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以前、 終末期医療:延命治療の有無、「生前意思」に診療報酬 についての記事を書きました。
1ヶ月でもう廃止になりそうです。
http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008051202010539.html
2008年5月12日 中日新聞 朝刊
政府は11日、75歳以上が加入する後期高齢者(長寿)医療制度の診療報酬体系の一つである「後期高齢者終末期相談支援料」について、廃止を含めて見直す方向で検討を始めた。患者団体などが「延命治療の中止を迫られ、治療を受けられなくなる」と強く反発したことに加え、同支援料が制度全体への批判の一因となっているとして、見直しが避けられないと判断した。
同支援料は、医師や看護師らが、回復の見込みが薄いと判断した患者と、▽現在の病状と予想される病状の変化▽介護などの生活支援▽病状急変時の治療の希望内容▽救急搬送の希望の有無-などについて話し合い、医師らがその内容を文書や映像などにまとめた場合、診療報酬2000円を支払う制度。
厚生労働省は患者団体などの批判を受け、4月28日付で都道府県などに、病状急変時の治療方針などについて患者の希望が「不明」「未定」でも診療報酬の算定を認めると通知し、延命治療に関する意思決定を強要することはないと強調していた。
しかし、野党に加え、与党内からも「医療費抑制のために支援料を導入したと思われている。お年寄りに早く死ねと言うことにつながる」との懸念が強まったため、廃止も含めて見直すことにした。
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患者団体の反発は想定内でしたが、4月1日から制定され、もう廃止とは、早いです。
週刊ポストはこの制度に関して、こんな見出しの記事を載せていました。
後期高齢者の終末医療「延命やめたら医師に〈お手当〉2千円」 団塊世代はやがて47万人が斬り捨てられる
新聞広告で見ただけなのですが、まるで医師が2千円欲しさに延命をやめるかのような誤解を与える、ひどい見出しだと思いました。よほど抗議をしようかと思いましたが、抗議をするためには週刊誌を買って内容を読まなくてはいけないので、あほらしいので止めました。
それにしてもこの制度の「算定要件」は以下の通り
しかも、医事課によくよく聞いてみると、外来患者さんの場合、死亡時にしか算定できない、入院患者さんの場合は退院時か死亡時のみ算定できる、というものだそうです。
1時間以上かけて話し合い、それを文書にまとめるとさらに時間がかかります。その報酬がたったの2千円というのはふざけています。しかも、すぐに算定できるわけではなく、いつ算定できるかもわからない。こんな手間のかかることを誰が好き好んでやるでしょうか?
はじめから現実味のない制度なので、廃止になろうがなかろうが、ほとんど何の影響もなさそうです。
ところで、後期高齢者医療制度に関して、マスコミの論調は
「年寄りは早く死ねということか!」の一点張りです。
政府もあわてて、長寿医療制度なんて、名前を変えたりしていますね。
ところでこんな話を思いつきました。
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沈没しかかっている船がありました。
船には、赤ちゃんから老人まで乗っていました。
沈没を防ぐためには、重量を減らさなければなりません。
船頭さんは苦渋の末、意を決してこう言いました。
「お年寄りからこの船を下りてもらおう!」
老人から反発の声が上がりました。
「年寄りは死ねっていうことか!ひどいじゃないか!」
「人殺し!」
船頭さんは黙り込んでしまいました。
若者や子供たちも何も言えませんでした。
そして、船は沈没しました。
子供も若者も老人も、みな命は平等です。
だから、みんな一緒に海の底に沈みました。
おしまい
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たまには医療と関係のない話を
我が家の息子たちは「クレヨンしんちゃん」が大好き。
長男が幼稚園に入ったころから、毎年親子でクレヨンしんちゃんの映画を見に行くのが恒例行事みたいになっていた。今年も下の子が「しんちゃん観に行きたい」と言うので、ゴールデンウィークに見に行くことにした。てっきり長男も行くものと信じて疑わなかったのに、長男から「僕は行かない」と言われた。
