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2008.02.08 23:40 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  医療事故  |  春野ことり  | 推薦数 : 6

海堂先生、素敵です!

 
チーム・バチスタの栄光
「チームバチスタの栄光」が、映画化されるそうですね。

著者の海堂尊先生のホームページ、素晴らしいです。ぜひ、多くの方々に読んでいただきたいです。

 http://tkj.jp/kaidou/news01.html

以下 2008.01.31【海堂ニュース! 12】映画『チームバチスタの栄光』についてよい抜粋

 

今、医療現場は傷ついている。傷つけられている。好意で行った良い結果はあまり(というかほとんど)取り上げられず、ミスをすれば徹底的に叩かれる。先日、道路財源を守るために国会議員が総決起集会を開いていました。道路を作るお金を守るためには、あれだけの熱意が現れる。司法試験合格者が予定より増えてしまいそうだから、減らしていこうなんて動きもある。何だ、必要なところには救いの手が差し伸べられる社会なんだ、と思います。それなのにどうして、医療現場が悲鳴を上げていても社会は、メディアは、こんなにも冷淡なのでしょう。
 恩着せがましくするつもりは毛頭ないのですが、市民の皆さんはあまりにも恩知らずではないでしょうか。病気の時にはすがりつくけれど、その時に助けてくれた医療が困っている時に恩返しする、という発想がどこからも聞こえてこないのはなぜでしょう。たとえば文壇の反応は市民社会の象徴です。彼らも病気をすると医療にすがるのに、社会復帰したとたん、医療の勉強をしようともしないし、医療小説をトピックにしようともしない。医療小説ならすべて文壇で評価せよ、というのではありません。要はバランス、社会全体への目配りが悪いのではないか、ということなのです。今の社会は、自分が困った時には医療に助けを求めるけれども、医療自体がどうなろうともどうでもいいと考えているのではないか。そうしたことは同時に、偏向したメディア報道などで助長されている気がします。
 医師は助ける役だから、人を助けていればいい。そう考えるから、困っている医師を助けようという発想が出てこないのです。医師は金持ちだから助けなくていい、と考えるのは、メディアに誘導された虚像に冒され過ぎている。医師には金持ちの医師もいるし、貧乏な医師もいる。官僚だって低賃金だとよく言われますが、天下り後の高賃金とセットにすれば、大した違いはないでしょう。いや、リスク関連まで考えると、医師よりもはるかに高給取りです。つまり、医師だって市民社会の構成員のひとりにすぎないのです。
 こんな当たり前のことを声高に言わなければならないとは、いやはや、何とも貧しい話です。こんなメディアの流れの中に、文壇世界も当然含まれています。その流れを変えるために、私は、文壇のさまざまな媒体(小説誌など)に、医療小説特集を組んではどうか、と提案しています。そうした提案は、文壇の人たちの協力がなければ成立しません。これは文壇の、医療に対する意識レベルと認識レベルを測るソナー。結果が楽しみです。

