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正常値を示す検査伝票を見せられて娘さんは叫んだ。
「そんなバカな!正常なんて、信じられない!」
どうやら「不信」という色眼鏡をかけてしまうと、白いものも黒くしか見えないようだ。
私は娘さんの反応に困惑しながらも、腫瘍マーカーというものは癌があったら必ず上がるものではないことを説明した。
しかし、その説明に娘さんが納得したのかどうかはわからない。ただ、聖人でも君子でも聖母マリアでもない普通の人間の私は、この時点でもうこの方とはお話ししたくないと思ってしまった。
「まだご質問はありますか?私も病棟の回診の途中なので、あまり時間が取れないものですから」
そっと言葉に棘を忍ばせたつもりだった。そもそも、事前にアポイントメントがあったわけでもなく、突然襲来されたのである。こちらの事情にも配慮してしかるべきだろう。
娘は検査データのコピーが欲しいと言った。後は事務員に託し、私は足早に病棟へ戻った。
歩きながら考えた。私はマモルさんに何か悪いことをしただろうか。娘から責められるようなことをしただろうか。
肝硬変になったという事実を告げ、マモルさんを気づかい、日常生活の指導をし、行うべき検査を勧めてきた。そして自覚症状のないうちに癌を発見し、しかるべき病院へ紹介した。
それでも娘はなぜもっと早く見つからなかったのかと言い、腫瘍マーカーの検査結果を見て「信じられない」と叫んだのである。
もしも一つでも行うべき検査が欠けていたら、私はどんな罵声を浴びせられたのだろう。
「死」や「病気」が「悪」ならば、それを防げない医者は皆「悪人」なのだろうか。
福島県立大野病院産婦人科で逮捕された加藤先生のことを思った。何の過失もないのに、妊婦が亡くなったという事実に基づき逮捕されたのである。
極論を言えば、「死」を受け入れられない遺族がいて、「不信」という色眼鏡を通して「医師が殺した」「医師が悪い」と思い込めば、警察への通報につながることはいくらでもあり得る。
現在、医療事故調査委員会の第3次試案が厚生労働省から提案されているが、そんなものが出来ても何の意味もなさない。4月22日の国会質疑において警察庁米田刑事局長は「遺族の方々には訴える権利があり、警察としては捜査する責務があり、捜査せざるを得ない」と答弁しているのだ。http://mric.tanaka.md/2008/04/28/_vol_52_1.html#more
このままでは命にかかわる診療科は絶滅するだろう。
「病気」は「悪」なのだろうか。
「死」は「悪」なのだろうか。
決してそうではない。「病気」も「死」もその人の一部分である。
以下は、日々是よろずER診療生と死は対立ではない
からの引用である。
荘子 内篇・太宗師篇では、荘子の死生観が語られている章があるのだが、そこには、こんなことが書いてある。
夫れ大塊我を乗するに形を以てし、我を労するに生を以てし、我を佚にするに老を以てし、我を息わしむるに死を以てす。故に吾が生を善しとする者は、乃ち吾が死を善しとする所以なり
その解釈は次の通り。
そもそも自然とは、我々を大地の上にのせるために肉体を与え、我々を労働させるために生を与え、我々を安楽にするにために老年をもたらし、我々を休息させるために死をもたらすものである。(生と死は、このように一続きのもの)だから、自分の生を善しと認めることは、つまりは、自分の死をも善しとしたことになるのである。(生と死との分別にとらわれて死を厭うのは、正しくない) 荘子第一冊 金谷 治 訳注 岩波文庫P184
今も思い出せるのは、ご自身の病気を受け入れて、こちらの説明に不安げな表情を見せながらもじっと耳を傾ける、優しい瞳をしたマモルさんである。
天に召されたマモルさんは、娘さんと私のやり取りをどんな想いで天国から見ていたただろう・・・。
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十年来の患者のマモルさん(仮名)は肝硬変から肝癌を発症し、専門の病院へ紹介された。マモルさんは零細企業の社長だった。社長とは言うものの大変物腰は柔らかく、温厚で気が弱そうで、真面目で実直に生きている労働者という印象であった。
突然、マモルさんの娘という人が話を聞きたいと現れた。
私は紹介先の病院から何も知らせを受けていなかったので、娘さんの出現でマモルさんの死を初めて知った。肝癌が見つかってから4ヶ月後の死だった。
マモルさんの死亡診断書の死因に「肝硬変」死亡にいたるまでの期間「十数年間」と記載されていたそうだ。この「十数年間」というのが生命保険の告知義務違反にひっかかり、保険会社ともめているというような前置きだった。