「ええっ!!行かないの~?なんで?行こうよ」と誘っても
「僕はいいから」と、ついて来なかった。
去年までは観たがったのに・・・。いつの間にか成長してしまったのだなあ、と何となく寂しかった。
(でも、テレビのしんちゃんは今でも好きで、まだ観ている。確かに映画よりもテレビの方が面白い)
それで、次男と二人でしんちゃんの映画を観に行ったものの、今年のしんちゃんはちょっと不気味で幼児にとっては怖かったようだ。映画の途中で泣き出してしまい、映画館を出てきてしまった。
次男、怖くて出てきてしまったけれど続きが気になるらしい。しばらくすると
「ママー、またしんちゃん観に行こうよ。今度は最後まで我慢してみるからー」と言い出し
「えっ!そのうちテレビでやるからさあ、テレビで観ようよ」(汗)
てな具合。
前置きが長くなったが、「クレヨンしんちゃん」と言えば、かつては親が子供に見せたくないアニメの代名詞だったはず。
5歳のしんちゃんはお尻を出してふりふりダンスをするわ、おちんちんをゾウの鼻に見立ててて「ぞーうさん」と歌うわ、親の名前を呼び捨てにし、大人をおちょくり、きれいなおねいさん(お姉さん)を見るとナンパを始める・・・強烈な幼児である。
しかし、ちょっと前に、こんな育児書が話題になっていたようだ。「クレヨンしんちゃん」はじつは最高の子育て教科書だった!というものだ。
子育てにとても大切な27のヒント―クレヨンしんちゃん親子学 汐見 稔幸
¥ 1,260
著者は東大の教育学の教授。続編も出版されている。
本書によると、5歳児がお尻やおちんちんを出すのは正常な行動で、大きくなったら自然にしなくなるから大丈夫。親をからかうのは親子関係がうまくいっている証拠。虐待されているような子供ならそんなことはできない。
ふむふむ。そんなものか。確かに長男も5歳の頃は人前でお尻ふりふりダンスをよくやっていたが、さすがに今はやらない。
我が家の子供たちはしんちゃんのようにグラビアの水着の「おねいさん」を見てデレーっとすることはないが、二人とも私のおっぱいは大好きでいつも触ってくる。
著者によると、幼少期にこういう欲求を適当に満たしてあげないと、「のちのち別の形で現れてくる」と。それは、つまり、性犯罪をおかすかも? ということかしら。それはまずい。
それを読んでからは、息子たちよ、こんな貧弱なおっぱいでよかったら、今のうちにどんどん触ってくれーと思っている。
しんちゃんは一人で公園や友達の家へ遊びに行き、一人で「ただいまー」と家に帰ってくる。5歳児が一人で遊びに行くというのは現代ではなかなかあり得ない事だ。
昔の子供たちは子供同士の遊びの中で、社会性を自然に身につけていった。同級生との横のつながり、自分より年長の子供や年少の子供のタテの社会があった。そして、叱ってくれる近所のおじさんやおばさんがいた。
しかし、今の小学生は塾や習い事で忙しく、なかなか外で遊ぶ機会が少ない。先生の監視下にある学校や塾だけでは社会性を身につけることは難しいのではないだろうか。
そう考えると、引きこもりが大量生産されてしまった理由がわかるような気がする。ちょっとでも危なそうなことは「やっちゃだめ」と言われ、外で友達と遊ぶ機会もなく、親の言うことだけ聞いて育って、いきなり社会の荒波に揉まれたら、ヘチャッとくじけてしまうのも頷ける。
先日テレビで、現在引きこもりは日本に168万人いてそのうちの過半数は30代と言っていた。忌々しきことだと思う。
多くの引きこもりの人たちは親の年金収入などに頼って、テレビ、ネット、ゲームをして1日を過ごすらしい。親が死んだらどうするんだろう。
我が子らが成人するころ、団塊の世代が高齢者となり、多くの引きこもりたちが親を亡くして生活保護を受けることになったら・・・。今の少ない子供たちが彼らを支えてかなくてはならない。その頃国の借金はいくらになっているのだろうか。色々考えると子供たちが可哀想になってくる。だから、私は増税には反対しない。将来大人になる今の子供たちの負担をこれ以上増やしたくない。
ずっと前に読んだおすすめの育児書をもう1冊。
ほんの少しのやさしさを (子育てシリーズ) 平井 信義
¥ 1,260
副題に「叱らないしつけのすすめ」とあるので、タイトルだけ読んで、「え?子供を叱らないなんて・・・」と思ったのだが、読んでみてなるほどと思った。子供のために叱っているというのは親の勝手な思い込みで、実際は自分の思い通りにならない子供に対して親が感情的に怒っていることがほとんどという。自分を思い返してみてもそうである。とくに親の言うことを素直に聞くおとなしい子供を、親が考えるいわゆる「よい子」の枠に押し込めるようにすると、子供の自主性が育たず、自我が芽生える思春期以降にやばいことになるようだ。しんちゃんみたいに、図太い子供なら心配ないのだろうが。
