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麻子は、今の病院に来る前、公立の総合病院にいた。専門は血液内科。白血病の患者も多く診てきた。仕事は多忙を極め、休日も無いに等しかった。夜中でも容赦なく病院へ呼び出された。前の晩が当直で、救急患者が多く全く眠れなくても、翌日の勤務は通常通りこなさねばならなかった。当直の翌日に受け持ち患者の状態が悪化し、二晩連続で病院に泊まったこともあった。肉体的にも辛かったが、若い白血病患者の死と向き合うのは、精神的にも大変だった。
契機は結婚だった。その病院で知り合った循環器内科の医師と結婚した麻子は、この環境で妊娠や出産を望むことは無理だと考え、もっと勤務の楽な病院へ移りたいと医局へ申し出た。麻子の住む地方では医局制度が根強く、ほとんどの勤務医は大学の医局に籍を置き、医局から公立私立を含めた市中病院へ派遣されるという形態をとっていた。そして、医局から紹介されたのが今の病院だった。
この病院へ来てからの麻子の生活は、それまでと全く違うものになった。夜間や休日の呼び出しもめっきりと減り、自分の時間を持つことが出来た。夫は帰宅が遅く、平日に一緒に夕食をとることは無かったが、麻子は一人の時間を謳歌した。一人で食事を取り、ゆっくりとお風呂へ入り、寝るまでの時間は読書をしたり、映画のビデオを見たりした。
前の病院にいたときは、上司自身が夏休みを取らない人だったので、その下で働く麻子たちにも夏休みというものはなかった。麻子が結婚しても、新婚旅行のための休みさえもらえなかった。麻子はこの病院へ移ってから初めて一週間の休暇をもらい、結婚から三ヶ月遅れの新婚旅行へ行ったのだった。
今の病院では白血病患者を診ることは稀で、それまでに培った専門の知識が役に立たないことは、麻子にとって寂しくもあった。しかし、内科一般を幅広く診なければならず、新しく勉強になることも多かった。それまでは消化器内科の医者がやるものと思っていた胃カメラや大腸ファイバーにも手を染め、腹部エコーや心臓エコーも修得した。新しい技術が身につくことは楽しかった。ただ一番嫌なのは、療養型病棟、つまり寝たきり老人たちの回診だった。
前にいた総合病院には療養型病棟がなかったので、麻子には研修医時代のバイト先で遭遇して以来、五年振りの光景だった。しかし、その光景もすぐに日常になじんだ。療養型病棟のあちこちには、老人たちがオムツ内に排泄する便臭が漂っていたが、嗅覚もすぐに順応し、さほど苦にならなくなった。
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麻子の勤務する病院は、人口約四十万人の県庁所在地にある、病床数一五〇床の、個人経営の病院である。最近の個人病院の多くがそうであるように、病床は急性期病棟と療養型病棟に分かれている。療養型病棟というのはつまり、寝たきり老人のための病棟だ。そこに入院するほとんどの患者は会話が出来ない。会話が出来なくても口から食事が摂れる者はまだいい。多くの患者はお腹に、「胃瘻」と呼ばれる皮膚から胃に通じる瘻孔を造られていて、そこに通したチューブから、意志とは関係なく流動食を直接胃へ流し込まれている。
麻子が初めてこの異様な光景を目にしたのは、研修医のときだった。当時、大学病院の研修医の給料は非常に安く、それだけでは生活が出来なかったため、入局と同時に研修医にもアルバイトが与えられた。医師免許取り立ての研修医に任せられるような仕事といえば、健診の内診か、このような個人病院での寝たきり老人病棟の回診だった。医学生の頃、実習で大きな病院はいくつか見てきたが、このような光景には遭遇したことが無く、麻子はとてもショックを受けた。
人間は最後にはこんな姿になるのか。こんな姿になっても生かされなければならないのか。
それは麻子がそれまでに知らない世界だった。まさに『生きた屍』の収容所。人間であって人間でない生命体。建前は人間として扱われながらも、人間としての尊厳を奪われた人々。すべての思考をストップしてしまった脳、食べることもやめ、呼吸、代謝、排泄の機能だけが残されただけの身体。それでも、死ぬという自由さえ奪われてしまった哀れな人間の果ての姿。
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