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3月21日、福島県立大野病院事件の論告求刑 がありました。求刑は、禁固1年、罰金10万円
ロハス・メディカル ブログに傍聴記録が記されています。読んで胃がムカムカするのは私だけではないはずです。
http://lohasmedical.jp/blog/2008/03/post_1125.php
検事の発言、矛盾だらけです。
まず、のっけから
「被告は癒着胎盤をクーパーを用いないと剥離できないほど癒着していたにもかかわらず、無理に剥離した。」
はあ~?
第7回公判では、クーパーを使用したことが争点とされていました。http://lohasmedical.jp/blog/2007/08/post_824.php
弁護人 検察官は、クーパーを使うことが問題だという意識だったのですね。
加藤医師 はい。クーパーを使うこと自体が殺人行為であり、言い方を換えると、あなたは殺人者だと言われました。
一般的に外科手術の際、クーパーは剥離に遣われる道具でした。しかし、この公判依頼、クーパーを剥離に使うことは暗黙の「禁忌」となったようです。こちらは産婦人科医なな先生のブログ↓です。産婦人科医は咄嗟の判断で逮捕や裁判などへの恐怖と緊張に見舞われながらクーパーを使用しなければならなくなりました。
http://blog.m3.com/nana/20071231/1より引用
「咄嗟の判断で、福島県では「禁忌」のクーパー、使いました。
クーパーとは、手のひらサイズの手術用はさみです。
胎盤と子宮壁の間に、指は入らなくても
クーパーの先なら、入ります。
左手は、中指の先よりクーパーの先端がちょっと出るくらいに握って、
右手は子宮底をぐっとおさえ、
左右の手で子宮壁と胎盤の厚みを感じながら
ゴリゴリと胎盤を剥がしにかかりました。
逮捕とか裁判とか、頭に浮かびますが、
それよりこの産婦さん死なすわけ、いきません。
取れました、胎盤。
こわかった・・・」
検事が言うには
「被告は癒着胎盤をクーパーを用いないと剥離できないほど癒着していたにもかかわらず、無理に剥離した。この過失は、専門医の基本的な知識に反し、過失は重大である。」
無理に剥離すると、重大な過失になるそうです。
こうなったら、産婦人科医は妊婦さんのために子宮を残してあげようなんていう努力は捨て、少しでも癒着があったら何でもかんでも子宮全摘するしかなくなってしまいます。
妊婦さんのことを考えて子宮を温存しようとした医師が罰せられるということは、そういうことです。
これから産婦人科医は少しでも子宮を残せる望みがあったら残してあげようなんてことはしなくなるでしょう。だってそうしないと逮捕されて禁固刑を求刑されるんだから
「胎盤癒着は全例子宮全摘」
果たしてそれでいいんでしょうか?
※ちなみに検察側の鑑定医は一度も胎盤癒着の執刀の経験がない医師です。
「前回帝王切開の既往がある全前置胎盤では、24%の確率で癒着胎盤が生じることは基本的な医学書に記載されている。胎盤が前回切開創に付着している危険性は予見できた。」
24%の確率で癒着胎盤になる、だからえっ?何?
つまり、76%の癒着胎盤になっていない症例も子宮全摘するべきと言いたいのかな・・・?
