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< 医療問題を注視しる! | メイン | 多忙につき >
2008.07.08 01:15 |  診療  |  仕事 / 職場  |  連載  |  春野ことり  | 推薦数 : 5

死ねる薬

 敏夫さん(仮名)は92歳。身の回りの世話をする人がいないため、社会的入院となった。その敏夫さんのところに、先日息子さんがやってきて、敏夫さんの財布の1万円が数千円になっているのを見て、「何に使ったんだ」と詰問していたという。

 使い道はたまにテレビカードを買うことや、売店でお菓子を買うことくらいだ。そんなことで子供から詰問されるなんて、可哀想に。酷い息子だ・・・と通りがかった人は思うかも知れない。

 しかし、最初に息子さんを捨てたのは敏夫さんの方だった。敏夫さんは息子さん達がまだ小さな頃に、家を出て12歳年下の愛人と暮らし始めた。

「この人のことは親とは思っていない。だけど、戸籍上の繋がりがあって、病院から呼ばれるから仕方なく来るだけ」

息子さんはそう言っていた。幼い頃に家を出た父の保証人となり、病院へ手続きに来てくれ、お小遣いまで置いていく息子さん、立派だと思う。

 

 敏夫さんの内縁の妻も今では80歳、慢性呼吸不全で私の外来に長年通っている。太った身体に、乱暴な言葉遣い、自分勝手な訴えばかりのこの女性が、半世紀遡ったとて、敏夫さんが幼い子供たちを捨てる程の魅力的な女性だったのかどうか、とても想像ができない。

 敏夫さんは長い間、呼吸不全で在宅酸素療法をしている内縁の妻の生活を支えてきた。しかし、その敏夫さんが歳を取り、介護が必要な状態になると、内縁の妻は敏夫さんを見捨てた。腰痛で歩けなくなった敏夫さんは家の中を這って生活していたらしい。着替えも入浴も長い間していなかった。病院へ連れてこられたとき、敏夫さんの体中から屎尿の匂いが漂っていた。

 内縁の妻は、同じ病院に通院していながら、敏夫さんの病室に見舞いにも来ない。敏夫さんに関して言った言葉はたった一言。

「あの人、もうダメなんでしょ」

それだけだ。

 今まで敏夫さんの年金で暮らしてきたが、生活保護を受けることになった。俊夫さんと共に住んでいた棲家を出なければならなくなり、引越しが大変だとぼやいていた。

 

 

 

 入院した敏夫さんはいつもベッドの上で、まるで仙人のように目を閉じて背筋をまっすぐに伸ばして座っている。

 私が病室へ行くと、気配でぱっと目を開ける。そして言う。

「先生、腰が痛くて痛くてたまらん。なんとかしてもらえませんか」

 敏夫さんの腰痛は変形性脊椎症によるもので、何ともならない。鎮痛剤を処方しているが、敏夫さんに言わせると全く効かないそうだ。

「先生、薬をください」

「薬なら出てるでしょう」

「もっといい薬はないんですか」

「痛みがすっかり取れるようないい薬はなかなかないんですよ」

回診ではいつも同じ会話が繰り返される。

「そうですか。もうだめですか」

「だめってことはないですよ。こうして背筋をまっすぐにしていつも座っていらっしゃるし、お食事も全部食べておられるので、このご年齢にしたら、大したものだと思いますよ」

本心でそう思う。しかし敏夫さんは言う。

「横になると余計に腰が痛くなるから座っているだけです。食事は無理して食べているんです」

 食事を無理して食べていると言うが、敏夫さんのベッドの端にはいつもお菓子が置かれていて、回診に行くとよくおやつを美味しそうに食べている場面と鉢合う。

 しかし、敏夫さんの口からは「痛い。痛くてたまらない。しんどい。辛い」

そんな言葉しか出てこない。

 今日も敏夫さんは言った。

「先生、薬ください」

「薬なら出てますよ」

「死・ね・る・薬、ください」

 

 死ねる薬・・・・

 

「そんないい薬はありませんよ」

私が言うと、敏夫さんは笑った。

「神様が決めた寿命が来るまでは、頑張って生きないとね」

自分の半分も生きていない若輩者からこういわれ、敏夫さんは言った。

「そうですか。辛いなあ」

泣き笑いのような顔をしていた。

 

 

明日、敏夫さんはこの病院を後にして、施設へ行く。

 

なかのひと

 

