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2008.02.26 23:05 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  医療事故  |  春野ことり  | 推薦数 : 16

亀田テオフィリン訴訟

連載の途中ですが・・・

 

2月24日、東大医科研で亀田テオフィリン訴訟の事例を医学的に検討するオープンカンファレンスが行われました。

ロハス・メディカル ブログにその傍聴記が記されています。

亀田訴訟、国民は怒るべきだhttp://lohasmedical.jp/blog/2008/02/post_1088.php#more

以下、要約

 

2001年1月1日に、17歳の気管支喘息を有する患者が、亀田総合病院で亡くなった。

民事裁判となり、2007年12月13日に東京高裁判決が出て、病院側が負けた事例

 

 

2001年1月1日、午前4時30分に患者は悪心嘔吐で救急外来に歩いて受診。
当直医がたまたまその患者が入院していた時に知っていたため思い付きでテオフィリン濃度を測定し、中毒に気づいた。

 

テオフィリンの血中濃度は103.5μg/ml だった。(ガイドラインによる治療域濃度は5〜15μg/ml)

その後、検査室にストックしてあったものを調べたら
12月11日以降は、ほぼ血中濃度がゼロ。
血中濃度が突然高くなったのは真相は分からないが
ある程度まとまった量を飲んだとしか考えられない。
計算してみると、少なくとも45錠を一度に飲んだことになる。
(この時の処方量は1回6錠)

 

担当医は、脱水治療のために点滴を開始した後、腎臓内科に血液吸着を依頼
午前9時20分には活性炭で胃洗浄を行った。

血液吸着を始めるとカラム内で2回凝血した。
最初は抗凝固剤としてフサンを使用した。
2回目はヘパリンを用いた。
(最初にフサンを用いたのはテオフィリンは胃酸の分泌を亢進させることが知られておりテオフィリン中毒の剖検例では大量の消化管出血を認めた例があるため。
しかも胃洗浄で血液混じりの回収液があった。
このため最初から多い量のヘパリン投与は危険と考えた。)

 

血液吸着後、テオフィリン血中濃度は62.88まで下がった。
できれば40位まで下げたいということで
透析をしようと準備していた午後4時20分に全身痙攣を起こした。

挿管して人工呼吸器装着
午後4時45分に鼠径部からCVカテーテルを挿入した。
この際、カテーテルが血管内に留置されているか確認するため注射器を引いたところ、血液の逆流は確認できたものの
その血液が注射器の中ですぐに固まった。
すぐ直後に膀胱からも肉眼的血尿が認められるようになっており
先ほどの血液吸着の時と併せて同時に3カ所で凝固異常が起きていた。

これらから、カテーテルの挿入時には既に凝固異常があったと確信できる。

 

午後6時12分に脳出血、肺塞栓症の有無を確認するため
CTを撮影。
脳出血も肺塞栓もなかった代わりに
後腹膜内に出血していることが分かった。
入院時14あったヘモグロビン濃度も6.4まで下がった
このため輸血をオーダーするとともに
循環血液量を保つためアルブミン、ヘスパンダーの輸液を開始。
その量およそ9リットル。

午後8時35分 輸血開始

輸血が遅れた理由は血液凝固異常のために血清が取れず
血液型を決められなかったため。
(今は血漿から決められるようになっているが
当時の亀田総合病院では血清を用いて決定していた。)
さらにクロスマッチ時にフィブリンの凝固塊が形成され
判定できなかった。

そうこうしているうちにヘモグロビンが2.9まで下がったため
クロスマッチなしに5分間で24単位輸血した。
しかし午後8時40分、心停止した。

 

剖検の結果、肺鬱血が著明であり、
死因は急性心不全、ポンプ機能不全が挙げられている。

 

以上を報告した、本島新司・亀田総合病院呼吸器アレルギー科部長の締めの言葉

 

「最後に申し上げたい。
元旦という最も条件の悪い時に
担当医および協力した他科の医師たちは可能な限り治療を行った。
担当医は12月31日夕方から1月2日早朝まで寝ずに働いた。
その瞬間瞬間の判断に大きなミスはないと思う。
しかし救命できなかった。
私にはテオフィリン中毒が死因としか思えない。
次に同じ患者さんが来た時に私たちはどうすればよいのか。
判決に矛盾が多すぎ、仮定の上に組み上げられた空論が多すぎる。
今回のような事例はヒトで実験するわけにいかないのだから
世の中には分からないことがたくさんあることを認めていただかないと
医療は成り立たない。
さらに今回は異状死として警察へ通報したにもかかわらず
警察はまったく反応がなかった。
このために病院の中で病理解剖されることになった。
うちの病理解剖では血管は傷ついていないという所見だったのに
判決中では全く無視された。

これが司法解剖されていれば判決は違ったのでないかと残念だ」


 ロハス・メディカルの川口氏はこう結んでいる。

全国で救急医療の崩壊が起きている背景に
こんなトンデモない訴訟があったこと
それなのに今までほとんど国民に知らされていなかったこと
何より多くの人が被害を被っていること
もっと国民は怒るべきだ。
明日は我が身かもしれないのだから。

 

 

***

 

いかがでしょうか。

テオフィリン血中濃度がなぜあのように高濃度になったのかは不明ですが、自殺説なども浮上しているようです。そのような説は亡くなった患者さんへの名誉毀損と取られる可能性があります。

しかし、テオフィリン血中濃度が異常に高くなっていたのは事実です。大量に服用しなければ、血中濃度は上がらないはずです。

裁判ではそのことには触れられず、カテーテルを挿入したときに血管を損傷したために腹腔内出血がおこったことが死因とされ、病院が敗訴しました。

病理解剖では血管は傷ついていないという所見だったのに判決中では全く無視されたのです。

異状死と病院側が警察に届けたのに司法解剖されず、病院側の病理解剖の結果は法廷で無視される。

それならば私たち医療者はどうすればいいのでしょう。

 

