・「はじめてのおつかい」という絵本の題名は、それを読んでいなくても、多くの日本人は知っているのではないでしょうか?林明子という絵本作家の作品です。わたしは、「こんとあき」という絵本が好きです。また、「いもうとのにゅういん」は、ちょっと泣けてきますね。・・・「母親の入院」も、泣けてきますよ。(絵本の題名じゃないですよ)
・私のファンの皆さん、お久しぶりです。久々のブログ記事アップです。火曜日朝7時30分から翌日21時30分まで病院にいて、水曜日22時に帰宅、レッドカーペットを見ながら夕食で、さすがにブログ書く気にならず寝ました。木曜日は、以下のような理由でやはりブログ記事が書けませんでした。(一応毎日書こうと思っておりますが、あまり無理はしません)
・昨日8時前に病院に着いたら、家から電話:明石で一人暮らしの母親が救急車で病院に運ばれたとこのこと。朝の外来のキャンセルをお願いしたり、必要最低限の連絡を取って、妻と一緒に車で明石へ。
・11時30分過ぎ搬送された病院についたら、母親が一人で待合にいました。それまでの経過は以下の通りです:朝7時目が覚めて起きようとしたが右上下肢が麻痺、近所の方に電話してきてもらい、それから救急車を呼んでもらい、病院に搬送。その時は、民生委員さんに付き添ってもらったとのこと。私が病院に電話をしたら、電話口にも出ることでき、普通に話も出来、一応落ち着いているみたいなので、民生委員さんにはかえっていただきました。
・病院についたら、なんと待合室で、特に点滴もせず、椅子に座っていました。(少なくとも点滴して、どこか処置室で寝ていると予想していました)ちょっとしんどそうで、下肢に軽い麻痺があるように見えました。しばらくして対応していただいたDr.より説明あり:MRI・MRAでは、血管はきれくて、脳にも新鮮な病巣なし、TIAであったと思われる、心臓から血栓がとんだ可能性があるとのこと。とりあえず、入院にはならず、帰宅することになりました。会計の時、紹介状とMRIのCDをもらって帰るという話で、待合で待っていましたが、30分くらいしてもお呼びがかからず、母親は、ウトウト・ふらふら。たまりかねて会計に行けば、計算はとっくにできていたみたいでした。ただ、われわれが呼ばれなかっただけ。(想像するに、時間外に救急で搬入され、すでに預かり金1万円支払っており、その後通常の時間帯の会計になったので、なにかうまく連絡がいっていなかったみたい)かつ、紹介状はあるがCDがもらえないので、そのことを言うと、CDのことは会計には連絡がきていなかったということで、これから焼くのに20分から30分待つとのこと。母親はふらふらしているので、もう待てないと考え、「もお、いいです」(冷静な言葉づかいです)ということで、実家へ帰宅。
・意識はしっかりしており、心臓の精査も必要そうなので、岡山の病院に母親を連れて帰ることにしました。ところが、出発/入院の準備中にまた、気分不良になり、血圧は200をこえ、フーッとするとのこと。顔色不良、目はあけられない。朝から、食べてないし、点滴もしてないし、脳血管障害の再燃/脱水と思われました。少なくとも出発前には、点滴をしといたほうが良いと思い、降圧剤を処方していただいていた診療所(救急搬入されたところとは違うところ)に電話。ところが電話に出ない。ちょっと時間をおいて、電話したらつながりましたが、Dr.Ns.は往診で不在と。自分の身分を明らかにし、Dr.に連絡していただき、点滴の指示をもらえれば、点滴のセットをもらいに行って、自宅で点滴しますからと、お願い。折り返し電話してくださるということで、待機:電話はかかってきましたが、Dr.に連絡がつかないので、点滴はお渡しできないとのこと。このとき、自分でもよく分かりましたが、非常にがっかりというか失望しました。このときほどガッカリしたことは近年なかったですね。私も同業者なので、事務の人が勝手に点滴出せなことはわかるので「それじゃあ、仕方ありませんね。ありがとうございました。」と電話をきりました。患者・患者家族の気持ちがよーーーく分かりましたよ。母親の状態は、このまま逝ってしまうのではないかと思われましたから。(まぁ、その前に救急車呼びますが。ただ、どこに搬送してもらうか悩みますが)
・そうこうしているうちに、母親の状態がちょっと改善。一刻も早く岡山へと、笹川良一のように2階からおんぶしておろして、車に乗せて移動。とっても幸いなことに車の中では状態は悪くならず、2時間30分かけて、以前私が勤めていた水島の総合病院へ。ついた時はほっとしました。あらかじめ連絡していたのでその後はスムーズ:血管確保、採血、頸動脈エコー、MRIと一連の検査。MRIで左穿通枝領域にディフュージョン(拡散強調画像)で、高信号あり、結局脳梗塞と診断。今までの経過は、血管が詰まったり、再開通したりを繰り返していたのでしょう。20時前には、入院できました。知っているDr.Ns.がいて安心です。母親もこの頃には、気分が良くなっていました。ただ、歩くのには力が入りませんが。時間遅いですが、食事も出て、それも割合食べることができました。一定話をして、20時30分に病院でました。(病状おちついているし、付き添うこともないと判断)21時帰宅して、「勝利の美酒」を飲みました。
・本日朝病院に行ってきましたが、かなり元気。久々にぐっすり眠れたとのこと。岡山のTVは番組が面白くない、漫才もしていたが、全然面白くないと文句を言っておりました。1週間は、脳浮腫に注意ですが、この調子なら大丈夫でしょう。問題は、退院後です。本人は明石へ帰る気満々ですが...まあ、この1週間でどうするか考えましょう。
・ところで、病院管理者として思ったことですが、最初に搬入されたところの病院で、いくつか不具合があったと思います。自分の病院なら、当然不具合報告書を出します。(そもそも不具合報告書をだすのは、責任の追及ではなく、システムの改善です。今回の経験を当院へ水平展開したいと思います。)細かいことは書きませんが、ただ、純粋に医学的な対応についても、研修医の方には、次のことを私なら指導するでしょう。片麻痺できた救急患者には、必ず血管確保をして、採血はする。採血検査の第一は、血糖・・・低血糖は無いか?です。低血糖で、片麻痺は来ますから。血管確保の意味は、当然、急変の時迅速にいろんな薬が投与できるからです。加えて、急患はほとんどの場合、食事がとれません。特に高齢者はそもそも脱水傾向なものです。よっぽどの心不全でない限り、輸液は必要でしょう。私の母親を受け入れてくださり、MRIを迅速にとっていただいたDr.および病院には感謝いたします。しかし、教育的観点からは、今私が書いたことが必要だと思います。(本当にツーカーのところなら、不具合を報告してシステムの改善を望みますが、そんなラポールできてませんので、そのようなことはしません:不親切かな???)
・イヤー、身内の病気っていろいろ勉強になりますね。そうそう、昨日、母親には「エンディングノート」を渡しておきました。
固定リンク
|
コメント (1)
|
トラックバック (45)