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刑事罰は
1. 犯罪を起こした当人に刑罰を科すことで矯正を期待する
2. 罪を犯した人物に刑事罰が与えられることで、それ以外の人間が犯罪へ走ることへの抑止力になる
という役割を果たすものであると思う。
であるならば、罪を犯していない人物を犯罪者に仕立て上げたり、あるいは必要以上に重い刑罰を求める(例えば殺意もないのに殺人として扱う)ような行為は無意味である。
ところが検察というものは、たとえ被告人が無罪である証拠を持っていてもそれを隠蔽しようとするようだ。
(注1. その行為の一端はm3ブログで『東京女子医大』を検索し、そこからたどっていただくとよいと思います。 )
(注2. 検察が被告人に有利な証拠を隠すのは、検察が裁判に勝とうとする以上、当然のことと言及する法曹関係者が存在することには、呆れるばかりである。裁判はゲームや勝負事ではない!)
では、なぜ検察は被告人に有利な証拠を隠すといった暴挙を犯してまで、裁判に勝つ必要があるのか。
どうやら自分たちのため・・・らしい。
裁判に負ければ、担当者の出世に響く、起訴して無罪では検察のメンツに関わる、だから裁判には勝たなければいけないと。
もう組織ぐるみで腐ってる。
そんなわけで検察そのものをまるで信用してないし、検察が逮捕した、起訴したみたいな報道に触れても、逮捕・起訴された側に正義があるかも・・・と、ついつい勘ぐってしまうのだが・・・
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