言いたいことがよく分かりません。
ここまで読んだだけで、この裁判がいかに馬鹿げたものかがよく分かるのですが、
検事の朗読は延々と続きます。
「被害者は29歳であり、夫と三歳の第一子と暮らし、第二子の誕生を待ちわびていた。家族と共に充実した生活をおくっていた。ほんの短時間、生まれてきた女児と対面し、「ちっちゃな手だね」と述べたその後で、予想もせずその命を奪われ、家族は言葉をかけられないまま、二度と会えないこととなってしまった。子供を残して、何ものにも代え難い命を奪われてしまったのである。予期せぬうち、突然生を断たれた心情は察するにあまりある。それにも関わらず、被告からは遺族に対し示談や慰謝も講じられていない。さらに、公判で自分のとった処置が適切であったと被告が言っている事実からは、期待もできない。被告に対する遺族感情は厳しい。遺族は4時間経過した後で蘇生中であることを知らされ、被害者が失血死した事実を突然突きつけられ、悲痛な生活を送っており厳しい感情を抱いている。被告の発言に衝撃を受けた。亡くなって悲しい気持ちや長男が言葉で母親が死んでしまったことを理解するかと、心痛は察するにあまりある。幼い子を遺して死なざるを得ない母親の気持ちを思い子供を見ると不憫でこの思いは一生続くのであり、被告に重罰をと述べている。また、当時の心境として天国から地獄が当てはまる、来る日もつらい思いと言っている。言い訳をしても一人の人間の命が消えたことは事実であり眠れない日が被害者の家族に続いている。亡くなった命は元に戻らない。長男は「お母さん起きて、サンタさんが来ないよ」、と泣け叫んだと言う。被告は院内外の忠告を無視した、命を奪った被告が許されないと綴っている。遺族の思いは当然である。」
あのー・・・
感情論は抜きにして、過失の有無に論点を絞っていただかないと・・・
私たちの行っている行為は常に患者の死と隣り合わせなわけですから・・
特に、産婦人科なんて、若い妊婦さんや、新生児を取り扱うわけですから。
そりゃあ、遺族は辛いにきまっています。でも、医師だって辛いんですよ。
こういう感情論を延々と述べ立てることが、すでに絶滅の危機に瀕している産科医を更に現場から立ち退かせるということを、この検事は考えもしないのでしょうか
最後の部分
「よって被告には厳正な処罰が必要である。医療は侵襲を伴い生命に影響を与える。産科医療は母児の危険を内包する。よって産科医は高度な注意義務を負う。医師は社会的な信頼、患者の安全を全面的にゆだねられ、重い責任が課されている。被告は安易な判断で医師に対する社会的な信頼をも失わせた。不十分なインフォームド・コンセントしかおこなっておらず、家族は帝王切開の内容を殆ど理解できず、死後の説明も不十分で遅れた。最悪の知らせ方が遺族の悲しみを増した。被告は大量出血も家族に報告できないと言いながら一方で、応援要請に対して応援を依頼する必要はないとしており不可解である。重い医師としての責任認識が甚だ乏しいとしか言いようがない。被告は地域の社会的な重責を担ってきたとしても、過失は重大である。
よって、求刑は、禁固一年、罰金10万円 とする。 」
不十分なインフォームドコンセントと言いますが、
何時間説明しても理解できない患者や家族がいます。
患者側が理解できずに「不十分だ!」といえば、そのインフォームドコンセントは不十分とされてしまいます。
私も経験することですが、理解力のない人や、医師の言うことをはじめから理解しようとしない人に「十分なインフォームドコンセント」を行うということは、たとえ何百時間かけても不可能です
そしてきわめつけがこの言葉です。
被告は安易な判断で医師に対する社会的な信頼をも失わせた。
では、こちらも言わせていただきます。
私はこの検事のために、検察に対する信頼を失くしました。
以上
注:タイトルの一罰百壊は、一つの罰で百を壊すという意味で、一罰百戒を捩った造語です。
