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今日も、小説の紹介はお休みです。
今日のお昼、特別養護老人ホームから、94歳の心肺停止した女性が救急車で搬送されてきました。特養から連絡があってから、当院へ着くまでに30分かかっており、蘇生は行いませんでした。
特養の職員が家族へ電話したところ、嫁にあたる人が出て、
「私は関わりたくないんです。」
と言われ、ガチャッと電話を切られたそうです。
他の家族に連絡が取れ、こちらに向かっているという情報をもらいましたが、待てど暮らせど、家族は来ず。
その老人が当院へ運ばれたのは午後2時でしたが、午後6時になっても家族は病院へ来ませんでした。家族の家は当院から車で30分の距離です。
結局、夜になっても家族は現われず、身寄りのない方を専門に扱う葬儀屋さんにご遺体を引き取りに来ていただき、後のことはお任せしました。
当院には霊安室がないため、その老人のご遺体はそれまでの間、救急処置室にずっと寝かされていました。
1世紀近く生きた老人の生涯は、こうして最期の幕を閉じました。なんと淋しい終り方でしょう。
ご冥福をお祈り致します。
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今日、「天国へのビザ」を読んでくださった方からお手紙が届きました。以下にご紹介したいと思います。
拝啓
春野ことり様 「天国へのビザ」読みました。まず始めに、この本を書いてくださって本当にありがとうございますと、言いたいです。この本に書かれていることは、正に私の気持ちでした。
私は48歳、3人の子どもがいます。歯科医と結婚して開業し,38歳の時に准看護学校へ行き、今は看護師として医院を手伝っています。
10年前、実習で病院に行った時、老人が多いのに驚きました。私の担当した患者さんは80歳代の男性、胃がんの患者さんで、水も飲ませてもらえず、時々水を口に含ませてもらえるだけの寝たきりの方でした。先生が血液検査の結果を見て、輸血をするとおっしゃったときは、なぜここまでして生かされなければならないのかと思いました。私が医者だったら、延命の治療などしないので、訴えられて逮捕されていたかもしれません。
私の父は内科医でした。私は父の仕事振りを見て、医者の仕事をとても崇高なものと思っていました。父はとても真面目な医者で、その激務を間近に見ていましたので、医者は一生こういうふうに働かなければならないのかと思い、違う道に進みました。でも、ずっと医者になりたかったという気持ちは持っていました。でも、今の医療現場は昔よりもかなりストレスの多い職場になっていますね。先生方がかわいそうです。
私は、趣味でノバラや野菜を育てています。前のものが枯れないと次の芽が出てきません。今の人間の少子化も、老人が多いから次の子ども達が生まれないという自然の摂理だと思っています。日本人の平均寿命が60歳ぐらいになり、ひと家族に子どもが4,5人いるような日本になることを願ってやみません。
最後にもう一度、先生、この本を書いて下さり、本当にありがとうございました。 敬具
お手紙、本当にありがとうございます。大変嬉しく思います。
人間は年老いたら死んで行き、次々と新しい命が生まれ、生命のバトンをつないで行く。そんな当たり前のことが、今の日本では難しくなってきています。平均寿命が60歳というのは低すぎるとは思いますが、せめて老人が自然に死ぬことができる社会になってくれたらと思います。つまり、老衰で食事が摂れない老人に胃ろうを造って無理やり流動食を流すような事をしなくても済む社会のことです。
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植物状態で、家族からも見放されているような、西浦の受け持ち患者。人工呼吸器をつけられ、高価な抗生物質などを目いっぱい投与されると、この患者が生き延びるために一日につき何万円もの医療費が投じられる。一ヶ月この状態で生き延びれば、月額百万円を超える。いったい誰のために? 誰のための、何のための治療なのだろう。この患者は、こうして生き延びることを望んでいるのだろうか?
