| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
「先生!」
床上の彼女はうつろだった瞳をぱっと開いて、叫んだ。
「しばらく側にいて。寂しいから」
老女の乾いた口から発せられる言葉は、ねっとりと湿り気を帯びていた。
彼女がもっと元気だったころ、頻繁に見舞いに来て車椅子を押していた娘さんは、いよいよ母親が末期の床に伏せると何故か病院への足が遠のいた。回診に行っても娘の姿を見かけることはない。
「そばにいて」
老婆は看護師や介護スタッフに懇願する。しかし、スタッフには彼女に付き添ってあげる時間的な余裕がない。
ある年配の看護師が娘さんに「側にいてあげるとご本人も落ち着かれるようなので、なるべくついていてあげてください」と言ったのだそうだ。すると娘は「付き添いはできません」ときっぱりと答えたそうだ。
「痛くはない?苦しくはない?」
「痛くもないし、苦しくもない」
誰が持ってきたのか、病室には美しい花が飾ってあった。しかし、老女の視界には入らない。横を向くことさえしんどい。
壁にかけられた青い麻のジャケットは、もうすぐ主人を失うことを知っているだろうか。入院するときに着てきたジャケットに、彼女が袖を通すことは二度とない。
「あの人は口調がきついの」以前は病室を訪れると、よくスタッフの態度をこぼしていたが、いよいよそれもなくなった。
もうひと月以上、食事を口にしていない。抹消からの点滴が命綱。
痛みは麻薬の貼付製剤でコントロールされ、表情から苦痛は感じ取れない。
「足の浮腫みが退きましたね」
「そう?」
腹水でパンパンになったお腹がじゃまして、自分の足を見ることはできない。
「でも、もうだめだわ」
絶望とは程遠い穏やかな顔で言う。
「もうだめだと思うの?」
「そう」
そのとき、病室の窓からふわりと心地よい風が吹き込んだ。
「窓からいい風が入ってきますね」
「ええ、本当に」
老女の手首の脈を取った。何日後かはわからないが、近いうちにこの脈は打つことをやめる。その時が来るまで、心臓は全身に血液を送り続ける。懸命に。
「気持ちいい風ね」
風が気持ちいいと、末期の床で彼女は言った。その脈を取りながら、しばしの間、共に風を感じた。
人気blogランキングへ←ランキング参加中。ここをポチッとクリックしてネ。応援よろしくお願いします。
固定リンク | コメント (12) | トラックバック (4)
コメント
コメント一覧
同じ時間に
共に
kaze
を感じるというのは
大切なことなのでしょうね
臨床に限らず
先生の文章から
私の方にも
穏やかな風が吹いてくるのを
感じました
「共に風を感じる」
その患者さんのお見事な生き様と
末期の患者さんに寄り添う先生の心が
滲み出ている、ひと言ですね。
>なな先生
>志村さま
ありがとうございます。
共に風を感じた時間、ほんの短いひとときでしたが、重い時間でした。
この患者さんはもう会話ができない状態となりました。
家族が来ないのが気がかりです。
母と娘の関係は、人には言えない葛藤に満ちていることもあるのではないかなと思いました。「親を大切にしたい」「最期を穏やかな気持ちで看取ってあげたい」と思っていても、その足を動かせなくなるほどの何かがあったのかもしれませんね。
>スタッフには彼女に付き添ってあげる時間的余裕がない。
医療や介護の現場は忙殺されていることが当たり前の状態になっていますが、ひとりの人をケアーするのにはたくさんの人の手があることが大切だと思います。理想であって実現は不可能と思ってしまえばそれまでですが、理想がなければいつまでもそこには到達しないでしょう。
今、小規模な産科で働いていますが、数組までのお母さんと赤ちゃんの規模がいちばん理想だなと最近思います。
赤ちゃんも生まれたその日から退院の数日までの間に、どんどん泣き方も、うんちも、飲み方も変わっていきますが、数組ぐらいの人数なら、ひとりひとりの赤ちゃんのその日の成長に気づいてあげられます。泣いたらただ「おなかすいたのでしょう」「はい授乳」「泣き止まないならミルク」ではなく、「今日は母乳のうんちに変わっていくようだから、きっと落ち着かないのかもしれないね」とあやし方などを一緒に見て、待ってあげられます。ちいさなことですが、こんな関わりで、お母さん達も赤ちゃんの世話に自信を深めていけます。
人が生まれ、病む、老いる、死ぬまでには、ケアーする適正な人数というものがあるのではないかと思います。
