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2011.10.25 06:28 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  春野ことり  | 推薦数 : 4

また魔女狩りか

挿管ミスで患者死亡 弘前の医師を書類送検

共同通信社 10月14日(金) 配信 199件
 治療中に挿管を誤り患者を死亡させたとして、青森県弘前市の市立病院に勤務する30代男性医師を青森県警が業務上過失致死容疑で書類送検したことが13日、青森地検などへの取材で分かった。送検は6日付。

 送検容疑は昨年2月、気道確保のため50代の男性患者に挿管する際、気管に入れるべき管を誤って食道に入れ、死亡させた疑い。

 同病院事務局医事課は「通常の医療行為と認識している。検察庁の判断を待って、今後の対応について検討する」としている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

もう医者なんてやってらんねえ

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90代後半男性のYさんは車椅子に乗り、長男のお嫁さんに連れられて通院していた。色白で細身のYさんはいつもニコニコと笑顔を絶やさなかった。美人のお嫁さんはせいぜい40歳くらいにしか見えず、最初、私はてっきりYさんのお孫さんだと思い込んでいた。笑顔が素敵でとても絵になる二人だった。Yさんは特に持病があるわけではなく、薬も内服していなかった。ただ、食欲がないため点滴を希望されており、訪問看護師に依頼し在宅で週3回点滴を行っていた。点滴と言っても特別な薬が入っているわけではなく、ただの補液に過ぎないのだが、点滴を受けることで精神的に安堵する患者は多い。Yさんもそんな患者さんのひとりだった。

 

98歳の春、Yさんの状態に変化があった。微熱が続くようになり、咳、痰などの呼吸器症状が出てきた。胸のレントゲンを撮ると、両側の下肺野にすりガラス状の陰影があり、肺炎が疑われた。Yさんと付き添いのお嫁さんは入院をきっぱりと拒否し、在宅での看取りを希望している由を私に伝えた。それはYさんの兼ねてからの強い希望であり、家族も皆了承しているということであった。

 

漠然と『家で死にたい』と思っている人は少なくないと思うが、在宅死に家族皆が同意して協力する約束が事前に行われているケースは珍しい。Yさんの意向を尊重し、内服の抗生剤を処方して在宅療養を続けてもらうこととした。また、通院が困難になってきたため、訪問診療に切り替えた。

抗生剤投与後もYさんの発熱は続いた。呼吸困難の訴えがみられるようになり経皮的酸素飽和度が88%と低下したため、在宅酸素療法を開始した。

喀痰検査からガフキー1号が出た。その後の結核菌群PCRでは陰性、非定型抗酸菌PCRMイントラセルラーが陽性に出て、Yさんは非定型抗酸菌症と診断された。クラリスロマイシンと抗結核剤を処方すると、解熱傾向が出てきた。

 

そんな折、ふいに私の外来にYさんの長男夫婦が現れた。98歳のYさんの長男といえば60歳代から70歳くらいの年齢だろうと思っていたが、現れた長男さんはどう見ても40歳代前半にしか見えなかった。後で聞いた話ではYさんは結婚が遅く、50歳代の時に一回り以上年下の奥さんをもらい、ご長男が生まれたとのことだった。だからご長男もお嫁さんも、Yさんの孫と言われてもおかしくない年齢だったのだ。

 

 息子さんは丁寧に挨拶をされた後、Yさんが深夜にとても息苦しそうで見ていられないのだということを訴え、「何とか楽にしてあげてください。お願いします。」と私に懇願した。

いきなり頭を下げられ困惑したが、よく話を聞くと、Yさんは20年前から自分は畳の上で死にたいと言っていたのだそうだ。息子さんはYさんが書いたという紙を取り出して私に見せた。それには直筆で延命治療は一切行わないで欲しいということが記してあった。日付やサイン、捺印もあり、きちんとしたLiving Willだった。息子さんは本人の意思を尊重したいと言い、更に、「こんなに苦しむくらいなら早く楽にしてあげたい。何とか楽に死なせてあげたい」と言うのだった。

 

