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刑事責任能力について、いろいろと思うところがあり、いずれ、まとめて文章にしたいと思いつつ、延々と先送りになってしまっています。
特に最近目立つ、あるいは、気になるのは、精神障害者の刑事責任能力について“?”な判決が多いことです。
判決を下すのは裁判官の仕事であり、判決の是非を裁判官以外のものが云々するのは不適切だと思います。
(「不当判決」という言葉は不当だと考えておりますので)
ただ、刑事責任能力に関しては、精神鑑定という形で裁判官からも意見を求められるくらいですから、精神科医が意見を述べてもいいのではないかと思い、この文にしました。
以下のは、本日(平成21年5月7日)判決が下された、ある殺人事件に関するニュース記事へのリンクです。
その方の責任能力を示す根拠が不十分で、責任能力に疑問・合理的疑いが残る、とのことで無罪判決となったと報じられています。
同様の判決をしばしば見かけるようになってきていますが、これはどうしたものか、と思うのです。
たいていの精神科医は、精神障害によって明らかに理非善悪の判断ができなくなっている場合に、心神喪失に相当すると判断していると思うのですが・・・
理非善悪の判断ができる(できていた)かどうか合理的な疑いが残る、とのこと心神喪失ということになれば、精神鑑定に持ち込むことさえできれば、かなりの割合の人が(精神障害があっても、なくても)心神喪失になってしまうでしょう。
障害・病気があると判断することより、障害・病気はないと断定することの方が難しいのです。
精神鑑定(本鑑定)は、通常犯罪行為からかなりの時間を経て行われるものです。
事件後に多少でも精神症状があれば(もともと精神障害があった場合はもちろん、事件を起こしてしまったということに対するストレス反応であっても、拘置されたことによる拘禁反応であっても、はたまた詐病であったとしても・・・)、時間が経てば経つほど、事件当時に100%責任応力があったかと問われると、その疑いを合理的に排するのは難しくなってきます。
心神喪失・心神耗弱というのは、本来は例外的な事例なのです。
精神障害の範囲が広がり、一般的となった現在では、より厳密な適応が必要なのではないかと思います。
心神喪失と判断するためには、 明らかに理非善悪の判断ができなくなっている、ということを必須とすべきでしょう。
もう一つ大きな問題は、パーソナリティ障害(人格障害)の取り扱いです。
時折、パーソナリティ障害を理由に心神耗弱が認められたりしています。
しかし、統合失調症などと異なり、パーソナリティ障害の方に、心神喪失・心神耗弱を認めるのは、いかがなものかと思います。
治療的な面からは、パーソナリティ障害を理由とした罪の減免は本人のためにならない、と考えます。
ごくおおざっぱにいうと、その個人のルール(考え方・行動の仕方)が、社会のルールから、大きくずれてしまったのが、パーソナリティ障害です。
ルールから外れて、他者に迷惑をかけてもペナルティなしでは、自分のルールを、社会の中で許される範囲に収められるようにはなってゆきません。
詳細な議論は、いずれ別に行いたいと思いますが、とりあえず・・・
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