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高血圧の人には、まず上腕で測る家庭用の血圧計を買っていただいています。
朝起きた直後、できれば排尿後の血圧を測っていただきます。
実は、二ヶ月に一度、長らく待たされた後に病院で測る血圧よりも、家庭早朝血圧のほうがよっぽど大切なのです。
大体の方はやっていただけるのですが、なかには不服そうな人がおられます。
血圧計にお金を投資するのが惜しいのかと思いきや、そうではありません。
「家で血圧を測ってもし高いと恐ろしいから・・・」
「???」
血圧を測っても測らなくても、高いときは高いのですから、恐ろしさに差はないのですが。
どうやら人間は、都合の悪いことからは目をそらすという習性があるようです。 かくして、高血圧は、「サイレント・キラー」といわれ、知らず知らずのうちに全身の動脈を蝕んでいくのですね。
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困難にぶちあったときこそ、まず正しく現状を認識することが大切です。固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
前回の問題を繰り返します。
「19世紀の終わりにアメリカとスペインの間に戦争がありました。当時、アメリカ海軍の死亡率は『1000人当たり9人』でしたが、同じ時期のニューヨーク市民の死亡率は『1000人当たり16人』でした。海軍の募集係は「海軍に入隊したほうが安全」と宣伝しましたが、そうでしょうか?」
(安斎育郎著: だます心 だまされる心 岩波新書 より引用。)
答えはもちろん、そうではありません。
「数字だけ見ると『海軍のほうが安全』だと思い込みがちだが、ニューヨーク市民には高齢者も病人も含まれる。くらべるなら、海軍の兵士と同じ年齢層、健康状態のニューヨーク市民の統計とくらべなければならない。」
答えも同上より引用。
そうなんです。これは、論文を書くときの大切なポイントなのです。
「選択バイアス」といいます。
つまり、ある仮説にとって都合のよい集団を持ってきて比較すると、極めて恣意的な結果が得られます。
選択バイアスがあれば、あとでいくらすばらしい統計処理をしたとしても無意味です。統計上は有意差がでているので、うっかりだまされてしまいます。
詐欺師がよく使う手です。
だから、論文で、対象の記載は厳密になされなければなりません。つまり、論文では、対象のinclusion criteriaとexclusion criteriaをしっかり記載することが最重要事項なのです。
せっかくよいアイデアで論文を書いても、ここのところがいい加減だと、査読者の印象は最悪です。初心者の陥りやすい落とし穴です。
実は、このエントリーは、久しぶりの、「英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻」解説シリーズ第62回でした(笑)。
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見かけの数字や有意差にだまされてはなりません。
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さて問題です。
「19世紀の終わりにアメリカとスペインの間に戦争がありました。当時、アメリカ海軍の死亡率は『1000人当たり9人』でしたが、同じ時期のニューヨーク市民の死亡率は『1000人当たり16人』でした。海軍の募集係は「海軍に入隊したほうが安全」と宣伝しましたが、そうでしょうか?」
安斎育郎著: だます心 だまされる心(岩波新書)より引用。
答えは次回に(笑)。
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思い込みではなく、客観的データに基づいた論理的思考が大切です。
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勤勉は美徳だといわれます。
たしかに、「働かざるもの食うべからず」ともいわれます。
しかし、「働きすぎ」は、本人は意識していないかもしれませんが、他人の職を奪う危険性をはらんでいます。 経営者は、低賃金でどんどん働いてくれば、喜びます。他の人を雇う必要がありませんから。交代要員もいりません。
かくして、その企業戦士は、他人の雇用を妨げます。そして、無理がたたって自分も倒れます。家族は路頭に迷います。 経営者は、「仕方がないなあ。次の人を探そう。」で、終わりです。
