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見知らぬ一般の方からトラックバックをいただきました。
天国へのビザを読んでくださった方からです。
絶版を阻止したい本
「なぜこの人たちは死ぬことができないのだろう」というキャッチフレーズに惹かれて取り寄せた小説です。
基本的に、尊厳死をテーマにしており、著者が現役の女性医師であるということもあり、現在の医療現場への問題提起になっている小説です。
…が、のみならず、常に死生観を大事に考え、いつも死を考えることでよく生きようとしている私にとっては、死ねなくなる患者の話は大変衝撃的であるとともに、また「人はどう死ぬべきか」を再度考えさせられる大事な本となりました。
死ねない患者さんは、自分が入院中、あるいは母が長期で闘病中にも実際に出会っています。
アルフォンス・デーケン先生の「よく生き よく笑い よき死と出会う」と同様、創作物でありながら死生観を揺さぶられた本と出会えたなと、ご縁に感謝しています。
そんな本なのですが、自費出版なのですって。
絶版必至などと著者はブログでおっしゃっています。
……あの、よければ買ってください。(爆)
この本は売れた方がいいように思うの、本当に。
以下、勝手な自説。偉そうですから読み流してください。
死、そのものは決して悪いものでも可哀相なものでもありません。
人間は100%死ぬのです。誰もが通る道なのです。
長く生きながらえることよりも大事なのは、どう生きてどう死ぬか…。それを自分でしっかり考えておくことが、毎日を豊かにしてくれると信じています。
もちろん、どう死ぬかは自分の思うようにはできませんが、
もしも死後の世界や魂の世界や因果律などが本当にあるとしたら、(私は完全にそういうものを信じてしまっていますけどね)死に方だとか死後どうなるかに、日々の行いがきっと関わってくると思うのです。
それを思えば、襟も正せる。
そして誰でも、レベルの差こそあれ、病んだり悩んだり苦労したりするのが人間…。
それなのに、その人の人生プログラム以上に、他人である自分が嫌な思いをさせる言動など、おこがましくてとてもできません。
人には優しく礼儀正しく。
そんな当たり前のことが、とても大事に思えてきました。 2007.03.31 Saturday 09:41 | posted by プレア
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えー、ここのところ、このブログが討論の場と化しているようで、自分が撒いた種とは言え、ブログ主の私は困惑気味。そして寝不足続き(寝不足が続くと医療ミスにもつながりかねず、マジやばい)
アクセス数は鰻上りで、皆に注目されているようだ。
途中から参加された方のために、ことのいきさつを説明しよう。
まず、私は日常診療でしばしば遭遇する医療制度上の矛盾や、末期患者と対峙する上での様々な心の葛藤を、小説にして自己出版した。それが、天国へのビザである。出版したからには多くの方に読んでいただきたいと思い、ブログで本の宣伝を始めた。(つまり、このブログ開設の目的は天国へのビザの宣伝だった)
私はブログに好き勝手に自分の考えを記していたのであるが、ある日、あるエントリーが尊厳死反対の考えを持つ方の逆鱗に触れた。
それは、生きている脳というエントリー。
尊厳死協会がALSを含む各疾患ごとの延命中止基準の試案を出したという新聞記事を紹介したものであるが、その中で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の終末期のロックトインTotally Locked-in State (TLS)(全く動く事が出来ない状態。眼球さえも動かない。しかし、意識は保たれている状態)について、筒井康隆のショーとショートを引用し、「地獄ではないでしょうか」と書いた。
これに対し、dojinさんという方が「貧困で過剰な想像力」「無知」「軽率」などという言葉を用いて「100%容認できない」と私を非難するトラックバックとコメントを送ってきた。
ajisunさんという人は「医者のケアマインドの不足を痛恨させてくれるブログを見つけた。日本の医療の行く末を、アーメン、祈りたい気持ち。」と書いたTBを送りつけてきた。
私は何の事だかさっぱりわからず、2週間放置し、しかし、言われっぱなしなのもシャクに触るので、dojinさんからのTBをブログ批判というエントリーで取り上げた。
すぐさまモジモジさんという方からそれに反応するTBが届いた。モジモジさんもajisunさんも、dojinさんも、お仲間のようだった。
尊厳死反対論者のモジモジさんは、冷静に理論的に私に議論を持ちかけてきた。モジモジさんの態度は紳士的であった。
次に、dojinさんもTBを送ってくれた。それにより、dojinさんのご友人のajisunさんのお母さんはまさにTLSの状態にあるということを知った。dojinさんもajisunさんも、真剣に生と死について考えている純粋で善良な人たちだと感じた。彼等の怒りを理解した私は、ブログ上で謝罪の気持ちを表した。
しかし、今度はウォッチャーさんという方から「事情がおわかりになっていない」というコメントが届いた。この方の書き方は丁寧ではあったが、その内容は
「ajisunさんはなー、医療政策・医療倫理の専門研究者なんだよ。テメーラみたいな無知な医者のことを嘆いておられるんだ。勘違いすんな。テメーラ、こういう本でも読んでちょっとは勉強しな。医者だけが医療当事者ではないし、医療の専門家じゃねーんだよ。思い上がるんじゃねーよ」
というように私には取れた。(決してこういう書き方ではなかったが、私はこう感じた。)
私はこの人もてっきりajisunさん達のお仲間だと思い、
そんなこと言うんなら、こっちだって言わせてもらおうじゃないか!と、怒りモードでajisunさんのブログの言葉遣いを批判するエントリーを書いた。
すると、モジモジさんがウォッチャーさんに対し、「誰だか知らないが、事情通ぶって邪魔するな!」と立腹した。(こういう言葉遣いではありませんでしたが)
なーんだ、お仲間じゃなかったのね、と私は安心すると同時に、つい挑発に乗ってajisunさんのブログを批判してしまった事を後悔した。
ajisunさんが感情的になってしまう気持ちはよくわかる。ajisunさんは時々感情的に暴言を発してはおられるが、大変よく勉強されていて、冷静に自分の心を整理してその心情をつづっておられる。その母親を思う気持ちは大変美しいと感じる。
ウォッチャーなる人物は単なる釣りだったのか?浅はかにも私は釣られてしまったようだ。
ajisunさん、本当にすみませんでした。反省しています。
揚げ足を取り合っても仕方がないのです。そんなことはよくわかっていたつもりなのに・・・。
モジモジさんはあくまで紳士的態度で、医療者の立場にも理解を示され、仕事に差し支えるといけないので、一旦議論を送ることをやめるとのご配慮も下さいました。
これだけは言っておきたいのですが、私は、尊厳死反対論者の方と対立するつもりは毛頭ありません。
対立は何も生み出しません。お互いにお互いの立場を思いやって理解しあえたらよいと思っています。
今回応援コメントをくださったたくさんの方々、本当にありがとうございます。一人一人のコメントにお返事ができなくて申し訳ありません。本当に本当に嬉しいです。
そして、最後にウォッチャー氏へ一言、
私に色々本を読めと勧めてこられた以上、もちろんご自身も拙著天国へのビザを読んでくださるんでしょうね?