もちろん、多くの家族達は、寝たきりになった身内のことをとても大切に思っている。中には、毎日病院に来て献身的介護を続ける家族もいる。仕事や自分の生活のため、毎日見舞いに来られない家族たちも、遠くからいつも身内のことを案じているはずだ。植物状態だからと、患者を粗末に扱うようなことは決してあってはならない。しかし、命を長引かせることは別問題ではないだろうか。毎日長い時間を孤独に耐えている患者の気持ちはどうなのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/secondopinion/e/20d45874dd1a2b9dcc0156ce16aa69c3
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862230962/ref=sr_11_1/249-4503063-7813949?ie=UTF8
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このブログはすでに単行本となり発売されている小説「天国へのビザ」から抜粋してお送りしておりますが、都合により、一部割愛させていただきます。どうかご了承ください。
経営者側が西浦を問題視しながらも辞めさせる事が出来ない大きな理由の一つは、勤務医の供給の絶対的不足にあった。
現在、地方では勤務医の不足が深刻である。大都市への医師の集中、ここ十数年で増加している女性医師達の出産、育児による離職などに加え、平成十六年から設けられた新臨床研修医制度が勤務医の減少に拍車を掛けた。この制度により、それまで大学病院で実際に患者を受け持ち、大学病院の看護師がやらない点滴を行うなど、大きな労働力を提供していた研修医が大学病院で研修しなくなったため、医局は市中病院へ派遣している中堅の医師らを呼び戻さねばならなくなった。
市中病院では大学の医局から派遣される医師が減り、激務に耐えられなくなった勤務医が次々に開業し、さらに勤務医が減るという悪循環が起こっているのであった。
そんな勤務医不毛時代の最中、たとえ西浦のような医者でも、病院としては辞められたら困るのだった。西浦が辞めたとしても、代わりの医師の補充は望めないからだ。
http://blog.goo.ne.jp/secondopinion/e/20d45874dd1a2b9dcc0156ce16aa69c3
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その日、麻子は出勤すると、まず、急性期病棟の最も重症な入院患者を診に、病室を訪れた。その部屋は集中治療室と呼ぶには設備がお粗末すぎたが、看護師の目がよく行き届くように、ナースステーションの最も近くに位置し、重症な患者が四人まで収容できるようになっていた。麻子は、新しく人工呼吸器の装着された患者がいるのに気づき、「あら?」と思わず声を上げた。
「この患者さんは・・・。」
いつもは寝たきり病棟にいる植物状態の患者だった。口から気管内にチューブを通されたその患者のベッドの両サイドには、大小数種類の点滴がぶら下げられていた。その患者の主治医は西浦だった。彼は麻子が今までに見てきた中で最悪の医者だった。病院中のスタッフから嫌われ、看護師達は陰で彼に鼠というあだ名をつけていた。
「ねえ、シマちゃん。あの患者さん、どうしたの?」
麻子は夜勤明けで帰ろうとしていた看護師の志摩子に尋ねた。
「せんせー、昨日大変だったんですよー。あの患者さん、肺炎で呼吸状態悪くなっちゃってー。」
小柄でクリクリとよく目の動く志摩子は、興奮するといつも抑揚のある口調に加えて、語尾が長く伸びた。
「人工呼吸器はご家族の希望なの?」
「まさかー。鼠が家族の希望なんて聞くわけないですよー。延命措置するかどうかなんて、医者が決めることで、家族が決めることじゃないって、いっつも言ってますからー。」
それは、麻子が、かつて別の医者の口から聞いた覚えのある台詞だった。