息子さんが思いつめてしまったのも無理はなかった。彼は昼間仕事をして、夜はYさんの看病を寝ずにしていたのだそうだ。Yさんは歳を取ってから生まれた孫のような息子さんを、それは可愛がられたそうだ。息子さんにとってもそんなYさんは心から大切な人である。息子さんはYさんの『畳の上で死にたい』という望みを叶えるべく、夜中の介護を一手に引き受けていた。入院中の付き添いであれば、ナースコールを押せば看護師がすぐにやってきてくれる。しかし在宅では誰も来てくれない。苦しむ患者を前に、医学知識もない家族は不安に苛まれ、どうするすべもなく、ただうろたえるだけであろう。

 

少々興奮気味の息子さんに、現在の日本ではいくら不治の病で本人が苦しんでいても、意図的に死期を早めることはできないのだということを説明した。Yさんの病気は感染症なので治る可能性があることも話した。息子さんの興奮も、時間をかけて話しているうちに治まってきて、こちらの言うことをよく理解してくださった。ただ、感染症の治療はもうしなくていいということを言われた。できるだけ自然に任せてほしいということを希望された。

 

「了解しました。でも、もしも在宅でとても看ることができないという状況になった場合は入院していただくことになります。苦しむ姿を見ていられない状況になれば、救急車で来ていただいてもこちらは構わないです。すべてをご家族だけで抱え込む必要はないですからね」私は息子さんの気持ちが少しでも楽になればと思い、こう言ったのだが、息子さんは「ありがとうございます。でも、それは絶対にありません」と断言した。父親を必ず在宅で看取るという彼の決意は揺るぎないもののようだった。

 

訪問診療に伺うときは、息子さんは仕事に出かけているので、お嫁さんと、Yさんの奥さんが出迎えてくれた。息子さんの決意がいくら固くても、他の家族の協力なしに在宅看取りを遂行することは不可能であろう。日中はお嫁さんが主体となり、非常に熱心に介護をされていた。

お嫁さんは介護ベッドに横たわるYさんの耳に顔を寄せると「おじいさーん。先生が来て下さったわよー。よかったわねー」と、大きな声で言った。Yさんはかなり耳が遠いので、耳元で叫ぶようにして話さないと聞こえないのだ。するとYさんはゆっくりとこちらへ顔を向け、上品な笑顔でにっこりと微笑むのだった。

Yさんは食事がほとんど喉を通らず、薬も飲めなくなっていた。何とか飲めていた経腸栄養剤も次第に飲めなくなっていった。訪問看護ステーションへ依頼し、1500mlの点滴をしてもらっていた。間もなく夜中に苦しがることもなくなり、穏やかに死期を待っているという様子に見えた。

 

訪問診療を開始してから2ヶ月が経った。Yさんは徐々に衰弱して反応が鈍くなっていた。呼びかけてもかすかに眼を開けようとするだけで、以前のように顔を向けて微笑むようなことはできなくなっていた。しかし苦しがっている様子はなく、息子さん夫婦はこのまま穏やかな日々が続いてくれればと願っていた。

 

ところがある日、突然高熱が出て、コーヒー様の下痢をしたということだった。付き添いのお嫁さんに、消化管潰瘍による下血と思われることを話して、プロトンポンプインヒビター(PPI)の静脈注射を行った。この頃から夜間の無呼吸が頻回にみられるようになった。PPIの投与についても、息子さんが「延命治療になるのだったら止めて欲しい」と言われていることをお嫁さんから伺った。このような寝たきり状態で、傍から見て苦痛がないように見えても、ご本人にはストレスがかかっていること、ストレスが原因で胃潰瘍などを引き起こした可能性があること、もし胃潰瘍ができていたとしたら本人は訴えることができないけれど胃の痛みを感じているであろうということを説明し、投与継続を了解していただいた。

 

10日間ほどPPIの注射を続けると、コーヒー様の下痢便は出なくなった。元々細かったYさんは、もっともっと痩せていった。聴診しようとシャツの前をはだけると、あばら骨が浮き出て、それはまるで骸骨が皮一枚被っているというような感じであった。しかし、色白の皮膚は光沢があり、艶々と美しかった。下肢は低蛋白のため少々浮腫んでいたが、褥瘡はまったく出来ていなかった。呼びかけるとかすかに眼を開けてくれた。

 