引きこもり大増産の今の時代、やはり「クレヨンしんちゃん」のようなたくましい子供は理想的・・・なのかも知れないと思った。
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こんなニュースがありました。
病院 「急変予測できず」妊婦・胎児死亡 遺族は提訴検討
読売新聞 2008年5月3日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/news/20080502-OYT8T00771.htm
静岡厚生病院(静岡市葵区北番町、265床)は2日、同病院で4月27日に手術を受けた静岡市駿河区の妊婦(24)と10か月の胎児が死亡する医療事故があったと発表した。玉内登志雄院長は「典型症状ではなく、急激な悪化を予測できなかった」と述べ、想定外の事態だったことを強調したが、遺族は病院の対応に不信感を募らせている。同病院によると、妊婦は初めての妊娠で、昨年9月から同病院に通院。妊婦は、死亡する約14時間前の27日未明、陣痛が出たため同病院に電話したが、応対した看護師や助産師が「痛みは強くない」と判断、いったん自宅待機となった。
同日早朝、再び陣痛が強くなり入院。胎児の心音が確認できず、呼び出された産婦人科医が、分娩前に胎盤が子宮内ではがれる「胎盤早期剥離(はくり)」と診断、帝王切開したが、胎児は死亡していた。手術後、妊婦も血圧が急激に低下し、大量出血を起こして死亡した。
胎盤早期剥離は妊婦の1%程度にみられ、胎児に酸素が供給されないため、胎児死亡率は30~50%と極めて高い。妊婦も出血を起こすことが多いが、死亡率は一般に10%未満で、妊婦、胎児とも死亡するのは「妊娠5000~1万例中に1例」(玉内院長)とまれだという。玉内院長は「胎盤早期剥離は予防できず、早期発見するしかない」と言うが、「死亡2日前の診察では異常は見られなかった」ともしている。
妊婦の父親(55)は読売新聞の取材に、「事故当日、病院は『出血はさほどなく、(死亡の)理由はわからない』と言っていたのに。今の時代に、母子ともに死亡するなんて信じられない。提訴も検討したい」と話した。
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まずは、亡くなられた妊婦さんと赤ちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
しかし、これは、「医療事故」でしょうか?
「胎盤早期剥離」は病気です。
「医療事故死」ではなく、「病死」だと思います。
詳しくはこちら産科医の先生方のブログをお読みください↓
前回、「医師アタマ」についての記事を書きました。医師の常識と患者の常識は違うというものです。
その記事のコメント欄で、「医師アタマ」があるなら「患者アタマ」がある、という話題が出ました。
まさしく、
今の時代に、母子ともに死亡するなんて信じられない
これこそ、おそろしい「患者アタマ」ではないでしょうか。
常位胎盤早期剥離は母子ともに死亡に至る可能性があるというのは医師の中では常識です。
「医師アタマ」と「患者アタマ」、この大きな隔たりを縮めるにはどうしたらいいのでしょう。
このニュースを読む限り医師がいくら「患者アタマ」を理解して歩み寄ろうとしても無理です。
「患者アタマ」が明らかに間違った認識を持っている場合、「患者アタマ」の側から「医師アタマ」に近づいていただくしかないでしょう。
つまり、一般の方々に医療の正しい知識を持っていただくことが必要です。
そのためには
まずは、メディアが個人の感情を垂れ流しにせず、社会に正しい情報を流すこと
それが第一歩ではないでしょうか。
でも、もう遅すぎるかも知れません。
産科医療はどうなっていくのか
心配でたまりません。
産科医がいなくなって、皆が自宅出産をするようになって
周産期死亡率が発展途上国並に上昇してみて
はじめて今の医療のありがたみがわかるのでしょう
本当に悲しいです。こういうニュース。
産科医たちの心はボキボキに折れているのではないでしょうか・・・