自己実現のために一生懸命働くのはよいことですが、お金儲けと同様、働きすぎも、一種のむさぼりかもしれません。
自己チュウのあらわれかもしれません。
これからの高齢化社会に向かって、体力の衰えた年寄りにとって、仕事を分割してシェアしていかなければ、社会はなりたたなくなります。働きすぎは、仕事の独り占めです。ある意味では罪です。
勤務医もある意味いままで働きすぎで、行政に、「少なくてもやっていけるじゃん。」と思われてしまった節がなきにしもあらずです。
米国の急性期病院の医師数や、ドクターアシスタントなどの話を聞くにつけ、そう思います。
もちろん、勤務医の場合、仕事と自己研鑽との区別が曖昧であることは間違いありませんが、それを言い出すと、多かれ少なかれ他の職種もそうでしょう。
考えようによっては、いままで「これでいいんだ」と世間に思わせることによって、今の医療崩壊の一端をになってきたのは、他ならぬ、ワーカホリック(にならざるを得なかった)勤務医なのかもしれません。
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感情の赴くままではなく、客観的データに基づいた論理的思考が必要です。
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前回、「働かざるもの食うべからず」というのが、実は聖書の言葉だったというエントリーを書きましたが、今回は、「動(うご)かざるもの、食うべからず」という、お話です。
今はやりの、メタボについての講演を聴いて、講師の先生が懇親会でうまいことおっしゃっていました。
「動物たちは、餌を手に入れるためには、一生懸命走らざるを得ないんですよね。人間だけが、じっとしていても食べられるんです。」
なるほど、動物園以外の動物たちは、そうですね。
進化の過程では、運動と摂食とは、常にカップルしていたのです。だから、貴重なエネルギーを無駄にしないため、エネルギーを体内の至る所に脂肪として蓄える、いろんなしくみが備わっているのですね。一方、摂食過剰に対しては、全く無防備なのです。
「うごかない人は、それなりに、摂取カロリーも減らしましょう。」
「食べたかったら、うごきましょう。」
これ、当たり前のことですね。
でも、無理な摂食制限は危険です。体タンパクの崩壊が起こってしまいます。
運動しても、消費カロリーはしれています。30分自転車をこいでも、消費カロリーは缶ビール一本分よりも低いです。
専門家のアドバイスを受けましょう。
警告:それにしても、ネット上には、かなりの怪しげなダイエット情報が、グーグルの上位にヒットします。ネットリテラシー(情報の出所の確認)は重要です。
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何事も元になるデータの確認が大切です。固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「働かざるもの食うべからず。」
気持ちはわからないでもないですが、なんだか、弱者に対する思いやりがなく、老人や病人や子供たちなど、働きたくても働けない人たちは、お情けで食わしてやっているんだ、といった感じで、いやな言葉だなあと思っていました。
恥ずかしながらつい最近まで知らなかったのですが、実は新約聖書の中の、パウロの言葉だったのですね。(テサロニケの信徒への手紙2、3:10)
キリスト教の教祖パウロがなぜ?
キリストは、もともと、「たくさん働いた人も、後から来て少し働いた人も、同じようにしてやりたいのだ。」という、どちらかといえば原始共産制のようなイメージがあったものですから・・・
原文をみてみました。
「働きたくないものは、食べてはならない。」(新共同訳)
Whoever refuses to work is not allowed to eat. (Today’s English version)
なるほど、原文と、「働かざるもの食うべからず。」とは、微妙に違いますね。
病気の人や、失業中の人たち、老人、子供など、働けない人を、責める言葉ではなかったのです。
前後の文面をみても、パウロは、「聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。」と言っています。
働かなければやっていけない一般の人たちに対する言葉ではなく、むしろ、もっと上の立場の、宗教的指導層に宛てた戒めの言葉ではないかと思います。
「女をみただけで姦淫」とか、「拠らしむべし、知らしむべからず」にしても、有名な言葉というのは、しばしば時の権力者に都合のよいように解釈されます。