「とてもきれいな肌ですね。褥瘡も出来てないし、すごいね」と、私は感嘆の声を漏らした。お嫁さんはYさんの耳元で「おじいさーん、先生がすごいって、ほめてくださったわよー」と大きな声で言った。Yさんに聞こえているのかどうかは分からなかった。

 

食事や水分が摂れなくなり、たった500mlの点滴1本を命綱とし、はや3ヶ月が経とうとしていた。私は訪れるたびに「すごいね」と繰り返し、お嫁さんも「おじいさん、本当にすごい」と笑顔で答えた。

 

食事が摂れない超高齢者の補液も広義の延命治療に値すると思うのだが、息子さんやお嫁さんから点滴を止めて欲しいとは言われず、むしろ日祭日も点滴をして欲しいと希望された。休むことなく毎日点滴をしに行ってくれた訪問看護師には頭が下がる。

 

8月に入ろうとしていた。一つ、困ったことがあった。8月初旬、私は5日間の夏休みを取って家族旅行に行く予定だった。正直言って、旅行の計画を立てたときはYさんの命がここまで持つとは思わなかったのである。旅行中にもしもYさんが亡くなるようなことがあれば、誰が看取ればいいのだろう。しかし、子供たちが楽しみにしている1年に1度のファミリーイベントを中止するわけにもいかない。心苦しさを感じながらも、旅行中は信頼のおける同僚に託すことにした。休みに入る前に、同僚にYさんの家へ一緒に訪問してもらい、Yさんの家族に、もしもの時はこの先生が来てくださるからと言って紹介した。

 

Yさんは私が旅行から帰るのを待っていてくれた。「Yさーん、しばらく留守にしてごめんねー」耳元で大きな声で言うと、Yさんは目を閉じたまま頷いてくれた。Yさんもご家族もさぞ不安だったことだろう。ごめんねYさん、待っていてくれて本当にありがとう。

 

Yさんが亡くなったのはその約10日後、99歳の誕生日の3日前だった。夜中の3時、Yさんの呼吸が止まったという連絡を受けた。それまで無呼吸の頻度や持続時間は増していたが、苦痛表情はなく穏やかに過ごされていた。無呼吸が長くなりそのままスーっと息を引き取られたそうだ。連絡を受けた私は、白衣と聴診器、瞳孔反射を見るためのライトを手に、自分の車でYさんの家へ向かった。訪問看護師はすでに到着していた。Yさんの息子さんとお嫁さん、Yさんの奥さん、そしてお孫さんが揃って出迎えてくれた。Yさんは住み慣れた自宅で、愛する家族に見守られ、穏やかな表情で旅立っていかれた。

 

息子さんやお嫁さんの表情は晴れやかだった。「本当にありがとうございました。先生や看護婦さんたちのおかげで、おじいさんの望みを叶えることができました」そう言う二人の顔には目的を達成した充実感が満ち溢れていた。「いいえ、ご家族の協力のおかげですよ。Yさんはご自宅で一番幸せな旅立ち方をされました。今の時代、なかなかできないことです」私はそう返した。

 

死亡宣告をした後、Yさんの息子さんは契約書のような書類を私に見せながらこう言った。

「父の遺体は献体に出すことになっています」

それを聞いた私は一瞬、体に軽い衝撃のようなものを覚えた。学生時代の遠い過去に記憶が遡り、解剖室でのホルマリン臭が鼻を突く感覚が甦った。解剖台の上に横たわるYさんの姿が脳裏に浮かび、自分が学生の時に勉強をさせていただいたご遺体と重なった。私はYさんの亡骸に向かい、もう一度、深い敬意と感謝の気持ちをこめて合掌した。

 

現在、ほとんどの人は病院で人生の幕を閉じる。在宅で死を迎えるためには家族の甚大な協力が必要である。このケースでは介護の中心となる息子さん夫妻が若くて体力があったことが幸いしていた。しかし何より、Yさんが家族に尊敬され、愛されていたために為し得たことである。Yさんの逝き方にはそれまでYさんがどのように生きてきたかが反映されていると思う。Yさんの荘厳な最期を看取る一員に加わらせていただいたことに、今は感謝の気持ちでいっぱいである。

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2010.02.21 07:07 |  診療  |  仕事 / 職場  |  医療事故  |  春野ことり  | 推薦数 : 8

