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元N響の常任指揮者で、オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督でもあった、故岩城宏之さん。
30年以上も前のこと、学生でお金のなかったドク虎は、FMファンという雑誌を買って、氏の振るN響定演のFM放送をオープンリールにエアチェック(中年以上の人たちにとっては懐かしい響きでしょう!)していました。おかげで、すっかり氏のファンになりました。
著作活動でも有名ですが、「フィルハーモニーの風景」(岩波新書)という著書の中で面白いことを書かれていました。
かのヘルベルト・フォン・カラヤンについてです。
ご存知、カラヤンは、クラシック界の「帝王」といわれ、専制君主のように思われている節がありますが、じつは、楽団員を「その気にさせる」名人だったのです。
岩城氏は、一度だけカラヤンの指導を直接うけたことがあるそうです。
「ドライヴしてはいけない。オーケストラをキャリーしろ。」
「カラヤンは指揮を乗馬にたとえたのだった。馬に跨り、手綱を引締め、どの瞬間も馬をコントロールし続け、自分の意思通り馬を動かす。これをカラヤンはドライヴといっている。反対に手綱を緩め馬を自由にさせてやる。馬は乗り手の存在を忘れ、自分が行きたいほうへ好きなスピードで進む。しかし本当は完全に乗り手に制御されている。指揮とはこうあるべきだとカラヤンはいったのである。」
カラヤンのイメージからいうと、ちょっと意外ですね。でも、それが長年、名馬ベルリンフィルの音楽監督であり続け、没後何年もCDが売れ続けている秘密かもしれません。
ちなみに、往年の名指揮者であったトスカニーニは、ドライヴ型の典型だったそうで、カリスマ性をバックに厳しくオケを調教し、優秀な楽団員からも恐れられていたということですが、何人かはキレてやめた(辞めさせられた)楽団員もいるそうです。
ドライヴ型の指揮者って、いなくなりましたね。
時代でしょうか。
今は、組織においてもカリスマ性に物を言わせて無理やり言うことを聞かせることができるような時代ではありません。
個人を尊重しながら、キャリーすることを心がけたいものです。
キャリーする人には、人間的にも実力的にも懐の深さがが要求されます。
まだまだ修行が足りません(汗)。
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理屈のみでは角が立ちます。一人ひとりの「気付き」がもっとも大切です。固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
少し前に、無は、何もないのではなく、有と等価である、という、ちょっと訳の分からんエントリーを書いてしまいました。
意外にも数人の方から暖かいコメント?をいただき、ちょっぴりうれしかったです。
実は、身近なところに実例がありました。
ボーズの、ノイズキャンセルヘッドフォンです。
なかなかすぐれもので、飛行機の中や電車の中でも、さほどボリュームを上げずに音楽を楽しむことができる、耳に優しいヘッドフォンです。
電池切れで使えなくなるのが欠点ですが。
これこそ、電池のエネルギーを用いて、「無(=静けさ)」を作り出しているのですね。
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哲学的というと、どんなことを想像されますか。
ちょっと古いですが、私はなぜかヘルベルト・フォン・カラヤンという指揮者が、ちょっとしかめっ面して、目を閉じたまま指揮棒を振っている、ちょっとナルシストっぽい姿を想像してしまいます。
漢字の意味からすると、「賢い学問」ちゅうことになりますよね。
なんだか難しそうです。
高級そうです。
あまり縁がなさそうに思えます。
ところで、博士は、文学であれ、工学であれ、薬学であれ、横文字ではすべてPhD、つまり哲学博士といいます。
なんでだろう、と思っていました。
あるときふと気付きました。
Philosophy語源は、philとsophiaです。
つまり、「知恵」が「好き」
いってみれば、「知りたがり」。
PhDとは、「知りたがり博士」だったのです。
これで納得。博士たちは、「知りたがり屋」だったのです(笑)。
小さい子供のころは、みんなが「博士」だったのですね。
本当の博士とは、大人になっても子供のような好奇心をもち続けることのできる人のことかもしれません。
エトス、パトス、ロゴス、いずれも必要です。
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大阪音大の教授で、コンサート・ピアニストで、かつ文筆家でもある青柳いづみこさん。
朝日新聞の書評も担当されていた、異色のピアニストです。
中央公論新社刊「ピアニストは指先で考える」という本の中で、アーティストの進路について述べられていました。