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未来がいなくなってからも、それを理解できない麻子の身体は母乳を作り続け、麻子は乳腺炎になった。麻子は自分の手で母乳を搾って捨てなければならなかった。未来の飲む筈だった乳、未来の骨や血や肉に変わる筈だった自分の身体の一部を、麻子は何度もシンクに流して棄てた。ほとんど食事が手につかなかったにも関わらず、麻子の身体は自分の身を削り、どんどん母乳を作り続けた。麻子は、体中の水分という水分がすべて涙と乳となり、身も心も干からびて消えてしまえばいいと思った。
「未来の小さな心臓と肺は、どうして止まってしまったのだろう。」
その問いかけは始終、麻子の頭から離れることはなかった。
(妊娠中に何かよくないものを食べたのだろうか。)(胎児のときに毎日当てていた超音波がよくなかったのだろうか。)(それとも、賢い未来は瞬時にしてこの世の様々な醜さを察し、自ら呼吸をやめてしまったのだろうか・・・。)
麻子の頭の中では科学と非科学がごった返しになり、氾濫した。それらの考えの多くは自分自身を責めるものだった。麻子の意思でそれらを鎮静化する事はできなかった。仕事をしていればこれらの考えが鎮まるのではないかと考えた麻子は、未来をなくしたひと月後には、職場に復帰していた。
麻子の心にぽっかりと空いた穴はあまりにも大きかった。未来を失くしてからもうすぐ二年になるというのに、麻子の生きる世界では、時計の針がその進みを止めてしまっていた。
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その日の朝、麻子は何日かぶりに夫と顔を合わせた。麻子には何日会っていないかもはっきり分からなかった。
「いつ帰ったの?」
「夜中の三時頃。緊急カテがあってね。まいったよ。一昨日は当直だったし、その前は学会の準備をしてて、病院でそのまま寝てしまった。」
同じ病院で働いていたので、夫の忙しさは十分分かっていたはずの麻子だが、結婚後、夫の家を空けることの余りの多さに、あらぬ猜疑心を抱くこともあった。しかし、未来をなくしてからの麻子には、夫がどこで何をしていようと、もうどうでもいいことだった。
麻子は未来を産んだ時に、百八十度世界が変わり、失ってからはまた、全く違う世界に生きている。麻子が二度も生きる世界が変わっているのに、同じ未来の親でありながら、夫の世界は何も変わっていない。未来が死んだ後、法要のために最低限の休暇を取った夫は、すぐにいつも通り仕事に戻っていった。未来の死は夫にとって悲しかったに違いないのだが、それによって彼の生きる世界が変わるほどではなかったと、麻子には思えた。麻子にとって、夫はもはや麻子とは違う世界に住む人なのだった。
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http://www.tokyotosho.co.jp/info/bun/s28.html
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「先生にお願いがあります。」
源次郎が突然言った。
「なんでしょう。」
源次郎がとても真剣な顔付きをしていたので、麻子の頬の筋肉もおのずと引き締まった。
「もしもの場合、私に延命措置は一切しないで頂きたい。」
麻子は唐突な申し出に少々とまどったが、源次郎の意を決したと言うような真っ直ぐな瞳をみつめると、こう言った。
「わかりました。文章にして持っていていただくと誰が見てもわかるので、そういうものを作っておかれたほうがいいでしょう。」
いつものように、秀子が源次郎の言葉を補足した。
「この人、絶対に麻子先生に死水を取ってもらうんだって、いつも言ってるんですよ。本当に先生が頼りなんです。親子以上に歳が離れているというのに・・。」
麻子の父親は、麻子が幼少のときに亡くなっていた。麻子は無意識に、自分の父親が生きていたらこんな感じなのだろうかと、源次郎に父親像を重ねていたのだった。実際は、源次郎は麻子の父親よりも一回り年上だったし、源次郎の実の娘といえば、麻子よりも十五歳年上で、高校生の息子がいた。
「わかりました。もしもの場合、必ず私を呼んでください。いつでも駆けつけますからね。必ず、私が山脇さんの死水を取ります。」
こうして、源次郎の最期のときの約束が交わされたが、源次郎の腫瘍は悪性と決まったわけではなく、良性のものであれば、まだ生命予後は長いはずであった。しかし、源次郎の体力が日に日に下降していることは確かだった。