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被害者は29歳であり、夫と三歳の第一子と暮らし、第二子の誕生を待ちわびていた。家族と共に充実した生活をおくっていた。ほんの短時間、生まれてきた女児と対面し、「ちっちゃな手だね」と述べたその後で、予想もせずその命を奪われ、家族は言葉をかけられないまま、二度と会えないこととなってしまった。子供を残して、何ものにも代え難い命を奪われてしまったのである。予期せぬうち、突然生を断たれた心情は察するにあまりある。それにも関わらず、被告からは遺族に対し示談や慰謝も講じられていない。さらに、公判で自分のとった処置が適切であったと被告が言っている事実からは、期待もできない。被告に対する遺族感情は厳しい。遺族は4時間経過した後で蘇生中であることを知らされ、被害者が失血死した事実を突然突きつけられ、悲痛な生活を送っており厳しい感情を抱いている。被告の発言に衝撃を受けた。亡くなって悲しい気持ちや長男が言葉で母親が死んでしまったことを理解するかと、心痛は察するにあまりある。幼い子を遺して死なざるを得ない母親の気持ちを思い子供を見ると不憫でこの思いは一生続くのであり、被告に重罰をと述べている。また、当時の心境として天国から地獄が当てはまる、来る日もつらい思いと言っている。言い訳をしても一人の人間の命が消えたことは事実であり眠れない日が被害者の家族に続いている。亡くなった命は元に戻らない。長男は「お母さん起きて、サンタさんが来ないよ」、と泣け叫んだと言う。被告は院内外の忠告を無視した、命を奪った被告が許されないと綴っている。遺族の思いは当然である。
被告は自己の責任回避で信用できない供述を行ったことに反省を示していない。過失の重要な事実について、血圧低下の認識、出血量の認識、胎盤の剥離困難、クーパーの使用目的など、捜査時に供述や遺族に対する説明とも変えて、信用できない供述をしているので信用できない。自己の責任を回避するため真摯な反省や謝罪が見られない。医師と患者の信頼関係の確保が強く要請されているのに、我が国の患者の医師への信頼を失わせる、事実を曲げる被告の態度は許し難い。
医師法21条違反について、被告は自身の過失により死なせたという異状死の認識がありながら、届け出を怠った。医師法21条は主旨から、医師が警察に協力すべきである。警察が本件を知ったのが3ヶ月も経った3月31日であり、事故調査が公表され、ミスが新聞で公表されたからである。24時間以内に捜査を開始できず、関係者の記憶の散逸、胎盤などが破棄されており証拠の散逸が起こってしまったが、これは届け出義務の不履行によって生じたことだ。
よって被告には厳正な処罰が必要である。医療は侵襲を伴い生命に影響を与える。産科医療は母児の危険を内包する。よって産科医は高度な注意義務を負う。医師は社会的な信頼、患者の安全を全面的にゆだねられ、重い責任が課されている。被告は安易な判断で医師に対する社会的な信頼をも失わせた。不十分なインフォームド・コンセントしかおこなっておらず、家族は帝王切開の内容を殆ど理解できず、死後の説明も不十分で遅れた。最悪の知らせ方が遺族の悲しみを増した。被告は大量出血も家族に報告できないと言いながら一方で、応援要請に対して応援を依頼する必要はないとしており不可解である。重い医師としての責任認識が甚だ乏しいとしか言いようがない。被告は地域の社会的な重責を担ってきたとしても、過失は重大である。
よって、求刑は、禁固一年、罰金10万円 とする。 」
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コメント
コメント一覧
こちらからも貼らせて頂きます。
Atsullow-s caffe
~あつかふぇ先生、こちらこそTBおよび米、ありがとうございます。
春野ことり
この論理では荒川沖事件の被害者は警察官の職務怠慢(捜査の後手)に対して裁判をして貰わなくては。
たぬくまぞうさん
~たぬくまぞうさん、コメントありがとうございます。
そうですよね。こんな裁判、税金の無駄でしかありません。この遺族の悲しみを紛らすために社会全体が不利益を被るのですから。即刻中止してほしいものです。
一般の方にも理解を示していただけるのは、嬉しいです。
春野ことり
裁判員制度の疑似裁判で検察を産科医にならせてみたいです。おもいっきし 有利な!鑑定医になってみせますだ
ちょっち
~ちょっち先生、コメントありがとうございます。
>裁判員制度の疑似裁判で検察を産科医にならせてみたいです。
それ、面白いです!
