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<転院先を探したい>
娘さんは相談員にこう言ったそうです。
<主人を説得できないから・・・>と。
繰り返しますが、サトエさんは80代、1年間意思の疎通も行えず、寝たきりの状態で闘病を続けてきました。口から食事を食べることもなく、胃ろうから栄養を受けています。この状態が回復することはあり得ません。
足のゆびは糖尿病性壊疽で真っ黒に炭化し、何本かは落ちてしまっています。
娘さんは頻繁に病院に来てサトエさんを見舞っていますが、娘さんのご主人の姿を病室で見かけたというスタッフはあまりいません。
その義理の息子が、サトエさんの最期の時の過ごし方を決めてしまっているのです。
サトエさんに限らず、多くの人たちは、自分がどのようにこの世を去りたいかという話し合いを家族とすることもなく歳を取り、意思の疎通を行えなくなった状態で「死」に直面します。そして、家族によって死に方を決定されます。
「安らかに死を迎えること」がなぜ許されないのでしょうか。
サトエさんは1日でも長く生きていたいと思っているのでしょうか。自分が寝ている部屋からほんの少し離れた密室で、自分の意思とは関係なく、娘夫婦と医師が自分に人工呼吸器をつけて延命しようかどうか話し合っていることを知ったら、サトエさんはどう思うのでしょうか。
私は娘さん夫婦との対話を通して、なぜそこまで娘さんのご主人が義理の母の延命にこだわるのか、その理由を感じ取ることができませんでした。義理の息子はサトエさんの足のゆびが炭のようになってもぎ取れているのを見て、痛いだろうか、苦しいだろうかと、想像してあげたことはいったいあるのだろうか・・。
娘さんは娘さんで、ご主人の意見に従わなければならない理由があるのでしょう。夫婦関係は色々です。
医療者の立場からすると、サトエさんが延命をして欲しいのかして欲しくないのか、ご自身の意思が残してあったらどんなに事は簡単かと思います。
死を受け入れられないという理由から延命治療を希望する家族のほかに、今までの経験では「農作物の収穫期で忙しいからその時期が終わるまでは延命治療して欲しい」とか、「100歳になったらお祝い金がもらえるからそれまでは・・・」とかいった、自分勝手な都合で延命を希望する家族もいました。
生前意思をきちんと残していたら、家族の勝手な都合で延命されることはないでしょう。しかし、意思をきちんと残していなければ家族の都合による延命も仕方がないと諦めるしかないのでしょうか。家族の都合による延命にも医療費がかかり、そのうちの多くは公費だということも忘れてはいけません。
娘さんから転院先を探すというお返事をいただいた翌日、サトエさんはあっけなく亡くなりました。
家族の望みどおり人工呼吸器をつけ、昇圧剤を用いたのですが、心臓がスーっと止まってしまいました。心臓マッサージを行っても、心拍は再開しませんでした。
あまりにもあっさりした心臓の止まり方は、まるでサトエさんが「延命なんて、ごめんだよ」と、お話することのできないご自身の意思を初めて表したかのようでした。
もっともこれは私が感じただけで、本当はサトエさんはもっと生きていたかったのかも知れませんし、こればかりは分かりようがありませんが。
<ありがとうございました>
お見送りの時、義理の息子さんはさして悲しむ様子もなく、笑顔で挨拶をされました。
本人の事情、娘の事情、義理の息子の事情、そして病院経営的な事情・・・
色々な事情が絡み合った症例でした。
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コメント
コメント一覧
義理の息子さんの言動には、正直?と思うところもありました。その場に居合わせていないのでなんとも言えませんが、「一日でも長く生きていてほしい」と強く主張するわりに、亡くなった時悲しむといったふうでもないというあたりは、特にそのように感じました。
azuki
~azukiさん、シリーズを通してのコメント、ありがとうございました。
そうなんですよね。義理の息子さんが延命を強く主張する理由が私にもさっぱりわかりませんでした。少なくとも「死を受け入れられないから」という感じには見受けられませんでした。何か事情があったのでしょうけれど。こういう理由のよくわからない延命治療希望にも応じなければならないところが辛いところです。
本文、少し追記しました。
春野ことり
そこで、小浜逸郎さんの『癒しとしての死の哲学』からの引用です(がん告知がトピックですが普遍的な考えだと思います)
〜日本人は、要するに「相手を気にする」ことで「自分を立たしめる」民族なのである。日本人は格別「相手の立場を慮ってあげる」思いやりのある優しい民族なのではない。また、特に「真実と対面することから逃避しようとする」臆病な民族なのでもない。相手と自分との関係に配慮することを通じてはじめて自分を実現させようとする民族なのである。