日本、大丈夫か

久々の更新です。

冬季オリンピックの真っ最中ですが、オリンピックの話題ではありません。

タイトルは以下の記事を読んだ、私の感想です。

 

 

http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0002717634.shtml

 

食事詰まらせ患者死亡 遺族に賠償へ 市立川西病院 

 川西市立川西病院(同市東畦野5)で昨年10月、入院していた兵庫県猪名川町の男性=当時(69)=が食事をのどに詰まらせて死亡していたことが16日、分かった。入院時に「食事は自分でできるが、詰め込みすぎる癖があるので見ていてほしい」と依頼を受けたが、当日は介助していなかったという。市はミスを認め同日、遺族に対して慰謝料など損害賠償として2700万円を支払うことを発表。3月定例市会に提案する。

 同病院によると、男性は昨年10月7日に肺炎で入院し、食事時の介助について、家族から申し出があった。同11日、夕食を女性看護師(45)が配膳。食べる様子を確認して病室を離れた約20分後、担当の別の女性看護師(50)が、のどを詰まらせた男性に気付いた。心肺停止状態になっていたため蘇生を試みたが、亡くなったという。

 看護記録用紙には「食事介助」「見守りが必要」などと書かれていたが、担当看護師は読んでいなかったという。配膳した看護師も、食事時の見守りに関しては知らなかったという。

 通報を受けた川西署は業務上過失致死容疑で捜査しており、看護師2人を同容疑で書類送検する方針

(2010/02/16 19:32)

 

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この記事からは亡くなった方の基礎疾患がわかりませんが、

もともと「のどに食事を詰まらせやすい人」が、病院で食事を詰まらせて亡くなったら

看護師が刑事責任を問われる国

 

日本

終わってません?

 

たしかに、こうやってイチャモンつけてくる家族は大勢いますよ。私の周囲にも

 しかし、こんなことで看護師が書類送検されてはあまりに理不尽

 看護師のなり手は益々いなくなるでしょうね

 

人が死んだら誰かを罰しないと気が済まない社会

 

日常的に人が死ぬ現場にいる私たちにとっては

明日は我が身と、身が縮む思いです

 

 

なかのひと

 

 

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2010.01.02 07:32 |  診療  |  生活 / くらし  |  春野ことり  | 推薦数 : 4

250万アクセス

あけましておめでとうございます

 

昨年ほとんど更新していなかったこのブログですが、気がついたら250万アクセス超えていました。

年末に、なんと5か月ぶりに更新したのですが、m3のピックアップブログにのせていただき,右下がりだったアクセス数がまた上向きに・・・

ほとんど更新してないのにすみません。恐縮です。

言い訳をすると、日常が忙しくて・・・というより更新する気がおこらなかったというか・・・正直言うと気持がブログから離れてしまい・・・

以前はどうしてあんなにせっせと睡眠時間を削ってまで更新していたんだろう・・・?って不思議に思うようになっていました。

ここ半年ぐらい他の医療系ブログにもほとんどアクセスせず、自分のブログのことも全く忘れていたという状態でした。

 

というわけで、今度もいつ更新するかわかりません。

時々、こんなブログ削除してしまおうかと思うこともあり・・(って書くと削除しないでというコメントが来そうですが、削除しませんのでコメントしないでね)

 

アクセス数を見てとても恐縮しています。

すんません、すんまそん、

すみませんです

 

コメントにもできるだけ返事をしようと思いつつ、

何ヶ月もコメントに気づかなかったりして・・

(すみません!すみません、特に志村建世様)

 

 

こんなブログですが今年もよろしくお願いします。

なかのひと

 

天国へのビザ 

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2009.12.23 06:39 |  診療  |  仕事 / 職場  |  天国へのビザ  |  春野ことり  | 推薦数 : 4

困った患者さん⑥

1月末、Fさんは当院に転院してきた。癌再発で余命わずかとの告知を受け、ホスピスで最期を過ごすことを希望したのだが、ホスピスは空きがなく、部屋が空くまで当院に入院することになったのだった。

Fさんに付き添っている女性は私が話をした「妻」ではなかった。私はFさんに以前妻と名乗る女性が話を聞きたいと言ってきて病状を話したけれどよかったのかと、ずっと気がかりになっていたことを聞いた。Fさんは「俺が先生に聞いて来いと言ったんだ」と答えた。養育費の支払いが滞っているのを病気のせいにしたが信用されなかったから、ということだった。