ぜひやって欲しいです。
春野ことり
先日の論告求刑、検察側と被告側がまるで正反対な印象です。
通常は刑事事件の被告側が裁判官に感情的に訴えて、減刑ないし無罪を望み、検察側は感情を廃して理詰めで求刑します。
ところが、大野事件の論告求刑では検察側が感情的に訴えるばかりで、医学的根拠を基にした客観的な主張が全く見られません。検察側の主張には、科学的根拠がゼロです。
逆に被告の加藤先生側が一切の感情を廃して(少なくとも私にはそう思えます)、evidence based medicineを駆使して客観的に科学的に検察側の主張を覆しているように見えます。
とどのつまり、検察がこの症例を刑事事件化したことが間違いなんです。
警察と検察は、加藤先生が刑事事件の有罪であることを科学的に実証できないのにもかかわらず、なにをトチ狂ったのか、無理やり刑事事件化しています。
そして、今は単に警察と検察のメンツだけで公判を維持しているに過ぎません。
医療安全の役にも立たないし、持続可能な医療システムの維持にも役立たない、馬鹿げた裁判です。
彼ら(警察と検察)には、そのことが全くわかっていません。
愚かなことです。
わたしは5月の最終弁論で、加藤先生側が、検察がグウの音も出ないほど厳しく徹底的に、かつ科学的に検察の主張の愚かさを断定して行くものと期待しています。
今回の論告求刑を読んだとたん、夏の判決で加藤先生が無罪になることを確信しました。
鶴亀松五郎
~鶴亀松五郎先生、コメントありがとうございます。
本当に馬鹿げた裁判です。私も警察と検察のメンツだけで公判を続けているだけだと思います。誤認逮捕だったと認めるべきです。
春野ことり
しかし、検察のお粗末さは誰の目にも明らかでしょう。
無罪を信じています。
当ブログでもエントリー書きました。
doctor-d
~doctor-d先生、コメント、TBありがとうございました。
先生のブログを読ませていただき、あらためて福島県警への怒りがこみ上げてきました。なぜ加藤先生の逮捕が福島県警本部長賞に値するのか、全く意味が理解できません。福島県警は誤認逮捕を認め、謝罪すべきです。
春野ことり
また、ブログを引用して下さり、光栄です。
もう、言いたいことはほとんど先生が書いて下さったので、ひとつだけ。
2月末に日本産婦人科学会から出された”「診療行為に関連した死亡に係わる死因究明等の在り方」に関する見解と要望”にも、
先生がお書きになった「胎盤剥離は重大な過失」とする理論が孕む瑕疵について記載されています。
http://www.jsog.or.jp/news/pdf/kenkai-youbou_kourousyou29FEB08.pdf
以下、該当部分を引用します。
そもそも一般の人が言う“重大な過失”とは、法律用語としての定義とは異なり、 “結果が重大な過失”を指すことが多い。以下に分かり易い例を挙げてこのことへの理解を得たい。ある医師又は看護師が“A”という薬剤を点滴すべき患者
に誤って“B”を注入した。同疾患の別の患者には誤て“C”を注入した。“B”にはたまたま副作用が少なく、それを注入された患者には特に悪い影響は出なかったが、“C”を注入された患者には重篤な副作用が出現し患者が死亡したとする。
この時、過失そのものは同じであっても、一般に人は後者を“重大な過失”と言うのである。この現実があるので、刑事手続きへの利用を許容する事例の中に“重大な過失”との表現が記載されている限り、患者の死亡という重大な結果に至った調査事例の多く、その対象とされ得る可能性が存続する、と危惧されるのである。
私がやったことは重大な過失ではなく、加藤先生がなさったことは重大な過失とされている根拠は、主として結果だけということになります。
あ、もうひとつ。
検察は弁護側証人の岡村先生、池ノ上先生について、「日産婦の学会員だから、意見が偏向していると思われ信頼できない」としているようですが、検察側証人の田中先生も日産婦の会員であることを銘記しておきます。
これ以上の真相解明にもつながらなければ、新しいものを何も生み出さない、悲しく不毛な裁判は、もう止めてほしいのです。
