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2007.10.21 22:30 |  その他(一般)  |  ミチバ  | 推薦数 : 1

谷岡一郎氏の本2冊

・2000年8月に谷岡一郎著『「社会調査の」ウソ リサーチ・リテラシーのすすめ』(文春新書、2000年6月20日)を読みました。一部私の感性で、違和感を覚えるところもありましたが、よい本だと思いました。全く私の主観的採点で、5段階評価の4~5と行ったところです。標題のとおり、社会調査いの問題点を挙げられています。ご一読ください。

(この本の冒頭で「新日本婦人の会」の行った「調査」が批判的に紹介されています。この「調査」と似たものに、イラク戦争反対とか憲法九条改悪反対といったシール投票というものが時々みられます。わたしは、医療の大前提は平和と考えていますから、その様な運動に反対しているわけではありません。しかし、シール投票といったものは、問題があるとズーっと思っていました。この本を読んでその思いを強くしました。たとえシール投票で圧倒的多数でイラク戦争反対という投票が多くても、何も日本国民の意見を代表してませんから。シール投票の結果を見て、運動の戦略をたてたら大きな間違いになると思います。もう一度書きますが、平和を守る運動には敬意を表しますが、間違った方法論をもちいると、善意で行っていることが、その「つもり」とまったく反対の結果をだしてしまう恐れがあります。なぜ、そうかは、この本を読んでいただければわかるでしょう。)

・で、本日この著者の『データはウソをつく』(ちくまプリマー新書、2007年5月10日)を読みました。コレは、『「社会調査」のウソ』の続編です。実は、『「社会調査」のウソ』を読んだとき、「問題は、分かった。でも、どうせーいうんじゃ(岡山弁)」といった感想を持ちました。 『データはウソをつく』の冒頭で「やってはいけないことはわかりました。ではどうするべきなのか中心に、若い人々にもわかりやすく解説してもらえませんか」という編集者の要請で書かれた本です。これもよい本だと思います。個人的には、前回よりもよいです。でも、前著を読まないとちょっとわかりずらいかな...この本の主題は、読んでいただくとして、私が気に入った部分を少し引用させてもらいます。

・学問に向いてない人々という節で:「研究は真理の追究を優先すべきで、それができないなら研究者にはなるべきではありません。

「あなたに必要なのは、正しいと思ったことを、皆が反対する中でも主張するほんの少しの勇気なのです。」

・「学ぶ」とうい楽しみという節で:

「この自己実現の喜びは、新しいことを学び、そして発見する。さらにそれを世の中に発信し、最終的に世の中の為になることを指します。つまり「自分が生きる意味を見出す喜び」だと言い換えることができるでしょう。」

・あと、セレンディピティserendipityという言葉も紹介されています。この言葉をご存じない方は、調べてみてください。(私は見てませんが、こういう題名の映画がありました)

・いしいひさいちの四コマ漫画が随所に入れられていました。以前書きましたが、いしいひさいちは好きな漫画家だったのですが、今回すごいと思いました。どういう勉強をされているのでしょうか?コレこそ四コマ漫画の真髄。(この記事見てもさっぱりでしょう→本を読んでください。決して筑摩書房の回し者ではございません)

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・本日岡山市であった「お祭り」に参加してきました。天気がよくて気持ちよかったし、多くの知人とも会えました。

・ステージの出し物で、「岡山さわら連」という人たちの踊りがありました。結構おもしろく楽しい踊りで、また見てみたいものです。出世魚といわれている「さわら」を全国に普及させる活動をされている団体のようです。その時のお話で、さわらは岡山県以外あまり食べられていないようです。意外でした。私は、さわらの刺身も、塩焼きも、ばらずしも好きです。日本全国食べられているものだと思っていましたが、そうでは無いようです。ミックスジュースが日本全国に無いということを「るるぶ」で知った時のように衝撃でした。

・お祭りの帰りに岡山駅の三省堂によりました。今まで、三省堂=辞書ということで、名前の由来を全然考えてなかったのですが、本日ふと、コレは論語からとった名前ではないかと思いました。帰宅して、三省堂のWebsiteを見てみると、まさにあたり。以下の論語の一説から採られたものです。この言葉好きでした。

吾れ 日に三たび 吾が身を 省みる。
人の為に 謀りて 忠ならざるか、
朋友と 交わりて 信ならざるか、
習わざるを 伝うるか。

『論語』巻第一 学而

・ついでに:成蹊学園というところがありますが、以前からコレは漢文からとったものだと、勝手に思っておりました.裏を取ってみるとその通り.以下のそこからとった説明をコピーしておきます。

桃李不言下自成蹊



成蹊学園の教育の理想を最も的確にあらわしているのは「成蹊」という名前です。 「成蹊」という名は、司馬遷が「李将軍列伝」(史記)において李廣の人物を述べるため引用した諺「桃李不言下自成蹊」(桃李ものいはざれども、下おのづから蹊を成す)から採ったものです。意味は「桃や李(すもも)は、口に出してものを言うわけではないが、美しい花やおいしい実があるから自然と人がやって来て、そこに小道(蹊)ができる。つまり、桃や李は、人格のある人のたとえで、そういう徳のある人には、その徳を慕って人々が集まってくる。」ということです。そのため、校章も桃をかたどったものになっています。

・そんなん、常識ジャンと言わないで下さい。私にとっては、「あたり」でうれしかったんですから。

・お祭りの時に、他の病院の院長先生から、私の文章=エッセイ(当法人の医局報「西部医師通信」というもの)を読んでくれていて、そこで紹介していた本を何冊か読んだとのこと。また、そこの病院職員さんも私の文章を楽しみにしているといってくださいました。社交辞令でも嬉しいものです。

・本日は天気もよく、人との出会い、「知識」との出会いで気持ちよかった1日でした。(夜は、録画していた探偵ナイトスクープを2回分みて、これまた幸せな気分)

*まったく、それがどーしたとい言う記事でゴミンナサイ。

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