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前回、2回にわたって、「町医者の心を折るもの」というタイトルの記事を書きました。
肝硬変から肝癌を発症して死亡した患者さんの娘さんが突然来院され、「きちんと検査は行われていたのか」、「なぜもっと早く肝がんが見つからなかったのか」という由のことを言って行かれたお話です。
このエントリーには医師と非医療者の両方の立場の方々からコメントをいただきました。
医師の方々からは「私」へ同情するご意見を、非医療者の方からは「娘」の気持ちもわかるというご意見をいただきました。
その中のひとつ、いつもコメントをくださるazukiさんのコメントで、私ははっと気付きました。
そのコメントとは以下のものです。
腫瘍マーカーという呼称が適当なのかどうかも疑問を感じるところです。
言葉から受ける印象というものがあります。その言葉から想像される、本来の意味以外のものを感じ取る力が人間にはあります。
腫瘍マーカー、と聞けば『体内にがんが出来たら必ず数値が上昇するもの』というような印象を、なんとなく感じ取ってしまうのではないかと思います。
また『正常』という言葉も『がんは出来ていない』というようなイメージを与えるかもしれません。
腫瘍マーカーという言葉が一般の人にも知られているわりに、それがどういうものなのかまでを知ってる人は少ない。情報氾濫の中で、なにが正しいのか判断していくのは、難しいのでしょう。
azuki
つまり、「腫瘍マーカー」に対する医師と患者の認識の違いによる齟齬が生じていた、というわけです。
前回の記事の「私」の感情を整理します。
「娘」が父の癌死を受け、病院に対し 「きちんと検査は行われていたのか」 「もっと早く見つけることはできなかったのか」と思うことは、充分に理解できます。
もしも私がこの娘さんの立場だったら、同じように思うでしょう。ただし、それをストレートに医師にぶつけるかどうかは別として。
「私」は突然アポなしで現れた「娘」のために時間を割き、質問のひとつひとつに誠意を持って答えました。
しかし、「私」がズッコケタのは次の言葉です。
腫瘍マーカーは測ってあったのかという「娘」の問いに、「私」が正常だったと言い、検査結果の伝票を見せたところ、「娘」は
「そんなバカな!正常なんて、信じられない!」
と、叫んだのです。
正常値の書かれた伝票を見せているのに 「信じられない」とは、どういうことか。
これは「私」の理解を超えました。
すぐに、こちらの言うことは何も信じられないということだろうと思いました。そこで、こう表現しました。
どうやら「不信」という色眼鏡をかけてしまうと、白いものも黒くしか見えないようだ。
検査伝票を見せているのに信じられないのであれば、この「娘」には何を言っても信じてもらえないのだろう。そう感じた「私」は以下のように思いました。
もうこの方とはお話ししたくない
医師の中では、「腫瘍マーカーは癌があったら必ず上がるものでもなく、上がっていたら必ず癌があるわけでもない」 ということは常識です。
しかし、それは医師の常識であって、患者さんの常識ではありません。
この「娘」がazukiさんの指摘されたように腫瘍マーカーを『体内にがんが出来たら必ず数値が上昇するもの』と思っているのであれば、
「そんなバカな!正常なんて、信じられない!」
という言葉が「私」へ向けられたものではなく、「上昇しているはずの腫瘍マーカーが正常だ」という事象に向けられていることが考えられます。
以前、「医師アタマ」という著書を紹介しました。
今回のことで、すっかり私自身が「医師アタマ」になっているということを実感しました。
以下、「医師アタマ」より引用です。
本書は一つの大雑把な仮説を立て、その仮説を前提としたうえでさまざまな角度から検証をしたいと思う。
その仮説とは「医療における患者ー医師間のコミュニケーション不全は基本的に医師の論理が持つ頭の固さ、すなわち、『医師アタマ』に起因するものである」というものである。
医師がある患者を「おかしなことをいう患者」と感じる時、もしくは、「なんでこの人はこんなことをいうのだろう」と不思議に思う時、患者がいうことを聞かないといらだつ時、その原因の多くは医師自身のなかにある「医師アタマ」からくるものである。
患者にはいろいろな人がいるが、そのいろいろさ加減は、人にいろいろな人がいるのと同様である。一方、医師の頭の中では非常に整然として世界が構築されている。そこから生まれる「医師の論理」が、現代の医療を取り巻く新たな問題を生み出しているのではないか?
