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「お父さんに医療費を使ってもらったら申し訳ないわ。だってどうせ治らないんですもの。医療費はもっと治る見込みのある人のために使ってあげて」
「そんな・・・」
私は言葉に詰まりました。こんなことをご家族から言われたのは初めてでした。
奥さんから言われた言葉は鮮明に覚えているのですが、実は、自分が何と答えたのかをはっきり覚えていません。
「医療費のことなんて、気にしなくていいんですよ」
おそらくそのようなことを言ったのだと思います。
私は抗生剤の投与を止めませんでした。奥さんの論理でいくなら、私が日々行っているほとんどの治療行為を中止しないといけないことになります。脳血管障害で植物状態の患者さんの肺炎治療、老衰患者の誤嚥性肺炎の治療、食事が摂れなくなったと繰り返し入院してくる施設入所中の認知症患者への点滴・・・。皆、基礎疾患は治らないものばかりです。
しかし、奥さんの「治る見込みのある人へ医療費を回す」という考え方には、またもやはっとさせられました。こんな辛い状態で、社会全体のことを考えることができるなんて、なんという素晴らしい人なのだろうと思いました。
これは今日のできごとですが、病棟で回診中に、老人の患者さんから怒鳴られました。
「高いお金を払って入院しているのに、何もしてくれないじゃないか!こんなんだったら家に帰った方がいい」
何もしていないことはありません。毎日歩行リハビリをしています。肺炎で入院して、肺炎そのものは治ったのですが、歩行が不安定だからしっかり歩けるようになるまで入院させて欲しいというのはご家族の希望です。ところがご本人は早く家に帰りたくて仕方がないのです。「高いお金を払っている」と言われますが、この方は重度身障手帳を持っているので、支払いは食費や雑費だけです。点滴をしないから医療費がかかっていないと勘違いしているようですが、入院していること自体に医療費がたくさんかかっているのです。そのことを理解していない患者や家族が多すぎます。
薬を捨てている患者さんがいることは以前も書きました。また、現れました。「お薬を棄ててしまったから、もう一度出してください」という老人。ARBという1錠200円近くする降圧剤と、カルシウム拮抗剤という100円弱のお薬が処方されていました。1か月分、約1万円を捨ててしまったと言います。飲みたくないなら病院へ来なければいいのに、また出して欲しいと言って来るのです。
医療費は湯水のように沸いて出てくると思っている人が多すぎます。戦中戦後の物のない時代を体験してきた老人が、どうして簡単に薬を棄ててしまうのか、理解に苦しみます。医療費を無料にすると本当にタダだと思い込んでしまう人がいます。誰かが負担をしているということに考えが及ばないのです。飲んだ振りをして主治医に隠れてこっそり薬を棄てている患者は、医師の想像をはるかに超えていると思います。その総額はいったいいくらになるのでしょう。
医療費のことを何も考えない患者さんが多い中、田中さんの奥さんのような考えの方がいらっしゃることには感銘を受けました。医療資源は有限です。有効に使うためには国民自身も考えないといけません。もちろん医師自身もです。いまや、国民全員が納得のいく持ち分を得るというのは不可能な時代に来ているのだと思います。懸念されるのは国民による医療資源の奪い合いです。自分のために医療費をくれくれと言うばかりではいけないのではないでしょうか。限られた資源は譲り合う、それが美しい日本のあり方ではないかと思います。しかし現実には難しいでしょう。現に、こういうことを書くと喧嘩腰のコメントが来ますので、医療費のことはこれくらいでやめておきます。
田中さんの話にもどります。家に連れて帰って介護したいという奥さんの希望はかなうことなく、田中さんは病院で静かに息を引き取られました。眠るように、穏やかな死を迎えました。入院中、泣いてばかりいた奥さんは、最期までやはり泣いていました。
それから何年経ったでしょう。病院の廊下で田中さんの奥さんとすれ違いました。
「先生!」
田中さんは元気に声をかけてくださいました。
