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2008.03.18 03:29 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  連載  |  春野ことり  | 推薦数 : 8

輸血して何になるの③ 完結編

 

「お父さんに医療費を使ってもらったら申し訳ないわ。だってどうせ治らないんですもの。医療費はもっと治る見込みのある人のために使ってあげて」

「そんな・・・」

 

 私は言葉に詰まりました。こんなことをご家族から言われたのは初めてでした。

 奥さんから言われた言葉は鮮明に覚えているのですが、実は、自分が何と答えたのかをはっきり覚えていません。

「医療費のことなんて、気にしなくていいんですよ」

おそらくそのようなことを言ったのだと思います。

 私は抗生剤の投与を止めませんでした。奥さんの論理でいくなら、私が日々行っているほとんどの治療行為を中止しないといけないことになります。脳血管障害で植物状態の患者さんの肺炎治療、老衰患者の誤嚥性肺炎の治療、食事が摂れなくなったと繰り返し入院してくる施設入所中の認知症患者への点滴・・・。皆、基礎疾患は治らないものばかりです。

 しかし、奥さんの「治る見込みのある人へ医療費を回す」という考え方には、またもやはっとさせられました。こんな辛い状態で、社会全体のことを考えることができるなんて、なんという素晴らしい人なのだろうと思いました。

 

 

 

 これは今日のできごとですが、病棟で回診中に、老人の患者さんから怒鳴られました。

「高いお金を払って入院しているのに、何もしてくれないじゃないか!こんなんだったら家に帰った方がいい」

 何もしていないことはありません。毎日歩行リハビリをしています。肺炎で入院して、肺炎そのものは治ったのですが、歩行が不安定だからしっかり歩けるようになるまで入院させて欲しいというのはご家族の希望です。ところがご本人は早く家に帰りたくて仕方がないのです。「高いお金を払っている」と言われますが、この方は重度身障手帳を持っているので、支払いは食費や雑費だけです。点滴をしないから医療費がかかっていないと勘違いしているようですが、入院していること自体に医療費がたくさんかかっているのです。そのことを理解していない患者や家族が多すぎます。

 

 薬を捨てている患者さんがいることは以前も書きました。また、現れました。「お薬を棄ててしまったから、もう一度出してください」という老人。ARBという1錠200円近くする降圧剤と、カルシウム拮抗剤という100円弱のお薬が処方されていました。1か月分、約1万円を捨ててしまったと言います。飲みたくないなら病院へ来なければいいのに、また出して欲しいと言って来るのです。

 医療費は湯水のように沸いて出てくると思っている人が多すぎます。戦中戦後の物のない時代を体験してきた老人が、どうして簡単に薬を棄ててしまうのか、理解に苦しみます。医療費を無料にすると本当にタダだと思い込んでしまう人がいます。誰かが負担をしているということに考えが及ばないのです。飲んだ振りをして主治医に隠れてこっそり薬を棄てている患者は、医師の想像をはるかに超えていると思います。その総額はいったいいくらになるのでしょう。

 医療費のことを何も考えない患者さんが多い中、田中さんの奥さんのような考えの方がいらっしゃることには感銘を受けました。医療資源は有限です。有効に使うためには国民自身も考えないといけません。もちろん医師自身もです。いまや、国民全員が納得のいく持ち分を得るというのは不可能な時代に来ているのだと思います。懸念されるのは国民による医療資源の奪い合いです。自分のために医療費をくれくれと言うばかりではいけないのではないでしょうか。限られた資源は譲り合う、それが美しい日本のあり方ではないかと思います。しかし現実には難しいでしょう。現に、こういうことを書くと喧嘩腰のコメントが来ますので、医療費のことはこれくらいでやめておきます。

 

 

 田中さんの話にもどります。家に連れて帰って介護したいという奥さんの希望はかなうことなく、田中さんは病院で静かに息を引き取られました。眠るように、穏やかな死を迎えました。入院中、泣いてばかりいた奥さんは、最期までやはり泣いていました。

 

 

 それから何年経ったでしょう。病院の廊下で田中さんの奥さんとすれ違いました。

「先生!」

田中さんは元気に声をかけてくださいました。

「先生、私、ハワイに行ってきたんですよ。お父さんが死んでから1年くらいは家に閉じこもって泣いてばかりいたんですけど、いつまでもそんなふうじゃ、お父さんも喜ばないと思って」

田中さんは笑顔で言いました。でも、話しているうちに瞳に涙がうっすらと光るのが見えました。

「そうよ!そうこなくっちゃね」

ご主人の分もたくさん旅行して楽しんで・・・そう言おうと思いましたが、田中さんの涙が瞳から溢れ出すといけないので、心の中だけに留めました。

 

 

 

おわり 

 

 

なかのひと

 

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