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もうずっと前のことです。患者さんのご家族の言葉に、はっと気付かされた経験を書きたいと思います。
田中さん(仮名)夫婦はとても仲のよいご夫婦でした。奥さんは私の勤務する病院の事務職員でした。ご主人はとても健康に気を遣われる方で、毎年胃カメラの検査を受けていました。
定年を目前にした年の胃カメラで、ご主人に早期胃がんがみつかりました。「早く見つかってよかった」ご主人はそう言って手術を受けました。みんながそう思いました。
田中さんは定年退職したら、奥さんの定年を待って、夫婦で旅行三昧したいと言っていました。一年後には奥さんも退職しました。これから二人で楽しく旅行三昧の生活をするはずでした。しかし、ある日
「先生、主人が急に歩けなくなって、吐き続けているんです。診てもらえませんか」
田中さんの奥さんが、ご主人を車椅子に乗せて私の外来へ連れてきました。頭のCTを撮ると、ご主人の脳室は拡大し、水頭症になっていました。田中さんは大学病院の脳外科に入院することになりました。
しばらくして、脳外科の医師から、田中さんの脳脊髄液の細胞診で腺癌が出たと連絡がありました。おそらく胃がんの転移だろうと言われました。
「早期だったはずなのに・・・」
結果を聞いた私は、落胆しました。脳脊髄液から癌細胞が出るということは、末期的であることを示します。
その後、大学病院に入院している田中さんのところへお見舞いに行きました。田中さんは手が震えて箸が持てず、歩くこともできないと言っていました。
田中さん本人は、脳脊髄液から癌細胞が出たことは知らされていなかったと思います。
私は「リハビリ、頑張ってください」と言い、田中さんの前に右手を差し出しました。癌の末期の患者さんに頑張れというのは残酷と分かっていながらも、他に言葉が見つかりませんでした。田中さんは無言で、私の手をぎゅうと力強く握りました。奥さんは田中さんの横で涙をこらえながら立っていました。
その後、田中さんは悲惨な経過を辿りました。田中さんは結核に感染してしまい、大学病院から結核病棟のある病院へ転院しました。
転院先の病院へまたお見舞いに行きました。最初の水頭症の診断から何ヶ月も経過していました。
田中さんは変わり果てた姿になっていました。もともと恰幅のよかった田中さんはやせ細り、うつろな瞳でベッドに横たわっていました。
「田中さん」と呼びかけると、かすかに眼をこちらへ向けました。以前の元気だった頃の田中さんを思い出すと、涙が出そうになりました。
奥さんは「わざわざ来てくださってありがとうございます」と言って、ポロポロと涙をたくさん流しました。それに釣られて、私もこらえていた涙を流しました。
田中さんは結核の治療が終わり、私の勤務する病院へ転院してきました。
もはや、田中さんは呼び掛けても、瞳すら動かすことはありませんでした。
食事を口から摂ることができないため、中心静脈栄養を受けていました。奥さんと相談して、胃ろうを造ることになりました。奥さんは、落ち着いたら自宅へ連れて帰って介護をしたいと言いました。
奥さんは毎日病院に来て、いつもご主人の横にいました。編み物をしたり、読書をしたりしながら、何も言葉を発しないご主人にいつも寄り添っていました。私が回診に行くと、いつも瞳を潤しました。
ある日、看護師から田中さんの大腿部が腫れているから診てほしいと連絡がありました。レントゲンを撮ると大腿骨がボッキリと折れていました。いつ折れたのかもわかりません。通常ならばかなり痛いはずですが、田中さんは無表情で、痛みを感じているかどうかも分かりません。
田中さんの顔色が悪いことに気づいた私は採血をしました。血色素がいつもの約半分の5g/dlになっていました。
「輸血をしましょう」
私は奥さんに言いました。輸血を行うのが当然だと思っていました。奥さんは同意するものと思い込んでいました。ところが奥さんは言いました。
「輸血して何になるっていうの」
それは、心の奥底から絞り出すような声でした。
つづく
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