「先生、私、ハワイに行ってきたんですよ。お父さんが死んでから1年くらいは家に閉じこもって泣いてばかりいたんですけど、いつまでもそんなふうじゃ、お父さんも喜ばないと思って」
田中さんは笑顔で言いました。でも、話しているうちに瞳に涙がうっすらと光るのが見えました。
「そうよ!そうこなくっちゃね」
ご主人の分もたくさん旅行して楽しんで・・・そう言おうと思いましたが、田中さんの涙が瞳から溢れ出すといけないので、心の中だけに留めました。
おわり
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コメント
コメント一覧
これから自分のブログにとりかかります。
志村建世
~志村建世さん、トラックバックありがとうございました。本当は私も患者さんに胃ろうなんて造りたくないのです。
ブログにコメント残してきました。
春野ことり
(今の役人や政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたい)
たぬくまぞうさん
~たぬくまぞうさん、コメントありがとうございます。
本当に素敵なご夫婦でした。辛い状況なのに他人のことまで考えられるこの奥さんには頭が下がります。
春野ことり
贅沢を言っているわけではなく、あと少しだけ時間がほしいと思う患者も
自分が使っている医療費と、見込みのない医療のはざまで揺れているんです。
その医療においても、モノとして扱われている悔しさを抱えながら。
~コメントありがとうございます。
>やっぱり死ぬしかないのですか、治らない患者は・・・
人間は誰でも死にます。
>自分が使っている医療費と、見込みのない医療のはざまで揺れているんです。
実際、医療者は目の前の苦しんでいる患者を助けるときに医療費がいくらかかるかなんて考えないものです。
>モノとして扱われている
この意味がよくわかりません。
春野ことり
(買っていません、ゴメンナサイ)
私のスタンスを、失礼ながら志村建世さんのブログの方へコメントさせて
頂きました。
これからも、先生の心温まるご意見を拝読し応援しています!
追伸:ニックネームは私が主治医だった心臓手術を経験された同素の先輩 外科医からの心温まる応援のエールです!
頑張れ天草四郎
~頑張れ天草四郎様、コメントありがとうございます。
天国へのビザをお読みいただき、ありがとうございました。
御殿場の病院の医局に置いてあったのですか。なんだか感激です。
志村さんのブログでのコメントも拝読しました。
応援、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
先生も第一線の心臓外科医として頑張ってください。応援しています。
春野ことり
ごくごく当たり前のことで、みんな知っていることです。その際にどこまでするか、また自分の身に起こったととき、どこまでして欲しいのか?
もしかしたら、この話に登場する田中さんの奥さんの言葉は、
「もうこれ以上、主人を苦しませて欲しくない。だから治療はいらない、して欲しくない」
という意図を担当医に伝えたかった、ということではないでしょうか?もちろん、ストレートにそんなこと言えないので、医療費と絡めて・・・。考え過ぎですかね・・・(━_━)ゝウーム
風はば
~風はば先生、コメントありがとうございます。
田中さんの奥さんは「もうこれ以上、主人を苦しませて欲しくない。だから治療はいらない、して欲しくない」とも考えたと思います。しかし、肺炎の治療をしないことも苦しいのです。バンバン熱が出てドロドロの痰がひっきりなしに出ているのをただ見ているのも苦しいです。抗生剤を投与してそれを抑えてあげられたら本人も見ている方も楽になります。
田中さんはとてもまじめな人なので基礎疾患が治らないのに医療費を使うことに引け目を感じたようです。しかし、実際に抗生剤を止めるかというと、その決断もできなかったと思います。だからこの場合は「医療費なんて気にしなくていいんですよ」と言ってあげることが、一番田中さんを楽にしてあげられるのだろう、と考えました。
患者や家族の言葉の裏側に、どんな答えを期待しているかを読み取るのはなかなか難しいですね。
春野ことり