したがって、親しい者の癌について告知することをためらうという心情には、関係性の維持というところに自己存立の根拠をおいている日本人特有の実存構造が映しだされているといえるだろう。これは、いいことでも悪いことでもなく、ただそのようにしかありえないというにすぎない。そして、この構造はなかなか変わりそうもないだろう。〜
一人称と二人称。相互に強く絡み合っているのが日本人。その辺りを意識すると、割り切れないことが起きても何となく、慰められます。
kmiya
~kmiya先生、TBおよびコメントありがとうございました。
『癒しとしての死の哲学』からの引用、大変参考になります。
日本人の特性を考えると、なかなか割り切れないことが多くても慰められるような・・・本当ですね。
春野ことり
重いテーマですね。
先生が患者さんの義理の息子さんに、延命措置の是非について明確におっしゃったことは感服いたします。
さらに、はっきりと転院を勧めたことにも感心いたしました。
まず、近親者、実の娘さんが判断しなければいけないことなのに、逃げている印象ですね。
「夫がじゃないでしょ、実の娘のあなたが決めなければなりません、しっかりしてください」と私なら言うかもしれません。
それにしても、義理の息子のいい加減さときたら。
まぁ、義理でなくても血のつながった家族にも、こういう人はいらっしゃいますが。
勝手な言い分をする家族は、どこにでもいますが、主治医が振り回されないように毅然と治療方針を伝える努力も重要です。
先生が日ごろおっしゃっているように、リビングウィルに近いことを文書として言い残しておくことは大事です。
文書に残さないまでも、聞いた家族も本人の意思を覆さないで頂きたいです。
身内の死というものが受容できないで、ただ延命治療すれば良いとでも思っているのでしょう。
後期高齢者制度は始まりましたが、今後はお金が払えないから延命はいらない、なんてことになるのやら。
鶴亀松五郎
~鶴亀松五郎先生、いつもコメントありがとうございます。
ブログ本文で割愛しましたが、娘夫婦とのやり取りの中で、娘が私の説得になびいて夫に同意を求めたのですが、義理の夫が「あんたの母親だからあんたが決めたらいいじゃないか!」と機嫌を悪くしてそっぽを向くという場面がありました。でも結局は義理の息子の意見が通ってしまったわけです。この女性は夫に依存しないと生きていけない人なのだろう。夫に従うことが彼女にとっての生きる手段であるならば、何を言っても仕方がないのかな、と思いました。
>聞いた家族も本人の意思を覆さないで頂きたいです。
本当にそう思います。
後期高齢者制度になると、こういう人たちの考えはいったいどうなるのかな?と思います。命の沙汰も金次第なんてことになりそうで恐ろしいですね。
春野ことり
参考までに本の事を書いて置きます。(削除されても良いです)
小泉 和子著
家で病気を治した時代
昭和の家庭看護
農文協発行
前書きより
戦前は各家庭で誰かが病気になれば
皆が協力して治療に当って来た
今では全て病院に任せてしまっている
その為人の命と言う物に直接触れる事が無くなった
その事が命と言う物に対する実感が失われていく事になる
その結果命を軽く見る様になってしまったのではないか
そして人を簡単に殺したりするようになってしまったのでは無いか
たぬくまぞうさん
~たぬくまぞうさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
>やはり全てを病院に任せてしまって、本人の面倒を見ていない為にその様な言動になったのだと思います、
本当にその通りだと私も思います。
自宅で毎日介護をしていたら、家族の考えはきっと違ってくると思います。
今後、政府の方針で在宅での看取りも増えていくと思いますが、それはそれでまた色々な問題も生じてくるわけですが、本当は家で家族に看取られて亡くなるのが一番幸せな死に方だと個人的には思います。
春野ことり
サトエさんのような場合は、私なら「挿管しません」と話して終りにすると思います。家族の誰かが挿管を希望したとしても、「やるべきではありません」と話して押し切るでしょう。もちろん、時間をかけ筋道だてて十分に説明したうえでのことですが。
親しい身内の臨終にあたって家族がいろいろと思い乱れるのは仕方のないことです。それをあるべき着地点に向けて導くのも医師の役目だと思います。判断に迷うようなグレーゾーンに属する場合も多々ありますが、サトエさんのような例でまで選択を家族に委ねるのはおかしいのではないか、と最近考えるようになりました。
長いつきあいのある家族にはわかってもらえるでしょう。そうでない親族に悪く思われたとしても、まあ仕方ないですね。どうぞご勝手に。そういう気持ちで仕事しています。さすがに訴えられることはないでしょう。
