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ある日の朝、看護師が巡回に行くと、勝さんの呼吸は止まっていた。
呼ばれた主治医が駆け付けると、まだ心拍はあった。主治医はただちに気管内挿管を施した。アンビューバッグを接続し、手動で人工呼吸を行う。
連絡を受けた娘もすぐに病院に駆け付けた。
「人工呼吸器はどうしますか。つけてもあまり意味がないと思いますが・・」
「やってください!!」
主治医の声を遮るように娘は叫んだ。
「ねえ!トモヒコに連絡が取れないのよ!自宅も携帯も出ないし。会社にかけても休みだって言うの。どうしよう、どうしよう」
勝さんには息子もいた。その息子に連絡が取れないと、妻は泣き叫ばんばかりに娘に訴えた。
「マキコさんは?マキコさんの携帯にはかけたのっ!?」
「マキコさんの携帯番号なんて知らないわよ!」
「会社にかけてみなさいよ!」
妻は病室から携帯電話で嫁の勤務先に電話をかけた。
「マキコさんっ!!何やってるの!!お父さんが・・・お父さんが大変なのよっ!今すぐ病院に来てちょうだい!」
しかし、妻が捲し立てた相手は嫁ではなかった。嫁も息子と同様にその日は仕事を欠勤していたのだった。
「こんな時に、二人ともどこに行ったのよー!!まったくー!!」
妻は上ずった金切り声を上げた。
そうこうしているうちに勝さんの心拍数が落ち始めた。
「お願い!息子が来るまでは、息子が来るまでは・・・!!」
妻は泣き叫んだ。
心電図の波形が震えだした。心室細動だ。
「きゃーあああ!!お父さーん!!なんとかしてええ」
「カウンターショック!」
勝さんのあばらに電極付きのパッドが当てられた。
ビクンッ!
一瞬、勝さんの手足が跳ね上がった。
「お父さん!お父さん!!」
バッ、バッ、バッ、バッ
主治医は心臓マッサージを始めた。
「エピネフリン!」
バッ、バッ、バッ、バッ
心拍は正常にもどった。しかし、しばらくするとまたギザギザの波形になった。心室細動だ。
「カウンターショック、もう一回!」
ビクンッ
勝さんの両手が跳ね上がった。
「お父さーん!! お父さーん!!」
「もう一度トモヒコの携帯にかけてみるわ」
今度は娘が自分の携帯を手に廊下に出た。
「だめだわ。出ない」
「もう!!!こんな時に何やってるのよ、あの子はー!!」
バッ、バッ、バッ、バッ、バッ、バッ
ポキッ
肋骨の折れる小さな音がした。しかし妻と娘の耳には入らなかった。
ツーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
主治医がマッサージの手を止めると、心電図は平らな一本線だった。
「エピネフリンもう1回!」
バッ、バッ、バッ、バッ
「お父さーん!おとうさ~ん!!!」
「お父さん!!トモヒコが来るまでは、トモヒコが来るまでは頑張ってー!!」
・・・しかし、その肝心の息子は連絡が取れないのだ。
「大学病院の先生は余命3か月って言ったのに!!まだ1か月もあるじゃないのーーーー!!!」
娘が叫んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「これ以上やっても、意味がないですので・・」
中止するタイミングを見計らっていた主治医が、重い口を開いたのは、勝さんの呼吸停止から2時間半経過した後だった。
結局、息子とは連絡が取れずじまいだった。
まだ、つづく・・・
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勝さんは主治医が不在の時に急変した。
流動食を嘔吐した後、ガクガクと震えだし40度の高熱が出た。動脈血酸素飽和度は80%と低下し、末梢はチアノーゼを来した。呼ばれて診に行くと、勝さんの眼球は上転し、呼びかけに全く反応のない状態だった。
考えるよりも先に手と口が動く。採血と胸部レントゲンの指示を出し、血液ガス分析を行う。酸素分圧はやはり低い。二酸化炭素の貯留していないことを確認して酸素の高濃度投与を行う。ルート確保し、輸液・・・。
「先生、ルート取れません」
枯れ木のような勝さんの腕の血管は本当に細く、点滴の留置針を刺す場所が見当たらないのだった。複数の看護師が挑戦していたが、ルート確保は困難を極めていた。しかし、ルートは取らなければならない。
ベッドの傍らで不安げにしていた妻に状況を説明した。レントゲン写真上ははっきりした影はまだ出ていないが、嘔吐物が気道に入って感染を引き起こしている可能性が高いこと。絶食にして点滴をする必要があるのだが点滴のルートが取れないため、中心静脈へカテーテルを留置する処置を行うことを簡潔に話した。
妻は理解したのかどうかよく分からなかったが、こういう緊急時は家族にゆっくり説明する時間などない。しかし、医療訴訟にでもなれば家族は「納得のいく説明がなかった」と言い、マスコミはそれを強調するのだ。
妻が病室から外へ出された後、中心静脈カテーテル挿入の処置に入った。 穿刺部位にはいろいろある。通常は鎖骨下静脈または内頸静脈を使用するとされるが、鎖骨下静脈は気胸や動脈穿刺を起こしやすく、個人的にも嫌な思い出があり最近は使用していない。緊急時なので一番得意で危険な合併症も少ない大腿静脈から穿刺することとした。
