・昔何かの本で,浄瑠璃が一発あたると似たようなストリーのモノを次から次まで,売れなくなるまで書くといったことを読みました.それが事実かどうか検証していませんが,音楽も似たようなことがあるので,多分そうかなと思いますし,最近の出版状況をみていると,そうだなと思います.『~~のウソ』『**の品格』『何とか格差』の類です.
最近『蟹工船』が売れているので,誰か『牡蠣工船』とか『海老工船』って書かないかな?作家名も小森多喜三とか.
・『国家の品格』は,多分「品格シリーズ」の火付け役ではないでしょうか?最初とても読むのが大変なのかなと思いましたが,アッという間に読めました.個人的評価は,玉石混淆,優良可のうちの「可」でしょうか.作者は,藤原正彦というひとで,数学者.新田次郎の次男だそうです.
・共感したところ・面白いなと思うところを、いくつかピックアップします。
第二章が「「論理」だけでは世界が破綻する」というものです。個人的には、そんなん当たり前ジャンと思うのですが、どうも世の中は全て論理で解決すると思っている人が多い/もしくは、そういった人にひっぱられる人が多いみたいですね。この中で、国際人要請のため、小学校から英語をという論調がありますが、作者は明確に反対し、義務教育では、国語をしっかり教えるべきだと書いています。英語を小学校で絶対教えてはいけないかどうかは、私はまだ明確な意見を持っていませんが、国語をしっかりはまさしくその通り。作者の書いている「内容ナシ英語ペラペラ」は、いただけません。
論理の話で面白いのは、論理の展開に当たって、一番最初の前提(AならばB、BなばらC・・・結論Z、のA)は、論理的帰結でなく仮説であり、この仮説を選ぶのは論理でなく、主にそれを選ぶ人の情緒なのです、とあります。・・・「情緒とは、論理以前のその人の総合力と言えます」・・・「・・・その人の情緒力を形成し、論理の出発点Aを選ばせるわけです」また、ゲーデルの定理のことも述べています。(「不完全性定理というのは、大ざっぱに言うと、どんなに立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する、ということです」)
作者は、武士道というものを主張しています。私は、武士道という言葉は、とっても眉唾と思っているのです。ただ作者がこの本で書いていますが、「武士道に明確な定義はありません」。ですから、武士道を議論する場合、その定義を明確にしないと、議論はすれ違いですね。私のイメージする武士道と作者の武士道は、違うみたいです。それは、さておき、作者は「卑怯」を教えよと行っています。共感しますね。卑怯とは、大勢で一人をいじめるとか、法律に禁止されていないことなら何してもよいとか、いうことです。
*映画『切腹』(小林正樹監督、1962年、松竹)というものがあります。これをみていただくと、私が武士道を眉唾という意味が分かると思います。(分からないかもしれません。)
長くなったので、最後に、作者の品格ある国家の指標をあげて、終わりたいと思います。
①独立不羈
②高い道徳
③美しい田園
④天才の輩出
この本、個人的な評価は「可」と書きましたが、皆さん、読めば面白いと思いますよ。評価は「可」でも、オススメします。
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・『何々のうそ』といったタイトルの本が,何冊か出回ってます.『社会調査のウソ』『環境問題のウソ』といった本は読みました.その流れでこの『学者のウソ』(掛谷英紀.ソフトバンク新書.2007年2月)を読みました.結論から言うと,一読に値するというものです.一番興味深いのは,「言論責任保証」というものを提案しているところです.私は,マスコミ/言論人が,色々いうけど責任とってないじゃないと,思っておりましたが,この著者も同様の問題意識で,如何に自分の言説に責任をとるか,そのシステムを提案しているところに,他の『~~のウソ』との違いがあると思います.ただ,何かそのシステムが難しそうで,ちょっとここでは,説明ようしません.原著読んでください.それと,この著者が中心となって運営しているNPO 言論責任保証協会のWebsiteもご参照を.