 

Fさんは自分の運命をしっかりと受け入れている様子だった。「死ぬのはこわくない。ただ、苦しいのだけは、苦しいのだけはごめんだ」そう言った。

 

ある日回診に行くと、Fさんは、病室で声も切れ切れに苦しそうに携帯電話で電話をしていた。Fさんは生命保険に入っているが、死んだら保険金は妻ではなく、付き添いの女性にあげたいのだと言った。名義変更の手続きのために保険会社に電話をしていたのだと言った。すると、傍にいた女性がわっと泣き出した。

「お金なんて、どうだっていいんだよ。お金なんて、私はいらないんだから・・・!!」

 

Fさんは自分の葬式費用がいくらなど、死亡保険金の用途を紙切れに箇条書きに書き出していた。お金にきちんとした人なのだ。だから医療費の前借りや踏み倒しやなどができず、ずっと治療や検査を拒否して、苦しいのを我慢してきたのだ・・・。

 

Fさんはとても優しい目をしていた。Fさんが入院してから初めて気づいたことだった。今までどうして気付かなかったのだろう。

 

数日後、ホスピスが空いたと連絡が来て、Fさんは転院した。転院の日、私はFさんと握手をしてお別れをした。とても温かい手だった。この手が近いうちに冷たくなってしまうのだ。そう思うと涙がにじんだ。

 

 Fさんの訃報が届いたのはわずか3日後だった。こうしてFさんの壮絶な闘病は幕を閉じた。

Fさんは医療者の立場から見ると困った患者さんではあったが、その背景には経済的な問題があった。

 

 当時と比べて現在の社会経済状況は悪化し、Fさんのように「お金がないから治療できない」という患者は確実に増えている。直面する医師としてはやり切れないものがある。

 

 

おわり

 

 

 

 

なかのひと

 

 

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2009.12.23 05:35 |  診療  |  仕事 / 職場  |  天国へのビザ  |  春野ことり  | 推薦数 : 0

困った患者さん⑤

8月から治療を再開したが、その後から気管支喘息の症状を伴うようになった。9月、Fさんが呼吸困難を訴えて受診した。気管支喘息重積発作の状態で、そのときの酸素飽和度は88%だった。入院を強く勧めたが、Fさんは「これ以上仕事を休んだらクビになってしまう」と頑なに拒否した

 外来のベッドで酸素吸入をしながら、ステロイドとテオフィリン製剤の点滴を行うと、Fさんは「楽になった」と言って帰宅した。その後しばらくの間、Fさんは受診せず、代理人の女性が薬だけ取りにくることが続いた。

 

ある日、Fさんの妻と名乗る女性と高校生くらいの娘が、病状を聞きたいと言って私を訪ねてきた。しかし、その女性はいつもFさんの受診に付き添ったり、代理で薬を取りに来たりしていた女性とは別人であった。Fさんには妻子があったが、それ以外の女性と暮らしているようだった。

私は困惑した。いくら妻や子であっても、個人情報保護法により、本人の承諾なしに患者情報を教えることはできない。

 Fさんの承諾は得ているのかと聞くと、妻と名乗る女性はFさん自身が私の名前を出して病状を聞いて来いと言ったのだと答えた。私の名前を挙げることができるのは本人だけであることから信頼性があると判断し、Fさんの病状がかなり悪いことや、お金がないからという理由で治療を拒否してきたこと、通院は不規則で最近は受診していないことなどを話した。妻と娘は神妙な面持ちで病状を聞いていた。

 

Fさんはその後もほとんど受診しなかったが、H(XX+5)年元旦、気管支喘息重積発作で救急外来を受診した。かなり重篤な状態で、当直医はFさんを救急車で大学病院に搬送した。

 一時人工呼吸器管理になったそうだが、すぐに離脱できた。

 

 しかし、その後の気管支鏡検査で、なんと、肺癌の再発が発覚したのだった。

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2009.12.23 01:29 |  診療  |  仕事 / 職場  |  天国へのビザ  |  春野ことり  | 推薦数 : 0