娘さんは「最初から経過を話して欲しい」と言った。初診は十年前。十年も前のカルテは倉庫にしまってあるのでそう簡単には出てこない。事務員の手を煩わし、やっと出てきたカルテを元に、経過を話しはじめた。
初診時のデータを見る限り、この時点で肝硬変になっていたとは考えられないことをお話した。最初は高血圧で受診され、経過を見ているうちに肝機能をあらわすトランスアミナーゼが軽度上昇し、慢性B型肝炎であることがわかった。そして、肝硬変へと移行し、肝臓に腫瘍が見つかって精査治療のため専門の病院へ紹介となった経緯を話した。
娘は「いつ肝硬変になったのですか」と聞いた。
慢性肝炎から肝硬変へは徐々に移行していくものなので、何月何日から肝硬変になったと言えるものではないが、血小板の数値がひとつの目安になるので、血小板が正常値よりも低下してきたころだと思われると、データを示しながらお話した。少なくとも、肝硬変の発症は「十数年前」ではない。こちらからの紹介状に肝硬変の発症時期については書いていないので、死亡診断書を書いた医師の推測なのか、本人が転院時の問診で間違って申告したのかどちらかだと思われる。
娘の質問は続いた。
「血液検査はどのくらいの間隔でやってあったのか」
「エコーの検査はどのくらいの間隔でやっていたのか」
「紹介先の病院では食道静脈瘤まであると言われたんですけどっ」
まるで尋問である。
血液検査は3ヶ月に1回程度行い、腹部エコーは半年に1回、腹部CTも1年に1回はすすめていた。食道静脈瘤も当院通院中からすでに見つかっていたが破裂しそうなサインがないため経過観察していたことをお話した。
娘は「半年に1回エコー検査を行っていたのに、どうして癌が早く見つからなかったのか、おかしいではないか」と言い出した。「若い人ならわかるけれど、父のような老人の癌がそんなに早く進むなんて信じられない」と。
私は、腫瘍の進行速度は年齢によって決まるのではなく、組織の持つ性質で決まるのだということをお話した。
しかし娘は納得のいかない顔で私の目をじっと見据えた。マモルさんの優しい目とは似ても似つかない怖い目つきだった。
「腫瘍マーカーの検査はしてあったのですか」
腫瘍マーカーは正常だった。私は正常だったと話し、その数値の書かれた伝票を見せた。
そのとたん娘は
「そんなバカな!正常なんて、信じられない」
と叫んだのである。
つづく
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これ、面白いです。農業を営む方の作品です。凄いです!ぜひ多くの方に見ていただきたいので、紹介させていただきます。
こちら、第3次試案について厚生労働省へ簡単にパブリックコメントが送れるフォームです。意見テンプレートもあります。このまま第3次試案が通ってしまわないように、みなさん、パブコメを送りましょう!
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<転院先を探したい>
娘さんは相談員にこう言ったそうです。
<主人を説得できないから・・・>と。
繰り返しますが、サトエさんは80代、1年間意思の疎通も行えず、寝たきりの状態で闘病を続けてきました。口から食事を食べることもなく、胃ろうから栄養を受けています。この状態が回復することはあり得ません。
足のゆびは糖尿病性壊疽で真っ黒に炭化し、何本かは落ちてしまっています。
娘さんは頻繁に病院に来てサトエさんを見舞っていますが、娘さんのご主人の姿を病室で見かけたというスタッフはあまりいません。
その義理の息子が、サトエさんの最期の時の過ごし方を決めてしまっているのです。
サトエさんに限らず、多くの人たちは、自分がどのようにこの世を去りたいかという話し合いを家族とすることもなく歳を取り、意思の疎通を行えなくなった状態で「死」に直面します。そして、家族によって死に方を決定されます。
「安らかに死を迎えること」がなぜ許されないのでしょうか。
サトエさんは1日でも長く生きていたいと思っているのでしょうか。自分が寝ている部屋からほんの少し離れた密室で、自分の意思とは関係なく、娘夫婦と医師が自分に人工呼吸器をつけて延命しようかどうか話し合っていることを知ったら、サトエさんはどう思うのでしょうか。
私は娘さん夫婦との対話を通して、なぜそこまで娘さんのご主人が義理の母の延命にこだわるのか、その理由を感じ取ることができませんでした。義理の息子はサトエさんの足のゆびが炭のようになってもぎ取れているのを見て、痛いだろうか、苦しいだろうかと、想像してあげたことはいったいあるのだろうか・・。