 

このような裁判がまかり通るのであれば、医療行為をやめざるを得ないと私は思います。

 

参考:新小児科医のつぶやき 2007-12-25 千葉亀田事件控訴審判決文

 

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2008.02.25 23:25 |  診療  |  仕事 / 職場  |  連載  |  春野ことり  | 推薦数 : 3

格子戸を開けて①

 数年前から80代の文代さん(仮名)の訪問診療を担当しています。

 文代さんはご主人に先立たれて一人暮らしです。息子さん夫婦は近くに住んでいますが、同居はしていません。

 文代さんの家は古い家で、玄関の扉は格子戸です。呼び鈴はありません。私はいつも、鍵がかかっていない格子戸をガラガラッと開けて、

「こんにちはー!文代さん。○○病院ですー。おじゃましますよー」

と大きな声で言うと、返事を待たずに勝手にヅカヅカと家に上がります。

 文代さんはいつも奥の部屋で横になっています。冬はダウンベストを着てこたつに入って、夏は木綿のワンピース1枚でベッドの上で扇風機の風に当たっています。

私が入っていくと、文代さんは即座に起き上がります。

「先生、よう来てくださった。先生、ようこんな汚い所へ来てくださった。ありがたい、ありがたい」

 文代さんは私の前に正座をすると、手を合わせます。そして、いつも泣き始めます。

「先生、よう来てくださった、よう来てくださった・・・ううう」

 文代さんは認知症です。ケアマネージャーやソーシャルワーカーなどが息子さんに文代さんを施設に入れることを勧めても、息子さんは施設に入れると認知症がひどくなると決めつけ、同意しないのだそうです。

 毎日、ヘルパーが文代さんの食事の支度をしに来る他、訪問看護やデイサービスなど色々な福祉サービスが介入し、何とか一人暮らしを続けられています。

 私は月に2回文代さんの訪問診療を行っています。

私が行くと文代さんはいつも寂しい、寂しいと言って泣きます。

「先生、うちは男の子しかおらんから、寂しいのや。男の子は話し相手になってくれんし」

「そうですか。うちも男の子しかいないんですよ。」

「ほう!そうかね。先生のところも男の子しかおらんのかね」

毎回同じ会話をするのですが、認知症の文代さんはいつも初めて聞くようなリアクションをします。

「いつも息子から叱られる。もっとしっかりせなあかんって」

 息子さんは詳しくは書けませんが、立派な肩書を持つ方です。

 

「寂しい、寂しい。早く逝きたい。いつになったら死ねるんやろうか」

文代さんはいつもこう言って泣きます。

息子さん夫婦と一緒には住まないのかと聞くと、

「嫁も仕事をしているから、同居しても昼間は一人なんや。それやったら、慣れたこの家におる方がいいんや」

と答えます。

 

 文代さんの診察を終えて帰るまでには、いくつかの儀式があります。

まず、文代さんは財布から2千円を取り出して私の手に握らせようとします。金額はいつも2千円と決めているようです。

1回の訪問診療の自己負担金は五百円です。私が「おうちの人からちゃんといただいていますから」と断ると、文代さんは怖い顔でこう言います。

「これは先生たちのお茶代や!」

 文代さんは、お金を受け取るまで私と看護師を絶対に帰してくれないので、無駄な抵抗をやめて、「ありがとうございます」とすんなり受取ることにしています。お金は事務の会計に預けて、ご家族が医療費の清算に来た時に返してもらいます。

 一度、文代さんのお財布に1万円札しか入っていなかったことがありました。文代さんは1万円札を私の手に握らせてきました。要らないと言っても、文代さんは絶対に引き下がりません。どうせご家族に返すのだからと、私は1万円を「ありがとうございます」と頭を下げていただき、病院に帰った後、いつものように会計に預けました。

 その後しばらくして、文代さんが押し車を押して歩いて病院までやってきたそうなのです。そして、「さっきの1万円を返してくれ」と看護師に言ったそうです。事情を知っている看護師は、会計に預けた1万円札を文代さんに返すと、文代さんはまた歩いて帰って行ったそうです。文代さんの家から病院まで、文代さんの足では20分はかかるでしょう。日ごろ歩かないけれど、目的のためには歩けてしまう。これも、認知症のなせる業です。

 さて、診療後の儀式に戻りますと、文代さんは私にいつもの2千円を握らせた後、いつも玄関まで見送ってくれます。そして、

「先生、私を見捨てんと、また来てください、お願いします。お願いします」

と言って頭を床に擦りつけてひれ伏します。

私は、見捨てるわけないでしょう、また来ますよ。顔を上げてください、と言います。

玄関を出て車まで歩き出すと、文代さんは、これまたサッシではなく木枠の窓ガラスをガラガラッと開け、私と看護師に手を振ります。その手の振り方といえば、昭和天皇が一般参賀のときに、ベランダから手を振っていた姿にそっくりなのです。私たちの乗った車が去るまで、文代さんは窓からずっと手を振り続けます。

 

もう何年も変わることなくこの儀式を続けています。

ところが、ある日・・・

 

 

つづく

 

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2008.02.22 23:20 |  診療  |  仕事 / 職場  |  連載  |  春野ことり  | 推薦数 : 2