入りやすい人ならものの5分もあれば完了するのだが、勝さんの場合はやや難航した。外套は確実に静脈内に入っているのに、カテーテルがつかえて進まないのだ。穿刺し直して何とかカテーテルを挿入し、その後レントゲンで確認をすると、なんと、カテーテルの先端は下大静脈に到達することなく、総腸骨静脈の分岐部で『く』の字に屈曲し反対側の総腸骨静脈に迷入していた。こんなことは狙ってもできるものではない。しかし、ルート確保の意味ではこれでも十分用を成す。
輸液と抗生剤の点滴を行うと、勝さんの意識は戻り、また元のように会話ができるようになった。熱もすみやかに下がった。とりあえず、急場は凌げたと安堵する。
末梢からルートが取れるようになったため、無用の長物となったカテーテルは抜去した。
その後戻ったきた主治医に妻は、高カロリー輸液をして欲しいと言った。主治医が中心静脈カテーテルが入らなかったことを告げると、妻は言った。
「身体を傷つけられたのに・・・」
その後も勝さんの口から出る悪態は変わらず、日にちが過ぎた。しかし、日に日に身体が弱っているのは誰の目にも明らかだった。
ある日の朝、看護師が巡回に行くと、勝さんの呼吸は止まっていた。妻が病院に来たのはそれとほぼ同時だった。
つづく
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「患者に向かってその態度は何だ!」
勝さんは(仮名)76歳。胃がんの手術後、がん細胞がお腹の中に散らばってしまう腹膜播種という状態で大学病院から転院してきた患者さんである。
食事はほとんど食べることができず、鼻から胃へ通した管から栄養を摂っている。身体は枯れ木のようにやせ細り、自分では動くこともできない。しかし、言葉だけは活力に満ちていた。
「俺を誰だと思っているんだ!」
「お前なんてクビだ!」
毎日スタッフに怒鳴り散らした。相手は老い先短い末期がん患者だからと多めに見ても、やはりスタッフも人間。特に、夜勤で人手が足りない中を眠らずに働いているときに理不尽な罵声を浴びせられると相当頭に来るようだ。夜勤明けの看護師から勝さんへの苦言を聞くのがいつしか毎朝の日課となっていた。
勝さんはかつて銀行で要職に就いていたらしい。
勝さんの妻は上品な身なりで日中よく勝さんに付き添っていたが、妻も勝さんに追随していた。
勝さんが「こんなおむつの当て方しやがって!」と言えば、妻も「本当ね。ひどいわね」と憎々しげな感情のこもった声で言った。何がひどいかと言えば、おむつの中に尿を受けるために長方形の小さなおむつを二重に当てるのだが、それが少し斜めになっていたというだけだった。
勝さんの妻は夜になると自宅へ帰って行ったが、真夜中に夫の事が突然心配になるらしく、夜中の2時や3時によく詰所に電話をかけて夫は大丈夫かと聞いてきた。病院は24時間営業のコンビニではない。真夜中の電話はほとほと迷惑だ。しかし、電話をかけてくる妻の声は不安のため追い詰められた感じで、看護師が「大丈夫ですよ」と優しく言ってあげると落ち着くのだそうだった。後からわかったことだが、勝さんの妻は精神科に通院して治療中だったそうだ。
そんなある日、勝さんの大学病院に入院していた時の元主治医から、今の主治医に連絡が入った。勝さんの娘が元主治医のところにやってきて、「転院した病院の看護は酷い。一部始終をビデオに撮ってやる」と言いにきたそうだ。
それを聞いたスタッフはカンカンに怒った。罵倒されながらもそれに耐え、下手に出て看護しているのに・・・。文句があるなら直接こちらに言ってくれればいいのに、元いた病院にわざわざ告げ口に行かれるなんて、非常に気分が悪い。しかも、言いに行ったのは、日ごろほとんど病院に来たことがない「娘」だという。
翌日、その娘が朝から病院に来て勝さんのベッドサイドにべったりと侍りついていたそうだ。さすがにビデオカメラは回す気配はないようだった。
師長が娘さんと話し合いの場を設けた。娘さんは父へのスタッフの接し方が雑だと不満を言ったらしい。師長は謝罪して今後は注意しますと答えたそうだ。
大学病院などの大きな病院から移ってきた患者さんから看護内容を比較されて時々苦情がでるそうだが、大きな病院と小さな病院では看護体制がまったく違うことを多くの人は知らないようだ。大きな病院は大抵「7対1看護」という看護区分を取っている。つまり患者7人に対して1人の看護師という意味で、手厚い看護をする体制が整っている。中小の病院は看護師が足りず、その半分くらいのスタッフでなんとかこなしている。看護師の数に応じて入院料も違ってくる。看護師が少ない看護区分であれば入院基本料も安い。大きな病院と同じ手厚い看護を要求されても土台無理なのだ。その点は患者サイドも理解してくれないと困るのだが。
しかし、医療者には口応えも許されず、平身低頭するばかり。患者さまは神様で、医療者はそれに服従する奴隷なんだろうか。
いつから医療はこんな風になってしまったのだろう。
その勝さんが急変したのは、主治医が不在の時だった。
つづく
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