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桜の花片が空を舞う季節、年男は退院することになった。週2回訪問看護と訪問リハビリが入り、私が月1回訪問診療に伺うことになった。
年男の住まいは市街の中心部にある会社事務所の2階だった。
外部からは、普通の事務所にしか見えないが、事務所の階段を上がると、豪華な調度品が所狭しと置かれたリビング兼応接間があった。壁には、今よりも少し若い年男が皇族の人たちと一緒に写った写真や、表彰状の額などが、隙間がないほど飾られていた。
年男はリビングのソファーに腰掛けていた。久々に会う年男はいたって元気そうであった。
「あなた、ことり先生が来て下さったわよ」
という春子に、
「おう、そうか」
と返事をしたが、分かってもらえたのかどうかは分からない。
相変わらず、血圧を測ろうとする看護師のお尻に手を回し、
「おい、相撲が強そうだな。ワシが寝技を教えてやろうか」
と言っていた。
年男の退院に当たって、佐藤家では医療機関でリハビリに使う平行棒を購入し、自宅に取り付けていた。週2回訪問する理学療法士と、平行棒内で歩行訓練をするためだ。
入院中もずっと付いていた家政婦が、泊り込みで年男の介護を手伝っていた。
年男は病院よりも自分の家の方が居心地がよさそうであった。それはそうだが、佐藤家のように住み込みの家政婦を雇ったり、本格的リハビリ器具を備え付けたりできる裕福な家庭であればこそで、実際一般庶民にとっては自宅で介護をするということは大変なことである。
年男の診察を終えて、看護師と供に去ろうとすると、春子が遮った。
「先生、ちょっと待ってください」
春子は家政婦と供に奥へ引っ込んでしまい、私たちはしばらく待たされた。
待っている間に部屋を見渡すと、調度品の中に紛れた写真立てが目に留まった。昭和初期の若い映画女優のブロマイドのような写真であったが、よく見ると、春子の面影があった。
春子は今では70代年齢相応の姿だが、半世紀前はこんなに美しく可愛らしかったのだ。年月の重みをひしひしと感じた。
すると、現在の春子が家政婦とともに現われた。家政婦の持つお盆には、コーヒーとケーキが二人分載っていた。
「せっかくですが、早く病院に帰らないといけませんので」
と、私がお断りすると、春子は
「ヤ!!」と叫んだ。
「ヤですよ、先生!そんなこと言ったら!!もう!」
とふくれっ面をして、イヤイヤをした。
70代の春子にこんな可愛い仕草をされてもたじろぐばかりであるが、これがあの写真の中の春子だったら、昔の年男はメロメロだったに違いないと勝手な想像をした。
結局、断り切れずにコーヒーとケーキをいただくことになってしまった。
さっさとコーヒーを流し込んで場を後にしようと思うのだが、コーヒーが熱すぎて飲めない。
そうこうしているうちに、春子は年男のことはさておき、自分の健康状態のことを延々と話し始めた。
そして、
「ねえ、看護婦さん、私の血圧も測ってくださらないかしら」
と、ソファーの上にどかっと転がった。
看護師は嫌な顔を見せることなく、黙って春子の血圧を測った。
私は、コーヒーが冷めるまでの間、春子自身の健康相談に乗らなければならなかった。
帰りに看護師が言った。
「奥さんの診察料もいただかないといけないくらいですね」
「でも、ケーキいただいちゃったしね・・・」
私はつぶやいた。
差し詰め、ケーキとコーヒーが診察料代わりというところだろうか・・。
しかし、この先も優柔不断が祟って、 訪問診療の度に春子の様々なおしゃべりに付き合うことになるのであった。
つづく
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