傲慢と思われるかもしれませんが、そのように考えています。
消化器内科医
~消化器内科医先生、コメントありがとうございます。
本当は「やるべきではありません」とはっきり言うべきですね。
ただ、いきなりそういうのはやはり患者家族と医師という関係に亀裂が生じるので、時間をかけて説得しなければなりません。この家族との話し合いでは、何時間かけてお話ししても説得は無理そうな感じでした。結局、延命して欲しければ転院先を探してくださいという結論になったわけです。ただこの状態で転院先はなかなか見つからないと思います。もし見つからなかったら延命を諦めて療養型に戻るということになっていました。
春野ことり
義理の息子さんは年金が欲しいのかな?と思ってしまいました(すみません、ひねくれてて)。
私は実母を亡くす時に、延命措置に対する考えの違いで父や兄弟と揉めました。
実母は生前、延命措置はしないでくれ、管だらけは絶対にイヤだ・・・・そう言ってた人です。
人工呼吸器は付けなかったけれども、意識が無いまま2日に一度の透析を受け、挿管チューブを入れられたまま血の交じった痰を採られる姿は、母の意に反する治療だったと思います。
全てを外して自宅に連れ帰り、身体をさすって最期を見届けてあげたい・・・そう言うと「そんな残酷な事は出来ない」と家族に言われました。
結局は「出来るだけの事は、してやった」という家族の自己満足の為に物言えぬ者は「生かされて」からしか死ねないのだと思います。
母は夜中に病院で誰にも看取られずに息を引き取りました。
私には、ずっと母の思いを叶えてやれなかった後悔が残っていて、恨まれているだろうな~という思いを引きずってます。
「元気な時の考えと苦しくなってからの考えは変わってるかもしれないじゃないか」と揉めた時に家族に言われました。
「自分だったらそう在りたいか?自分だったら苦しみを長引かせて欲しいか?」この「もし自分だったら」を考えられない人は、自分の思いだけを押し通すように思います。
私みたいなのはドライでクール、、、らしいですし(苦笑)。
自分の家族には「私を延命したら化けて出るぞ」と言ってあり、書面にも事細かに書き残そうと思っております。
コロ
~コロさん初めまして!コメントありがとうございます。
文字制限にひっかかってしまったので、下にお返事書きます。
春野ことり
欧州の消化器科医
~欧州の消化器科医先生、コメントありがとうございます。
この義理の息子さんもなんだかプンプンそんな臭いが・・・
先生のひどい経験も呼んでみたいです。できたら是非トラックバック送ってください。
春野ことり
まだ、田舎のほうは、家父長制の名残が残っていて、家長であるご主人の意見を尊重せざるを得なかったのかな、と思いました。
>「100歳になったらお祝い金がもらえるからそれまでは・・・」
はあ?・・・ですが、似たような話を聞いています。戦争未亡人に支給される恩給があります。年々受給者が減っているので現在受給している人は結構な額をもらえるんだそうです。(どうして受給者が減ると多くもらえるのかしくみは知りません)
なので、植物状態になっても出来るだけ長く生きさせてくれという家族がいる話を社会保険労務士の奥さんから聞いています。老人医療費が無料だったころの話です。医療費タダで多額の恩給・・お金に目がくらむ人がいるんですね。
ako
~akoさん、コメントありがとうございます。
田舎は田舎ですが、
>家父長制の名残が残っていて、家長であるご主人の意見を尊重せざるを得ない
そこまでの田舎ではありません。(笑)
ここの家族はちょっと特殊な感じです。普通は奥さんの意見の方が通ることが多いんですけどね。
やはり、命の沙汰も金次第・・・ですかね。
この先後期高齢者医療制度で、老人の延命なんて過去の話になってしまうのかも知れません。いいのか悪いのかは別として。
春野ことり
志村建世
~志村さん、いつもお世話になっています。
>高齢者および高齢者を抱える家族の必読テキストとして、紹介させていただきます
まあ!嬉しいです。
やはり病院任せはよくないですね。
春野ことり
ご自身の経験に基づくコメントありがとうございます。お母様のお看取り、辛かったですね。
私の個人的意見としては、本人の意見を無視した延命は、家族のエゴ以外のなんでもないと思っています。
>身体をさすって最期を見届けてあげたい・・・そう言うと「そんな残酷な事は出来ない」と家族に言われました。
残酷?これが残酷という人には何を言っても通じないのかも知れませんね。
>「元気な時の考えと苦しくなってからの考えは変わってるかもしれないじゃないか」
こういうことは尊厳死に反対を唱える人がよく言っていますね。そんなことを言っていたら、尊厳死は絶対に無理です。それ自体が本人の尊厳を無視した言動なのです。それなのに、本人の気持ちを一番思いやってあげている人がドライでクールと言われるのは心外です。
