就くことができた。麻子の言葉がそれほどの力を持つとは、そのとき麻子自身も気づいてはいなかったが。
源次郎は七十五歳、麻子は三十四歳、二人の付き合いはもう十年になっていた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862230962/ref=sr_11_1/249-4503063-7813949?ie=UTF8
http://item.rakuten.co.jp/book/4162852/
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「先生、よく来てくださいました。よろしくお願い致します。」
玄関先で、秀子は麻子を粛々と出迎えた。麻子は源次郎が過ごす奥の座敷へ通された。源次郎が座った位置から日本庭が見えるように、窓の方に向けて電動式ベッドが備えられていた。畳にベッドというのは一見不釣合いのようだが、在宅患者のお宅ではよくある組み合わせである。生活活動度の低下した患者が在宅で過ごすのに、ベッドは必需品である。元々、介護が必要になるという想定をせずに暮らしていた家に、突然介護用ベッドという代物が割り込んでくるわけであるから、アンバランスは致し方がない。しかし、これもまたおつな物であると麻子は思う。
「山脇さん、お加減はいかがですか。」
「痛いところも痒いところも無いんですが、ただ、食欲がない・・。」
源次郎の顔や身体からは、二週間前に診た時よりも確実に肉が削げていた。元々強面であったが、窪んだ眼窩や張り出した頬骨が、それを益々精悍なものにしていた。
こんな状態になると、多くの人は精神的に鬱状態になってしまうが、源次郎は気丈にも、座って出来る作業を見つけ出し、せっせと勤しんでいた。源次郎はちょうど、牛乳パックに和紙を貼り付けた、六角形の小物入れを製作中だった。秀子がきれいな和紙を色々と取り寄せているようだった。
麻子はひと通り、源次郎の診察を終えると言った。
「すごいですね。褥瘡も全然出来ていないし。奥さん、体位交換頑張ってみえますね。」
「ええ、もう夜中も二時間毎に目が覚めるように、体内時計がセットされてしまったようです。」
源次郎は少し苦笑いをしながら言った。
「私が家内を起こすこともあります。」
「まあ、いやだわ。先生にそんなこと告げ口して。」
秀子は夫を気遣い、努めて明るく振舞っていた。週一回、源次郎は入浴のために介護センターへ送迎バスで通所していたが、それ以外は秀子が二十四時間付きっ切りで介護をしていた。その疲労は計り知れないものだった。しかし、秀子はそれを臆面にも出さなかった。
「先生、こんな物を作ったので、また貰って下さい。」
源次郎はベッドの脇から、美しい和紙でできた鉛筆立てを取り出し、麻子へ差し出した。
「ありがとうございます。山脇さんはとても器用ですね。この前いただいた小物入れも、大切に使わせて頂いています。」
「まあ先生、ありがとうございます。」
答えたのは秀子だった。
「よかったわね、お父さん。」
秀子は源次郎に呼びかけた。源次郎はそれには答えず、正面の窓の方に視線を移し、話題を変えた。
「ここからは、庭へ来る野鳥が見えるんです。色々な鳥がやってきて、面白い。」
「餌付けをしているんですよ。りんごなんかを小枝に差しておくと、野鳥がそれを食べにくるんです。何十年もここに住んでいるのに、この辺にこんなに野鳥がいるなんて、主人が家で療養するようになるまでは全然知らずにいましたわ。もっとも、鳥の名前はよく分からないのですけどね。」
秀子が朗らかに言った。源次郎が一喋ると、秀子がそれへの付け足しを十喋る。いつもそんな感じである。これは、源次郎が脳梗塞で言葉が少し話し辛くなってからの秀子の習慣なのであろうか。特に、源次郎が寝たきりになってからの秀子のお喋りには、源次郎の周囲を重たく覆う空気を少しでも明るくしようという、秀子の健気な計らいが感じられた。そして、それは、秀子自身を元気付けるためでもあった。
「そうなんですか。この辺りは環境がいいですね。」
麻子は窓の外の庭に目を遣った。緑の葉が、床屋に行きたてのようにきちんと剪定のなされた庭木に、今は野鳥の姿はなかった。それにしても、庭師の手を借りているとは言え、いつも手入れの行き届いた庭に、麻子は感心する。動けない源次郎の視界に常に入る庭だから、手が抜けないんですよと、以前、秀子は笑いながら言っていた。
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源次郎は麻子が研修医のときからずっと診ている患者である。元来、糖尿病を患っていた源次郎だが、脳梗塞で半身麻痺を来たした際、大学病院へ入院した。このとき主治医になったのが麻子だった。努力家であった源次郎は、熱心にリハビリを行い、ほとんど麻痺が残らないまでに改善した。その後、麻子が公立総合病院へ赴任すると、源次郎はそれに付いてきて、麻子の外来へ掛かり続けた。麻子は源次郎の血糖値を適正にコントロールするために、外来で採血などの検査を行い、薬を調節した。そんな折、自覚症状は何もなかったが、麻子が一度腹部の検査もやっておきましょうと、腹部のエコーを勧めたところ、その検査でたまたま腎臓癌がみつかった。源次郎は総合病院の泌尿器科へ入院し、手術を受けた。気付かずにいれば手遅れになるところだった。