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コメント一覧

「楽に死ねますように」と、日ごろ神仏に願をかけている老人の気持は、「死ねる薬」が欲しいのと紙一重です。
 私も個人的には、「死ねる薬」が正式に処方される時代が来ることを予感しています。それは「奇跡のような救命」を実現した現代医療の、もう一つの義務でさえあるのかもしれないと思うのです。
 意に反する延命治療の拒否の次には、「死ねる薬」への要求が、当然のように出てくるでしょう。これは21世紀半ばには、医療界の最大のテーマになっているかもしれません。
志村建世


~志村建世さま、早速のコメントありがとうございました。
「楽に死ぬ」ことは、老人達の願いだと思います。何が何でも生かされる現代は異常ではないかと思いつつも、食事が摂れなくなった老衰患者に胃瘻造設を勧めなければならない現実が辛いです。
私も個人的には「死ねる薬」は必要だと思っています。
>「奇跡のような救命」を実現した現代医療の、もう一つの義務
そうですね。
医療界最大のテーマとなるでしょう。
春野ことり
written by 志村建世 / 2008.07.08 11:46
やはり「死ねる薬」は病院へ行かない事ですね、今の病院は延命治療をする事がメインになっていますものね。
弟が膀胱癌で30日に手術をしました、(10時間くらい掛かったらしい)19日に九州までお見舞いに行きます。

未だ60前なのと勤め先の関係で、良い先生が付いて大変な手術を無事終らせて呉れたのだと思います。
たぬくまぞうさん


~たぬくまぞうさん、コメントありがとうございます。
弟さん、大変でしたね。でも良い先生に恵まれてよかったです。(注:個人情報に関わる記載は削除させていただきました)
「死ねる薬」は病院へ行かないことというのは一理ありますが、病院へ行かずに死を迎えるという選択は、今の時代はなかなか困難ですね。
春野ことり
written by たぬくまぞうさん / 2008.07.08 18:38
延命措置を拒否する意思を持ちながら、「どんなことがあっても生かせてあげるべき」と言い出す身内が出てきたりという場面をみていると、拒否の意思だけではかなわぬならきっと「死ねる薬」があればと思うでしょうね。尊厳死を望んでいる為に義母の法事の説教でたっぷりと批判の言葉を浴びてしまい、仏教の死生観とは相容れないのでしょうが、現実をもっと知ってもらいたいと思ってしまいました。
あおぎり


~あおぎりさん、コメントありがとうございます。
そうですね。、「どんなことがあっても生かせてあげるべき」というのは、実際に現場を見たことのない人や、遠くにいてめったに病院にこない親族に限って言われます。「生きる」って辛いことです。自分はいやでも、無理やり生かされるってどうなのでしょう。本人にとっては地獄なのかも知れません。以前そうかいたら、尊厳死反対の方から中傷を受けました。あおぎりさんのお気持ち、よくわかります。
春野ことり
written by あおぎり / 2008.07.13 16:55
ことり先生。
この患者さんは、若いころに家族を捨てた因果がめぐって来たとはいえお可哀想な印象を受けました。
それでも、ことり先生にケアをして頂いているのですから、そのぶんは幸せなのかもしれませんね。

わたしも高齢で、身寄りがない患者さんを受け持っていました。この患者さんとは似たような家庭状況です。
癌の末期なので、(勤務先は急性期病院である手前)ホスピス相当の医療機関に転院する話もしていましたがが、その前にお亡くなりになられました。状態が悪くなったので、最後まで私がケアしようと決断して、転院はさせませんでした。
他の患者さんは、ご家族が頻繁に見舞いにきますが、その患者さんに話しかけるのは、主治医である私と担当のナースと看護助手さんだけ。

今頃は天国で、昔のご家族のかたと仲良くやっていらっしゃるな。
鶴亀松五郎



~鶴亀松五郎先生、コメントありがとうございます。
この患者さん、生きるのが辛そうで気の毒です。身寄りのない末期の患者さんは本当にお気の毒ですね。この「敏夫さん」の場合は、ずっと面倒を見てきた内縁の妻に見捨てられ、自分が過去に捨てた実の子どもが病院の手続きに来るということに、何とも皮肉なものを感じました。捨てる神あれば拾う神ありというか。
天国へ行って待っている家族がいればまだ幸せですね。
春野ことり
written by 鶴亀松五郎 / 2008.07.16 18:21

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