困った患者さん④

5月の連休中、Fさんはあまりの辛さにまた大学病院の救命センターを受診したそうだ。救急で採血をしてもらい、CRPが11 mg/dLと上昇していたため、救急の医師から診療時間内に呼吸器科を受診するように言われ、連休が明けてから仕事を休んで呼吸器科を受診した。

しかし、Fさんの話によると呼吸器科担当医の外来は予約がいっぱいだったため他の医師に回されて、その医師から「わからない」と言われたそうだ。Fさんは「二度と大学病院にはかからない」と怒っていたが、Fさんの受診態度にも問題があるのは明らかだった。

Fさんは外来で待たされることが大嫌いだった。呼吸器科は待ち時間が長いためFさんは待ちきれず、他の医師の診察を希望したのだった。

 

Fさんの症状は悪化し、6月からは喀血も伴うようになった。胸痛も増悪していた。大学病院でFさんの担当だった呼吸器科医師に電話で連絡を取り、喀血に関しては止血剤か吸入ステロイドで様子をみるように指示をもらった。

しかし薬を増やすどころか、Fさんは抗真菌剤を「薬代が高いからやめたい」と言うのだった。それからは、Fさんは鎮痛剤と鎮咳剤、去痰剤だけを希望するようになり、根本的治療のための抗真菌剤も非定型抗酸菌の治療薬も拒否した。理由は薬代が高くて払えないからということだった。

 

Fさんの左肺上葉には空洞ができており、根本的治療をやめてから次第に大きくなっていった。咳、胸痛、血痰の症状も続いていた。呼吸器科受診を勧めると、Fさんは大学病院ではなく市民病院にかかりたいと言った。市民病院に紹介状を書き、Fさんが市民病院を受診したのは翌年H(XX+4)年の4月。市民病院からの返答は、抗真菌剤と抗菌剤のニューキノロンを併用して感染が改善されてから外科的手術で空洞を切除するのが望ましいということだった。しかし、Fさんは「今はお金がないから夏のボーナスが入ってから治療を始める」と言った。

 

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2009.12.22 23:21 |  診療  |  仕事 / 職場  |  天国へのビザ  |  春野ことり  | 推薦数 : 0

困った患者さん③

Fさんはしばらく抗生剤の点滴に通っていたが、炎症は持続し状態は悪化した。全身倦怠感が強くなり、H(XX+3)年1月、ついに断念して大学病院の呼吸器科へ入院した。入院後、気管支鏡検査を行い、気管支洗浄液からM.aviumという非定型抗酸菌が検出された。またアスペルギルス抗原(真菌の一種)が陽性であった。非定型抗酸菌症と肺アスペルギルス症の合併と診断がつき、その治療薬を開始したところ、症状は徐々に改善し、3月に退院した。そして三たび当院の外来に戻ってきたのだった。

 

さて、前置きが長かったが、私がFさんと関わるようになったのはこの後であった。Fさんはアスペルギルス症に対してイトリゾールという抗真菌薬を、非定型抗酸菌に対して3種の抗結核剤とクラリスロマイシン(600mg)を処方されていた。非定型抗酸菌症の薬は1、2年続けなければならないと言われていた。

困ったことに、退院後も微熱が続き、咳や胸の痛みは悪化した。更に困ったことに、Fさんは金銭的な問題を抱えていた。抗真菌剤や非定型抗酸菌の治療薬は高価で、後発品を使用しても調剤薬局での支払いが1ヶ月数万円になるのだった。

Fさんの症状は悪化していた。外来でも咳き込んで会話がろくに行えないような状況だった。胸痛や微熱も続いていた。そんな状態で仕事ができるのかと聞くと、仕事はしていると答えた。

所持金が少ないからという理由で検査はことごとく拒否された。

 

 

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2009.12.15 22:29 |  診療  |  仕事 / 職場  |  天国へのビザ  |  春野ことり  | 推薦数 : 0

困った患者さん②

ソセゴン中毒から解放はされたものの、Fさんの術後の疼痛は続いた。その後もずっと非ステロイド性消炎鎮痛剤(NSAIDS)の服薬を毎日続けていたFさんだったが、H(XX+2)年の夏から咳と発熱が見られるようになった。その年の8月、Fさんは大学病院の高次救命治療センターを受診した。