ここ数日の暖かさで、いろいろな花が咲き始めました。生命の息吹を感じる季節です。反対に、落ち葉が散る季節はなんだか物悲しく感じる方が多いと思いますが、私は、「葉っぱが枯れて落ちる」という植物に備わった機能はすごいものだとつくづく思います。どうして、ちゃんと季節になると自ら枯れていくことができるのだろう・・・と。
私は毎日新生児と接しているので、この春のような生命の躍動感に元気をもらえる仕事ですが、生命の誕生の際にも、ひっそりと役目を終えて枯れていくものがあることにいつも感動しています。10ヶ月胎児を守り育てていた胎盤は、児娩出後にきれいにはがれて胎外に出ていきます。
人の体にも、ちゃんと時期がくると枯れていくことができるのは恵みなのだと思えるようになりました。
田中さんの奥さんの「輸血は・・・」の言葉の後ろには言葉にならないたくさんの思いがあって混沌としていたのではないかと思いますが、きっとこの「時」を感じられていたのではないかと思います。そして、ことり先生もその気持ちに寄り添っていてくださったのでしょう。
いろいろな方のコメントも、また考える良い機会になりました。
コメントさせていただくのは初めてです。
実は私も、何十年か先に妻と旅行三昧することが夢です。
でも、一緒にという夢が果たせなかったら、せめて妻には旅行三昧して欲しいです。
田中さんの奥さんが立ち直ってくれて本当によかったと思います。以前、肺炎の患者さんがいらっしゃいました。軽快と増悪を繰り返し、最後には、亡くなってしまいました。元気なときも、症状が悪いときも、ずっと付き添っていた旦那さんがいました。奥様を病院でお見送りした日、私たちにも感謝の言葉を伝えてくださった後、病院内で倒れられ、心筋梗塞で亡くなりました。一緒に生きたかった?一緒に逝きたかった?幸せは人それぞれかもしれませんが、田中さんの奥さんには、これから旅行三昧して欲しいと思います。
整形外科医として、田中さんの病状の悪化(肺炎、褥瘡などの併発)が、骨折を契機にしたものではないかと心を痛めます。
おそらく、転移性骨腫瘍に伴う、病的骨折でしょうか。
保存的にみるか、手術するか、本当に難しいですよね。どちらを選択したこともありますが、本当にそれで良かったのか・・・いつも迷います。助けてくれるのは、患者さんや家族の感謝の言葉であり、経験豊富な上司の助言でもあります。
ちなみに、全身状態が許せば、その後の合併症や看護のことを考えて、手術を勧めます。最近、インフォームドコンセントとしょうして、患者さんや家族に決定権をゆだねることもありますが、それは酷だと思います。先生がされた、抗生剤の投与にしてもそうだと思いますが、医師側がある程度の責任をもって治療方針を示す必要はあると思います。最近は、良かれと思ってしたことが仇となって返ってくることもあるので難しいですが・・・
長々と申し訳ありませんでした。
今後も楽しみに読ませていただきます。
生命って不思議ですね。毎日、新しい命の誕生に触れられるお仕事、大変だとは思いますが、それ以上に得られる喜びも大きいのだと思います。
赤ちゃんが誕生し、その役目を終えると胎盤はきれいに剥がれおちる、神秘的ですね。私は自分の出産の時に胎盤を見ていませんが、見せてもらえばよかったな・・・と今思いました。
葉っぱが枯れて落ちて、また新しい芽が出る。本当に「自然」は不思議です。人間も自然の一部なのだということを時に忘れてしまいますが、フィッシュさんのコメントで気付かされました。
ありがとうございます。
病院に勤めていると、いろいろなドラマに出会います。仲の良いご夫婦の片割れが亡くなると間もなく残された方も亡くなるということはたまにありますが、お見送りした当日に、という経験はさすがにありません。よほど強い絆で結ばれていたのでしょうか。ある意味、うらやましい夫婦の姿です。
田中さんの骨折に関する専門的コメントもありがとうございます。末期癌の患者さんの骨折の治療も、本当に悩ましいですね。これという決まった答えはなく、症例ごとに悩みながら決定していくしかりませんね。先生が仰るように、医師は患者や家族に方向性を示してあげなければいけないと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
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