あるご夫婦の姿②

 明夫さんの奥さんは検査をしても何の異常も見つかりませんでした。

奥さんは、明夫さんの個室と廊下を挟んで向かい側の部屋に入りました。看護師が「ご主人と近くのお部屋でよかったですね」と声をかけると、奥さんは返事をしなかったそうです。更に、看護師がご主人の状態について話そうとすると、

「主人のことはもういいから!」

と遮られたそうです。

 あんなに熱心に介護していらしたのにね・・・と看護師たちは言いました。

 奥さんのこの時の状態を表現すると、ピンピンに張っていた糸がプチンと切れた、という感じでしょうか。

 

 明夫さんは奥さんのことを大変心配していました。入院してから一度も自分の病室に顔を出さないなんて、よほど状態が悪いのかと何度も聞かれました。私はそんなに心配は要りません、ただ、とてもお疲れみたいなので、ゆっくり休んだ方がよいでしょうと答えました。

 明夫さんの方はといえば、肺炎が治って歩行訓練を始めたところ、気胸を併発してしまい、胸に細い管が入れられ、またベッド上安静となっていました。

 明夫さんは車いすに乗せてもらい、奥さんの病室に行くことはできないかと聞きました。

 ところが奥さんは、明夫さんに会いたくないと言っているので、困りました。

 

 奥さんは、体中がしんどいと言い、部屋にポータブルトイレを置いてもらい、そこで用を足し、部屋から一歩も出ようとしません。

「うちは息子一人しかいなくて、息子は仕事が忙しいし、嫁は自分の親の介護と孫(明夫さん夫婦にとってはひ孫)の世話で忙しいので、何も手伝ってくれない。主人の代わりに確定申告もしないといけないし、私一人に負担がかかって、もうパニックになってしまって・・・」

 明夫さんには、奥さんが自分に会いに来ない理由が思い当たるようでした。

「私が確定申告のことで叱ったものだから・・・」

 

 明夫さんは私たち医療スタッフに対しては大変礼儀正しく、いつも感謝の言葉を忘れずにかけてくださいます。

奥さんのことも、以前、夜勤の看護師に「あいつは本当によくやってくれる」と話していたようです。

しかし、肝心の奥さんにそれをきちんと言葉で伝えていなかったのではないでしょうか。

 

 自分自身もそうなのですが、いつも一緒にいる身内に感謝の気持ちを言葉で伝えることは、気恥ずかしいものです。夫婦だから、親子だから言わなくても分かっているはずと思いがちですが、やはり時にはきちんと言葉で表さないといけません。

明夫さん夫婦を見て、我が身をも反省している次第です。

 

さて、このお二人、仲直りはいつできることやら・・・

 

 

注:個人が特定できないように実話をアレンジしています。

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2008.02.21 23:44 |  診療  |  仕事 / 職場  |  連載  |  春野ことり  | 推薦数 : 3

あるご夫婦の姿①

 70代後半の明夫さん(仮名)は肺気腫で在宅酸素療法をしていましたが、肺炎を併発し、入院しました。元々肺の機能が低下しているところに肺炎を起こしたため、呼吸不全が悪化し、食事も食べられず、ベッド上安静を余儀なくされました。

 

明夫さんの奥さんは、明夫さんが通院していた頃からいつも甲斐甲斐しく付き添い、二人はとても仲のよさそうなご夫婦に見えました。奥さんは、明夫さんが入院してからもいつもベッドの傍らに座り、食事の時間には明夫さんの食欲が沸くようにと、家から用意してきた果物や煮物などを所狭しと広げていました。

 

奥さんの献身的な介護の甲斐あって、明夫さんの状態は少しずつ改善し、食欲も出て、顔つやも良くなっていきました。

しかし、それとは対照的に、奥さんの顔に疲労の色が出るようになりました。

 

 

ある日、こんなことがありました。

私が明夫さんの個室に回診に行き、明夫さんの胸に聴診器を当てようとすると、ベッドの横にいた奥さんがすっと立ち上がり、明夫さんのパジャマのボタンに手をかけ、前を開けようとしました。

その時、明夫さんは、奥さんの手をピシャリと叩いたのです。余計なことをするな、と言わんばかりに。

奥さんはスッと手を引っ込め、明夫さんは自分でパジャマのボタンを外しました。一瞬の出来事でした。

 

奥さんは私が明夫さんに問診をしている間、黙り込んでいました。私が明夫さんの病室を出て隣の部屋の患者さんの診察に移っていた時、奥さんの声が聞こえました。

 

「もう、大っ嫌い!勝手にすればいいのよ!」

続いて奥さんが明夫さんの病室から出て行く姿が見えました。

奥さんが怒るのも無理がないと思いました。私が奥さんだったら、やはり同じように怒るでしょう。

 

それ以来、明夫さんと奥さんの喧嘩する姿をスタッフがしばしば見かけるようになりました。

それでも、奥さんは家から明夫さんの好きな食べ物を毎日持ってきて、朝早くから消灯時間まで明夫さんに付き添っていました。

 

奥さんは持病のめまいが出るようになりました。しかし外来で毎日点滴を受けながら、明夫さんに付き添い続けました。

 

私は奥さんに少し休むようにと言いました。明夫さんも奥さんに「家に帰って休むように」と言っていました。しかし、奥さんは「そうですね」と苦しそうに笑うだけでした。

 

 

ある日、回診に行くと明夫さんが言いました。

「女房のやつ、ついにダウンしてしまいました。」

病室にはいつもいる筈の奥さんの姿がありませんでした。

 

明夫さんは続けました。

「先生、女房を入院させてもらえませんか」

 

私は、診察させてもらって入院が必要な状態であればもちろん入院していただきます、と答えました。

 

その晩のうちに、奥さんはめまいがして震えが止まらないと救急外来を受診して、翌朝私が出勤するとすでに入院していました。

 