娘さんは娘さんで、ご主人の意見に従わなければならない理由があるのでしょう。夫婦関係は色々です。
医療者の立場からすると、サトエさんが延命をして欲しいのかして欲しくないのか、ご自身の意思が残してあったらどんなに事は簡単かと思います。
死を受け入れられないという理由から延命治療を希望する家族のほかに、今までの経験では「農作物の収穫期で忙しいからその時期が終わるまでは延命治療して欲しい」とか、「100歳になったらお祝い金がもらえるからそれまでは・・・」とかいった、自分勝手な都合で延命を希望する家族もいました。
生前意思をきちんと残していたら、家族の勝手な都合で延命されることはないでしょう。しかし、意思をきちんと残していなければ家族の都合による延命も仕方がないと諦めるしかないのでしょうか。家族の都合による延命にも医療費がかかり、そのうちの多くは公費だということも忘れてはいけません。
娘さんから転院先を探すというお返事をいただいた翌日、サトエさんはあっけなく亡くなりました。
家族の望みどおり人工呼吸器をつけ、昇圧剤を用いたのですが、心臓がスーっと止まってしまいました。心臓マッサージを行っても、心拍は再開しませんでした。
あまりにもあっさりした心臓の止まり方は、まるでサトエさんが「延命なんて、ごめんだよ」と、お話することのできないご自身の意思を初めて表したかのようでした。
もっともこれは私が感じただけで、本当はサトエさんはもっと生きていたかったのかも知れませんし、こればかりは分かりようがありませんが。
<ありがとうございました>
お見送りの時、義理の息子さんはさして悲しむ様子もなく、笑顔で挨拶をされました。
本人の事情、娘の事情、義理の息子の事情、そして病院経営的な事情・・・
色々な事情が絡み合った症例でした。
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娘 <人工呼吸器をつけてください>
それはご本人の希望ですか。サトエさんは、回復の見込みがない状況でも、1日でも長く延命して欲しいとおっしゃっていましたか?
娘 <いいえ、これは家族の希望なんです。本人とはそういう話し合いを一度もしたことがありません>
では、サトエさんの気持ちになって考えてみてください。サトエさんは今の状況で延命して欲しがっていると思われますか?
娘<・・・> 娘さんは急にそわそわし始め、隣にいるご主人の方をちらちら気にしはじめました。
ご主人は無言で腕組みをしたまま私と目を合わせません。
では、もしもご自身がサトエさんの状態だったら、人工呼吸器をつけて1日でも長く生きていたいと思われますか?
娘 <ねえ、あなた・・・。どう思う?>
娘さんは困ったようにご主人に意見を求めました。
娘 <私は、母の姿を見ていて、延命はかわいそうな気もするんです>
娘さんは隣のご主人を気にしながら、弱々しい声色でつぶやくように言いました。しかし、その声はすぐに男性の野太い声に打ち消されてしまいました。
<家族として1日でも長く生きていて欲しいと思うのは当然でしょう>
ご主人が始めて口を開きました。
娘の夫 <おじいさんの時も主治医の先生から同じことを言われましたよ。人工呼吸器をつけたら外せないっていうことも聞きました。でも、結局人工呼吸器をつけてもらって、その後一ヶ月くらい生きていたかなあ。やはり、できるだけの治療はしてもらわないと>
ご主人がきっぱりとした口調で言うと、娘さんは何も言わなくなりました。
娘の夫 <それに、そんなに状態が悪いんだったら、人工呼吸器をつけたって、どうせ長くは生きられないでしょう。おじいさんの時だって1ヶ月だったし>
人工呼吸器をつけてもどうせ長く生きられないのだから、つけたっていいだろうという意見は筋が通りません。
この状態で呼吸が止まりかけるということは、もう寿命ということだとは思えませんか。
私はサトエさんの義理の息子に問いかけました。しかし、彼は聞き入れようとはしませんでした。
やはり、1日でも長くと、ただ繰り返しました。
たとえ1日でも長く生きていて欲しいから人工呼吸器をつけて欲しいというご家族、もしも永遠に生きられるような治療法があったら、永遠に生きながらえさせたいと思うのでしょうか。
命には必ず終わりがあるということを、医療者は一々家族に教えなければならないのでしょうか。
申し上げにくいことですが、サトエさんは延命を希望しないという条件で療養型病床に入ってこられました。しかし、今は延命をしたいというご希望に変わられました。療養型病床では積極的な治療は無理なので、急性期病棟に移っていただいたわけですが、同じ病院内での入院日数が3ヶ月を過ぎてしまっているため、経営的には赤字なのです。
