・昨日は、放浪の旅に出ていたので、ブログが書けませんでした。さみしい思いをさせて、ゴミンネ、ダーリン。今回本題長いから、読むのしんどい人は、直接「以下日記」へ行ってください。おもしろうよ。(←ホンマかいな?)
・7/30、7/31、8/1と3回にわたってこのテーマで書いてまいりましたが、一応この「シリーズ」はとりあえずこれで終わりしします。新たなネタが入ったらまた書きますが。
・先ほど、『新薬ひとつに1000億円!?』(メリル・グーズナー著、東京薬科大学医療情報研究会訳。朝日新聞出版。2009年10月15日)原著はこの日本語版の5年前の2004年にThe $800 Million Pill: The Truth Behind the Cost of New Drugsとして出版されていますから、(わたしの感覚では)結構「古い」本になります。原著は、薬一つが800万ドルとなっていますが、訳者らは、いつかの時点のレートで100億円としたのでしょう。
この本の帯には、「画期的新薬」は、かんたんには生まれない。どのように発明・開発され、いかなるコストでわれわれの元に届くのか?グローバルな巨大な医療品業界での製薬開発をめつる政府、企業、研究者、そして患者たちの攻防戦に医療ジャーナリストが迫り、内実を報告する、とあります。
帯のとおり、その「内実」がいろいろかかれて面白かったですね。ただ、私は、最初ちょっと読みずらかったですね。訳のせいなのか、このような書き方に私が慣れていないせいか分かりませんが。
内容は、研究者の地道な活動や熱意、政府研究機関の努力等感動的な話もあれば、以前から書いている利益相反の問題、製薬企業のロビー活動、ディテーリングの問題、そしてこのブログの標題の詐欺の事実も書かれています。そうそう、JAMAのような有名医学雑誌の論説でも、薬剤メーカーのちょうちん持ち記事があったことも述べられていて、あらためて、批判的に医学雑誌を見ることを考えさせられました。興味深い話はいろいろあって、以下に引用しますが、ひとつだけ、引用でなく説明を。この本の標題の薬ひとつの研究・開発に1000億円もかかるというのは、製薬企業の息のかかかった大学の経済学者、つまり御用学者がだした数字ですね。その他、政府機関やNPOも試算していますが、それより低い金額が算出されています。それは、さておき、おもしろいと思ったところの引用。(長くなるので、しんどい人は、お楽しみの「以下日記」へどうぞ。(なぜか引用は、この本の後半部分が多いです)
(大学の行き過ぎた商業化について)
多くの研究者が「やった!」という声を上げるのは、もはや医学的大発見をしたときではない。NIHの資金援助をうけた発見を商品化するために自ら設立した会社の株が発行されたときこそ、目的達成の瞬間なのだ。
もしニクソンの対がん戦争の始まりで何かの誤解があったとしたら、それは大学や研究機関に身を置く科学者が基礎科学の定義を狭くとらえていたためである。・・・不幸にして、これらの同じ科学者たちから選ばれた人間が助成金を監督する集団の管理人でもあったので、がんの環境的・社会的要因についての徹底的な調査はまったく軽んじられてしまった。彼らは、がん発症率を抑えるための公衆衛生上の予防戦略を重視することもなかった。(これは、私が嘆いている、環境・職業性疾患のUNDERESTIMATEにつながっていると思います)
環境保護論者の運動に対する反発と国の政策綱領の変化に伴い、NCIが毒物、環境、食生活とがんとの関係を大方無視してしまえる環境が出来上がった。産業労働者、少数民族などのサブグループに集中する特定のがんや、ある地域に集中して発生するがんについての問題を検討しようとする研究者には、ほとんど資金援助が亡くなった。
(セレコキシブ、商品名セレグレックスの副作用の問題で、BMJの記事)