 医療従事者は、訴えたいことを我慢している。いい医師ほど、人々を助けるために忙しすぎて、自分のことを社会に向かって語ることができない。だから、ハンチクな医者である私がこうして代弁している。
 私の語る本音は、かなりの部分、医療従事者の本音です。私は作家ではなく、医者です。古代中国では、医者は患者を直すだけではなく、社会を直す役割がある、とされていました。名医を国手、と呼ぶのはそのためです。今の社会は、まさしく医師の治療が必要になった社会。だが今、治癒させる役割を担った医療自身が瀕死の状態で傷ついている。なのに非情な法律を遵守する官僚は、医療に対して手当をせず、ひたすら市民に対する義務を遂行せよ、と連呼し続けます。
 市民のみなさん、医療のリハビリに御協力下さい。まず第一歩としてこの映画を見て、少しでも医療のことを考えるきっかけにして欲しいのです。
 エンターテインメントが成立するのは、楽しむ人たちが健康だからです。緊急時には、エンターテインメントなんて吹っ飛んでしまいます。私はエンターテインメントを楽しめる社会に住み、楽しい人生を送りたい。だからこそ今、エンターテインメントの世界でも少しだけ、医療について考えてもらいたいのです。
 この映画は誠実に、作品の一番の魂を実写化してくれている。ですからこの映画は間違いなく、『チームバチスタ』の血脈です。そしてこの映画は市民のみなさんに、問いを突きつけているのです。「栄光のチームバチスタを壊したのは誰か」
 それは、必要な時には頼るくせに、必要がなくなると無関心に事態を座視している市民の皆さんです。
予告編では竹内さんと阿部さんがスクリーンの観客に向かって、この謎を解くのはあなた、と指さしました。あれは実は、犯人はあなた、とみなさんを指さしていたのです。この映画は、初めの予告編から正々堂々とネタばれをしていた、というわけです。
 医師の増員を、医療費の増額を、医療現場は求めています。通常の医療を行うためには、これは必須の手当です。そしておそらく、市民もそれを望むことでしょう。となると当面のわかりやすい敵は、医療費を抑制している財務省の人々、あたりでしょうか(笑)。
 市民社会の敵は、みんなではっきり認識しましょう。
 官僚は「医療費亡国論」という論陣を1983年に打ち、その基本方針を四半世紀経った2008年の現在も堅持しています。私は彼らに言いたい。人々が病んでいるなら、医療費で亡国したっていいじゃないか、と。市民ひとりひとりが幸せに暮らせるように、そのために我々は税金を収めているのではないか、と。
 人々を救う医師が、多少ゆとりのある生活を送れるように制度設計するのは、当たり前の社会の義務ではないでしょうか。その費用は、賄賂にまみれた官僚のトップ事務次官に払っていた給与よりは、社会的にははるかに妥当な支払いのはずです。官僚は、汚職まみれの自らの組織を自浄しようとしないくせに、医療事故調査委員会の設置などという、医療現場の自浄作用を強制しようとしている。モラルの高い集団、医療が、モラルの低い集団=官僚組織から指導を受けるというエキセントリックな国、それが現在の日本のいびつな姿なのです。そしてメディアはその言葉を無批判に垂れ流すことで、その傾向を助長している。
 たとえば、 朝日新聞は1月28日の社説で、「医療の平等を守り抜く知恵を」なる中で、「医師は毎年四千人ずつ増えているが、人口千人あたりの医師は二人で、このままいくと先進国で最低になる。医師の要請には10年かかる。早く取りかからなければならない」といいながら、それに対しては何の保証もせず、「医師は収入が高く、社会的な地位も高い。たとえ公立病院に勤務していなくても、公的な職場だ。自由に任せていては、医師の偏在は解消できない」として、「診療科ごとの養成に大枠を設ける。医師になってからは一定期間、医師の少ない地域や病院で働くことを義務づける」ということを、「希望社会への提言」として上げています。
 だが、メディアはかつて、新医師臨床制度が施行されたときに、医師が自由な意志で研修することを素晴らしいことだ、と賛美していました。新医師臨床制度を容認したのであれば、上の論調は無責任です。上記のような調整機能を果たしていたのが、メディアが悪者視していたかつての大学病院の医局でした。その医局制度を古めかしい組織だと攻撃していたのが、かつてのメディア報道の基調だったはず。このようにメディアは自己検証をせずに無責任な発言をし続けている。
 今の医療の大問題のひとつは地域偏在です。その傾向を極度に推進したのは、官僚が推進した、新医師臨床研修制度なのです。
 1月30日付け朝日新聞朝刊一面では、「開業医再診料下げ断念、医師会の反発を受け」と報じている。まるで、開業医を悪者扱いです。勤務医が激務で低い賃金だから、儲けている開業医から回すべきだ、というこの考え方は、かつて大学医局が悪い、とステレオタイプで断じたメディアと本質は何も変わらない。解決策は簡単で、開業医への支払いはそのままで、勤務医への支払い増を行うべきです。勤務医の初診料を開業医なみに引き上がればいいのです。医療費抑制という大前提に疑問を呈さないから、このような議論になってしまう。だけどこんなことをやっていたら、今度は、開業医が医療現場を逃げ出すでしょう。逃げ出したくなくても、良心的な医療をしていると儲からないので、潰れてしまい、結果的に退場することになります。医療を内部分裂させ、弱者にして虐めるのは、もうヤメにしませんか? その結果、市民の皆さんが困ることになる、ということに、まだ気がつかないのですか。
 記事はいいます。「外来の初診料は勤務医570円に対し、開業医は710円。患者は自己負担が少なくて済む病院を選ぶ傾向が強まり、勤務医の過重労働につながっているという批判がある」。この議論に従うならば、勤務医の外来初診料を710円にあげて水準を合わせる、とすれば、勤務医の負担を減らす同様の効果があるではないですか。初診料というのは、弁護士で言えば、コンサルタント料に相当します。たった710円を惜しんで、医療の低水準化に拍車をかけるのは、「安物買いの銭失い」になりかねません。
 厚生労働省は、勤務医不足対策の必要財源を1500億円と試算したそうです。どうして、役人の天下り法人のバカ高い費用を削りそれに充てるという算段ができないのでしょう。どうして医療費の内部でやりとりしなければならないのでしょう。お年寄りの人口が増え、医療費は自然増して当たり前。それなのになぜ、官僚は医療費の抑制に走っている自分たちの根本政策が悪いと気がつかないのか。そして優秀であるはずのメディアがなぜ、こんな簡単なことを指摘できないのか。