娘の夫 <まったく、3ヶ月しか病院に入院できないなんて、国は何を考えてそんなこと決めたんだ>
医療費を抑制したいからに決まっていますが、私は「そうですね」とだけ答えました。
以前は3か月で病院を移らなければならないというお話をすると、そんなバカなことがあるかと病院に対して怒りを露わにする人たちがたくさんいましたが、最近は医療崩壊の報道が多くなったお陰か、病院に対して怒るというよりも国の政策に対して怒る人が増えてくれたように思います。それはそれで医療提供者としては助かります。
娘 <それでは、延命治療を希望するならば、転院をしないといけないということですね>
申し訳ありませんが、そういうことになります
娘 <もう一度他の兄弟とも相談して、明日までにお返事します>
事態が切迫していたら、明日までになんて悠長なことは言っていられないのですが、幸い、サトエさんの呼吸状態はご家族の到着までに落ち着いて、今すぐに人工呼吸器をつけなくてもいい状態に戻っていました。でも、またいつ呼吸が止まってもおかしくありません。
返事は次の日まで待つことなく、その日に医療相談員を通していただきました。
<転院先を探します>と
つづく
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80代のサトエさん(仮名)は、1年前に急性心筋梗塞で心停止を来しました。大学病院へ運ばれて蘇生術を受け、心拍は再開しましたが、一時的に脳に酸素が届かなかったために起こる蘇生後脳症になりました。蘇生後脳症は治ることはありません。サトエさんは寝たきりで、意思の疎通は全く行えません。胃ろう栄養を受けています。足の全てのゆびは糖尿病による壊疽のため真っ黒に変色していて、大変痛々しいものがあります。しかし、サトエさん自身は表現する手段を持たないため、痛みを感じているのかいないのか、傍から見るものにはわかりません。
サトエさんは長い間大学病院に入院していました。しかし、大学病院は蘇生後脳症で寝たきりになった患者さんを長期入院させるような所ではありません。
サトエさんは私の勤務する病院の療養型病棟に転院してきました。療養型病床は急性期を過ぎて病状が安定した患者さんが長期療養できるベッドです。
療養型病床には包括医療が取り入れられています。包括医療というのは、いくら治療をしても入院料は一定で、治療すればするほど病院が損をするという仕組みになっています。
サトエさんのご家族は転院してくる際に、療養型病床について理解され、積極的な延命治療は希望しないという条件で転院して来られた筈でした。
転院後数ヶ月が経つと、サトエさんは肺炎で高熱が出ました。両側の胸に水がたくさんたまりました。
サトエさんのご家族は、その場になると急に考えが変わりました。
<やっぱり、できるだけの治療をして欲しい>
<おばあさんには一日でも長く生きていて欲しい>
<呼吸が止まったら人工呼吸器をつけて欲しい>
そう言われても、療養型病床にいては、十分な治療を行うことはできません。そこでサトエさんは同じ病院の急性期病棟に移ることになりました。
しかし、問題があります。急性期病棟では入院期間が3ヶ月を過ぎると入院基本料が非常に低くなってしまいます。サトエさんは転院してきてからすでに3ヶ月を過ぎています。療養型にいても急性期病棟にいても、どちらにしても病院経営的には赤字になってしまうのです。
急性期病棟に移ってから、サトエさんの呼吸が止まりかけました。ご家族を呼んで、本当に人工呼吸器をつけるのかどうか、意向を尋ねました。
現れたのは、実の娘とその夫でした。
<人工呼吸器をつけて欲しい>
そう言われました。
つづく
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最近あまり更新ができていないこのブログですが、ブログ開設1年半で100万アクセス達成いたしました。
いつも訪れてくださる読者の皆様、心よりお礼申し上げます。
そもそもこのブログは天国へのビザ の宣伝目的で始めたものです。ここまでアクセスが伸びるとは思いもしませんでした。
ペースは落ちるかも知れませんがこれからも続けていきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
↓興味深いニュースがありました。ブロガーの皆様、ご自愛を
://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080410-00000001-jct-sci
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お久しぶりです