つづく

 

 

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2008.02.20 06:02 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  教育  |  春野ことり  | 推薦数 : 4

アリとキリギリス考

先週末、次男が通う幼稚園で、音楽とお遊戯の発表会があった。

次男のクラスの出し物は「アリとキリギリス」だった。

次男は立候補してキリギリス役になった。

 

夏の間、せっせと食べ物を集めるアリたち。キリギリスに 「キリギリスさんも働きなさいよ」 と言うが、キリギリスはアリをバカにして言うことを聞かず、歌を歌って遊んでばかりいた。

 

冬になって食べ物がなくなると、キリギリスはアリのところへやってきて言う。

「食べ物を一口でいいからもらえませんか」

しかしアリはきっぱりと言う。

「あなたたちは夏の間遊んでいた。あなたにあげる食べ物なんて、一口だってありません」

 

 ****

すると、私の隣でお遊戯を観賞していた、孫を溺愛する我が母が

「まあっ!!一口ぐらいあげればいいのに!ひどいわ」

 なぬ?

私は耳を疑った。日頃給食費不払い問題に関して 「給食費払わない家庭の子供に給食なんて出さなきゃいいのよ!出すから親がつけあがるのよ!」と厳しい意見を言っている母である。いつも言っていることと主張が違うではないか。

お遊戯の中とはいえ、かわいい孫のこととなると事情が変わってくるようだ。(苦笑)

 

「これが人間の世界だとねえ、キリギリスは生活保護が受けられるから、飢え死にすることはないわけよ」

私はさりげなく長男に言ってみた。

すると、小学生の長男

「今はね、ワーキングプアの人たちより生活保護の方が収入がいいんだよ。働いた方が貧乏なんて、そんなのって、おかしいよね!」

私 「うん、おかしい^^;」 

 

母 「ああ、キリギリスがかわいそうじゃないの!ひどいわ!ひどいわ!」 (←・・・)

 

思えば、私が子供の頃に読んだ「アリとキリギリス」の絵本では、キリギリスに同情したアリが食べ物をわけ与えていたのだ。母はそういう絵本を子供に読み聞かせてきた世代である。そして私たちはそれを聞いて育った。

だからいけないんじゃないのか。

「アリとキリギリス」の教訓は「なまけて遊んでいても、いざとなったら誰かが助けてくれる」というものにすり替わってしまっていた。

キリギリスが少数派だった昔はそれでよかったかもしれない。しかし、キリギリスが増えたら社会は破綻する。

それが今の日本じゃないのか?

 

私は息子のお遊戯を観ながら思った。

ぜったいにキリギリスに食べ物を与えてはいけない!

幼稚園児にも生きることの厳しさを教えなければいけないのだ。

 

結局、お遊戯のなかでキリギリスは最後まで食べ物を分けてもらえなかった。

そして、最後は全員でなかよく歌って踊って終わった。

私はとりあえずほっとした。

 

 

 次男に聞いてみた。どうしてキリギリスになりたかったの?

 

「だって、みどりいろだから」

 

(かわいいっす ^^)

 

 

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2年前の2月18日は、拙ブログで何度も取り上げている「福島大野病院事件」で、産婦人科医師が不当逮捕された日です。 大野病院産科医逮捕事件(Wikipedia)

最近の関連記事 医学も医療も死ぬしかないのか

 

日本中の多くの医師がこの不当逮捕に対し怒りの声を上げています。

どうか、この声が警察、司法、国会そして多くの国民に届きますように

 

2.18企画 我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します

 

我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します

 

2月18日に記す

[忘れない・・・]2.18企画 我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します

2.18

2年前の今日を思う
医学史上最悪の刑事事件ー医療者のこころの傷は消えない
 もう2年になります
福島大野病院事件から2年
あれから2年
我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します。
REMEMBER 2.18 ~第2章~

今日は2月18日_

 

■「我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します」2.18企画勤務医 開業つれづれ日記

 

「2006年2月18日から2年」

2年です・・・

決して忘れない

 

あれから2年(ある産婦人科医のひとりごと 2/18

 

我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医の無罪を信じ支援します。
2月18日_不当逮捕の日
あれから2年が経ちました
産科医不当逮捕・立件事件への抗議行動 

我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医の無罪を信じ支援します

 

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2008.02.17 01:15 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 9

生前意思確認への診療報酬

 

終末期医療:延命治療の有無、「生前意思」に診療報酬 75歳以上対象--厚労省方針
http://mainichi.jp/select/science/news/20080210ddm0010401...


厚生労働省は、75歳以上で「終末期」の患者が医師らと相談し、延命治療の有無などの希望を文書などで示す「リビング・ウイル(生前の意思表示)」を作成すると、病院などに診療報酬が支払われる制度を導入する方針を決め、08年度診療報酬改定案に盛り込んだ。患者本人の希望に沿った終末期医療を実現するのが目的という。専門家らからは、意思表示や治療中止の強制につながるなど、批判の声が上がっている。(2月10日 毎日新聞)

 

この記事を読んでも詳細がわからないのですが、Yosyan先生が中医協の診療報酬改定案から該当部分を引用して、詳細を書かれています。とても参考になります。↓

 

新小児科医のつぶやき http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080215 

 

さて、この生前意思への診療報酬について、年齢で区切るのはおかしいだとか、労力の割りに200点では安すぎるとか、医療費削減のためだとか、色々な批判は出ているようですが、細かな問題はあるにしろ私はLiving Will(生前意思)に診療報酬を算定する方針には賛成です。

