ちょうど20年前の今日、1987年に千葉敦子さんは亡くなりました。家族や友人の住む日本を離れ、ニューヨークに最後の居を定め、異国にて友人たちに看取られながら…。
最後の日記は「死への準備日記」として、朝日ジャーナルに連載され、今も文春文庫に入っています。彼女の闘病した20年前の日本の医療現場ではセカンドオピニオンというシステムもなく、また本人へのがん告知もあまりなされていませんでした(自分の研修医時代も肺がんを中間型腫瘍だとか言って抗がん剤治療を行っていました)。
そんな時代に彼女が、アメリカで闘病生活を送り、最後の力を振り絞って書き綴った日記です。
スローンケッタリング研究所の医師など複数の医師と相談しながらその当時の最善といえる治療でしたが、化学療法の嘔気(たぶん、その頃はHT3受容体拮抗制吐剤がまだない頃)の様子や、小脳への転移で放射線治療を受けるなど、初発より7年にも渡る闘病生活を送った壮絶な記録です。
最後の日々が決して安らかではないものの、こうしてジャーナリストとして活動をされ、またその軌跡をたどることで、日本の医療の変化、社会の変化を感じ取ることができます。
我々は患者さんに学ぶことが、まだ足りないように思います(もちろん、自分を含めてです)。最後の闘病生活を彼女が、日本ではなくアメリカを選んだのか?
それは、患者さんが希望する医療を、当時の日本の医師や病院が提供できなかったからです。彼女は最高水準といえる医療をアメリカで受けました。
今もきっと彼女のような日本人はきわめて稀でしょう、しかし果たして今の日本のがん治療を海外から受けたいかと言う患者さんがそれほどたくさんいるかというと、やはり疑問です(アメリカでは海外からそんな患者さんが殺到している先生も大勢いるでしょう・・・日本はどうでしょうか?)。
そういう意味では、日本の治療水準をアメリカに負けない水準で維持するための努力を、行政も理解してほしいものです。
千葉さんは、この他にもいっぱい本を書かれていますが、ほとんど絶版になってしまいました。この二冊だけでも、ぜひご一読を。
「死への準備」日記
千葉 敦子
よく死ぬことは、よく生きることだ
千葉 敦子 (著)
ちなみにブログや雑誌でも、取り上げられることは何度もあります。
未だにこうして取り上げられるのを見ると彼女の文筆活動は、影響が大きかったと思います。
没後二十年にして、未だに2ちゃんねるのトピックもあるので、いわゆる口さがのない人たちにしてみると目障りなのでしょう。しかし、あの時代に一人の女性がジャーナリストとして活動することがいかに大変だったかを想像すると、彼女の業績はいまだに輝かしいものだと思います。ぽち→
=千葉敦子=
1940年 上海生まれ、学習院大学卒。東京新聞記者となる。
1967年 ハーバード大学大学院に留学
1974年 海外新聞雑誌の東京特派員。
1981年 乳がん手術。
1983年 がん鎖骨上に再発し、年末ニューヨークに転居。
1984年 がん再々発。
1986年 ニューズレター『WOMAN WATCH』発行。
1987年7月9日 乳がんで死亡。享年46歳。
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私は35歳ですが、千葉さんの本を読んだのは大学の時(二十歳くらい)のときでした。
その時は千葉さんのパワフルかつ潔い生き方にただただ圧倒されて、私もこんな風にできたらなと思う反面、とても私にはできないなとも思っていました。
臨床検査技師となった今、この本を読み返すしてみると、ガンになること・ガンと共に生きる・ガンで死ぬということについては今でも変わらないテーマではないかと思います。
(実家にある千葉さんの本をたまたま車中のお供に持って帰って読み、PCで検索をかけたらこちらに辿り着きました。)
コメントありがとうございました。没後20年。彼女が赤裸々に戦う姿を手記に残し散っていったのをまだ覚えています。もしもお元気であったならば・・・と思います。またお立ち寄りください。
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