リアルの世界が忙しくて、10日もブログを放置してしまいました。その間に、医療事故調第三次試案が公表されました。
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/04/post-1341-4.html
多くの医師が反対の表明をしています。こちら、僻地の産科医先生が第3次試案に関するブログを集めていらっしゃいます。
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/04/post-1341-13.html
もちろん、私も反対です。
この枠組みの中では、刑法上の業務上過失はそのままであり、遺族からの訴えがあれば警察は捜査をする義務があるということは、これまでの試案と何ら変わりません。つまり、医療事故調査委員会ができても、第2、第3の福島大野事件(結果だけに基づく医師の不当逮捕)は起こり得ます。http://blog.m3.com/Visa/20080325/1
Yosyan先生が事故調の問題点と対案をまとめていらっしゃいます。
2008-04-11 事故調対案を考える(新小児科医のつぶやき)より以下、引用
最終試案との情報もある三次試案ですが一次試案の頃からの課題である、
1.診療関連死の定義
2.医療訴訟抑制対策
3.現実的運用の可能性
これらについてなんの回答もありません。具体的にわかるのは事故調報告を利用した厚労省の行政処分権限の拡大だけです。それも医師が大動員されて行政処分対象者を自分の手で量産する構図です。それだけが確実に施行されるだけで、その他については医師側にメリットを見つけ出すのが非常に困難なものです。
(中略)
事故調に対して医師が求めているものは訴訟抑制効果です。本音で言ってそれしか期待していません。
(中略)
医師が問題にしている訴訟は言うまでもなくトンデモ訴訟です。医師に明らかに責任のある訴訟に関しては興味の外です。医師が抑制したい訴訟はあくまでもトンデモ訴訟です。トンデモ訴訟の問題は起こされるだけでも大迷惑ですが、信じられない事に医師側がしばしば負けてしまうことです。さらにトンデモ訴訟の敗北はこれを判例として引用され、類似のトンデモ訴訟の敗北にまで波及し、さらなるトンデモ訴訟量産の呼び水になります。
この悪循環を断つにはトンデモ訴訟は必ず勝つことが必要です。トンデモ訴訟では勝てないことが分かれば訴訟は相当抑制できます。もっとも残念ながら完全には無くなりません。世の中は弁護士乱造時代に入っており、食うために小銭を稼ぐ弁護士は今後ドンドン増えていきます。食うための弁護士は依頼人の勝ち負けは念頭に無く、訴訟と言う仕事を確保するために行動しますからどうしようもありません。
以下、要約します。
トンデモ訴訟の陰にトンデモ鑑定書あり
ということで、「真っ当な鑑定医を選定できるシステムを構築するべき」なのだが、現実として日々の臨床に超多忙な医師がホイホイと出れるわけも無く「正論だが実現困難」である。
そこで事故調の出番
事故調の必要人員を試算すると、解剖医 1002人、臨床医 2505~3006人
もちろん、こんな医師の数の動員などできません。しかし1000人くらいを鑑定医として、鑑定書とそれを書いた鑑定医を公開するようにすれば、トンデモ鑑定書の発生を防止でき、間接的にトンデモ訴訟を抑制できるのでは
と述べていらっしゃいます。
本当に、トンデモ訴訟なくなって欲しいです。判例を見るたびに士気が失せます。
そして、こちらは小松秀樹先生の第三次試案に対する意見↓
http://mric.tanaka.md/2008/04/10/_vol_42_1.html
http://mric.tanaka.md/2008/04/11/_vol_43.html
*
ところで、今日は、日比谷公会堂で「医療現場の危機打開と再建をめざすシンポジウム」
というものが開かれました。
多くのネット医師が参加していると思うのですが・・・シクシク 出たかったよ~。ついでにオフ会も・・ 内科学会の点数も欲しかったのですが・・・えーん
しばらくネットを離れると情勢についてゆけない。。
こういう時は、目標設定を思い切り低くして、小学生と未就学児の子供抱えて病院の常勤医しているだけでもエライ、エライ、と自分を慰めたりしてみる。
あーん、でも、「勤務医不足のまっただ中で勤務医してます」って言っても、平等主義の世間ではPTAの役員は免除してもらえないからな~・・・ああ、この季節は憂鬱
ぶつぶつ
(最後の方は単なるつぶやきです。無視してね^^;)
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立ち寄った書店で偶然手にした文庫本。