癌が見つかったことは偶然以外のなにものでもなかったのだが、源次郎は必要以上に麻子に感謝の意を表わした。麻子が今の病院へ移ると、源次郎もまた麻子について病院を変えた。総合病院と今の病院は比較的近かったため、麻子について来た患者は他にも少なからずいた。しかし、研修医時代からずっと関わっている患者は、源次郎ただ一人だった。自分を慕って付いてきてくれる患者がいることは、医者冥利につきた。
脳血栓と腎臓癌を克服した源次郎であったが、どういう理由か、病魔は彼に安息を与えなかった。今の病院へ変わってから間もなく、源次郎の両足の感覚は麻痺し始め、次第に歩けなくなった。脊髄に腫瘍が出来たのだった。それは良性のものか悪性のものか、皆目わからなかった。脊髄という場所では組織を取って調べることも出来ず、そのまま様子を見るしかなかった。МRI画像で脊髄の中に浮かび上がる、三×一㎝の小さな出来物の存在が、源次郎の脳から下半身への指令や、下半身から脳へ感覚を伝えるその流れを、完全に遮断してしまったのだった。もはや、源次郎は自分の意志で下肢を動かすことは出来ず、腰から下の部分に関しては、痛みや触覚さえ感じることはなくなった。便意も尿意もなくなったため、源次郎はオムツをあてがわなければならなかった。それら排泄物は、自分の関与しないところで勝手に出ているのだった。気位の高い源次郎にとって、それはどんなに辛い仕打ちだっただろう。
歩けなくなってからは入院していた源次郎だが、症状が固定すると、退院して在宅療養することを望んだ。このような患者が在宅で過ごすには、家族の献身的な協力が不可欠だ。自分で身体の向きを変えられない源次郎は、誰かが二時間毎に身体の向きを少しずつ変えてあげないといけないのだ。それ以上同じ姿勢で動かずにいると、たちまち褥瘡(床ずれ)ができてしまうからだ。
源次郎の妻、秀子は献身的な女性だった。源次郎が自宅へ帰って療養すると言えば、それはもう山脇家の決定事項となった。
麻子は、最近になって、どんな妻を持つかもその人の人格の一部であると思うようになった。それまで一家の大黒柱であった夫が、介護が必要な状態になったときこそ、妻の本性が出る。献身的に介護する妻もいれば、夫を施設や病院へ放り込んで、世話は他人任せという妻もいる。言葉が上手く話すことができなくなった夫を、人前でけなす妻もいる。それは、今まで家庭を顧みなかった夫への恨み辛みの結果かも知れないし、もし夫に全く非が無ければ、そんな妻を娶ったという事は、人を見る目がなかったと言うしかない。
秀子は源次郎の前で、決して愚痴をこぼすことなどない、貞淑な妻だった。それは、源次郎が妻の尊敬と愛情を受けるにふさわしい男性であることと、秀子の人格がすばらしいことと、二つの要素により成立していると麻子は思った。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862230962/ref=sr_11_1/249-4503063-7813949?ie=UTF8
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早春の輝かしい光の中、麻子は、日本三大清流の一つと言われるN川の堤防の上に、車を走らせていた。車は病院所有のマーチで、ドアには病院の名前とマークが印字してある。助手席には中年の小太りの看護師が座っている。訪問診療のため、患者宅を回るところなのだ。
毎週水曜の午後は、麻子は訪問診療に時間を割り当てていた。麻子は在宅で過ごす寝たきり患者たちを十数人抱えていた。状態に合わせて、月一回か二週間に一回、そういった患者たちの家へ、定期的に往診に行くのだ。今の病院では女性の内科医師は麻子一人だった。男性の医師は訪問診療を面倒くさがるため、麻子が一手に引き受けていた。
以前は病院の専属運転手がいたのだが、何かの理由で退職し、その後は人件費削減のため、もう運転手を雇うつもりもないようだった。麻子は自分で運転をしなければならなくなったが、その方が気楽であった。一日に四、五件の予定が入っていた。今日は、その中に山脇源次郎の家が含まれていた。
源次郎の自宅へ行くには、この土地の観光名所の一つで、夏には鵜飼いが行われるこの川の堤防を必ず通った。麻子は、このドライブが好きだった。水面に陽の光が反射し、川は銀色の輝くウロコで覆われた巨大な美しい蛇のようだった。対岸には深緑の山が聳え立った。
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