生前意思はある程度の年齢になったら、全員が記しておくのが理想だと思います。診療報酬のあるなしにかかわらずです。

しかし、日本ではなかなか浸透しません。よいとわかっていても、面倒なことって広まらないものです。

 

私は主婦でもあるのでスーパーに買い物に行きます。

あるスーパーではエコバックを持っているお客を1度も見たことがありません。このスーパーはエコバックを持ってきたお客に何の特典もありません。別のスーパーでは、エコバックを持参してレジ袋を断ったお客にはカードにスタンプを押しています。20個スタンプが貯まると100円のお買い物券として使えます。しかし、このスーパーでもエコバックを持っているお客は10人に1人くらいです。

私がこのスーパーでエコバックを持って買い物をしていたら知人に会いました。

「あら!ことりさん、エコバックちゃんと持ってるのね。私もそうしなくちゃと思ってはいるんだけどねー・・・」

多くの人はエコバックを持ってレジ袋をもらわないことが環境によいとわかっていながら実行していません。きっかけがないと面倒なことはなかなかしようと思わないものです。

レジ袋が有料化になったら、きっと過半数のお客がエコバック持参で買い物に来るでしょうね。人間ってそんなものです。

 

 

先日、スモーカーの知人女性がこんなことを言っていました。

「私もタバコやめなきゃいけないって思ってるのよ。でも・・・日本ってタバコが安すぎるのよね。タバコの税金をもっと高くしてくれればいいのに。一箱千円くらいだったら絶対に買わないもの」

タバコが安いから止められないとは少し勝手な言い分に聞こえますが、一理あるかも知れません。禁煙した方がよいとわかっていながら、きっかけがないと止められない人は多いでしょう。たばこが高くなって手が出ないくらいになれば、実際多くの人が禁煙可能になると思います。

エコバックにしても禁煙にしてもそうですが、本人の自主性に任せていては、一向に実行する人が増えません。社会にとってよいことは強制的に推し進めていかないといけないと思います。

本当は生前意思も皆さんが自主的に記していただくことが理想ですが、

半強制的にするくらいでないときっと広まらないでしょう。

 

 

悲しいかな、人間ってそんなものです。

 

 

 

 

 

関連過去記事

Living Will 愛する家族のために

 

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2008.02.08 23:40 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  医療事故  |  春野ことり  | 推薦数 : 6

海堂先生、素敵です!

 
チーム・バチスタの栄光
「チームバチスタの栄光」が、映画化されるそうですね。

著者の海堂尊先生のホームページ、素晴らしいです。ぜひ、多くの方々に読んでいただきたいです。

 http://tkj.jp/kaidou/news01.html

以下 2008.01.31【海堂ニュース! 12】映画『チームバチスタの栄光』についてよい抜粋

 

今、医療現場は傷ついている。傷つけられている。好意で行った良い結果はあまり(というかほとんど)取り上げられず、ミスをすれば徹底的に叩かれる。先日、道路財源を守るために国会議員が総決起集会を開いていました。道路を作るお金を守るためには、あれだけの熱意が現れる。司法試験合格者が予定より増えてしまいそうだから、減らしていこうなんて動きもある。何だ、必要なところには救いの手が差し伸べられる社会なんだ、と思います。それなのにどうして、医療現場が悲鳴を上げていても社会は、メディアは、こんなにも冷淡なのでしょう。
 恩着せがましくするつもりは毛頭ないのですが、市民の皆さんはあまりにも恩知らずではないでしょうか。病気の時にはすがりつくけれど、その時に助けてくれた医療が困っている時に恩返しする、という発想がどこからも聞こえてこないのはなぜでしょう。たとえば文壇の反応は市民社会の象徴です。彼らも病気をすると医療にすがるのに、社会復帰したとたん、医療の勉強をしようともしないし、医療小説をトピックにしようともしない。医療小説ならすべて文壇で評価せよ、というのではありません。要はバランス、社会全体への目配りが悪いのではないか、ということなのです。今の社会は、自分が困った時には医療に助けを求めるけれども、医療自体がどうなろうともどうでもいいと考えているのではないか。そうしたことは同時に、偏向したメディア報道などで助長されている気がします。
 医師は助ける役だから、人を助けていればいい。そう考えるから、困っている医師を助けようという発想が出てこないのです。医師は金持ちだから助けなくていい、と考えるのは、メディアに誘導された虚像に冒され過ぎている。医師には金持ちの医師もいるし、貧乏な医師もいる。官僚だって低賃金だとよく言われますが、天下り後の高賃金とセットにすれば、大した違いはないでしょう。いや、リスク関連まで考えると、医師よりもはるかに高給取りです。つまり、医師だって市民社会の構成員のひとりにすぎないのです。
 こんな当たり前のことを声高に言わなければならないとは、いやはや、何とも貧しい話です。こんなメディアの流れの中に、文壇世界も当然含まれています。その流れを変えるために、私は、文壇のさまざまな媒体(小説誌など)に、医療小説特集を組んではどうか、と提案しています。そうした提案は、文壇の人たちの協力がなければ成立しません。これは文壇の、医療に対する意識レベルと認識レベルを測るソナー。結果が楽しみです。