(そんな当たり前のことを今まで知らんかったのは、アンタだけや、と突っ込まないでね。)
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何事も元になるデータの確認が大切です。
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タバコ一日30本、血圧210/110 mmHg、コレステロール高値、年齢59歳の男性曰く、クスリは飲みたくないと。
理由は、飲み始めると、どんどん量が増えて、やめられなくなるからとのこと。
血圧が高いのなら、症状が出るはずだが、今は元気だと。
一般に動脈硬化の危険因子は、高血圧、糖尿病、脂質異常症(高LDL/低HDL)、喫煙、年齢(男性45歳、女性55歳以上)といわれています。
このうち3つ以上あれば、脳卒中や心筋梗塞などの心血管合併症を起こす率は30倍に跳ね上がるといわれています。
さらに曰く、「私の父親は薬剤師で、母親が糖尿病で、インスリンを使わないといけないといわれたが、父親が副作用がでるといって使わせなかった。結果的には母親は90歳まで長生きした。だから、私も薬なんか飲まなくても大丈夫。」
やれやれ、この人は、Aさんが宝くじに当たったから、僕もきっと当たるはずだ、といいたいらしいです。
N=1で、物事を判断するようです。
これが、社会的にきちんとした仕事についている分別ありそうな方の判断です。
この人のお仕事、だいじょうぶでしょうかねえ。
ご本人はいいとしても、近い将来突然大黒柱に倒れられる、ご家族が気の毒です。
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客観的データに基づいた論理的思考が必要です。固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ドク虎が自転車通勤を始めたころ、何度か自転車同士でぶつかりそうになったことがありました。
これはいかんなー、と思うのは、携帯メールしながらの自転車と、夜間の無灯火自転車です。
これは、危ないです。
闇夜の烏です。
よいこの皆さん、夜間の無灯火自転車と、携帯でメールしながらの自転車はやめましょう。
暗闇から、いきなり飛び出してこられると、びっくりします。携帯の液晶の明かりで、下から照らされたコギャルの顔が、いきなり闇夜に浮かぶと・・・ひゃー、たすけてー。
閑話休題
自転車同士が、狭い路地ですれ違うとき、皆さんはどちらによりますか。
正解は「左」です。
自転車は軽車両なので、基本は左側通行なのです。
ところが、ほとんどのおばちゃんたちは、右に寄ろうとします。結果、左に寄った自転車とガッチンコ。
まず正面衝突することはありませんが、お互いかなりうっとうしいです。おばちゃんも、「なんでやのん。」という不服そうな顔つきです。
おそらく、おばちゃんだからというわけではなくて、車の運転で左側通行に慣れている人と、車の運転に慣れていない人とに分かれるのではと、勝手に考えています。
最近、右によけようとするおばちゃん自転車対策法を編み出しました(笑)。
先手を打って、かなり手前で、おばちゃんの自転車をしっかり見ながら、少し派手目に、ハンドルを左に切るアクションを行うのです。
そうすると、ほとんどの場合、おばちゃんも左(つまり反対側)によけてくれることを発見しました。
ちょっぴり、すれ違いが楽になりました。
これも、non-verbal communicationです(笑)。
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理論は単なる道しるべです。地図と同じで実際とは異なることもあります。理論は実際に試して検証する必要があります。それがサイエンスです。
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ガソリン、高くなりましたねえ。
少し前から、メタボ脱出とガソリン代節約を兼ねて、たまに自転車通勤を実行しています(汗)。
片道9kmなので、運動にはちょうどよい距離なのですが、この季節になると、本当に(汗)、です。
Tシャツに綿パン、そしてロードバイク用のヘルメットをかぶり、ママチャリならぬパパチャリに乗り、汗をぶるぶるかいているへんなおじさんをみかけたら、それはドク虎かもしれません(笑)。
以下、ドク虎の、ハズカシー告白です。
車を運転しているときは、自転車、バイクを見て、「こんな不安定な危ない乗り物に、こいつらよーのるなあ、マナーもなっとらんなー、自転車は車道を走るなよ、命しらずやなあ、あぶないやろー。」と思ってしまいます。