忌憚ないご感想、お待ち申し上げます
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別の方からまた批判コメントをいただいた。
事情が分かっていらっしゃらないと。
前回、私はajisanさんに対して謝罪の気持ちを表明した。
しかし、私はajisunさんのことを誤解していたようだ。今回ajisunさんからもTBをいただいたのだが、ajisunさんのブログを読むと、また、今回コメントを頂いた方によると、ajisunさんは医療政策・医療倫理の専門研究者らしい。私のことを無知というのも仕方がない。私はALSの専門家でもなんでもない。ALSに関してはajisunさんの知識の足元にも及ばない。
そして、その方(ajisunさんではない)はご親切に、私にALSに関する本や、社会学の本を読むように勧めてくださった。まあ、時間があったら読んでみようと思う。
その方はこうも書いておられた。
医師だけが医療当事者ではないし、医療の専門家というわけでもない、という昨今の状況は、医師の皆さんにはいろいろと了解しがたいところもあるかとは存じますが、とりあえずご理解下さい。と
もちろん医師だけが医療当事者ではないことも、医師以外の医療の専門家もいることは承知している。
モジモジサンはご自身のブログで、まだ「ロックトインを地獄と表現することは侮辱だ」と怒っていらっしゃった。
あまり言いたくないが、それならこちらも言わせてもらおう。
ajisunさんのエントリーに「まじっすか?あほですか?尊厳死協会」というタイトルのものがある。そして、尊厳死協会の政策メンバーのことを「頭が悪い」と書いている。これは、侮辱ではないですか。
私は尊厳死協会の回し者でもなんでもないが、こういう書き方には不快を感じる。
他にも、特定のケアマネージャーのことをバカケアマネと書いている。
たとえば、家庭の中で「尊厳死協会ってほんとにバカ。」とか「あのバカケアマネが」などと言うのはかまわないが、医療政策・医療倫理の専門研究者がブログでこういうことを書くのはどうかと思う。
私はロックトインの状態を「地獄ではないでしょうか」と書いただけで、これだけの非難を受けた。
絶対にありえないことだが、仮に私が「尊厳死反対派の人は頭が悪い」とか「あほ」などとブログで書こうものなら、たちまちブログは炎上するだろう。
しかし、ajisunさんのブログは尊厳死協会のことを「あほ」とか「頭が悪い」と書いているが、炎上していない。
これはどういうことだろう。
やはり、議論をする上で、相手の立場をたとえ表面上だけでも尊重する態度は大切である。Tai-chan先生が言われるように、紳士・淑女でありたい。
正直言って、今はALSについて言及したことを後悔している。しかし、尊厳死の問題は、ALSに限ったことではない。
私は今日も朝から出勤するやいなや、肺癌の末期患者から「苦しい。なんとかしてくれ」と訴えられ、気管切開された重症肺炎の患者からは「死にたい、死にたい」と紙に書いて見せられた。私に何ができるというのだ。
その患者は、療養型病棟にいる。療養型病棟は包括医療なので、薬を使えば病院の持ち出しになる。薬価の安い抗生剤を使っていたが、肺炎が悪化したため高価な抗生剤に変えた。こういうことをしていると経営は悪化する。医師は治療をしなければ罪悪感に苛まれる。しかし、治療すれば経営は悪化する。ジレンマだ。厚生労働省は高齢者の医療費を包括にして、こういう責任を医師にすべて押し付けようとしている。
患者たちの話をゆっくり聞いてあげる間もなく、外来の開始時間になる。予約がみっちり入っているのに、飛び入りが、しかも説明に時間のかかる飛び入りが予約の人数と同じくらい来る。外来がやっと終わると今度は救急車が入り、その対応に追われる。
患者達一人一人の心の声に耳を傾ける時間もない。
そんな日々である。
こんなことは尊厳死反対派の人たちには関係ない話でしょうけれど。
最近、ブログを書くために、日常生活が侵されかけているので、しばらく休もうかなあ、などとも考える。
しかし、今日、高校時代の同級生から、嬉しいメールが届いた。
自分の住む地域の図書館に「天国へのビザ」を申請して置いてもらったと。
彼とは高校時代同じクラスだったが喋ったことはなかった。同窓会で20年ぶりに会い、私の本を買ってくれた。
「多くの人に読んでもらえるといいですね」
こちらから、図書館に申請してと頼んだわけでもないのに、本当に嬉しい。
それに、応援してくれるブロガー達もいる。
やっぱり、頑張ろう。
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dojinさんから再びトラックバックをいただきました。http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070326#p3