最初の研究にかかわった著者全員が業界から資金援助をうけていたこと、また、誤りを含む研究結果が三万部以上世界各国の医師に配布されていることを指摘して、同論説はこう非難した。「プロトコルにあとから変更を加えることで、楽観的すぎる短期のデータを公表し配布するのは・・・・・・誤解を招く。誤解を招く試験結果を広く配布したのであれば、最初のプロトコルに従って再評価した正しい知見を同じように広く公表することで、これを相殺しておかなければならない。これがなされなければ製薬業界はこの先ずっと、記録を包み隠さず公表する必要を感じなくなるだろう。」(昔、プロパーと言っていたころ、ひつこく新薬を使ってくれと宣伝されていたのに、ある日からピタッと宣伝が止まりました。重大な副作用で販売中止になったからです。プロパーさんからは、一言も説明がなかったことを思い出します。)
後発品とは、特許保護を失う薬とほぼ同様の医学的利益しか患者に与えないのに、市場では「新規で、改良された」薬品として特定の購買層に売り込まれる薬のことである。
(あの有名な、Marcia AngellのNEJMの論説。注:The Truth About the Drug Companies: How They Deceive Us and What to Do About Itの著者です)
こうすれば医師や市民が新規で有用な薬について学べる、という強い主張である。残念ながら、確かに多くの医師たちは、新薬についての情報を製薬会社の営業マンや販促資料に頼っており、市民の多くは消費者向け直接広告から学んでいる。けれど、自社製品の公平な評価を製薬企業に求めるのは、ビール会社にアルコール依存症について聞くのと同じである。利益相反は明瞭だ。事実、マーケティングは医薬品の販売を目的としており、販売する医薬品の重要度が低ければ低いほど、販売にはより強力なマーケティングが必要になる。重要な新薬はそれほど宣伝を必要としない。必要としているのは模倣薬のほうだ。(私も、時々MRさんに、「宣伝する必要はないよ。良い薬なら、宣伝されなくても使うから」と。)
(上院議員のことば)
「製薬業界は独特だ。薬を買う人、つまり患者は注文せず、注文する人、つまり医師は買わない」と訴えた。医薬品の最終選択は医師が行い、その医師たちは、これでもかと無料のサンプルをくれたり、夕食をごちそうしてくれたり、異国情緒豊かな場所での教育セミナーに誘ってくれたりする、七万人もの業界のディテーラー軍団の影響を、ますます受けるようになった。(m3.comをみていると、そんなんで処方には影響されないと仰っている、お医者さんもいるようですが...)
(医学雑誌編集長の連名の声明)
「患者が臨床試験に参加するのは、人の役に立ちたいという理由が大きい。つまり標準的な治療を向上させるために参加してくれいる。参加する患者の善意を考えると、とにかく売り上げを伸ばすという目的のために臨床試験を利用することは、有力な手段であるはずの臨床研究の真価を踏みにじる、誤った行為だとわれわれは考える」と編集長たちは連名で述べている。
(「ライバル社が売り込みに使う説明に反論する際の、にわか仕立ての科学的知識を営業担当者に与えるために行われた試験。」や「種まき試験」について、書かれたところ・・・くわしくは、本読んでください)
原文↓
Sponsorship, Authorship, and Accountability
N Engl J Med 2001; 345:825-827 September 13, 2001
(本書のまとめ的な文)
何十年ものあいだ、業界トップの人たちは、薬のコストの高さは技術革新につきものの大きなリスクを反映していると主張してきた。けれども本書の各章で明らかにしてきたように、医薬品の技術革新に伴うリスクを多く担ってきたのは、公的機関と非営利機関だった。こうした機関が、ほとんどすべての長期にわたる基礎研究と多くの応用研究を行っており、これらの研究から科学的発見が生まれ、真に革新的な著療法が見つかるのだ。