(よいこの皆さん、自転車は軽車両なので、危なくても道路交通法上は“原則として”車道を走らなければならないのです。許可された場所では歩道走行も可能ですが、歩道走行時には、歩行者、特に幼児高齢者にはくれぐれも注意しましょう。)
こいつら、危なさがわかってへんのとちゃうか。知らぬが仏やなー。
自転車やバイクが、車にうるさくまとわりつくハエのように思えます。
ところが、ひとたび、自転車にのると、路肩に駐車している車があれば、車道中央側にはみ出して、自分のかよわき生身の体を生命の危険にさらさねばなりません。こんなところにとめやがって、コンチクショー。ナンじゃこのガソリン高に、よくもまあ贅沢に車なんかに乗りやがって、こんなところで路駐するなよ、こんな狭いところに入ってくるなよ、この環境破壊のごくつぶしどもめが。と、普段はジェントルマンで通っている???ドク虎の中のワルがささやきます。
車の列が、地球温暖化を悪化させるあやしい発熱体、悪の権化、にっくきゴキブリ集団のように見えます。車に乗るには皆それぞれ事情があるのにね。
はたまた、歩道を歩いていて、向こうから自転車が歩道を走ってくると、「こんな狭い歩道を自転車で走るなよ。自転車は軽車両や。車道を走れよ。あぶないなあ。」と感じてしまいます。 なんという自己正当化、手前勝手な発想なのでしょう。立場によるこの変身ぶり、自分でも笑ってしまいます(汗)。
勿論、そんな風に考えてはイケナイこと、相手の立場に立って考えなければいけないことは、頭では重々承知です。
でも、ついついそう感じてしまうのですね。人間って面白いですね。(そんな勝手な奴は、お前だけやー、とつっこまないでね。)
経験してみないと、それぞれの立場はなかなか実感として理解しづらいものです。
自分が体験してもいないことを、わかったつもりになってエラソーに批判してはいけないのだとも思います。
どういうわけか、「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい。」という言葉が浮かんできました。
たとえうまくできなくても、できるだけでも、相手の立場に立って物事を考えたいものです。
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理論は道しるべ、実際とは異なることもあります。理論と実践は、車の両輪です。
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喫煙は、もはや個人の趣味や嗜好の問題ではなく、「ニコチン依存症と関連疾患からなる喫煙病」とされています。
しかし、喫煙してもへっちゃらという人はむしろ少数で、「わかっちゃいるけど、やめられない」人が大多数なのではないでしょうか。足の動脈がつまり、足の先に潰瘍ができ、ミイラのようになって、足を切断しても、まだ煙草をすう方がいます。
そのはずです。ニコチンは、ヘロインやコカインと同様に強力な依存症を引き起こす薬物に分類されています。
やめれば、快楽を求める脳が直ちに血中濃度を上げることを要求するのです。早い話が、薬物中毒、「ヤクチュウ」です。
生半可な気持ちでは、やめることは不可能です。
喫煙者の方が煙草をやめられないのは、決して意志が弱いわけでも、人間ができていないわけでもないのです。「ヤク」のせいなのです。何度も禁煙に失敗するのは、当たり前です。相手が手ごわすぎるのです。プロボクサーに、素人が手向かうようなものです。禁煙に失敗した人は、まず、自分を責めるのをやめましょう。
しからば、どうするか。
根性もある程度は必要かもしれませんが、頑張るばかりが能でははりません。
ボクシングを始める人は、コーチにつきますよね。
病気になれば、お医者さんにいきますよね。
禁煙についての専門家のアドバイスが必要です。
ネットで検索すれば、近くの禁煙クリニックがわかります。今禁煙のためにたいへん貴重な時間とお金をかけたとしても、将来を考えると、おトクです。別に禁煙クリニックの回し者ではありませんが(笑)。
ちょっと難しいですが、専門家向けに禁煙ガイドラインというのも出ています。
ちなみに、白状すると、大学に入ったころは、煙草の香りが好きでした。
好奇心と、かっこつけから、吸い始めました。
これでも昔は一応運動部だったので、息切れがするような気がして、やめました。今はもう「ヤクチュウ」じゃありません。早くやめておいてよかった(汗)。
怪しげな情報に惑わされないように、論理力を鍛えましょう。
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