「就職することだけを考えたら、たぶん留学しないほうが有利なのである。(中略)それでも、私は留学をすすめる。だって、やっぱり全然違うことですよ。留学のいちばんの効用は、それまでのルーティンワークを一度リセットする機会を与えられることだと思う。」
「ここで頭にとめておいてほしいのは、それぞれ選び取った進路でも、そのとき最善だと思った道が必ずしもそうではないことがあるということだ。裏を返せば、そのときは最善ではなかった道が、本当に自分に適していたというケースもある。」
お医者さんの世界でも、一、二年留学したからといって、英語がペラペラになったり、英語論文がすらすら書けたり、そんな魔法のようなことはおこりません(汗)。
ドク虎のように、留学中にボスがどこかにとんでっちゃって、帰るところがなくなるということも・・・それでも、それまでの職場を失ったとしても、環境が変って得られる貴重なものがあると思います。
それまでの職場がリセットされますが、それもまた経験という意味ではよいかも知れません。
井戸の外の世界を知ることになります。
これが、事務屋さんと違って、退職金や失業保険はもらえませんが、お医者さんの強みかもしれません。「包丁一本、さらしにまいて・・・」の世界です(笑)。
言葉はうまくならなくても、外国人としての異文化体験は、貴重です。人生に幅ができます。
そういうお前、幅ないやんか、と突っ込まないで・・・横幅はないけれど腹はでています(笑)。
備え在れば憂いなし。何事も早めの準備、大切です。
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題名のない音楽会
長寿番組です。
世界中でクラシック音楽離れが言われている中、地味な番組なのによく続いているなーと思います。
4月から、佐渡裕さん(指揮者)が司会者です。背が高くて、中年ながらかっこいい。ドク虎のようなおっさんにファンになられても、あまりうれしくないかもしれませんが。
リハーサル風景が写りました。本場ベルリンは、ベルリン交響楽団(ベルリンフィルではありません)です。
英語かとおもいきや、何と、ドイツ語です。
パリは、ラムルー交響楽団の常任指揮者ですから、普段はフランス語でしょうね。
指揮者として一流であるばかりか、日本語、英語、フランス語、ドイツ語が話せる日本人だったのです。
しびれました。
共演者に、なぜそんなにドイツ語ができるのですかと聞かれて、レナードバーンスタインの弟子だったときにウイーンに2-3年住んでいたから、とさりげなく答えておられました。
しかし、これはうそです(たぶん)。謙遜です。
もはやおっさんになってから(失礼)外国に2-3年住んだからといって、それだけではペラペラにならないことは、ドク虎がよーく知っています(汗)。
これから留学する先生方、幻想を抱かないでくださいね(笑)。
もっとも外国人の彼女(彼)をつくれば上達するかも(笑)。日本人の場合、カップルになっちゃうと言葉によるコミュニケーションをあまりとらなくなるのでだめかも(汗)。
きっと佐渡さんは耳がよいうえに、何とか自分の思いを相手に伝えたいという、音楽に対する熱い思いが半端じゃないのでしょうね。
彼が言っていたことは、英語でも通じるけれど、ドイツのオーケストラにはドイツ語でやるのがいいと。
音楽のように、non-verbal communicationが大事な分野でも、やはり言葉による意思疎通を大切にされているようです。
かっこいい指揮の水面下には、大変な努力が隠されているように思います。彼のいう、「苦しいけど楽しい、くるたのしい」世界です。
われわれの仕事でも、苦しいけどやっぱり苦しいだけ、ではなく、佐渡さんのような「くるたのしい」世界を創ることができたら・・・
くる楽しい世界へのパスポート、なんちゃって。
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英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻 解説シリーズ第59回です。
アマゾンでは長らく品切れでしたが、やっと取扱が再開されました。やれやれ。
「起承転結」、小学校のときの作文の時間に習いました。
三つ子の魂百までといいますが、今でも作文といえば、「起承転結」が頭に浮かんでしまいます。
「起承転結」は、元々、漢詩で、絶句の構成の名称だったのです。第一の起句で内容を歌い起し、第二の承句で起句を承け、第三句の転句で詩意を一転し、第四の結句で全体を結ぶ。転じて、物事や文章の順序・組立(広辞苑)。
いわゆる文学作品やエッセイを書くにはドラマチックでよいかもしれません。しかし、論理的文章を書こうとする場合には、いろいろ弊害が出てしまいます。
四行絶句の構成を、論理的文章や講演に応用しようとすること自体に無理があるのです。
論理的な文章を書こうとする場合、一般的には、「導入」「本文」「結論」の三つです。
学術論文には、さらに、Introduction, methods, results, discussionという決まった形式があり、それぞれの中身も定番の構成があります。詳細は「虎の巻」をご覧ください(笑)。