現在の政府奨励策では、企業に既存薬の模倣版を研究はさせても、すでに市販されている薬と比べ新薬はどうかという点を無視する状況を作りだしている。その結果、薬の種類はますます増え、薬を販売する企業に委託された研究が医師向けの主な情報源になっている。大方この種の研究はまともな査読を受けないまま無名の雑誌で発表される。業界の援助を受けて大学が行う臨床試験を長年観察してきたある研究者が結論づけているように、その多くは「二流の科学」にすぎない。
・最後に
いろいろ面白かったのですが、ものたりなかったのは、FDAについてです。以前も書きましたが、FDAのあり方自体も問題だと思うのですが、そのことはほとんど書かれていませんでした。
あと、この著者と、この著者がリーダー役を務めているNPOのアドレスを挙げておきます。
Gooznews on Health
なんと、最近の記事で、日本でも有名なGSKが法律違反でFDAの調査をうけているという記事があります。
科学界の誠実性を求めるプロジェクト
みなさま、お待たせの「以下日記」ですよ。
・プレ放浪の旅
当生協法人は、週休2日制なのですが、ほとんど週2日休んだ記憶がありません。(あくまで記憶ですけどね)昨日もお休みです。朝から休みたかったのですが、なんせ、重症の患者さんがいるので7時前に行って、回診。その他、いろいろして9時に放浪の旅に出発。なんせ、最近精神的ストレス溜まっているので、日常から離れたかった。とりあえず、今回は、阪堺電車と通天閣の展望台に登ることを目的に出発。阪堺電車は、朝日新聞のニュースで「おでかけん」という1日乗車券と通天閣入場券セットで800円と言うのを見ており、また、同僚のDr.Sが先日阪堺電車載ってきたことを聞いており、より、行きたくなっていたのです。
・放浪の旅
新倉敷より岡山、岡山より相生、相生より新大阪、新大阪より大阪と乗りついていきました。私が、関西方面に向かう時は、鈍行で岡山より相生、相生で新快速に乗り換えて、神戸や大阪に行くことが多いのです。なんせ、小市民だから、新幹線使くのがもったいない。(かつ、電車の中で本が結構読めるのですね。新幹線だとあっという間についてしまい、ゆっくり本が読めません)
ところが、どっこい。今回人身事故のため、相生でスムースに新快速の乗り継げませんでした。そこで、急遽プラんB、相生で新幹線に乗り換えて、新大阪まで行きました。それから、大阪に行き、私の人生の第3目標のベルギービール屋さんに行きました。ただ、最近体調いまいちで、かつ、3日酔いの後遺症もあり、何を思ったのか、ネロズ・ブロンドを頼んでしまいました。別に、これが悪いのでなく、飲んだことあるのに...(このお店では、飲んだことないビールを頼むつもりだったので)ただ、2杯目にたのんだ、ヴェデット・エクストラ ホワイトが、今まで飲んだビールと違って、食感というか、「飲感」が違いました。体調不調で2杯目に飲んだので、はっきりしませんが、今度は、最初にのんで、この「飲感」を明確にしたいと思います。ただ、言えるのは、ちょっと粘ちゅうということです。舌触り、のど越しがちょっと、他のビールと違う感じがしました。(私、「ばか舌」ですから、真に受けないでね)
さて、十分酔っぱらった後、天王寺へ。そこで、阪堺電車の天王寺駅前(駅?)で、「のんびりおでかけん」を購入し、終点の浜寺駅まで乗りました。阪堺電車は不思議な電車ですね。市電のように路面を走っていたとおもうと、途中、普通の電車のように、道路とは隔てられた線路を走り、また、路面にもどる。まあ、レトロな雰囲気があってよろしい。ただ、廃線になるのかしら?各駅で、廃止反対のポスターが貼られていました。浜寺駅でいったんおりて、浜寺公園を散歩。そこには、プールがあるんですね。真黒に焼けた小学生たちがいっぱいいて、ほほえましかったです。薔薇園(ほんの、すこし咲いていた薔薇がありました)、日本庭園のようなところをあるいてから、公園をでました。阪堺電車の浜寺駅のすぐ近くに、南海電車の浜寺駅があるので、そこをちょっと見にいきました。すると、そこのギャラリーで「キコリス工房作品展」というのをしていたので、これも、ご縁と見てみました。キコリス工房とういのは、木のおもちゃを作っているところですね。動物の木のジグゾーパズルも作っており、おもしろかったです。また、遠山啓が考案した、九九の四角い木もなるほどと思わされました。(何のことかわからんでしょうね)