 医療従事者は、訴えたいことを我慢している。いい医師ほど、人々を助けるために忙しすぎて、自分のことを社会に向かって語ることができない。だから、ハンチクな医者である私がこうして代弁している。
 私の語る本音は、かなりの部分、医療従事者の本音です。私は作家ではなく、医者です。古代中国では、医者は患者を直すだけではなく、社会を直す役割がある、とされていました。名医を国手、と呼ぶのはそのためです。今の社会は、まさしく医師の治療が必要になった社会。だが今、治癒させる役割を担った医療自身が瀕死の状態で傷ついている。なのに非情な法律を遵守する官僚は、医療に対して手当をせず、ひたすら市民に対する義務を遂行せよ、と連呼し続けます。
 市民のみなさん、医療のリハビリに御協力下さい。まず第一歩としてこの映画を見て、少しでも医療のことを考えるきっかけにして欲しいのです。
 エンターテインメントが成立するのは、楽しむ人たちが健康だからです。緊急時には、エンターテインメントなんて吹っ飛んでしまいます。私はエンターテインメントを楽しめる社会に住み、楽しい人生を送りたい。だからこそ今、エンターテインメントの世界でも少しだけ、医療について考えてもらいたいのです。
 この映画は誠実に、作品の一番の魂を実写化してくれている。ですからこの映画は間違いなく、『チームバチスタ』の血脈です。そしてこの映画は市民のみなさんに、問いを突きつけているのです。「栄光のチームバチスタを壊したのは誰か」
 それは、必要な時には頼るくせに、必要がなくなると無関心に事態を座視している市民の皆さんです。
予告編では竹内さんと阿部さんがスクリーンの観客に向かって、この謎を解くのはあなた、と指さしました。あれは実は、犯人はあなた、とみなさんを指さしていたのです。この映画は、初めの予告編から正々堂々とネタばれをしていた、というわけです。
 医師の増員を、医療費の増額を、医療現場は求めています。通常の医療を行うためには、これは必須の手当です。そしておそらく、市民もそれを望むことでしょう。となると当面のわかりやすい敵は、医療費を抑制している財務省の人々、あたりでしょうか(笑)。
 市民社会の敵は、みんなではっきり認識しましょう。
 官僚は「医療費亡国論」という論陣を1983年に打ち、その基本方針を四半世紀経った2008年の現在も堅持しています。私は彼らに言いたい。人々が病んでいるなら、医療費で亡国したっていいじゃないか、と。市民ひとりひとりが幸せに暮らせるように、そのために我々は税金を収めているのではないか、と。
 人々を救う医師が、多少ゆとりのある生活を送れるように制度設計するのは、当たり前の社会の義務ではないでしょうか。その費用は、賄賂にまみれた官僚のトップ事務次官に払っていた給与よりは、社会的にははるかに妥当な支払いのはずです。官僚は、汚職まみれの自らの組織を自浄しようとしないくせに、医療事故調査委員会の設置などという、医療現場の自浄作用を強制しようとしている。モラルの高い集団、医療が、モラルの低い集団=官僚組織から指導を受けるというエキセントリックな国、それが現在の日本のいびつな姿なのです。そしてメディアはその言葉を無批判に垂れ流すことで、その傾向を助長している。
 たとえば、 朝日新聞は1月28日の社説で、「医療の平等を守り抜く知恵を」なる中で、「医師は毎年四千人ずつ増えているが、人口千人あたりの医師は二人で、このままいくと先進国で最低になる。医師の要請には10年かかる。早く取りかからなければならない」といいながら、それに対しては何の保証もせず、「医師は収入が高く、社会的な地位も高い。たとえ公立病院に勤務していなくても、公的な職場だ。自由に任せていては、医師の偏在は解消できない」として、「診療科ごとの養成に大枠を設ける。医師になってからは一定期間、医師の少ない地域や病院で働くことを義務づける」ということを、「希望社会への提言」として上げています。
 だが、メディアはかつて、新医師臨床制度が施行されたときに、医師が自由な意志で研修することを素晴らしいことだ、と賛美していました。新医師臨床制度を容認したのであれば、上の論調は無責任です。上記のような調整機能を果たしていたのが、メディアが悪者視していたかつての大学病院の医局でした。その医局制度を古めかしい組織だと攻撃していたのが、かつてのメディア報道の基調だったはず。このようにメディアは自己検証をせずに無責任な発言をし続けている。
 今の医療の大問題のひとつは地域偏在です。その傾向を極度に推進したのは、官僚が推進した、新医師臨床研修制度なのです。
 1月30日付け朝日新聞朝刊一面では、「開業医再診料下げ断念、医師会の反発を受け」と報じている。まるで、開業医を悪者扱いです。勤務医が激務で低い賃金だから、儲けている開業医から回すべきだ、というこの考え方は、かつて大学医局が悪い、とステレオタイプで断じたメディアと本質は何も変わらない。解決策は簡単で、開業医への支払いはそのままで、勤務医への支払い増を行うべきです。勤務医の初診料を開業医なみに引き上がればいいのです。医療費抑制という大前提に疑問を呈さないから、このような議論になってしまう。だけどこんなことをやっていたら、今度は、開業医が医療現場を逃げ出すでしょう。逃げ出したくなくても、良心的な医療をしていると儲からないので、潰れてしまい、結果的に退場することになります。医療を内部分裂させ、弱者にして虐めるのは、もうヤメにしませんか? その結果、市民の皆さんが困ることになる、ということに、まだ気がつかないのですか。
 記事はいいます。「外来の初診料は勤務医570円に対し、開業医は710円。患者は自己負担が少なくて済む病院を選ぶ傾向が強まり、勤務医の過重労働につながっているという批判がある」。この議論に従うならば、勤務医の外来初診料を710円にあげて水準を合わせる、とすれば、勤務医の負担を減らす同様の効果があるではないですか。初診料というのは、弁護士で言えば、コンサルタント料に相当します。たった710円を惜しんで、医療の低水準化に拍車をかけるのは、「安物買いの銭失い」になりかねません。
 厚生労働省は、勤務医不足対策の必要財源を1500億円と試算したそうです。どうして、役人の天下り法人のバカ高い費用を削りそれに充てるという算段ができないのでしょう。どうして医療費の内部でやりとりしなければならないのでしょう。お年寄りの人口が増え、医療費は自然増して当たり前。それなのになぜ、官僚は医療費の抑制に走っている自分たちの根本政策が悪いと気がつかないのか。そして優秀であるはずのメディアがなぜ、こんな簡単なことを指摘できないのか。