ゆとりがあれば、ケアーする人との関わりの中に、家族とはまた別の信頼と孤独を癒してくれる関係もできるのではないかと思います。
ことり先生の、情景が浮かんでくるような文を読んで、この数日いろいろな事を考えていました。ありがとうございます。
フィッシュさんのコメントが表示され、私もコメントしやすくなりました。ので、一言。
この娘さんの足の遠のき、未来の自分もそうなるんじゃないか…。私にとっては随分リアルな行動に映っています。「親を大切にしたい」「最期を穏やかな気持ちで看取ってあげたい」と精一杯やっていて、しかし親はどんどん悪くなっていくわけです。船底に開いた穴を、体を張って浸水を防ぐのに、穴は容赦なく大きくなっていくような感じで、無力な自分を感じ、茫然としてしまったんじゃないか…など、色々想像してしまいました。
茫然としたっていいんじゃないの、とも思うのですが、親には伝わらないんでしょうね^^;
母と娘の関係に他人は立ち入れませんね。何があったのかはよくわかりません。
>ひとりの人をケアーするのにはたくさんの人の手があることが大切だと思います
本当にその通りです。今は看護師も介護士も医師も、全て人手不足。医療者にゆとりがなければ、豊かなケアは提供できません。
小規模な産科で一人一人のお母さんや赤ちゃんにきちんと関わりあえるとは、うらやましい環境ですね。
以前、NICUで看護師が多忙すぎて、赤ちゃんがミルクを「一人飲み」しているということが問題提起されていました。下に貼っておきます。
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2008061202000109.html
>christmasさん、コメントありがとうございます。
この娘さんの気持ち、分かるような分からないような・・。
自分が医師になりたての頃と今では、看取りの様子がかなり変わったと思います。今から10年ちょっと前は、末期の患者さんには必ずいつもご家族が付き添いをされていたものですが、最近はあっさりした家族が多いように思ってしまいます。そう感じるのも完全看護の導入のせいだと思いますが、どちらがいいかは別として、必ず家族が交代で付き添いをしていた昔がなつかしいです。
フィッシュさんがおっしゃることは理想的です。でもここには「ではどうすればよいか。」という視点が欠けていて、他人事、きれいごとに聞こえます。ずばり「消費税を上げてもよいから、その代わりに医療の質を向上してほしい。」という要求を国民が政府に突きつけるべきだと思います。国民も政治家も医療費を増やさずに医療従事者を増やしたり医療の質の向上は望めないことは、うすうすわかっていることだと思いますが、誰も自分から言い出したくないというのが本音なのではないでしょうか?
具体的な策を伴わない「医療の質の向上を。」という声はもう聞き飽きました。
>Kittyさん、コメントありがとうございます。
仰るとおりで、医療の質の向上のためには医療費を増やす必要があります。その財源をどこから持ってくるかですが、やはり消費税を上げるしかないだろうと思っています。政治家は国民のご機嫌取りをしないと票を入れてもらえないという辛い立場にあることも解かります。結局、国民全体が賢くならなければこの国は滅びるのでしょう。
医療費については自分なりに考えるところはありますが、今回はそういう政治的なことをコメントしたかったわけでわなかったので、他人事のように聞こえてしまったかもしれませんね。
それと、看護職はけっこう忙しいことが性に合っているようなところがあって、少し暇な時などはなにか仕事をしていないような気分になることがあるような気がします。今回のコメントは、「忙しさを何とかしてくれ」と言うのではなく、
忙しさに慣れてゆったり関わることを私達看護職などが求めることをあきらめてしまっているのではないのかなという意味で書いたものでした。
先生の意図されたところからずれてしまってすみませんでした。
この娘さん、どのような事情かわからないですが、乗り越えてお母さんに会いに来てくださるとよいですね。
>理想であって実現は不可能と思ってしまえばそれまでですが、理想がなければいつまでもそこには到達しないでしょう。
これは本当にその通りだと思います。人手不足だから無理と言ってしまえばそれで終わりです。でも理想を捨ててはならないと思います。
この娘さんはおそらく、悪化していく母親の姿に直面することから逃げているのではないかと思います。乗り越えてくれるとよいのですが。
コメントを書く