もし、ここで麻子が「何をおっしゃいますか。山脇さんはまだまだそんなこと考えなくてもいいんですよ。」などという卑怯で無責任な言葉を発したなら、源次郎はひどく落胆しただろう。自分に対してストレートに投げられた球はきちんと受け止めて真っ直ぐに相手に投げ返す。これは麻子が臨床医としての経験から身につけた礼儀のひとつである。
麻子の「必ず死水を取る」という言葉は、この上なく源次郎を安堵させた。源次郎はその日から毎晩その言葉を反芻し、おかげで安らかな眠りに就くことができた。麻子の言葉がそれほどの力を持つとは、そのとき麻子自身も気づいてはいなかったが。
源次郎は七十五歳、麻子は三十四歳、二人の付き合いはもう十年になっていた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862230962/ref=sr_11_1/249-4503063-7813949?ie=UTF8
http://item.rakuten.co.jp/book/4162852/
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「先生、よく来てくださいました。よろしくお願い致します。」
玄関先で、秀子は麻子を粛々と出迎えた。麻子は源次郎が過ごす奥の座敷へ通された。源次郎が座った位置から日本庭が見えるように、窓の方に向けて電動式ベッドが備えられていた。畳にベッドというのは一見不釣合いのようだが、在宅患者のお宅ではよくある組み合わせである。生活活動度の低下した患者が在宅で過ごすのに、ベッドは必需品である。元々、介護が必要になるという想定をせずに暮らしていた家に、突然介護用ベッドという代物が割り込んでくるわけであるから、アンバランスは致し方がない。しかし、これもまたおつな物であると麻子は思う。
「山脇さん、お加減はいかがですか。」
「痛いところも痒いところも無いんですが、ただ、食欲がない・・。」
源次郎の顔や身体からは、二週間前に診た時よりも確実に肉が削げていた。元々強面であったが、窪んだ眼窩や張り出した頬骨が、それを益々精悍なものにしていた。
こんな状態になると、多くの人は精神的に鬱状態になってしまうが、源次郎は気丈にも、座って出来る作業を見つけ出し、せっせと勤しんでいた。源次郎はちょうど、牛乳パックに和紙を貼り付けた、六角形の小物入れを製作中だった。秀子がきれいな和紙を色々と取り寄せているようだった。
麻子はひと通り、源次郎の診察を終えると言った。
「すごいですね。褥瘡も全然出来ていないし。奥さん、体位交換頑張ってみえますね。」
「ええ、もう夜中も二時間毎に目が覚めるように、体内時計がセットされてしまったようです。」
源次郎は少し苦笑いをしながら言った。
「私が家内を起こすこともあります。」
「まあ、いやだわ。先生にそんなこと告げ口して。」
秀子は夫を気遣い、努めて明るく振舞っていた。週一回、源次郎は入浴のために介護センターへ送迎バスで通所していたが、それ以外は秀子が二十四時間付きっ切りで介護をしていた。その疲労は計り知れないものだった。しかし、秀子はそれを臆面にも出さなかった。
「先生、こんな物を作ったので、また貰って下さい。」
源次郎はベッドの脇から、美しい和紙でできた鉛筆立てを取り出し、麻子へ差し出した。
「ありがとうございます。山脇さんはとても器用ですね。この前いただいた小物入れも、大切に使わせて頂いています。」
「まあ先生、ありがとうございます。」
答えたのは秀子だった。
「よかったわね、お父さん。」
秀子は源次郎に呼びかけた。源次郎はそれには答えず、正面の窓の方に視線を移し、話題を変えた。
「ここからは、庭へ来る野鳥が見えるんです。色々な鳥がやってきて、面白い。」
「餌付けをしているんですよ。りんごなんかを小枝に差しておくと、野鳥がそれを食べにくるんです。何十年もここに住んでいるのに、この辺にこんなに野鳥がいるなんて、主人が家で療養するようになるまでは全然知らずにいましたわ。もっとも、鳥の名前はよく分からないのですけどね。」
秀子が朗らかに言った。源次郎が一喋ると、秀子がそれへの付け足しを十喋る。いつもそんな感じである。これは、源次郎が脳梗塞で言葉が少し話し辛くなってからの秀子の習慣なのであろうか。特に、源次郎が寝たきりになってからの秀子のお喋りには、源次郎の周囲を重たく覆う空気を少しでも明るくしようという、秀子の健気な計らいが感じられた。そして、それは、秀子自身を元気付けるためでもあった。
