・本日大阪で行われた「田尻俊一郎先生を偲びその歩みから学ぶ集い」という集会に参加してきました。2009年9月4日に81歳で亡くなられた田尻先生を偲んで、一緒に働いた職員、患者、弁護士、労働者、市民、直接・間接に指導をうけた医師・研究者等々集まって、田尻先生の思い出を語り、教訓としました。
・田尻俊一郎って、誰?と思われる方が多いでしょうが、「過労死」という言葉を提唱した人の一人で、外国のマス・メディアのインタビューもうけ、世界にKAROSHIの言葉を広めた方です。当然、言葉を作ったのみでなく、過労死をなくす運動に取り組んで来られました。最近毎年定番になった過労死110番もこの先生と弁護士さんで初められました。最近長時間労働の規制や、過重労働による心・血管疾患や精神疾患の認定基準が作られていますが、この先生(および、弁護士、被災労働者と家族、労働組合、市民団体等)の活動がなければできてこなかっただろうし、最近医師・看護師の過労死といわれていますが、この先生の取り組みがなければ、闇に葬られる運命にあったかもしれません。
・私も遅れて過労死に取り組みだしましたが、まだ、「過労なんかで死なない」とか、労働省は絶対「過労死」という言葉を使用しないという状況でした。しかし、ある日、TVの2時間ドラマで過労死という言葉が使われ、「ああ、社会で過労死がみとめれらたんだな」と感慨深いものがありました。しかし、また、複雑な思いもありました。言葉が定着したのは、実際にそういうこ(過労死)とがあるからですね。言葉を作って問題を提起し、ことばは定着したが、問題は解決していない。田尻先生は、そういう歯がゆい思いで過労死の死語化を望んだと思います。
・私も、何年も前に、過労死弁護団の公演の時、本来過労死弁護団なんて必要なくなるのが、理想だというたぐいのことを言ったことがありますが、ほんとうに、私が生きているうちに「死語事典」に載ってほしいものです。
以下日記
・昨日忘年会の後明石の実家へ。23時につき、風呂入ってすぐ寝ました。本日8時前に起床。朝ごはんが俵型おにぎり+かまぼこ、トマトでした。で、「足りなかったらもっと食べや」とおにぎりをまた二つ差し出してきました。何時まで経っても子供は子供、高校生の食欲のままと思っているのね。
・午前中天王寺の大阪市立美術館へゆき、「小野竹喬展」へ。実は、私の住んでいるところのすぐ近くの笠岡市に竹喬美術館があるのですが、いったことがありませんでした。この機会に見ておこうと思いました。(わざわざ大阪で見る意味があるかと思われ人もありますが、当然あります。その理由は・・・)初期の作品は、全然私の好みではないのですが、晩期の作品は、何作か、「ドキッ」としました。最近絵を見ていて、きれいだなと思うのみでなく、「どきっ」と感じることがあります。すぐ思い出すところでは、堂本印象の「交響」、 鴨居玲の「私の話を聞いてくれ」なんかかな。今回は、「奥の細道句抄絵 象潟や雨に西施がねぶの花」や「黎明」等ですね。で、今回あらたな経験をしました。大体絵を見ると、その絵自体がきれいだなと思うわけですが、今回「奥の細道句抄絵 田一枚植ゑて立ち去る柳かな」という絵を見たら、なんと元の風景が浮かんできたんですね。こういう経験って初めてです。・・・最近は、美術展にいったら、たいてい図録を買います。今回も、重いけど買ったのですが、家に帰ってみてみても、ドキッともしなければ、風景も浮かんできません。やっぱり、図録は図録ね。
・美術館後は、昼食で新世界へ。串カツとノンアリコールビールです。今回入った店は、まあまあでした。ジャンジャン横丁でイカ焼き(大阪のイカ焼きは、その他の地域の人が考えているイカ焼きとは違う)買って、駅で食しました。その後は、上記「偲ぶ会」です。
・偲ぶ会が終わった後、東梅田へ。浪速餃子ミュージアムへ。ここは、屋台のように餃子のお店が一杯出てるところです。しかし今日行ってみると、店が減っておりました。そして、さっきネットでみたら、来年1月11日で、でここが閉館されるとのこと。不況か?それは、さておき、わたしは3件で餃子食べました。「誉志喜(ヨシキ)」「鉄なべ(テツナベ)荒江本店」「満洲屋が一番」というお店ですが、ヨシキが一番おいしかったです。でも、鉄なべのおばちゃんの接遇良かったな。・・・閉館までにまた行かないと(ちょっと、新世界征服はおいておくか)
・あと、帰り新大阪駅で、551蓬莱の豚まんとシューマイをお土産に買って帰ったとさ。ドッピンパラリのプー。
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