 医療を不当にいじめ続け、官僚たちの不適切な医療行政を座視し続ければ、結局そのツケは市民のみなさんに戻ってきます。たとえば地方医療が崩壊したのは、まさに無責任な医療行政の、中途半端な介入のせいです。今や事態は絶望的にすら見える。
 だが、それでもこの映画には希望がある。市民のみなさんが、医療に対しどう答えて欲しいのか、医療現場からの願いがこめられている。そしてその希望の象徴が、主役の竹内結子さんの笑顔なのです。
 私はこの映画のシナリオに指一本、触れていません。私が一カ所だけシナリオ変更を要求した部分は、今、市民の人たちの目に触れにくいところで、「医療事故調査委員会」なる新たなる組織がきわめていい加減に作られてしまいそうなのですが、このままだとその流れを助長してしまいそうだ、と危惧したからです。この「医療事故調査委員会」なるものは、もしも今のまま成立したら、これまで以上に医療現場に混乱をもたらし、医療崩壊に拍車をかけるものです。ですから危機感がありました。私の要請は、現場からの直接的な反抗を示す場面をワンショット、あるいはひとつのセリフを追加してほしい、というものでした。クリエーターとしての要請ではなく、一医師としての要請でした。その変更要請はあいにく受け容れてもらえませんでしたが、かわりに私の依頼はラストシーンに隠喩として組み込まれています。直接的な願いは、部分的に叶わなかったわけですが、でもそれは全体からみれば、些末的なことです。

引用ここまでーーーーー

 

 

さすが、プロの文筆家の文章だけあって、読んでいて気持ちがいいです。

 

m3でせっせとブログを書いても、m3ブログの読者はほとんどが医者か、医療に関心を持っている一部の市民だけだと思うので、医療に関心のない一般市民の皆様に医療界の悲鳴を届ける効果は高くないでしょう。

でも、文壇の新星である海堂先生がこうして世に訴えてくださることは、大きな効果があるでしょう。

 

バチスタ三部作の『ジェネラル・ルージュの凱旋』は救急医療現場の悲惨さを伝えたくて描かれたそうです。

すみません、「チームバチスタの栄光」は初版で買って読みましたが、「ナイチンゲール」と、「ジェネラル・ルージュ」はまだ読んでいません。

読みます!

 

なかのひと

 

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