「なんでこの人はこんなことを言うのか」と思う時、その根拠が分かると医師は気持ちが楽になり、診療も行い易くなります。
分からないままだと溝が深まり、トラブルの元になります。
今回、azukiさんのコメントで、この「娘」の思考様式が理解できたように感じ、大変気持ちが楽になりました。
ブログを通して色々と勉強になります。コメンテーターの皆様、今後もお気づきの点を教えていただけたら幸いです。
私は患者さんの考えをできるかぎり理解したいと思っています。そして、患者や家族の皆様にも、医療提供者への御配慮をお願いしたいと思います。
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正常値を示す検査伝票を見せられて娘さんは叫んだ。
「そんなバカな!正常なんて、信じられない!」
どうやら「不信」という色眼鏡をかけてしまうと、白いものも黒くしか見えないようだ。
私は娘さんの反応に困惑しながらも、腫瘍マーカーというものは癌があったら必ず上がるものではないことを説明した。
しかし、その説明に娘さんが納得したのかどうかはわからない。ただ、聖人でも君子でも聖母マリアでもない普通の人間の私は、この時点でもうこの方とはお話ししたくないと思ってしまった。
「まだご質問はありますか?私も病棟の回診の途中なので、あまり時間が取れないものですから」
そっと言葉に棘を忍ばせたつもりだった。そもそも、事前にアポイントメントがあったわけでもなく、突然襲来されたのである。こちらの事情にも配慮してしかるべきだろう。
娘は検査データのコピーが欲しいと言った。後は事務員に託し、私は足早に病棟へ戻った。
歩きながら考えた。私はマモルさんに何か悪いことをしただろうか。娘から責められるようなことをしただろうか。
肝硬変になったという事実を告げ、マモルさんを気づかい、日常生活の指導をし、行うべき検査を勧めてきた。そして自覚症状のないうちに癌を発見し、しかるべき病院へ紹介した。
それでも娘はなぜもっと早く見つからなかったのかと言い、腫瘍マーカーの検査結果を見て「信じられない」と叫んだのである。
もしも一つでも行うべき検査が欠けていたら、私はどんな罵声を浴びせられたのだろう。
「死」や「病気」が「悪」ならば、それを防げない医者は皆「悪人」なのだろうか。
福島県立大野病院産婦人科で逮捕された加藤先生のことを思った。何の過失もないのに、妊婦が亡くなったという事実に基づき逮捕されたのである。
極論を言えば、「死」を受け入れられない遺族がいて、「不信」という色眼鏡を通して「医師が殺した」「医師が悪い」と思い込めば、警察への通報につながることはいくらでもあり得る。
現在、医療事故調査委員会の第3次試案が厚生労働省から提案されているが、そんなものが出来ても何の意味もなさない。4月22日の国会質疑において警察庁米田刑事局長は「遺族の方々には訴える権利があり、警察としては捜査する責務があり、捜査せざるを得ない」と答弁しているのだ。http://mric.tanaka.md/2008/04/28/_vol_52_1.html#more
このままでは命にかかわる診療科は絶滅するだろう。
「病気」は「悪」なのだろうか。
「死」は「悪」なのだろうか。
決してそうではない。「病気」も「死」もその人の一部分である。
以下は、日々是よろずER診療生と死は対立ではない
からの引用である。
荘子 内篇・太宗師篇では、荘子の死生観が語られている章があるのだが、そこには、こんなことが書いてある。
夫れ大塊我を乗するに形を以てし、我を労するに生を以てし、我を佚にするに老を以てし、我を息わしむるに死を以てす。故に吾が生を善しとする者は、乃ち吾が死を善しとする所以なり
その解釈は次の通り。
そもそも自然とは、我々を大地の上にのせるために肉体を与え、我々を労働させるために生を与え、我々を安楽にするにために老年をもたらし、我々を休息させるために死をもたらすものである。(生と死は、このように一続きのもの)だから、自分の生を善しと認めることは、つまりは、自分の死をも善しとしたことになるのである。(生と死との分別にとらわれて死を厭うのは、正しくない) 荘子第一冊 金谷 治 訳注 岩波文庫P184