この方は、前々回のブログ批判のエントリーで取り上げた、過剰で貧困な想像力という記事をトラックバックしてくださった方です。
正直、私は最初にこの方からトラックバックをいただいたとき、なぜ自分がこんなに非難されなければならないのか、全く分かりませんでした。でも、今回のTBで理解できました。
TBによると、dojinさんのご友人のajisunさんという方のお母さんは、ALSで、今まさにロックトインの状態との事。
それで、私が筒井康隆の架空の物語をロックトインの状態に喩え、「地獄ではないでしょうか」と赤字でしかも太線で書いた、そのことに対し、無神経で思慮が欠けた表現と感じ、憤慨されたようなのです。
実はdojinさんは、ご友人想いのやさしい心の持ち主だったのです。そのご友人の心情を思いやる気持ちが、私への怒りとなった、ということなのですね。
ロックトインの現状にいる患者家族の気持ちを考える配慮に欠けていたということが、「貧困」で「軽率」で「安易」ということだったのですね。
浅はかにも今、やっとわかりました。
私はajisunさんとdojinさんに不快な思いをさせてしまったことを謝罪しなければなりません。配慮に欠けていたと言われても仕方がないです。
dojinさんは「地獄ではないでしょうか」という言葉はことりさんが弁解するような中立的な「問いかけ」ではない。権威ある専門家である医師という立場から発せられた一つの断定であり、結論である。
と、書いていました。しかし、これは私なりの結論とはいえますが、断定とはいえないと断言できます。もしも「地獄です」と書いたら、それは断定ですが、私は「です」という言葉は使わず、「ではないでしょうか」と書きました。これは断定ですか?どう考えても問いかけではないですか。
まあ、こんな言葉尻を捕らえて揚げ足を取り合っても仕方がないことですが。
dojinさんはことりさんは個人的な死生観が、安易に一般化されて、それが公共政策として成立してしまうことの危険性に対してナイーブすぎる。とも書いていましたが、私は、自分が自分の死生観をブログで語ったところで、それが公共政策として成立させてしまう力があるとは、全く思いません。それは、dojinさんの私への過大評価に他なりません。そんな風に過大評価していただけるのは有難いことかもしれませんが、本を出版したといっても自費出版の本で、市場ではほとんど売れていませんので、どうかご心配なく。売れ行きが悪ければどうせ半年後には絶版になる本ですから。dojinさんのご心配は杞憂というものです。
それに、そんなことを言い出したら、誰も自分の意見や考えを言えなくなってしまうのではないですか?
誤解があるといけないので申し上げますと、私は尊厳死を皆に勧めようという意図で小説を描いたのではありません。あとがきにも書きましたが、お年寄りでさえも「自分の死をどう迎えたいか」について明確な意思表示を持ち、事前に家族とそのような話し合いをしている人があまりに少ないと感じるため、少なくともある程度の年齢になったら自分がどういう最期をとげたいかということを自分自身で前もって考えて欲しい、そういう想いで描いたものです。だから、自分はとことん延命して欲しいという人がいても、結構なんです。でも、「尊厳死したい」という人が「したくない」という人たちに合わせないといけない現在の状況には疑問を感じます。
ajisunさんの日記も読ませていただきました。涙が出ました。当事者にとっては本当に辛い事だと思います。
私はこれまで、自分だったらという仮定で意見を言ってきました。しかし、これが自分の親だったら、と言うと、少し考えが違ってくるかも知れません。
もし、自分の親がALSだったら、私ならば、ロックトインになる可能性を辛いけれど親に話します。その上で、親にどうしたいかを聞きます。親は人工呼吸器をつけないで欲しいと言うかも知れません。人工呼吸器をつければもっと生きられるのに、人工呼吸器をつけない選択をするということは、家族にとっては本当に辛いことです。
もしも人工呼吸器をつけ、ロックトインになる可能性を本人に告げることなく、本人の意図を事前に確認することなく、ロックトインの状態に突入してしまった場合、ご家族のご心痛は察するに余りあります。
ajisunさんの置かれている状況はまさにそうなのでしょう。
ajisunさんは、悩み苦しんでいらっしゃる。それはロックトインになったお母さんがどんな気持ちでいるか分からないからですね。ajisunがお母さん想いのやさしい方だからこそ、悩み苦しまれるのです。
ajisunさんは、お母さんはきっと生きていたいと思っているはずだと、そう思おうとしていらっしゃる。そこへ、ロックトインの状態を「地獄」と表現しているブログを目にした。
当事者の気持ちも知らないで、勝手な想像をするな!!