診療時間内の外来を受診せずにいつも救急外来を受診するのがFさんのいけないところであった。高次救命治療センターはその名の通り高度な救命治療を要する患者さんが運ばれるところである。Fさんのように数日前からの咳や発熱といった症状の患者が受診するところではない。このような患者さんが沢山詰め掛けたら、救急医療は破綻してしまう。

ともあれ、Fさんは救急で胸部CTと血液検査をしてもらい、左胸膜炎と診断された。炎症反応を示すCRPが14.5 mg/dLと高値を示したため入院治療を勧められたが、「仕事の都合でどうしても入院はできない」と断り、抗生剤の点滴を受けて帰宅した。その際、救急の医師から当院宛に「今後は貴院外来で抗生剤の点滴をお願いします」という紹介状も書いてもらっていた。

その後Fさんは数回当院外来で抗生剤の点滴を受け、CRP3.50 mg/dLまで改善したものの、腺癌の腫瘍マーカーであるCEA20.9ng/mL(正常値5以下)と高値を示したため、肺腺癌の再発の疑いで再び大学病院の呼吸器科へ紹介された。

同年12月、Fさんは紹介状と供に再び当院の外来へ戻ってきた。CEAは低下傾向で、再発の可能性は少ないだろうということだった。しかし、CRP16.85mg/dLと再上昇し、左胸膜炎の再憎悪と考えられていた。紹介状にはこうあった。

「仕事の都合上どうしても入院治療は無理、貴院での外来点滴なら可能とのことです」

つづく

なかのひと

 

 

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2009.12.15 02:30 |  診療  |  仕事 / 職場  |  天国へのビザ  |  春野ことり  | 推薦数 : 3

困った患者さん①

ながらく更新していないにも関わらず、毎日多くの方にお越し頂いて恐縮です。

 

医者を困らせる患者にも色々なタイプがあるけれど、Fさんは『困った患者さん』の一人だった。Fさんが亡くなって2年以上が経つ。カルテを遡り、Fさんの「困ったぶり」を懐かしく思い出しながら綴ってみる。

 平成XX年5月、49歳だったFさんは「1ヶ月くらい前から息を吸うときに『ブーブー』音がする」という主訴で外来を受診した。胸部レントゲンとCTで異常陰影を指摘され、大学病院の呼吸器科へ紹介となった。左上葉の肺腺癌の診断で、Fさんは同年7月に左上葉切除術を受けた。9月に退院し、『貴院にてCTのフォローアップをお願いします』という紹介状と供に、当院に戻ってきた。

しかし、Fさんが受診したのは深夜の救急外来。術後の疼痛を訴えるFさんに、当直医はソセゴンを注射した。その後も、夜遅くに受診しては「痛い。内服の鎮痛剤が効かない」と当直医に訴え、その都度ソセゴンの注射を繰り返されていた。非麻薬性鎮痛剤(オピオイド)の塩酸ペンタゾシン(ソセゴンまたはペンタジンなど)は連用すると依存症を起こしやすい。Fさんは俗に言う「ソセゴン中毒」になってしまっていた。

Fさんは術後疼痛のため手術した大学病院の外科から麻酔科へ紹介され、神経ブロックに通っていた。しかし、待ち時間の長い大学病院への通院を嫌がり、決まって休日か夜間の診療時間外に当院を受診し、ソセゴンの注射を要求するのだった。

カルテには、ある時から『この患者さんにソセゴンは注射しないでください』と記載された。それでもFさんがしつこく懇願するため断りきれずに打ってしまう医師もいたようだ。

カルテによると、平成XX年の9月末から11月末の2ヶ月間でFさんは合計12回ソセゴンの注射を受けた。注射の指示を出した医師は、ほとんどがその場限りのアルバイトの当直医だった。ある時、バイト医師の采配でソセゴンの注射は依存性を生じないメナミンに変えられた。4回メナミンの注射を受けた後、Fさんは注射の要求をしなくなり、「ソセゴン中毒」は終焉したようだった。「ソセゴン中毒」の患者さんは医師にとっては「困った患者」に当たるのだが、この様な依存症を作ってしまうのは医師自身であることを肝に銘じなければならない。

つづく

 

なかのひと

 

 

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