家族に「延命はやめて」と話していても、他の家族が反対して延命されることも、よくあることです。やはり書面に残しておくことが大切だと思います。家族がそれを覆さないように、やはり複数の人に念を押しておく必要があります。思い通りに死ぬって、なかなか大変なことですね。
自力で考えたことなら格好良いのですが、10年以上前に教わったことです。逆に言えば、10年前のネタがまだ生きてるってちょっと、日本ってどうよ、とも思います。
忍冬
~忍冬さん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
「メメントモリ(死を想え)」ですね。
>高齢者を抱えた家族のみならず、妊婦さん含め若者にも、必読本&ブログと思います。
そのように言っていただけると嬉しいです。
人は生まれた瞬間から死に向かっています。生と死は対立するものではないという思想は紀元前300年~500年ごろに荘子が説いています。人間って進歩しないものだということがよくわかりますね。
春野ことり
感慨深いものがありました。
~こんにちは。コメントありがとうございます。
一般の方にお読みいただいて延命について考えていただけたら幸いです。
春野ことり
>生前意思をきちんと残していたら
とても心に響きました。
高齢の方だけでなく、自分自身も、いつなんどき、
延命するかしないかの状態になるかもしれないし、
考えておかないといけないなと思いました。
Kei☆
~Kei☆さん、こんにちは~!
他のm3ブログのコメント欄でよく拝見しております。
若い方もいつなんどき何が起こるかわからないので、若いうちからよく考えておきたいことですね。
コメントありがとうございました。
春野ことり
私は当時悩んでいた時に、こちらのブログと出会い、どれだけ癒された事か・・・・。本当に感謝しております。
母を自宅へ連れ帰るという事は、透析もやめて栄養を送り込む事もやめる事になるので、それは兵糧攻めだと父に言われました。
身体が痩せ細り、元々細い血管は更に細くなり・・・透析をする為に栄養や血液の状態を薬でコントロールする。あんな残酷な生かされ方は、余りに不自然に思えて・・・・。
母は書面に残さなかったのが失敗だったと思います。口には出してて色んな人に話してたのですが、真剣に聞く耳を持たない人に言った場合、結局はちゃんと伝わってないようにも思いました。それが父や兄弟との軋轢になったのだと思います。
思い通りに死ぬって本当に大変だと思います。それを受け止めてくれる介護力も必要だし。
病院任せで、いづれ感染症を起こして死ぬのを待つような生かされ方に自分自身はなりたくないです。
コロ
~コロさん、再びコメントありがとうございます。
透析中の方を家に連れ帰るのは、消極的安楽死になってしまうので、今の時代では困難かと思います。日本では安楽死どころか尊厳死もままなりませんので。
このブログで癒されたと言って頂けるなんて、嬉しい限りです。
非常に励まされます。
今後ともよろしくお願い致します。
春野ことり
延命については、医者として経験を積むうちに考えが変わってきます。
また、最近では、予想以上に延命を希望される家族が多いと思うようになりました。
特に悪性腫瘍以外の疾患では、本人が延命治療を希望していなかったにもかかわらず、本人の意思表示ができなくなった時点で家族に意向を尋ねると人工呼吸器などを希望される家族が(自分としてはゼロと思っていたためか)結構います。
なぜか、を考えてみたり、自分でも近親者を亡くしたりしてみると、延命という意味が医療者と家族では異なると思うようになりました。
人の死は避けられないものですが、悲しみをなるべく先送りにしたいのも感情としては避けられないものです。
今回紹介されたエピソードでも、一見、本人とは血縁のない娘の夫が延命を希望していましたが、娘の悲しみをなるべく先に延ばそうとしたためではないでしょうか。迷っている段階=悲しみを恐れているのではないでしょうか。
「やさしさ」の時代と言われた最近までの世相をみると、このような反応をする家族が結構いるのも納得できるように思えます。
というわけで、最近では、家族が少しでも迷っていたら延命治療をすることにしています。
また将来においては考えが変わるかもしれませんが。
若い時に指導を受けた教授が、「若いうちにはわからないが、人は何歳になっても、もっと生きていたいと思うものだ。だから簡単に延命中止の素振りをみせてはいけない・・・」と言われたことを思い返すようになっています。
また、考えさせる話をお願いします。
unchan
~unchan先生、貴重なご意見をありがとうございます。
延命に関しては医師個人の考え方の違いもありますし、同じ医師であっても経験を積むうちに考えが変わってくるのは先生のご指摘の通りですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