・さて,この本の中で「エリート」について述べている所があります.「4 既得権益としての学歴エリート」といった項で,そもそも高度な仕事とは何かについて論じられています.五つの職業:医者,弁護士,看護婦,介護士,保母を代表として,この中で高度な仕事は何かと問題提起しています.途中の議論の展開は,原著を読んで貰うこととして,結論は,「ロボットやコンピューターなどの自動機械や人工知能でその仕事をさせることの難易度を物差しとする方法」がある.「医師や弁護士の仕事で要求される能力は記憶力と論理的推論の能力である.こういった作業は,言語化,記号化,数値化が簡単である.」途中略して,「内科医の場合,どの薬を処方するかを決めるのが主な仕事であるから,とりうる選択肢はある程度絞られる.そういった仕事は人工知能に覚えさせるのは比較的楽である.」・・・著者は,医師の仕事(弁護士も同様に述べていますが)は,コンピューターで代替できるから,高度な仕事ではないと言いたいようです.この部分医師側(弁護士側も)からは,いろんな側面から反論がでてくると思います.まず,大前提(と思われる)「医師や弁護士の仕事で要求される能力は記憶力と論理的推論の能力である」というところから,議論がわき起こるし,内科医の仕事が薬を処方するのが主な仕事というのも,いろんな議論が起こると思われます.私は,ちょっと人のふんどしで相撲を取ろうと思います.医師は,論理・推論のみしているのでなく,以下のようなことを患者・国民から期待されていると思われます,というものです.(以下の引用は,直接的な反論というのでなく,医師というものは,多面的な役割があると言うことをいうための一つの例示とお考えください)
五つのモデル・イメージ:『21世紀プライマリ・ケア序説』(伴信太郎.プリメド社.2001年)より
1.魔法使い
権威づけをして,上下関係をつくりあげるようないろいろな状況,装置をつくりあげる.その典型が「知らしむべからず依らしむべし」という態度である.この魔法使い的なイメージは今も医師の底流に流れている.
2.学者
西洋では12~13世紀から,日本では鎌倉時代から学者モデルの医師が登場する.そのころは大した医療技術はなく,むしろ高等教育機関で哲学,天文学などを学んだ知識階級としての医師で,伝承された正当な知識をもった物知りというイメージである.
3.科学者
科学者は,個別性を捨象し,普遍的な要素に焦点を当ててアプローチしようとする.科学者として象徴的なのが,研究をして博士論文を書くということと,白衣を着るという習慣である.白衣は科学的な研究に従事するときの実験着に由来する.このモデルでは,現場の医療に求められる対人間関係にはあまり注意が払われない.科学者モデルでは,患者は客観的に観察される対象になっている.
4.技術者
人間の身体を機械的モデルでとらえ,画一化して,さらには分業して効率的に取り扱おうというものが技術者モデルである.技術者モデルによるアプローチでも,個々の患者の個性は捨象されている.技術者は,自分のもっている知識,技術で対象をコントロールし,また自分が確実にコントロールできる対象以外は「自分の専門でないから」ということで,ほかで診てもらってくださいということになる.
5.援助者
患者さんとコミュニケーションをとりながら,患者さんの問題を感知し,それをいろいろな専門家といっしょに解決しようという問題解決志向.その基本は,まず相手を対等な人間として認めることである.そして,自らの健康に関する決定権はあくまでも患者さん自身にあり,医師はそれをサポートするという立場である.援助的コミュニケーションでは,説明や説得よりも傾聴が重視される.援助者は,患う人と共感することによって,同じような体験ができ,それによって援助者自身も成長する機会が与えられる.
*私は,医師に必要な中核的な能力は,コミュニケーション能力だと思っています.そして,不測自体対応能力が,それに加われば,「言うことナーシ」と思っています.特に,不測自体対応能力は,日々積み上げていくものだと思います.
不測自体に対応するためには,情報を収集し,評価し,発信し,他の人・組織をコーディネートしなければなりませんから,総合的な力量が必要と考えます.
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