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年末、iPodに入れたミスチルのベストアルバムを聞きながら、大掃除(というか、いつもの掃除に少し毛の生えた掃除)をしていました。
その中に、私の好きな歌で蘇生という歌が入っていました。
何度でも何度でも僕は生まれ変わっていける~
という希望的な歌で、蘇生=生まれ変わること という解釈で歌詞に使われているようですが、医学的には、蘇生をしても生まれ変わることはありません。うまくいって蘇生前と同等、最悪の場合、植物状態です。
蘇生して、すっかり健康な体になってくれればいいのですが・・・。
今のご時世では考えられないのですが、研修医の1年目の時、関連病院の当直のバイトに行かされました。夜中に透析患者が心不全になってやってきました。救急車で来院するやいなや、私の目の前で呼吸が止まりました。看護婦さんがすかさず、挿管セットを私の目の前に突きつけました。
私は心臓バクバク、足はガクガクでしたが、挿管は成功し、その患者さんは息を吹き返しました。これが、私の初めての蘇生の成功例です。
1週間後に、またその病院へバイトに行き、そーっと病室を覗いてみると、その患者さんは何事もなかったかのように、ベッドに座っていました。私は「やったー!」と、自分の手で人の命を助けた喜びに勝手に浸りました。しかし、今思うと、その患者さんは蘇生しても、透析を続けていかなければならないことに変わりなく、患者さん自身も息を吹き返してよかったと思っていたのかどうか、本人に聞いてみないとわかりません。もしかしたら、あの時死んでしまえばよかったと思われていたのかも知れません。
蘇生しても医者の自己満足だけに終わることも、結構あるように思います。
92歳の老人(認知症もなく、大変しっかりした方です)が骨折で入院していました。夜中に痰がつまって窒息し、当直医は慌てて挿管して人工呼吸器をつけました。その老人は元々肺結核の後遺症で片肺を手術されており、呼吸機能は低下していました。人工呼吸器からの離脱を何度か試みましたが、すぐに低酸素血症となり、離脱は不可能と思われました。約半年間、老人は人工呼吸器をつけられていました。意識はずっとはっきりしていました。「こんな状態なら死んだほうがまし。牢獄に入っているより辛い」と、いつも紙に書いていました。
本当にお気の毒に。92歳という高齢でこんな状態なんて、もし自分だったら耐えられない。と私は思っていました。
しかし、半年後、老人は人工呼吸器から離脱できたのです。すごい回復力です。
復活した老人は車いすを自分で運転して、病院の廊下を走り回っていました。ただし、気管切開といって、喉に穴は開いたままです。
ある日、私は聞きました。また痰がつまって呼吸が止まったら、人工呼吸器を希望しますか?
老人の答えは 「希望する」でした。
半年間、あんなに辛かったのに、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのです。元気になった喜びのほうが強かったということでしょう。
しかし、老人は92歳であることに変わりありません。また肺炎になりました。抗生剤をしばらく投与すると、よくなります。が、やめるとまた熱が出る、という状態を繰り返しています。
不死身に見えた彼にも、やはり寿命はあります。いつかは終わりが来るのです。
いつまで戦えばいいのでしょう・・・。
終末期医療に答えなんてないのです
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