| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最近、個人的なことで大変感動することがあった。天国へのビザを30冊個人で買って図書館や学校に寄付したいという方が現れたのだ。
その方は私の知り合いでも何でもない。お顔も存じ上げない方だ。この方がどこでどうやって拙著を手にされたのか、私は知らない。初めて見ず知らずのこの方から出版社宛てにお手紙を頂いたのは、このブログを始める前のことだ。何度か書簡のやりとりを行う中で、今回のお申し出を頂いた。驚きと感謝の気持ちでいっぱいである。
彼女からの手紙にはこうあった。
「私はもう○歳。心身の衰えを感じるようになりました。先日、骨髄バンクのドナー登録をしようとしたところ、輸血したことがあるからと断られました。献血もできません。人の役に立てないということは情けないものです。
私も次の世代の人たちに何かを残したいと思います。少しのお金で出来る事なので、どうか協力させてください。」
「天国へのビザ」が図書館や学校に配る価値がある物なのかどうか、私にはわからないのだが、このような方がいらっしゃるのは大変有り難いと思う。何か人のために、社会のためにできることはないかと考えることは素晴らしいことである。自分のことしか考えない人が増えている日本では特に際立つ、奇特な心を持った方だと感じた。別に私の本を買ってくれるからではなく、人のために役に立ちたいと思う心が素晴らしいと言っているのである。
最近、他の医師たちのブログやそれに寄せられるコメントを読んでがっかりすることが多くなってきたのだが、こういう奇特な心に触れて、何か救われたような気がした。
話は変わるが、今日、仕事を終えて子供達の待つ実家へ行くと、母がテレビの前で怒っていた。何を怒っていたのかというと、若き警官が殉職した愛知県長久手町の籠城事件で、犯人が出てきた時にそれを迎えた警察官が「出てきてくれてありがとう」と言ったのだそうだ。それを聞いた母が「人を殺した犯人に向かってありがとうとは何事だ!」と怒っていたのである。
仲間の警察官を1人殺し、1人半身不随にした犯人。周辺住民を恐怖に陥れ、生活を麻痺させ、社会に多大な迷惑をかけた犯人に対し、「ありがとう」という言葉はたしかに相応しくないが、この警官は「お願いだから出てきてくれ。お願いだからこれ以上被害を出さないでくれ」と心の中で願い続けて職務に当たっていたのだろう。だから犯人が出てきてくれて本当に有り難かったのだろう。
「罪を憎んで人を憎まず」
すごい言葉だと子供のときから思っていた。自分が被害者だったら、犯人が憎い。罪とそれを犯した人を切り離して考えることはできないだろう。被害が大きければ大きいほど。
犯人に「ありがとう」と言った警察官は奇特な心の持ち主なのだろう。
しかし、これを聞いて母のように怒る人間もいるのである。奇特な心を持ち合わせない人間にはとても理解できないことのようだ。
最近のドクターコールの話題。医師の反応は様々だ。「絶対に応じない」「寝たふりをする」「白衣を着ていないときは医者じゃない」などという意見もあった。
自分なりの根拠を持ってそう言っているのであれば、それはそれでいいだろう。
しかし、自分が道路を歩いていて引ったくりに遭った時、近くに非番の警察官が歩いていてそれを見ていたとしよう。「自分は今日は非番だから」と見て見ぬ振りをし、犯人を追いかけようとしなかったらどうだろうか。「白衣を着ていないときは医者じゃない」と言う人にその警察官を責めることはできないだろう。悪いのは日頃から犯人を追う訓練を受けてその能力を持ち合わせながら見て見ぬ振りをした警察官ではなくて、ひったくりを行った犯人なのだから。
しかし、自分にとって損なことはしない、こういう考えが正当化されどんどん広まっていったら、世の中はとんでもないことになる。
非番の時でも周りに困った人がいたら助ける、当たり前のことだと思うが、これからは「奇特なこと」になるのだろうか。
潔く生きるか、卑しく生きるか
一度しかない人生、どう生きるかは自分が決めることだ。自分は潔く生きたいと思う。
管理人が攻撃的、不快と感じるコメントは一切掲載いたしません。
人気blogランキングへ ←ぽちっとよろしくお願いします
天国へのビザ ただいま在庫あり。ご注文はお早めに
固定リンク | コメント (7) | トラックバック (1)