 医療を不当にいじめ続け、官僚たちの不適切な医療行政を座視し続ければ、結局そのツケは市民のみなさんに戻ってきます。たとえば地方医療が崩壊したのは、まさに無責任な医療行政の、中途半端な介入のせいです。今や事態は絶望的にすら見える。
 だが、それでもこの映画には希望がある。市民のみなさんが、医療に対しどう答えて欲しいのか、医療現場からの願いがこめられている。そしてその希望の象徴が、主役の竹内結子さんの笑顔なのです。
 私はこの映画のシナリオに指一本、触れていません。私が一カ所だけシナリオ変更を要求した部分は、今、市民の人たちの目に触れにくいところで、「医療事故調査委員会」なる新たなる組織がきわめていい加減に作られてしまいそうなのですが、このままだとその流れを助長してしまいそうだ、と危惧したからです。この「医療事故調査委員会」なるものは、もしも今のまま成立したら、これまで以上に医療現場に混乱をもたらし、医療崩壊に拍車をかけるものです。ですから危機感がありました。私の要請は、現場からの直接的な反抗を示す場面をワンショット、あるいはひとつのセリフを追加してほしい、というものでした。クリエーターとしての要請ではなく、一医師としての要請でした。その変更要請はあいにく受け容れてもらえませんでしたが、かわりに私の依頼はラストシーンに隠喩として組み込まれています。直接的な願いは、部分的に叶わなかったわけですが、でもそれは全体からみれば、些末的なことです。

引用ここまでーーーーー

 

 

さすが、プロの文筆家の文章だけあって、読んでいて気持ちがいいです。

 

m3でせっせとブログを書いても、m3ブログの読者はほとんどが医者か、医療に関心を持っている一部の市民だけだと思うので、医療に関心のない一般市民の皆様に医療界の悲鳴を届ける効果は高くないでしょう。

でも、文壇の新星である海堂先生がこうして世に訴えてくださることは、大きな効果があるでしょう。

 

バチスタ三部作の『ジェネラル・ルージュの凱旋』は救急医療現場の悲惨さを伝えたくて描かれたそうです。

すみません、「チームバチスタの栄光」は初版で買って読みましたが、「ナイチンゲール」と、「ジェネラル・ルージュ」はまだ読んでいません。

読みます!

 

なかのひと

 

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2008.02.04 23:35 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  医療事故  |  春野ことり  | 推薦数 : 16

北風と太陽の話

なな先生が以前ブログで、イソップ童話「北風と太陽」を引用していらっしゃいました。http://blog.m3.com/nana/20080127/1

「もっと働いて、もっと頑張って」と言われ続けている現状を「北風」に

「これ以上頑張らずに済むには、どうしたらいいのか」という温かい視線を「太陽」

それぞれ喩えていらっしゃいました。

大変よい喩えだと思います。

 

 

大村秀章衆議院議員(医療紛争のあり方検討会座長)は日経メディカル・オンライン のインタビューでこんなことを言っています。

 

──現場からは反対意見も結構出ているようです。

大村 私どもの案がもしご不満で、「こんな制度は要らない」というのなら、別に構いません。案を流して白紙にしてもいいと思うんですよ。その代わり、21条(注:異状死の警察への届出)はもっと強力にいくと思いますよ。

 残念に思うのですが、いろいろと話を聞いていますと、「医者は一生懸命やってるんだから免責にしろ」という意見があるんです。でもそれはやっぱり非常識だと思うんです。遺族の意見を聞くと、「病院は隠す、ごまかす、逃げるので困るから、客観的に判断する制度を作ってほしい」という要望があるんです。今の状況では、医療界から「ぜひやってください」という意見を表明していただくしかないと思います。

 

 

ここで、私見ですが、医療事故調査委員会が客観的に判断できる制度 だったら、大歓迎なんですよ。

しかし、厚生労働省が提案している委員会とは、遺族の代表者を含むというものです。(参照:診療関連死法第2次試案

 

遺族の代表者が入って、客観的な評価ができますか?

そちらの方がよほど非常識だと私は思います。

 

 

 

インタビューのつづき

──(処分する、しないの)線引きは難しくないですか。

大村 難しくないですよ。これまで判例の積み重ねがいろいろある。本当にひどい例以外は刑事処分にならない。本当にひどい例とは、医師の間でも満場一致で「それは刑事処分で当然」と決まるようなもの。腎臓を取り違えたとか、こういうのはダメだと思う。故意ももちろんだめですよ。そういった線引きは、これまでに判例もあるし、線引きは可能です。これを医師の間で公開の場で議論していただければ、おのずと基準はできてくる。医療行為にどんどん網がかぶせられ、しょっぴかれるという心配は全くありません。

 その判断をしっかりやるために、医療界から人的資源をしっかり投入していただかなければなりません。もちろん予算はきっちり手当てします。

***

 

ここからは私見です。

「処分する、しないの線引きは難しくない」とあっさり言い放つ大村議員は、医療のいったい何を知っているというのでしょう。

現在、医師が刑事責任を問われているのは、実際のところ「重大な過失」ではなく、「重大な結果」によります。

福島県立大野事件の加藤先生にどんな「重大な過失」があったのか、公判の傍聴記を追っても全くわかりません。

分かるのは、妊婦が死亡したという「重大な結果だけです。何度も書いていますが、結果だけで重罰に課せられるならば、リスクの高い診療科から医師はいなくなりますね。

遺族の代表者が医療事故調査委員に加わった場合、「結果」だけで医師に厳罰を求めるのは明らかではないでしょうか。事故調は「恨みを晴らす場所」であってはならないと思います。

 

また、 「医療界から人的資源をしっかり投入していただかなければなりません」とのことですが、

現場の医師が不足している現在、医療事故調査に投入する人的資源が医療界のどこにあるというのでしょう?