安達千夏 モルヒネ (クリックするとAmazonに飛びます。)
世の中に五万とある小説の中で、自分の感性と共鳴し心の琴線に触れる作品と出会うことは大切な人との出会いにも似て嬉しい。そんな小説のひとつである。
この作品は一貫して「死」を見つめている。随所に「死」にまつわるテーマが埋め込まれ、描かれる「死」は自死、尊厳死、安楽死にまで及ぶ。
著者の死生観が伝わってくる傑作だと思う。Amazonでの評価が低いのは、帯に「恋愛小説」と謳ってあるために「恋愛モノ」を期待して購入した読者にとっては期待はずれだったということのようだ。
私はこれは明らかに恋愛小説だと思う。透明な感性で描かれる主人公の恋人への恋情は痛いほどよく伝わる。ただ、ありきたりの薄っぺらな恋愛小説ではなく、「人は生まれてきて死ぬ」という人間の本質に深く切り込んだとても重い作品である。その生まれて死ぬ過程の中に恋愛があり、人は喜び、苦しみ、悲しむのである。
----あらすじ-----
母親の自殺、実の父による姉の虐待死、という悲惨な幼少時代を過ごした主人公 真紀は、常に死を見つめて生きてきた。真紀は自分が死ぬための薬物が手に入りやすいからという理由で医師となった。臨床医となり患者の死を看取る側に移った真紀は、自死する暇もなく多忙な毎日を過ごす。
そんな真紀の前に、過去の恋人ヒデが突然現れる。
ヒデは脳腫瘍の末期状態だった。ピアニストだったヒデは脳腫瘍による手の麻痺のためピアノを奪われていた。
ヒデは真紀に、致死量のモルヒネを静脈注射して安楽死させて欲しいと頼む。ヒデの出現に真紀は翻弄される
脇役として出てくる事務職員 坂本のエピソードがこの作品の重要な要素となっている。
坂本の妹は幼少時に水難事故で死んだ。坂本の父は意識の戻る見込みがなく人工呼吸器がつけられた娘の人工呼吸器を外して楽にしてやりたいと医者に頼んだ。しかし、母親は坂本に「呼吸器は外すべきではなかった。お父さんに押し切られて後悔している」と言い聞かせるようになった。
坂本の父は、坂本が中学生のとき、病に臥した。父は坂本に、「自分に延命措置はしないでくれ。そのように母親を説得してくれ」と何度も念押した。
しかし、その日がやってくると、母親が希望するとおり、父親には人工呼吸器がつけられた。坂本は「あのとき後悔したから」としがみついて泣く母を説得できなかった。
坂本は父の希望をかなえてあげられなかった自責の念を抱きながら生きている。
そして坂本の妻は坂本の尊厳死の意向に反対しているという。
坂本は言う。
ふたりの息子と自分のために、一分でも長く生きていてくれって言うんです。動けなくても、意識がなくても、ただいてくれたらいいって。どうやら僕は彼らから「もういいよ」と言って貰えるまで、どんな手を使ってでも、苦しくても、大脳の機能が失われたって、生き延びなきゃならないようです。
まあ、せいぜい、頑張りますか。
このように達観している人は現実には珍しいと思う。
実際、ほとんどの人は自分の死に際のことを真剣に考えることなく漠然と生き、ついにその日がやってきて家族や担当医の思うままに延命されているのである。
尊厳死を漠然と願っていても、ただ願っているだけでは実現は難しい。
私は医師としてそういう現実をたくさん見てきた。
最後に、この小説の中で最も共感する部分を抜粋して紹介を終わりにしたい。
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生まれるのは当事者の自由に任されてはいない。気がついたら生まれている。望んでいた筈はない。なぜなら、それ以前には、存在自体がどこにもなかった。いない者が、なにかを望みようがない。
生まれてしまったことは、押し付けられた災難だろうか。それとも、またとない好機到来と喜ぶべきか。意義はどうあれ、物心ついてみれば、時空に放り出されてしまっていたのだ。せいぜい悪あがきするしかない。
私が母です、私が父です、と巨大な生き物が言う。
ひっくり返った状態でろくに動けもしない赤ん坊は、とりあえず食べ物をねだる。やがて、食べるため環境に順応する。それが、生まれながら発揮できる能力のすべてで、環境の質はといえば様々だ。そして好きに選べない。
命の始まりが不随意なように、命の終わりも、個人の意思では左右できないだろうか。このような環境に生まれたかった、と臨むのは必ず遅すぎても、このように死にたい、と願うのは、これからでも充分間に合うのに。
天国へのビザ ←現役医師が尊厳死を描いた小説もよろしく(読みやすいと評判です)
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