と思われた。そうなのですね。
お怒りはよく解ります。もしも私が医師という職業についていなくて、ajisunさんと同じ状況だったら、同じように思うかもしれません。
しかし、こう言うのは本当に過酷なのですが、それは現実から逃避していることにはなりませんか。
お母さんの気持ちは誰にもわかりません。「生きていたい、生かせてくれてありがとう」と、ajisunさんに感謝しているかもしれません。ajisunさんはきっとそう思いたいのでしょう。それはよくわかります。
しかし、「もう嫌だ、死なせて欲しい」と思っているのかも知れないのです。お母さんが今の状態を地獄だと思って生きているのなら、そう想像しただけで、ajisunさんの胸は張り裂けそうになったかもしれません。
私はajisunさんや、また同じ状況に置かれている人達に対し、本当に残酷なことを言っています。それはよくわかっています。
しかし、現実から逃げないでしっかりと見据える事も大切ではないでしょうか。
医者は、時には癌の患者さんに告知をしなければなりません。
昔は治る見込みがなければ本人に告知することなど考えられませんでした。しかし、ここ10年くらいでその傾向は変化し、今ではほとんどの場合、本人に告知をするようになってきました。
患者さんに癌だと告げるなど、本当に嫌な役回りです。
しかし、本人も家族も真実を知る権利があるのです。
たとえ医者が真実を言っても、患者さんの中には自分が期待するような回答が出ないと、医者を逆恨みする方もいます。ajisunさんがそうと言っているわけではありませんが。
いずれにせよ、ajisunさんの気持ちを深く傷つけてしまったことを、私はお詫びしなければいけrません。
しかし、これまでに述べた自分の考えが間違っているとは思いません。
dojinさんは私はことりさんとの議論の仕方を間違えた。トラックバックももらえなかったし(泣)、もう修正不可能だろう。大変残念であるが、自業自得である。と書いておられました。
確かに、いきなりああいう挑発的な書き方をされると、議論する気にはなれませんでした。でも、修復は可能です。もちろん名誉毀損なんて冗談で書いたことです。
お互いに少し理解しあえてような気持ちがして、嬉しいです。dojinさん、ajisunさんのことについて教えていただき、ありがとうございました。
でも、ajisunさんは私のことを、もはや許してはくれないでしょうか・・・
天国へのビザ の中の後編は、アルツハイマーの母親の死にまつわる娘の心の葛藤を描いたものです。私は、勝手ながらajisunさんの姿をこの主人公に重ねてしまいました。
しかし、ほとんど売れていませんので、このままだと間違いなく絶版です(泣)。だから、私がこのブログで書いていることの社会的影響なんて、本当に心配ご無用ですよ
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前回、ブログ批判という記事を書きました。それは「批判」というよりは、「誹謗中傷」と言っていいものでした。誹謗中傷に当たる箇所は「過剰で貧困」、「安易」、「無知」、「軽率」などです。私はこのブログ主を特定して名誉毀損で訴えることもできる(?)のでしょうか。今度、知り合いの弁護士に聞いてみます。なーんて、考えてませんけど。
私はこの方からトラックバックを頂いてから、あえて2週間ほど間をあけて自分の記事で取り上げました。すると、24時間以内に、「尊厳死に反対する立場」の他の方からそれに反応するブログ記事のトラックバックとコメントが届きました。この前トラックバックを頂いた方のブログ仲間(?)のようです。(違っていたらごめんなさいね)。ということは、この方は2週間ほど、私のブログをこまめにチェックしてくれていたということでしょうか。それならば嬉しいです。
この方は、前回の方と違い、私を誹謗中傷するような言葉は用いず、「ことりさんという方の善意も疑う余地がない」と書いてくださいました。「だからこそこの問題は根が深い」とも。
そして、賛成派に向けて共感を求めるだけでなく、尊厳死法制化に反対する言説のどこがおかしいのか、それこそ臆することなく批判して欲しいとのコメントをいただきました。
そのブログ記事はこちらです。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070325/p1
まず冒頭に、私のブログを偶然見つけてしまい、大変ショックを受けて哀しい気持ちになった。と書いてありました。
私は自分の書いた記事が読んだ人にショックを与えて悲しい気持ちにさせるとは思いもしなかったので、これを読んで、同じように大変ショックを受け、哀しい気持ちになりました。
モジモジさんはロックトイン(ロックトインとは、随意で動かせる身体部位が皆無になることで、外部とのコミュニケーションが一切とれなくなってしまうような状態のこと)したら死にたいと思っていた人が、ロックトインした段階で「やっぱり嫌だ」と思い直すことは、十分ありえる話なのだ。もちろん、生きたいと思っていた人が「やっぱり死にたい」と思い直すこともあるだろう。しかし、いずれにせよ、事前の意思表明はあてにならない、ということは動かない。と、書いています。
確かにそうですね。人間の気持ちが時間を経ることによって変わることは当然あります。死にたいと言って自殺しようとした人が誰かに命を助けられ、その後何年か経って「あの時命を助けてもらって本当によかった。」と思うことはよくあることでしょう。誰も「死にたいやつは死なせておけ」なんていうことは考えません。事前の意思表示はあてにならない、ということはわかります。
しかし、私がALSだったらという仮定で想像力を働かせると、私だったらロックトインの状態で「まだ生きたい。どうか人工呼吸器を絶対に離さないで!」と思うことは、あり得ないと思います。だから、自分の場合は、事前の意思表示を尊重していただきたいです。モジモジさんはご自分がこの状態になっても「まだ生きたい」と思う可能性があるとお考えでしょうか。