今も思い出せるのは、ご自身の病気を受け入れて、こちらの説明に不安げな表情を見せながらもじっと耳を傾ける、優しい瞳をしたマモルさんである。
天に召されたマモルさんは、娘さんと私のやり取りをどんな想いで天国から見ていたただろう・・・。
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十年来の患者のマモルさん(仮名)は肝硬変から肝癌を発症し、専門の病院へ紹介された。マモルさんは零細企業の社長だった。社長とは言うものの大変物腰は柔らかく、温厚で気が弱そうで、真面目で実直に生きている労働者という印象であった。
突然、マモルさんの娘という人が話を聞きたいと現れた。
私は紹介先の病院から何も知らせを受けていなかったので、娘さんの出現でマモルさんの死を初めて知った。肝癌が見つかってから4ヶ月後の死だった。
マモルさんの死亡診断書の死因に「肝硬変」死亡にいたるまでの期間「十数年間」と記載されていたそうだ。この「十数年間」というのが生命保険の告知義務違反にひっかかり、保険会社ともめているというような前置きだった。
娘さんは「最初から経過を話して欲しい」と言った。初診は十年前。十年も前のカルテは倉庫にしまってあるのでそう簡単には出てこない。事務員の手を煩わし、やっと出てきたカルテを元に、経過を話しはじめた。
初診時のデータを見る限り、この時点で肝硬変になっていたとは考えられないことをお話した。最初は高血圧で受診され、経過を見ているうちに肝機能をあらわすトランスアミナーゼが軽度上昇し、慢性B型肝炎であることがわかった。そして、肝硬変へと移行し、肝臓に腫瘍が見つかって精査治療のため専門の病院へ紹介となった経緯を話した。
娘は「いつ肝硬変になったのですか」と聞いた。
慢性肝炎から肝硬変へは徐々に移行していくものなので、何月何日から肝硬変になったと言えるものではないが、血小板の数値がひとつの目安になるので、血小板が正常値よりも低下してきたころだと思われると、データを示しながらお話した。少なくとも、肝硬変の発症は「十数年前」ではない。こちらからの紹介状に肝硬変の発症時期については書いていないので、死亡診断書を書いた医師の推測なのか、本人が転院時の問診で間違って申告したのかどちらかだと思われる。
娘の質問は続いた。
「血液検査はどのくらいの間隔でやってあったのか」
「エコーの検査はどのくらいの間隔でやっていたのか」
「紹介先の病院では食道静脈瘤まであると言われたんですけどっ」
まるで尋問である。
血液検査は3ヶ月に1回程度行い、腹部エコーは半年に1回、腹部CTも1年に1回はすすめていた。食道静脈瘤も当院通院中からすでに見つかっていたが破裂しそうなサインがないため経過観察していたことをお話した。
娘は「半年に1回エコー検査を行っていたのに、どうして癌が早く見つからなかったのか、おかしいではないか」と言い出した。「若い人ならわかるけれど、父のような老人の癌がそんなに早く進むなんて信じられない」と。
私は、腫瘍の進行速度は年齢によって決まるのではなく、組織の持つ性質で決まるのだということをお話した。
しかし娘は納得のいかない顔で私の目をじっと見据えた。マモルさんの優しい目とは似ても似つかない怖い目つきだった。
「腫瘍マーカーの検査はしてあったのですか」
腫瘍マーカーは正常だった。私は正常だったと話し、その数値の書かれた伝票を見せた。
そのとたん娘は
「そんなバカな!正常なんて、信じられない」
と叫んだのである。
つづく
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これ、面白いです。農業を営む方の作品です。凄いです!ぜひ多くの方に見ていただきたいので、紹介させていただきます。
こちら、第3次試案について厚生労働省へ簡単にパブリックコメントが送れるフォームです。意見テンプレートもあります。このまま第3次試案が通ってしまわないように、みなさん、パブコメを送りましょう!