文章を書くときに「起承転結」を強調するのは、日本におけるドメスティック・ルールのような気がします。
「起承転結」だと、「転」のところで論理的なつながりがうまくいかなくなってしまうことがあります。論理的文章を書くには不向きなのです。
ひどい文章になると、「起承転転・・・転」となり、いったい何が言いたいのかさっぱり・・・ということが起こります。
申し訳ないですが、最近は一流紙の社説にさえ「起承転転・・・転」(結なし)が散見されます。
小学校の国語教育のトラウマかもしれません(笑)。
今の小中学校では、さすがにもうそんな教育はしていないかもしれませんが。
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まず日本語で論理構成を考えてから、頭を英語に切り替えて英語論文を作る方法を提案しています。 決して怪しい巻物ではありません(笑)。固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
皆さまお疲れのところ、今日はちょっぴり癒し系の童話でお付き合い願いたいと思います。
ある金持ちの人が大きな家を持っていました。その家はお祖父さんが残してくれたものでした。お祖父さんは亡くなる前にこう言いました:「この家を大事にしてください。古くなっていますから、場合によっては改造してもよろしい。けれども、あそこの壁だけは壊してはいけません。この壁には大切な不思議なことが隠されています。この壁の秘密が分かったら、あなたの生活は変わります。」と。
この遺言を聞いたこの人は、是非この壁の秘密を知りたいと思いました。そこで、この壁を調べるために専門家を招きました。 最初に来たのは 設計者とエンジニアでした。この二人はこの壁を徹底的に調べました。壁の厚さ、強さ、全体の家の中の役割、この壁は建物全体を支えられるかどうかなど。そしてその結果を整理して、科学的に確かなレポートにまとめました。けれども特別な不思議なものは見つかりませんでした。この壁には特別な秘密はありませんでした。
しかし、金持ちの人はこの結果で満足せず、もっと詳しくこの壁を調べて欲しかったので、他の科学者たちを呼びました。この化学者は壁の小さなサンプルをとって、壁が作った材料を分析しました。そしてまた学問的なレポートを書きました。結果は、ごく普通の壁でした。何も不思議なものはありません。科学的な立場から見れば、この壁には秘密がありません。
しかし、金持ちの人はこの結果で満足せず、今度は物理学者を呼びました。この物理学者たちはサンプルとしてこの壁の表面のわずか 何平方センチを調べました。その結果 この場所は幾つかの色で構成されていることを発見しました。その色の光の反射、光の波などを詳しく調べました。その結果をまたレポートにまとめました。結論はこの壁には幾つかの色があるけれども物理的な立場から見れば、ごく普通の壁です。何も不思議なものはありません。この壁には別に秘密がありません。
しかし、金持ちの人はこの結果で満足せず、さらに壁の研究を続けました。そして、今度は生物学者を呼びました。彼らはこの色がどのような植物から作られたかを調べました。そして、最後に考古学者と歴史学者を呼びました。彼らはこの壁の歴史を調べました。いつ作られたか、誰が作ったのか、そしてこの壁の両側に何が起こったのか詳しく調べました。しかし、何も不思議なものがありませんでした。 この金持ちはだんだん失望しました。このたくさんの学者に払うために、ほとんど全部の財産を使い果たしました。
ついに、ある日、頭を壁につけて、壁を手でたたいて、失望に近い状態になりました。そのとき一人の孫が部屋に入って来て叫びました。「お祖父さんよ、ここに来て。見せたいものがあります。」しかしお祖父さんはなかなかこの壁から離れたくありません。この壁の神秘をどうしても知りたいのです。やっと壁から離れて、子供のところに行ったとき、子供は大喜びで指で壁を指して、「お祖父さん、見て、きれいでしょう。」
お祖父さんが壁から離れて見ると、びっくりしました。この壁には美しいモサイクが見えるようになりました。このモサイクは子供を抱いている女の絵でした。とても美しい絵でした。そしてお祖父さんは悟りました:これがこの壁の秘密でした。
すなわち、女と子供の絵、それは人生の神秘です。それは愛です。
ギュンタ・ケルクマン 作
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聖カピタニオ女子高等学校のドイツ人の校長先生が日本語で作られた「おとぎ話」です。直接お会いしたことはないのですが、とある講演集の中で出会い、お話の中のおじいさんに自分自身の姿が重なってしまいました。
許可をいただいて、原文のまま引用させていただきました。