先生のご指摘の通り、法律上の「重大な過失」とは「結果が重大な過失」のことであり、私たち医療者の単純ミスといえる軽い過失は重大な結果をもたらす危険性を常に包含しています。しかし、加藤先生には軽い過失すらあったとは思えません。
>検察は弁護側証人の岡村先生、池ノ上先生について、「日産婦の学会員だから、意見が偏向していると思われ信頼できない」としているようですが、検察側証人の田中先生も日産婦の会員であることを銘記しておきます
呆れます。本当に無茶苦茶な裁判です。
結果だけで医師を罰するようなことは即刻中止しなければ、日本の医療に未来はありません。こんな裁判が行われていること自体、腹立たしい限りです。
春野ことり
「禁固一年、罰金10万円」という求刑は、「豚箱入りだけは勘弁してやるから、とにかく『有罪』だけは認めろ」という検察側のメッセージでしょうか。
刑の軽重はともかく、被告からすれば有罪かどうかはその人の人間としての尊厳に関わります。検察側も「一度訴えたからには有罪にせねばならぬ」との心理的圧力があるのでしょう、おそらく。
ことり先生のこの記事の題名が「一罰百戒」とあります。法曹関係者に「一罰百戒」を下すことができる存在はどこにある?といいたくなる私でした。
3番目の落書き
~3番落書きさん、いつもコメントありがとうございます。
禁固1年、ということは、検察側もたいした過失があるとは思っていないけれど、建前上求刑したというのが見え見えです。
注、タイトルは「一罰百戒」ではなく「一罰百壊」です。
一つの罰で百を壊すという意味の造語です。以前、柳田邦夫氏が大野病院事件に関して「医師の逮捕は一罰百壊だ」と書いていて、拙ブログで紹介しました。自分としてはまだ最近書いたようなつもりでいて、今回説明を省略してしまいましたが、去年の6月の記事でしたので、注釈を入れておきました。ご指摘ありがとうございます。
春野ことり
久し振りに図書館に行って
新しい本で面白そうなのが有ったので借りて来ました
小泉 和子著
家で病気を治した時代
昭和の家庭看護
農文協発行
未だ全てを読んでいないが
最近話題の農薬の問題や
出産の問題など
最近の医療問題について
今一度考えて見る必用の有る
事柄が書いてある
(お医者さんでは無いので
比較的分かり易いと思う)
出産についても
昭和25年は自宅出産が95.4%
昭和45年は3.9%で有ったと
妊産婦の死亡率も
明治32年は出生10万人に対して449.9
平成16年は4.4になったと
書いてあった
前書きより
戦前は各家庭で誰かが病気になれば
皆が協力して治療に当って来た
今では全て病院に任せてしまっている
その為人の命と言う物に直接触れる事が無くなった
その事が命と言う物に対する実感が失われていく事になる
その結果命を軽く見る様になってしまったのではないか
そして人を簡単に殺したりするようになってしまったのでは無いか
たぬくまぞうさん
~たぬくまぞうさん、コメントありがとうございました。
>戦前は各家庭で誰かが病気になれば
>皆が協力して治療に当って来た
>今では全て病院に任せてしまっている
全くその通りですね。今は親の介護も福祉サービスに丸投げの人たちが多いです。まだ私が医師になった頃は、重症患者には家族が交代で毎日付き添っていました。今は、大きな病院では重症患者はICUに入るため家族は付き添えませんし、そうでなくても完全看護の名目で、患者に付き添わない家族が増えました。以前は家族も患者の苦しみを目の当たりに見ていて「延命は本人がかわいそう・・・」という気持ちになる人が多かったのが、今は苦しむ姿を見ていないために「一日でも長く」という家族が増えたようにも思います。
「命」を実感する機会がなくなったために、殺人なども簡単にするようになってしまったのかも・・、同感です。
昔は自宅出産がほとんどで、妊産婦死亡率も高かった。今は医学の発達のために妊産婦死亡率が激減、皮肉なことに、妊婦が亡くなると医師が逮捕されるという悲劇が起こっています。
春野ことり
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