 

さて、こちらは一般人(医療者ではないという意味)のazukiさんのブログです。↓

医師に刑事責任を問うことは、医療を崩壊させるということかもしれない

 

azukiさんは福島県立大野病院事件について詳しく考察をされ

そして、こう結んでいます。

ーーーーーー

 

医者だって、人間です。

医療は、ある意味、半分手探りで行われる部分も多々です。

大野事件のように、自然にあたりまえに起きることが、起きない・・・ということが、
医療現場で、今後全くないとは言い切れません。

想定外はいつでも起こる可能性があり、そういう事態であっても、医師は確実に、命をすくわねばならないという「使命」を背負い、現場で仕事をしています。

・・・

『あのときの、これが問題だった(そうしなければ、助かった)』

そのように、適切な医療行為上で起きた不測の事故においても、刑事責任が問われるようであれば、医師は自らの医療行為に、自信が持てなくなってしまうのでは、と危惧します。

医師の裁量権(適切な医療行為である)の範囲内においての事故であるなら、
その場合において、刑事責任は問われないことが、医師の権利を守るために、また
安心して医療行為が行われるために、重要ではないかと考えます。

ーーーーー

 

一般の方からこんな風に言っていただけると、本当に心が安らぎます。

 

 

「医者は一生懸命やってるんだから免責にしろ」という意見は非常識だ

という大村議員は「北風」

「刑事責任は問われないことが、医師の権利を守るために、また
安心して医療行為が行われるために重要」

というazukiさんは「太陽」

 

と感じるのは私だけでしょうか。

 

イソップ童話の結末は、みなさんご存じのとおりですネ。

 

ご存知ない方は、「続きを読む」へどうぞ

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元NHKテレビディレクター 志村建世さんが、私のブログエントリー医学も医療も死ぬしかないのか を読んで、ブログ記事を書いてくださいました。

あまりに素晴らしいのでそのままご紹介いたします。

 

志村建世のブログ2008.2.1 http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=1184354

最近、春野ことりさんのブログや、あかがまさんのブログなどを見ていると、医療現場の人たちの悲鳴とも言うべき警告が伝わってきます。日本の医療が崩壊しつつある、それを救うのは第一義的には政治の仕事でしょうが、底流には現代の私たちの心のありようが関係しているように、私には思えます。その底流を言葉にすれば、「非寛容で他罰的」ということではないでしょうか。


 ある妊婦が出産時の障害で死亡しました。1万例に1つというほどの稀な症例で、医師の処置は通常の基準では問題ないと思われたのに、結果としては死亡を招きました。医師は業務上過失致死罪に問われて逮捕され、公判は継続中ですから、医学的な事実関係は私には判断できません。しかし長く信頼されていた医師は墓前に土下座して謝罪し、廃業に追い込まれました。遺族は「稀な症状だから止むをえなかったというのは、死者に対する人権侵害だ」と述べています。


 出産に限らず、私たちは絶えず病気やケガと共存しながら生きています。だからこそ健康に暮らせる喜びがあるとも言えます。医療は進歩し、よい薬も出来ました。しかし新しい手術法が定着するまでの間に失われた命もあるでしょうし、よい筈の薬も、ときには薬害を引き起こすこともあります。だからといって新薬を開発しなければよかったとは言えないでしょう。最近気になるのは、「事が起きてからでは遅い」と、早め早めに安全策に逃げ込む防御的な風潮です。それが非寛容で他罰的な傾向への対策であることは明らかです。


 出産に一定率の危険が避けられない以上、安全第一に考えれば、医者は産科医にならず、病院は産科を閉めた方が安心ということになります。さらに暴論を言えば、すべての女性は出産をしない方が安全なのです。なにしろ「事が起きてからでは遅い」のですから。


 この問題は、つまるところ、人間の生命をどのように考えるかに帰着します。生命には必ず死があることを忘れず、健康に長く生かしてくれる現代の医療に感謝するか、それとも監視を強めて、あくまでも完全を追求するか、ということです。ミスがあるたびに、責任者は「二度と繰り返しません」と頭を下げます。あれは何か意味があるのでしょうか。私はミスをしない人間を見たことがありません。人間にできるのは、人知を尽くして危険を少なくすることだけです。


 今これを書きながら、「文明の尊厳死」という不気味な言葉を思い出していました。人類の生存には、一種の「蛮勇」と「感謝の心」が必要なのではないでしょうか。

 

 引用ここまで

 

 

我々医療者の想うところを、見事な文章で代弁してくださいました。

医療者が加藤先生の無実を訴えると、「医者同士の庇い合い」だとか、「事実の隠ぺい」だとか、「医者の甘え」だとか言う一般の方が必ずいます。

ですから、非医療者の方からご理解をいただけることは本当に有難いです。

医療者だけの力では医療崩壊は喰い止めることはできません。医師が「誰もいなくなる」前に、国民が一体となる必要があります。

最近、患者さんの間で、医療を守ろうという運動が芽生え始めました。

 

医療が焼け野原になってしまう前に、できることはあるはず・・・

 

 

 

 

 

なかのひと

 

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