私たちは目の前に壁があるとき、いつも壁の近くに立ってしまいます。そして目の前の壁について悩み、狭い範囲だけ見てあれこれ考えています。時には一歩下がって離れてみるということも大切なのですね。 講演集の中の、「我々男というものは女と子供を見て喜ぶものだ。」という言葉が印象的でした。
子育てをしている女性は美しいものです。子供や、女性、そして病人や老人など、社会的弱者が生きやすい社会はよい社会です。
強い人は、自分が偉いから強く生まれたのではありません。弱い人は、自分がダメだから弱く生まれたのではありません。私たちは勘違いしてしまいがちです。
私たちはいったいどこから来てどこへ行こうとしているのか。
忙しい、忙しいというだけではなく、たまには、静かに考えてみなければなならないことだと思います。
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忙しくても、心をなくしたくありません。
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オーストリアの由緒あるピアノメーカー、ベーゼンドルファーが倒産し、オーストリアのピアノ企業が買収するという話だったのですが、どうやらヤマハが買収するようですね。日本ベーゼンドルファーも営業を停止してしまいました。
ヤマハとベーゼンドルファー、同じピアノですが、ぜんぜん違います。
一言で言うと、鉄の楽器と、木の楽器でしょうか。
まだお若いですが、日本ベーゼンドルファー社の社長婦人は、パリはコンセルバトワール仕込のピアニストです。
日本ベーゼンドルファー社のショールームで、ベーゼンドルファー・インペリアルを弾いていただいたことがあります。 言葉では表せないのですが、なんというか、心にしみる、とても上質の音です。疲れた心を、やさしく包み込んでくれます。
でも、このピアノ、ピアニストを選ぶのです。気遣いを要求するピアノです。
だから、ピアニストには結構嫌われる場合があります。
でも、ベーゼンしか弾かないという、はまるピアニストも多いようです。日本では、加古隆さんなどがおられます。
木の魂が宿っているのでしょうか。
響きを保つことによって、ピアノの宿命である、音の減衰を感じさせないのです。
シューベルトなどが弾かれると人が歌っているようです。
人はSinging toneといいます。
製造コストが全く違います。 デジタルピアノ全盛のこのご時勢に、音のよさだけでは商売にならなかったのでしょう。 悲しいです。
ヤマハの現場の技師さんたちや調律師さんたちは、ベーゼンドルファーのよい点をよくご存知ですから、心配なありませんが、問題はヤマハの経営陣です。
愛情をもって引き継いでくれるのでしょうか。
コストダウンの命令を出せば、名前だけベーゼンドルファーで、まったく違うものができてしまいます。
フランツ・リスト以来のピアノが実質なくなってしまいます。
金属ピアノの音は嫌いです。 心配です。どなたかちゃんとした情報をお持ちのかたはおられるのでしょうか。
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オーストリアの名門ピアノメーカー、ベーゼンドルファー社が売却されたようです。
http://www.playbillarts.com/news/article/7375.html
フランツ・リストが絶賛したという、歴史あるピアノメーカーです。
他のピアノメーカーが、材料を落とし、生産拠点を外国に次々と移すなかで、かたくなに昔ながらの材質と作り方を守ってきたメーカーです。
一時は、ヤマハが買収するという話もあったようですが、何とかオーストリアのピアノメーカーが買収することに収まったようです。
デジタルピアノ全盛の世の中で、昔ながらの、環境にやさしい、100年以上もつ、木のビアのを作り続けることは、至難の業かもしれません。
ヤマハの生産台数の100分の一しかつくれません。
材料の木を、大切に育てているからです。
どうか、変わらないでいて欲しい。
これからも、頑張って欲しいです。
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医療ドラマ、医師の皆さんには評判が悪いようですね。
私も医療ドラマはみないようにしています。
しょせん作り物だとわかっているのに、なぜ腹が立つのでしょうか。
考えてみました。
ずばり、現実に余裕がないからです。
余裕があれば、「そんなわけないよねー」と笑い飛ばせると思います。
余裕がない日常臨床を何とかこなしているのに、現実離れしたドラマを見せられるから、腹が立つのです。
すでに重い荷物を背負わされて、よれよれになりながら、なんとか歩もうとしているロバに、少しずつわからないように荷物を増やしていくと、ロバはだんだん動けなくなり、もがき苦しみます。
その横に、作り物の、偽の軽い荷物をしょって楽々と走るロバもどきがいるのをみると、よれよれのロバくんはどう思うでしょうか・・・
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