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<転院先を探したい>
娘さんは相談員にこう言ったそうです。
<主人を説得できないから・・・>と。
繰り返しますが、サトエさんは80代、1年間意思の疎通も行えず、寝たきりの状態で闘病を続けてきました。口から食事を食べることもなく、胃ろうから栄養を受けています。この状態が回復することはあり得ません。
足のゆびは糖尿病性壊疽で真っ黒に炭化し、何本かは落ちてしまっています。
娘さんは頻繁に病院に来てサトエさんを見舞っていますが、娘さんのご主人の姿を病室で見かけたというスタッフはあまりいません。
その義理の息子が、サトエさんの最期の時の過ごし方を決めてしまっているのです。
サトエさんに限らず、多くの人たちは、自分がどのようにこの世を去りたいかという話し合いを家族とすることもなく歳を取り、意思の疎通を行えなくなった状態で「死」に直面します。そして、家族によって死に方を決定されます。
「安らかに死を迎えること」がなぜ許されないのでしょうか。
サトエさんは1日でも長く生きていたいと思っているのでしょうか。自分が寝ている部屋からほんの少し離れた密室で、自分の意思とは関係なく、娘夫婦と医師が自分に人工呼吸器をつけて延命しようかどうか話し合っていることを知ったら、サトエさんはどう思うのでしょうか。
私は娘さん夫婦との対話を通して、なぜそこまで娘さんのご主人が義理の母の延命にこだわるのか、その理由を感じ取ることができませんでした。義理の息子はサトエさんの足のゆびが炭のようになってもぎ取れているのを見て、痛いだろうか、苦しいだろうかと、想像してあげたことはいったいあるのだろうか・・。
娘さんは娘さんで、ご主人の意見に従わなければならない理由があるのでしょう。夫婦関係は色々です。
医療者の立場からすると、サトエさんが延命をして欲しいのかして欲しくないのか、ご自身の意思が残してあったらどんなに事は簡単かと思います。
死を受け入れられないという理由から延命治療を希望する家族のほかに、今までの経験では「農作物の収穫期で忙しいからその時期が終わるまでは延命治療して欲しい」とか、「100歳になったらお祝い金がもらえるからそれまでは・・・」とかいった、自分勝手な都合で延命を希望する家族もいました。
生前意思をきちんと残していたら、家族の勝手な都合で延命されることはないでしょう。しかし、意思をきちんと残していなければ家族の都合による延命も仕方がないと諦めるしかないのでしょうか。家族の都合による延命にも医療費がかかり、そのうちの多くは公費だということも忘れてはいけません。
娘さんから転院先を探すというお返事をいただいた翌日、サトエさんはあっけなく亡くなりました。
家族の望みどおり人工呼吸器をつけ、昇圧剤を用いたのですが、心臓がスーっと止まってしまいました。心臓マッサージを行っても、心拍は再開しませんでした。
あまりにもあっさりした心臓の止まり方は、まるでサトエさんが「延命なんて、ごめんだよ」と、お話することのできないご自身の意思を初めて表したかのようでした。
もっともこれは私が感じただけで、本当はサトエさんはもっと生きていたかったのかも知れませんし、こればかりは分かりようがありませんが。
<ありがとうございました>
お見送りの時、義理の息子さんはさして悲しむ様子もなく、笑顔で挨拶をされました。
本人の事情、娘の事情、義理の息子の事情、そして病院経営的な事情・・・
色々な事情が絡み合った症例でした。
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娘 <人工呼吸器をつけてください>
それはご本人の希望ですか。サトエさんは、回復の見込みがない状況でも、1日でも長く延命して欲しいとおっしゃっていましたか?
娘 <いいえ、これは家族の希望なんです。本人とはそういう話し合いを一度もしたことがありません>
では、サトエさんの気持ちになって考えてみてください。サトエさんは今の状況で延命して欲しがっていると思われますか?
娘<・・・> 娘さんは急にそわそわし始め、隣にいるご主人の方をちらちら気にしはじめました。
ご主人は無言で腕組みをしたまま私と目を合わせません。
では、もしもご自身がサトエさんの状態だったら、人工呼吸器をつけて1日でも長く生きていたいと思われますか?