1万人に一人くらい、と書くと、またフィールドワークもなく勝手な想像をしてと言われそうなので、百歩譲って百人に一人くらいそう思う人がいたとします。しかし、ロックトインの状態では「意思が変化した」ということを伝えることはできません。意思が伝えられないのであれば、どうしようもないです。意思を伝える手段を持っていた時点での意思が尊重されるでしょう。
モジモジさんのご意見は、ロックトインになる前に「ロックトインになったら人工呼吸器をはずして欲しい」と意思表示していた人たちも、もしかしたら「やっぱり死ぬのは嫌だ」というように思い直しているかもしれない。だから、すべての人がロックトインの状態になったときに、人工呼吸器をはずしてはいけない。ということなのでしょうか。では、「ロックトインになったら死にたい」という意思が変わっていなかった場合、その人の人権は無視されることにならないのでしょうか?お答えいただけるとありがたいです。
以下に、共同通信の記事を引用します。筒井康隆のショートショートの引用は確かに想像でしかありません。しかしこの現実にあった事例について、モジモジさんがどういうご感想を持たれるのか、ぜひ聞かせていただきたいです。
『間に合わなかった。もっと早く話していれば...。北里大東病院(神奈川県相模原市)の荻野美恵子(おぎの・みえこ)医師(46)は、あの事件の前に、彼に伝えたかった言葉がある。
* * *
2001年秋、神経内科外来の一室。中村久志(なかむら・ひさし)さん(仮名)は、病気が進行し、ほとんど動かせなくなった大柄な体をベッドに横たえ、思い詰めた顔で荻野医師に切り出した。首にあけた穴から人工呼吸器のチューブが伸びていた。
「今からでも呼吸器を外したい」
バス運転手だった久志さんを異変が襲ったのは前年、36歳の時。息苦しさが募り、別の大学病院で01年春に筋委縮性側索硬化症(ALS)と診断され、すぐに呼吸器をつけた。「つければ生きられる」と説明されたからだ。
ALSは全身の筋肉が動かなくなる難病だ。機械で呼吸はできても、いずれは目の動きまで止まり、意思疎通もできなくなるかもしれない。
初対面の荻野医師に、久志さんは前の病院への不満や病気の恐怖を訴えた。ほおを伝う涙を、手足を動かせない息子に代わり母の泰子(やすこ)さん(62)=仮名=がぬぐった。
荻野医師は何度も言い聞かせた。不自由な体でも前向きに生きる患者はたくさんいること。呼吸器を外せば外した人が殺人罪に問われかねないこと。「病気を嘆くより、生きることを考えよう」
自宅で泰子さんの介護を受け、3カ月おきにショートステイ(短期入院)する生活が落ち着くと、久志さんは気力を取り戻した。パソコンを口で操作して友人とメールを交換。泰子さんらと温泉旅行にも行った。
しかし、04年春には指も口もまったく動かなくなり、パソコンの楽しみも奪われた。「死にたい。呼吸器を外して」。残された目の動きで文字盤の文字を示し、再び訴えるようになった。
泰子さんは診察のたび、荻野医師に手紙を渡した。「『おふくろ、もう限界だよ』と涙をぽろぽろ流します。私が連れていくしかないのでしょうか」。文面は深刻さを増していた。
荻野医師は2人を励ます一方、胸の中である考えを温めていた。患者は呼吸器をつけるかどうか選択できても、外す選択はできない。だが「治療の自己決定権」を根拠に、彼が主治医の私に取り外しを求める訴訟を起こしてはどうか—。
次の入院を9月1日に控えた8月半ば。荻野医師は「入院したらゆっくり話そう」と久志さんに声を掛けた。裁判になれば病院を去ることになるかも。それでも、一緒に頑張ろうと決めた。
8月26日夜。泰子さんは自宅で久志さんの呼吸器を止め、包丁で自分の手首を切った。翌朝、荻野医師の携帯電話が鳴った。当直医からの緊急連絡。「久志さんが亡くなりました」
「何で!」。全身の力が抜けた。自分にも3人の娘がいる。母が子の命を絶つなんて。「お母さんにやらせてしまった」。一命を取り留めた泰子さんは7日後、殺人容疑で逮捕された。
* * *
人工呼吸器をつけて命をつなぐか、遠くない死を選ぶか-。家族の重い介護負担を案じ、呼吸器をつけないALS患者は多い。全身の機能を奪われる絶望に、一度つけた呼吸器を外してほしいと訴える人も。日本での装着率は約2割。厳しい選択を迫られる患者たちの声に耳を傾けた。
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以前の私の記事、生きている脳が他のブログで批判されていました。ご丁寧にトラックバックを下さいましたので、以下引用します。
過剰で貧困な想像力
「最期にどういう気持ちで亡くなって行ったのか、ご本人以外の誰にもわかりません。」
と書いておきながら、
「自分だったら、気が狂うのではないかと思います。」
と安易な想像をしておいて、さらには赤太字で
「地獄ではないでしょうか。」
なんて書いて、極め付けには、筒井康孝の小説まで長々と引用して
「ALSの最期の状況に通じるものがありませんか。」
とはなにごとだ。なにごとだってのも変だけど、十分すぎるほど、「ご本人」でもないのに貧困な想像力をめいっぱい働かせて代弁しているぢゃん。。。
今度なにかを書くときは、貧困な想像力と無知を補うべく、きちんとフィールドワークとか下調べとかして欲しい。別に貧困な想像力や無知を恥じることはない。想像力が貧困であることなんて、一部の本当に稀有な人間以外みんなそうだし、だからいろんなもので必死に補う必要がある。また、市井の医者が知っているALSの知識が現実のごく一面にすぎないのだって、この分業が極度に発達した社会では仕方がないのである。
だから、まるで自分が多くを知るものであるかのように装って、安易で過剰な想像力と、現状に関する貧しい知識を元に(ALS患者の)尊厳死について語るのは控えるべきである。私は未だよくわからないことが多すぎて尊厳死に賛成でも反対でもないが、この人の軽率な書き方や安易な結論には100%同意しかねる。たとえ医者だからといって(医者だからこそ)、他者の生や死への欲求を簡単に代弁することなどできないということを肝に銘じて欲しいと思う。
p.s. でも、こういう想像が案外一般的かもなぁ。。。うーむ。