現在このブログは、チェコのバトバーというビールとシメイブルーを飲んで書いているので、ちょっと支離滅裂になりぎみ
さて、浜寺を後にして、阪堺電車に再度乗ってつぎにいったのは、寺地町駅。そこでおりて、「かん袋」というお店で「クルミ餅」を買いました。ここは、同僚のDr.Jより、堺にいったら、必ず買ってくるようにと厳命されており、寄りました。そこには、かき氷もあり、楽しみにしていたのですが、何ぞ人の多きことよ。座るところなかったので、お土産のみ買った帰りました。実は、医局用、我が家用にも買いたかったのですが、賞味期限が当日のみなので、あきらめました。Dr.Jの辞書には賞味期限の文字はないそうなので購入しましたが。(あと、母親と私で食べようと二人前購入)かん袋をでて、再び阪堺電車で天王寺。そこから、歩いて新世界へ。さあ、通天閣に登ろうとしたら、なんと60分待ち。あきらめましたは。阪堺電車の電車代が普通に乗ったら、多分290+290+200円の780円。通天閣が600円。20円のみ損しましたな。
さて、難波の近鉄から、阪神電車にの乗って三宮へ。(何で、近鉄で阪神だ思う人は、調べてみましょう)三宮でうな丼+そばのセットをサンチカで食べて、明石→東二見の実家へ帰りました。で、さっきのとち餅を二人で食べようと思っていたら、母親が一人で、ほとんどすべて食べてしまいました。二人前なのに、私が食べたのは一個のみ。まあ、母親が元気で、食欲もあるので安心しましたが。
風呂入って早々に寝て、9時30分ごろ起床。朝食食べて、母親とちょっとしゃべって、10時40分に実家を出て姫路へ。姫路で映画『ソルト』を見ました。この映画簡単に言ってしまえば、「草」の話ですね。(「草」が分からない人は、白戸三平やさいとうたかをの漫画を読むか、てっといばやくwikipediaで調べましょう。ワタシャ、Wikipediaで調べたことないので、ヒットするかどうか知りませんが)まあ、いままでのスパイ物に比べて、半ひねりくらいは、ちょっとできているかな。でも、最後の方が、想像できるのですね、「やっぱりそうか」と。もっと、想像できないようなストリーにしてほしいな。
その後、昼食は、オムライス。実は、姫路のあるお店のオムライスがおいしいのです。この店3回目かな。その後、喫茶店でグテマラのコーヒー飲みながら、読書。あと、姫路から新快速→鈍行で新倉敷まで、帰り、あとは車で帰宅。
いくら賞味期間の概念がなくても、こちらが気になるのDr.Jに連絡。ちょうどうちの町内に来る予定ということで、30分位してくるということで、その時連絡すると。一抹の不安を感じながら、ラジャー。ところが、連絡があったのは1時間以上後。その間、庭の草刈りや、入浴を控えてひたすら連絡を待っていました。いつもの経験で、待たされると思っていたのに、また、信じてしまった私。だまされた私が悪い。
・読めた本
この放浪の旅の間に3冊本が読めました。1冊は、今回の主題。二冊目は、読みかけていた『戦争学』(松村劭=つとむ。文春新書。平成10年)、このことはまた、後日書きます。三冊目は、『理性の限界』(高橋昌一郎。講談社現代新書。2008年)これは、(科学)哲学の本といっていいのでしょうか?対談風に書かれているので、読みやすかったですね。でも、つめると気が狂いそうになると思います。面白かったので、この著者の『知性の限界』を姫路駅のジュンク堂で買いました。ホント、ゆっくり本が読めるって良いな。私が、ゆっくり本が読めるのは、(静かな)喫茶店、(比較的静かな)電車の中、ホテルですね。図書館も読めますが、なんか、すぐ眠たくなりますね。しかし、そういう環境がなかなか無い。つらいっ!
今回、長々と書いてしまいました。もう10PM過ぎましたので、オナスビヤサイ。
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