春野ことり
亡くなった同居人も実は自分のお兄さんの時に延命を希望してしまって・・・後で後悔していました。 「もうかわいそうだ」と。
そして、自分の時には「無駄な延命はしないで欲しい。 息子にも言ってある」と私に言いました。 「でも、それについては息子が一番何か言いそうで心配だ」とも言っていました。
勿論、延命も蘇生もやらないで、そのまま逝きましたが、息子はやはり心のどこかで「どんな形でも生きていて欲しかった・・・様な気がする」と言っていました。
このお話のお婿さんは、義理だったんじゃないかな?って気もします。
”死”を一方的に悪い物と考えて、そこへ行かせない様にする事だけが良い事だと思っていたかもしれないな、とも思います。
ことり先生の本、図書館リクエストもあり!って、なかなか宣伝上手ですね〜
マーボー
~マーボーさん、コメントありがとうございます。
”死”を一方的に悪いものと考えている人は結構いると思います。
延命しても、しなくても、どちらにしてもあれでよかったのかなと、思い悩むものみたいですね。誰しもそんなにスッパリ割り切れるものではないと思います。
宣伝上手ですか?おほほ
春野ことり
①救急外来に心肺停止で運び込まれてきた患者さんの家族が「どうにかして助けて下さい!年金が無くなって困るんです!」とあからさまなお願い…
②認知症でほぼ寝たきりの入院患者さんが食欲がなくなってきたのでそろそろかな?と思い家族を呼ぶと兄弟3人(40-50代くらい?)で現れ「親父が死ぬと収入がなくなって路頭に迷います!点滴でもなんでもして生かしておいてください」と…
なっく
~なっく先生、はじめまして。コメントありがとうございます。
ううう・・・・・。なんと言ってよいやら。
でも、これも確かに日本の現実です。
春野ことり
母は悪性疾患に罹患していたので、これ以上しんどい思いは勘弁してあげて欲しい・・・そう思ってしまいました。
透析をしているとホスピスにも入れないと知った時の母の落胆・・・・・・だったら透析をやめて死なせてくれと母に言われた時の事・・・今でも思い出します。
尊厳死そのものもままならないのは、私もおかしいと思います。母の最期も結局は婦長が決めたようなものでしたし。
こちらこそ今後とも宜しくお願い致します。
コロ
~コロさん、大変お辛い経験をお話くださってありがとうございます。
>透析をしているとホスピスにも入れない
たしかにそうですね。日本のホスピスは出来高制ではなく包括医療なので、高価な治療を行うと病院が赤字になってしまうという問題点があります。
透析をやめて死なせてくれと言われたとき、とても辛かったでしょうね。自分が末期癌だったら、やはりお母上と同じように思うでしょう。でも、今の日本では無理な話だと思います。ご自分を責めることだけはしないでくださいね。
春野ことり
まずはじめに感じたことは、療養型病床に移るときに、今後いつかはやってくる事柄、つまりサトエさんの命が尽きようとしている時の対応について、家族が本当に話し合ったのか?
ということです。
普段面倒見ない家族の声が一番大きくて、現場や面倒を見ている家族をぐちゃぐちゃにするのは、非常に迷惑な話ですが
決して珍しくはありません。
義理の息子さんは、できるだけの治療はしてもらって当然、という考えですが、この考えが今の救急医療の最前線を疲弊させている遠因だと思います。
「家族として1日でも長く生きていて欲しいと思うのは当然でしょう」
これに対して、私はNOを突きつけます。
正しくはこうでしょう。
「家族として1日でも健康で長く生きていて欲しいと思うのは当然でしょう」
「健康で」という言葉を加えただけで大きく意味が変わってきます。
おじいちゃんの場合は1ヶ月頑張ったそうですが、意味のある延命だったのでしょうか?
義理の息子は、その1ヶ月に何の意味を見出したのでしょうか?
>普段面倒見ない家族の声が一番大きくて、現場や面倒を見ている家族をぐちゃぐちゃにするのは、非常に迷惑な話ですが
>決して珍しくはありません。
まったくその通りですね。
>「家族として1日でも長く生きていて欲しいと思うのは当然でしょう」
>これに対して、私はNOを突きつけます。
私もNOと言いたいのですが、そう言ったところでとても人の意見を受け入れるような方ではなさそうでした。
前の病院でも何度も主治医と話し合いがなされたそうで、当院の療養型へは延命治療しないという条件で転院してこられました。でも、やはり本当に納得していたわけではなかったようで、土壇場になって方針を覆されました。
患者様ご家族の権利をどこまで優先しないといけないのか・・
一番気の毒なのは、患者さん御本人だと思います。
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