というもの。(文中の筒井康隆の漢字が間違っています。)
医者だからこそ他者の生や死への欲求を簡単に代弁することなどできない、というくだりがありますが、私は他者の生や死への欲求を代弁なんてしていません。自分がALSだったら、という仮説のもとに想像力を働かせてみただけです。よく文章を読んでいただけばわかることではないでしょうか。
さらに、あなたがもしこの病気だったらどうして欲しいですか?と問いかけました。これはあくまで問いかけです。どの文章が他者の生や死への欲求を代弁しているのか、ぜひ教えて欲しいです。
そして、「ご本人」でもないのに想像力を働かせて・・・とありますが、本人でもないのに想像力を働かせることがどうしていけないのでしょうか。ALSになった人の気持ちを、ALSでない人が考えたらいけないのでしょうか。私にはどうしてもわかりません。
だいたい、本人以外の人に本人の気持ちというものは超能力者でもなければ分かるはずがありません。だから、自分が相手の立場だったらどういう気持ちがするかを想像して相手を思いやってあげること、これは医療の現場では、いいえ、医療の現場だけでなく社会生活を営む上で、とても基本的で大切なことです。それがなぜいけないのか、まったく理解できません。
今まで、医療は「治療」を目的としてきて、死んでいく人たちの気持ちを慮ることにあまり関心が向けられていませんでした。だから日本で緩和ケアや尊厳死の考えが遅れているのではないでしょうか。
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今回は子供をバイリイガルにする方法の続きを書くつもりだったのですが、Atsullows-caffe先生が終末期の演出家という記事を書かれているのを読んで、自分も独白したくなったので、テーマ変更としました。
初めて受け持ち患者さんの死と直面したときの想い出。
その患者さんは70代の肺癌のKさんでした。
Kさんの外来主治医は、医局の中でもかなり上の立場の方で、患者さんからの信頼の厚い医師でした。入院中の主治医は私でしたが、Kさんの病状説明は全て外来主治医のI先生がされ、私も、私の指導医も出る幕は全くありませんでした。
Kさんが肺癌の末期症状である呼吸困難に襲われたとき、I先生はKさんの奥さんに
「眠らせて人工呼吸器をつける事が本人が一番楽になれる方法だ」
というような説明をされ、Kさんの奥さんは人工呼吸器をつけることを希望されました。
Kさんは薬剤で眠らされ、人工呼吸器を付けられました。
先輩医師たちは、「癌の末期の患者に人工呼吸器をつけるなんて・・・」と陰でI先生を非難していましたが、誰も面と向かってI先生にそんなことを言える人はいませんでした。もちろん医師免許を取ってまだ3ヶ月くらいだった私にも何も言えるはずがありませんでした。
人工呼吸器をつけられたKさんの部屋を訪れるとき、私には針のむしろのように感じられました。いつも付き添って座っている奥さんに何と声をかけてよいかもわからず、眠らされて物を言わないKさんの胸にただ聴診器を当て、動脈血を採取して、人工呼吸器の設定を調節する毎日でした。
そんなある日、奥さんが私に言いました。
「主人、先生が水を飲ませてくれたって言って、本当に感謝していました。ありがとうございました」 と。
そういえば、まだ人工呼吸器を付ける前、Kさんに付き添ってレントゲン室へ行った時、Kさんが突然呼吸困難に陥り、「水、水が欲しい」と言い、私はとっさに水道水の水をコップに入れてKさんに飲ませました。
私には何故そんなことが感謝されるのか、全くわかりませんでした。水が欲しいと言われて、ただその通りに水を与えただけなのに。
当時、私はまだ医師としての経験がたった3ヶ月の、医師になりきっていない人間でした。もう少し医師として経験を積んでいたら、「呼吸困難の時に水なんか飲んではいけません」と言って、水を飲ませていなかったかも知れません。
医師として未熟だったがために何も考えずに患者さんに言われたとおりにした。そのことが、患者さんから感謝された・・・。皮肉に感じました。
そして、こんな状態なのに、感謝の気持ちを未熟な主治医に伝えてくださったKさんと奥さんに、敬礼したいような気持ちでした。
しばらくしてKさんはお亡くなりになりました。
私は最後まで、奥さんに何と声をかければよいのかわからないままでした。私はまるででくの坊でした。何の演出もできませんでした。本当に情けない想い出です。
ただ、ただ、ご冥福をお祈りいたします。
これはまだ、最近の話です。
肺癌末期の70代女性。身寄りがなく、見舞う人は誰もいませんでした。病室の片隅で、愚痴をこぼすこともなく、我慢強く、孤独に病気と闘っていました。
それまで弱音も吐いたことのなかった彼女があるとき私に懇願しました。
「先生、注射で一思いに、一思いに、心臓を止めてください。お願いします」
今まで、自暴自棄になった患者さんから「死んだほうがいい」とか「殺してくれ」とかその場限りの感情で言われたことはありますが、この方のように心の底から「心臓を止めてくれ」と懇願されたのは初めてでした。
「ごめんなさい。それはできないんです。それだけは・・・。楽になれるように、お薬を増やしますから、ね・・・」
私はそう言って、麻薬製剤の量を増やしました。そして、輸液を命をつなぐ最低限の量に絞りました。
翌日からその患者さんは二度と話をしなくなりました。
一週間ほどしてその方は静かに息を引き取りました。臨終に立ち会ったのは、私、ただひとりでした。
医師としての経験年数を積んだ私でしたが、研修医の時と同じで、また何もできませんでした。
私は大きな刺をまたひとつ自分の皮下脂肪の中に埋没させました。私の皮下にはそんな刺がいっぱい埋め込まれていて、何かの拍子に表面に出てきてチクチクと疼きます。
そんな刺を一気に吐き出すように書いたのが、小説天国へのビザです。苦しめてしまった患者さんへの懺悔の想いを込めて・・・
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お待たせしました。(えっ、待ってない?)