娘 <ねえ、あなた・・・。どう思う?>
娘さんは困ったようにご主人に意見を求めました。
娘 <私は、母の姿を見ていて、延命はかわいそうな気もするんです>
娘さんは隣のご主人を気にしながら、弱々しい声色でつぶやくように言いました。しかし、その声はすぐに男性の野太い声に打ち消されてしまいました。
<家族として1日でも長く生きていて欲しいと思うのは当然でしょう>
ご主人が始めて口を開きました。
娘の夫 <おじいさんの時も主治医の先生から同じことを言われましたよ。人工呼吸器をつけたら外せないっていうことも聞きました。でも、結局人工呼吸器をつけてもらって、その後一ヶ月くらい生きていたかなあ。やはり、できるだけの治療はしてもらわないと>
ご主人がきっぱりとした口調で言うと、娘さんは何も言わなくなりました。
娘の夫 <それに、そんなに状態が悪いんだったら、人工呼吸器をつけたって、どうせ長くは生きられないでしょう。おじいさんの時だって1ヶ月だったし>
人工呼吸器をつけてもどうせ長く生きられないのだから、つけたっていいだろうという意見は筋が通りません。
この状態で呼吸が止まりかけるということは、もう寿命ということだとは思えませんか。
私はサトエさんの義理の息子に問いかけました。しかし、彼は聞き入れようとはしませんでした。
やはり、1日でも長くと、ただ繰り返しました。
たとえ1日でも長く生きていて欲しいから人工呼吸器をつけて欲しいというご家族、もしも永遠に生きられるような治療法があったら、永遠に生きながらえさせたいと思うのでしょうか。
命には必ず終わりがあるということを、医療者は一々家族に教えなければならないのでしょうか。
申し上げにくいことですが、サトエさんは延命を希望しないという条件で療養型病床に入ってこられました。しかし、今は延命をしたいというご希望に変わられました。療養型病床では積極的な治療は無理なので、急性期病棟に移っていただいたわけですが、同じ病院内での入院日数が3ヶ月を過ぎてしまっているため、経営的には赤字なのです。
娘の夫 <まったく、3ヶ月しか病院に入院できないなんて、国は何を考えてそんなこと決めたんだ>
医療費を抑制したいからに決まっていますが、私は「そうですね」とだけ答えました。
以前は3か月で病院を移らなければならないというお話をすると、そんなバカなことがあるかと病院に対して怒りを露わにする人たちがたくさんいましたが、最近は医療崩壊の報道が多くなったお陰か、病院に対して怒るというよりも国の政策に対して怒る人が増えてくれたように思います。それはそれで医療提供者としては助かります。
娘 <それでは、延命治療を希望するならば、転院をしないといけないということですね>
申し訳ありませんが、そういうことになります
娘 <もう一度他の兄弟とも相談して、明日までにお返事します>
事態が切迫していたら、明日までになんて悠長なことは言っていられないのですが、幸い、サトエさんの呼吸状態はご家族の到着までに落ち着いて、今すぐに人工呼吸器をつけなくてもいい状態に戻っていました。でも、またいつ呼吸が止まってもおかしくありません。
返事は次の日まで待つことなく、その日に医療相談員を通していただきました。
<転院先を探します>と
つづく
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80代のサトエさん(仮名)は、1年前に急性心筋梗塞で心停止を来しました。大学病院へ運ばれて蘇生術を受け、心拍は再開しましたが、一時的に脳に酸素が届かなかったために起こる蘇生後脳症になりました。蘇生後脳症は治ることはありません。サトエさんは寝たきりで、意思の疎通は全く行えません。胃ろう栄養を受けています。足の全てのゆびは糖尿病による壊疽のため真っ黒に変色していて、大変痛々しいものがあります。しかし、サトエさん自身は表現する手段を持たないため、痛みを感じているのかいないのか、傍から見るものにはわかりません。
サトエさんは長い間大学病院に入院していました。しかし、大学病院は蘇生後脳症で寝たきりになった患者さんを長期入院させるような所ではありません。
サトエさんは私の勤務する病院の療養型病棟に転院してきました。療養型病床は急性期を過ぎて病状が安定した患者さんが長期療養できるベッドです。
療養型病床には包括医療が取り入れられています。包括医療というのは、いくら治療をしても入院料は一定で、治療すればするほど病院が損をするという仕組みになっています。
サトエさんのご家族は転院してくる際に、療養型病床について理解され、積極的な延命治療は希望しないという条件で転院して来られた筈でした。
転院後数ヶ月が経つと、サトエさんは肺炎で高熱が出ました。両側の胸に水がたくさんたまりました。
サトエさんのご家族は、その場になると急に考えが変わりました。
<やっぱり、できるだけの治療をして欲しい>
<おばあさんには一日でも長く生きていて欲しい>
<呼吸が止まったら人工呼吸器をつけて欲しい>
そう言われても、療養型病床にいては、十分な治療を行うことはできません。そこでサトエさんは同じ病院の急性期病棟に移ることになりました。
しかし、問題があります。急性期病棟では入院期間が3ヶ月を過ぎると入院基本料が非常に低くなってしまいます。サトエさんは転院してきてからすでに3ヶ月を過ぎています。療養型にいても急性期病棟にいても、どちらにしても病院経営的には赤字になってしまうのです。
急性期病棟に移ってから、サトエさんの呼吸が止まりかけました。ご家族を呼んで、本当に人工呼吸器をつけるのかどうか、意向を尋ねました。
現れたのは、実の娘とその夫でした。
<人工呼吸器をつけて欲しい>
そう言われました。
つづく
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