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元NHKテレビディレクターの志村建世さんから、拙ブログのエントリー、「命とオカネの関係」に関してトラックバックをいただきました。↓
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=874903
「医者の仕事は何だろう」というタイトルにはっとさせられました。
以下、志村さんへのお返事です。せっかくなので、エントリー立てさせていただきます。
拙ブログを大きく取り上げていただき、ありがとうございます。
「医者の仕事は何だろう」
実は私も日々の診療の中で時々わからなくなります。
「医療の目的は生存中の人間の病苦を救うことである」
その通りだと思います。しかし、毎日の診療の中で、きれいごとでは済まされない様々な事に突き当たります。
拙ブログの「命とオカネの関係」の内容は一般の方にはいささか過激であったと思います。しかし、本人の意志と関係なく、財政的理由により延命の決定が行われることはよくあることです。
延命に関しては、本人の意志が最も重要な筈ですが、多くの日本人はそのような意志を生前に明らかにしていません。認知症で判断力がなくなってからでは、あるいは脳卒中で意志の疎通が行えなくなってからでは遅いのです。元気なうちに、「自分がどう死にたいのか」を家族にはっきりと表明しておかなければいけません。
たとえば、最近、施設や病院で老人が食べ物を喉に詰まらせ亡くなると、民事訴訟を起こされます。しかし、これは施設や病院の責任でしょうか?人間は歳を取ると、嚥下能力が劣り、物が食べられなくなります。どんなに介護者が気をつけていても、食べ物が気道に入り、窒息することはあります。これは自然の摂理であって、食事を食べさせた人間の責任ではありません。しかし、それを理解しない人が増えたため、窒息を医療側の責任とし、賠償金を請求し、医療者が支払いを言い渡される判例をよく目にするようになりました。もちろん、このような訴訟を起こすのはごく一部の人です。しかし、こういう判例がある以上、医師は対応策を取らなければなりません。嚥下能力の劣った老人に食事をさせないこと。胃に直接管を通して、そこから流動食を流し込む。そうすれば、誤嚥や窒息の危険性はかなり軽減できます。老人は「食べる」という生きる上で大変重要な「楽しみ」を奪われます。それでも生きなければならないのです。本人にしたら本当に辛いでしょう。悲しいことですが、今の老人医療は本人のためのものではないのです。
医療の目的は「人を死なせないこと」ではなく、「人を苦痛のない状態で生きられるようにすること」だと思います。でも、末期状態の患者の人工呼吸器を外して「殺人」と糾弾される現在の日本、そのような医療を実現できる医師はどのくらいいるのでしょうか。
小松秀樹先生の言葉を拝借すると「日本人は死生観を失った」のです。遺族側が、死を受容できないことが様々な紛争をこじらせています。今の日本人にとって大切なのは、「死を受け入れること」です。それができなければ、ますます医療崩壊は進むことでしょう。
参考図書 医療の限界 小松秀樹 著
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