前々回の記事の続きです。
はじめに
英会話にコンプレックスを持つ私は子供に早期英語教育を試みようと考えました。
英語教材について
長男が2歳のとき、ニュース番組の特集で、英会話を美しい発音でペラペラ喋る幼児の映像が流れるのを見ました。その子供は外国に住んだ経験もなく、親は全く英語を話せないとのことでした。しかし、ある英語教材を使って自然に英語が話せるようになったと・・・。その教材はディズニーの英語システム
その頃、長男をつれてショッピングセンターを歩いていたら、「ミッキーと一緒に写真を撮ってあげます」と、写真を撮られ、アンケートを書かされました。それはディズニーの英語システムのキャッチセールスでした。話を聞いて、少し洗脳された私、ディズニーの英語システムを部分買いしました。フルセットだと目玉が飛び出るほど高かったので、歌のCDと絵本のセットだけ買いました。その後、DVDのセットも欲しくなって買い足しました。
英語のDVDは映像と英語が同時に目と耳から入ってくるので、見せているだけで英語が自然に理解できるようになる優れものです。・・・が、ディズニーキャラクターに興味のない長男は全く見ようとしませんでした。次男も見なかったので、買っただけでほとんど見ていません。(もったいない)
きっとディズニーキャラが大好きというお子さんにはいいのでしょう。
長男の英語早期教育は早々と諦めていた私でした。が、次男を出産後、家にいるとかかってくるのはセールスの電話ばかり。マンションのセールスの電話は即座に切るのですが、英語教材のセールスだと、つい、話し込んでしまうのでした・・・。
そして悩んだ末に買ってしまったのが、チャスピーE・F・G
これは、世界の名作童話のアニメをまず日本語、次に英語、また日本語、次はドイツ語またはフランス語で繰り返してくれるもの。ドイツ語とフランス語がついているのがいいな~。自分もこれで勉強になるかも・・・と思い、買いましたが、とんでもなかったです。子供たち、1回目は見てくれましたが、2回目からは見てくれませんでした。自分も、ドイツ語やフランス語の勉強しようなんて・・・土台無理。(身の程を知れ)
今度は、中央出版から電話がかかってきました。グースキーの冒険は、長男が1、2歳の頃にも電話セールスを受け、サンプルをもらいましたが、長男はサンプルビデオを全く見なかったので買いませんでした。新しいサンプルは改良されていて、以前のものより子供を引き付けるように仕上げられていると思いました。次男はけっこうサンプルに見入っていました。
でも、チャスピーを買ったばかりだから、やめておこう。と決意したのですが、やっぱり悩んだ末に買ってしまいました。
(ここまで書いて、私ってバカじゃないだろうかと思いました)
しかし、次男はグースキーの冒険のDVDはけっこう見てくれました。買った中ではこの教材が一番よかったと思います。
でも、3歳頃からは、「これ、いやー。やめて」と言うようになり、ここ1年くらい全然見ていません。
私もすっかりグースキーのDVDの存在を忘れていましたが、今日、思い出して久々につけたら、次男はブロック遊びをしながらチラチラ見てくれました。
あまりしつこいと嫌がられるので、忘れた頃にまた流してみようと思います。
車の中で英語の物語を聞かせるのも良いと本に書いてあったので、物語の朗読のCDを時々かけますが、
「やめてー。やめてー」と次男から拒否されて、いつも断念します。でも、英語の歌なら拒否されないので、よくかけています。しかし、歌を聞かせるだけでは言葉として認識されないので、あまり意味がないのではないかと思います。(ちなみに自分はいくら英語の歌を聞いても英語のヒアリングは苦手なままでした。単にキャパシティーの問題かも知れませんが)
長々とバカ親ぶりを書きすぎて、約束の本の紹介までたどり着けませんでした。
というわけで、また次回につづく。
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バイリンガル、憧れますね。
藤原正彦氏は超ベストセラー「国家の品格」の中で
小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法(p.39)と書いていましたが、私はそうは思いません。
藤原氏の説は、英語はたどたどしくても、なまっていてもよい。内容がすべて。そして内容を豊富にするには、きちんと国語を勉強すること、とりわけ本を読むことが不可欠と。それはそうです。
今の70歳以上の日本人で、英語をうまく話せる人はあまり多くない。海外へ行った彼らの多くは仕方なく、にこやかに微笑んでいました。だから欧米の人たちは、「日本人は何か胸の底に深い物を持っているらしい」と思ってくれました。(p.42) (そうでしょうか?)