「そうなんですか。この辺りは環境がいいですね。」
麻子は窓の外の庭に目を遣った。緑の葉が、床屋に行きたてのようにきちんと剪定のなされた庭木に、今は野鳥の姿はなかった。それにしても、庭師の手を借りているとは言え、いつも手入れの行き届いた庭に、麻子は感心する。動けない源次郎の視界に常に入る庭だから、手が抜けないんですよと、以前、秀子は笑いながら言っていた。
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源次郎は麻子が研修医のときからずっと診ている患者である。元来、糖尿病を患っていた源次郎だが、脳梗塞で半身麻痺を来たした際、大学病院へ入院した。このとき主治医になったのが麻子だった。努力家であった源次郎は、熱心にリハビリを行い、ほとんど麻痺が残らないまでに改善した。その後、麻子が公立総合病院へ赴任すると、源次郎はそれに付いてきて、麻子の外来へ掛かり続けた。麻子は源次郎の血糖値を適正にコントロールするために、外来で採血などの検査を行い、薬を調節した。そんな折、自覚症状は何もなかったが、麻子が一度腹部の検査もやっておきましょうと、腹部のエコーを勧めたところ、その検査でたまたま腎臓癌がみつかった。源次郎は総合病院の泌尿器科へ入院し、手術を受けた。気付かずにいれば手遅れになるところだった。
癌が見つかったことは偶然以外のなにものでもなかったのだが、源次郎は必要以上に麻子に感謝の意を表わした。麻子が今の病院へ移ると、源次郎もまた麻子について病院を変えた。総合病院と今の病院は比較的近かったため、麻子について来た患者は他にも少なからずいた。しかし、研修医時代からずっと関わっている患者は、源次郎ただ一人だった。自分を慕って付いてきてくれる患者がいることは、医者冥利につきた。
脳血栓と腎臓癌を克服した源次郎であったが、どういう理由か、病魔は彼に安息を与えなかった。今の病院へ変わってから間もなく、源次郎の両足の感覚は麻痺し始め、次第に歩けなくなった。脊髄に腫瘍が出来たのだった。それは良性のものか悪性のものか、皆目わからなかった。脊髄という場所では組織を取って調べることも出来ず、そのまま様子を見るしかなかった。МRI画像で脊髄の中に浮かび上がる、三×一㎝の小さな出来物の存在が、源次郎の脳から下半身への指令や、下半身から脳へ感覚を伝えるその流れを、完全に遮断してしまったのだった。もはや、源次郎は自分の意志で下肢を動かすことは出来ず、腰から下の部分に関しては、痛みや触覚さえ感じることはなくなった。便意も尿意もなくなったため、源次郎はオムツをあてがわなければならなかった。それら排泄物は、自分の関与しないところで勝手に出ているのだった。気位の高い源次郎にとって、それはどんなに辛い仕打ちだっただろう。
歩けなくなってからは入院していた源次郎だが、症状が固定すると、退院して在宅療養することを望んだ。このような患者が在宅で過ごすには、家族の献身的な協力が不可欠だ。自分で身体の向きを変えられない源次郎は、誰かが二時間毎に身体の向きを少しずつ変えてあげないといけないのだ。それ以上同じ姿勢で動かずにいると、たちまち褥瘡(床ずれ)ができてしまうからだ。
源次郎の妻、秀子は献身的な女性だった。源次郎が自宅へ帰って療養すると言えば、それはもう山脇家の決定事項となった。
麻子は、最近になって、どんな妻を持つかもその人の人格の一部であると思うようになった。それまで一家の大黒柱であった夫が、介護が必要な状態になったときこそ、妻の本性が出る。献身的に介護する妻もいれば、夫を施設や病院へ放り込んで、世話は他人任せという妻もいる。言葉が上手く話すことができなくなった夫を、人前でけなす妻もいる。それは、今まで家庭を顧みなかった夫への恨み辛みの結果かも知れないし、もし夫に全く非が無ければ、そんな妻を娶ったという事は、人を見る目がなかったと言うしかない。
秀子は源次郎の前で、決して愚痴をこぼすことなどない、貞淑な妻だった。それは、源次郎が妻の尊敬と愛情を受けるにふさわしい男性であることと、秀子の人格がすばらしいことと、二つの要素により成立していると麻子は思った。
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