最近の若い人たちは、内容は何もないのに英語はぺらぺらしゃべるから、日本人の中身が空っぽであることがすっかりばれてしまいました。(p.42)
よって、英語よりも国語が大事と書いていましたが、
だからと言って小学校から英語を教えることが日本を滅ぼすことにはならないと思います。
私は、英語と国語と両方やらせればよいと思います。
今でも英語ぺらぺらの若い日本人というのは日本では(少なくとも私の周囲では)ほとんど見つけることが出来ません。(田舎だからでしょうか。東京では藤原氏が言うように、英語ぺらぺらの若者が多いのでしょうか?)
最近、私の住む地方でも外国人をよく見かけるようになり、郵便局や店などで、中学校で習う程度のすごく簡単なことを英語で質問されても返答できずにいる日本人の姿もよく見かけるようになりました。
自分も数年前までは英会話が全く苦手で外国人を見ると避けて通っていました。しかし、子供の英会話教室のネイティブの教師から英語で話しかけられても全く聞き取れずにただ笑ってごまかす自分が情けなくなり、それから自分も英会話の勉強を始め、今は克服しました。今では英語が通じずに困っている外国人を見つけると、おせっかいにも間に入って通訳を試みるようになりました。(最近はいつも電子辞書を持っていますので、強気です)
外国人から見たら、日本人は中学から高校まで6年間英語を学び、さらに大学への進学率が高いにも関わらず、英語がほとんど通じない、日本人ってバカなのか?と思われていないでしょうか。
たとえば国際学会で素晴らしい内容の発表をして外国人から質問されて、日本語だったら完璧に答えられる内容なのに、その質問さえ聞き取れず(同じ内容を文章で読めば完璧に理解できるのに)、「あー」とか「うー」とか言っていたら、外国人から見たらガッカリだと思うのです。
やはり、こういう時に流暢な英語で答えられたら、とてもかっこいいですね。でも、流暢な英語を話すには、かなりの努力を要します。
日本人が英会話が苦手なのには訳があります。
日本語の発音が極端に少ないからです。
赤ちゃんはどんな発音も聞き取れる能力を持っていると言われています。しかし、日本語だけしかずっと聞かされていないと、日本語で使われない音を聞き取る脳の回路が消えていきます。聞き取りができなければ、その発音を自分で作り出すこともできません。
RとLの聞き取りテストでは、8歳までに外国で暮らしたことのある人と、8歳以降に外国で暮らした人の間では、有意に前者のほうが成績がよかったそうです。
絶対音感は大人になってからは身につきません。英語も同じです。読み書きは中学生から始めてもできるようになりますが、正しい発音を身に付けるには中学生からでは遅いのです。
子供の頃から英才教育したら、バイリンガルに近づけるかなと、英会話教育の本を何冊か読んでみました。
次回にその中で一番参考になった本を紹介したいと思います。
天国へのビザもよろしくお願いいたします。固定リンク | コメント (8) | トラックバック (1)
神戸で開かれた第71回日本循環器学会総会・学術集会に行ってまいりました。(あっ、専門がばれた)
子連れ学会体験記なんていうタイトルにしましたけど、子連れで行ったのは4年前のことです。(フェイント、すみません)
大学院生のとき、次男を出産しましたので
5年前は大きなお腹を抱えて札幌まで行き口演発表。4年前はだっこひもで7ヶ月の次男を身体にくくり付けて福岡まで行ってポスター発表してきました。
循環器学会はそもそも女性の比率が少ないので、大きなお腹の妊婦さんとか、赤ちゃんを連れている人なんて、まず見かけないですね。たぶん、すごく目立っていたのではないでしょうか。
学会場には、学会主催の託児室があり、大変助かりました。
この託児室、予約は必要ですが、なんと料金無料!(学会負担)
他の学会はどうなんでしょう?と思って、利用者が多そうな日本内科学会とか日本皮膚科学会、日本小児科学会など調べてみたら、どこも無料みたいですね。
私が利用したとき、利用者はとても少なくて、数人の子供しかいなかったので、マンツーマンで手厚いお世話をしていただきました。授乳時間に託児室へ行って、母乳をあげて、「あー、幸せ・・・」 (母乳あげるときって本当に幸せ。もう一回あげたい)
ああ、本当に懐かしいです。もう二度と帰らない日々ですねー。
今回は発表はなく、専門医の単位取得のための出席でした。(循環器専門医を持っているからと、循環器についての難しい質問はしないで下さいね。汗)
自分の発表がないと、気楽だけどなんだか淋しい。(などと、上司の頭脳がないと自分ひとりでは何も出来ないくせに生意気なことを思ったりして)
今は母親業と病院勤務だけで手一杯なので、(夜中にブログは書いているけど)、あれもこれもというのはちょっと欲張りすぎるか・・・
ところで、学会場の書籍売り場に大学の先輩が編集した医師アタマという本がたくさん平積みにされていて、出版社も医学書院だし、うらやましかった。(天国へのビザとは大違い)
この先輩、こんな真面目な本書くような人だったんだ~!と、大学時代のイメージとのギャップにちょっとビックリ。(あっ、人のこと言えない。たぶん)
その場で買おうかと思ったけど荷物になるので、帰ってからm3.のポイントためてもらったクーポン券使ってAmazonで買おーっと思ったら、発送が3~5週間だった。(これは天国へのビザと同じだー)
ちなみに天国へのビザはただいま1点在庫あり。在庫がなくなると、また発送が3~5週間になってしまいます。
さあ、お急ぎください。(と言われて、急ぐ人がはたしているのだろうか?)
↓Atsullow's-caffe先生がブログで天国へのビザの宣伝をして下さっています。
でもよくみたら、ビザじゃなくてピザでした。あしからず固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)