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< やる気のない研修医 | メイン | 老婆心ながら >
世の中は、「なんでも診る医師」を望みます。
しかし、いざ一方で、自分や家族が医療を受けるとなると、できる限り「最先端の医療レベル」を求めてしまうのも人情です。
この二つは両立不可能なのです。
研修医に2年間ローテーションさせて、「なんでも診る医師」を増やそう?と、新研修医制度が始まったわけですが、どうやら見直しが始まるようですね。
2年間研修したからといって、「なんでも診る医師」なんて、できないのです。
卒業生を研修終了後すぐに僻地に赴任させても、症例数の少ない地域では、一人前になる速度が遅くなるだけではないでしょうか。
一つの領域でさえ、安定した水準の医療を行うには症例の多い施設で十年近い経験が必要です。
もっとも、医学生の時代は、一般の人々同様、「なんでも診る医師」にあこがれます。ドク虎もそうでした。内科を選んだのも、ある程度何でも自分で判断できるようになりたかったからです。
しかし、これは難しいことです。医師になって、ウン十年以上たった今でも、内科領域でさえ、自分の専門分野以外の分野では、「世界最先端」の判断はできません。
一人の人間の能力には限界があるのです。まして、医学は複雑系を扱う領域で、単純な理論からすべてを演繹できるわけではありません。
コンビニを目指すか、専門店を目指すか、難しい問題です。
世の中には、実は両方必要なのです。
今までの日本は、この二つを曖昧にしたまま、なんとかやってきました。 しかし、時代は、「コンビニ」でも「専門店」並みのことを要求されるようになってきました。逆に、「専門店」でも、「コンビニ」並みの品揃えを要求されるようになってきました。
コンビニで専門店なみのことを要求しても期待はずれになります。専門店でコンビニ並みの営業時間や品揃えを期待しても、満たされません。
期待を下回ったときに、トラブルが生じます。
いわゆるクレーマーというのは、その人個人の資質だけではないと思うのです。
お店なら、とりあえず今夜はコンビニで間に合わせておいて、明日の朝専門店で買い直そう、という発想がわくのですが、医療の場合は命がかかっていますから、一朝一夕には解決できる問題ではありません。
とはいえ、受診される方々も、無い物ねだりをしても仕方がありません。
この医療機関は「コンビニ」に近いのか、それとも、「専門店」に近いのかを見極め、それぞれに応じた受診をすべきです。
行政も、いまは医師の経歴など、公にしてもよい情報が規制されていますが、個々の医師のバックグラウンドをもっとディスクロージャーすることを許すべきだと思います。
それがいやなら、社会全体で、途方もない医療費を負担する必要が生じます。
行政側のみならず、医療を受ける側、医療を提供する側ともに考えることが必要だとおもいます。
無い物ねだりをしても、はじまりません。
個々の労働者のモチベーションやインセンティブが保たれるような形でのシステムズ作りが、ひいては皆のためになるような気がします。
強制配置、強制労働では、貴重な労働力の立ち去りが増えるだけです。
勤務医にも、職業選択の自由があります。
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コンビニを目指すか、専門店を目指すのか、それが問題だ・・・
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コメント
コメント一覧
はい 自分も学生時代は「なんでも診る医師」に憧れました。暖炉のある部屋でソファーに横たわった患者さんをハンマーとか所見をとってパーキンソニズムやら診たかったです。その時の自分は蝶ネクタイをしてました。米国の自分のボスのスタイルが丁度そうでしたねえ。憧れています。聴診器でmurmurから弁膜疾患を精密に診察する 神様になりたかったです。
はい 自分も学生時代は「なんでも診る医師」に憧れました。暖炉のある部屋でソファーに横たわった患者さんをハンマーとか所見をとってパーキンソニズムやら診たかったです。その時の自分は蝶ネクタイをしてました。米国の自分のボスのスタイルが丁度そうでしたねえ。憧れています。聴診器でmurmurから弁膜疾患を精密に診察する 神様になりたかったです。
今では外科医で分子生物学なんてオタクと呼ばれますが、他人からオタクと呼ばれる自分も 実は内心嬉しいのです。
学会に行くと いつも学会初日の午前か終了日の午後とセッションを割り振られてやってます。人数は少ないけど妙に討論は熱いです。喧嘩もしました。
座長も相変わらずの「タライ回し」です。懇親会で あれだけ激しい意見を頂戴しても知らんぷりする先生もいますが 「先生の最近の論文では...」と話しかけると 途端に皆様やさしいですよ。ニッコリされます。
自分の論文の話をされると結構まんざらではありません。後輩を振り返って ヘヘッと小鼻を膨らましました。今では学会が待ち遠しいのです。居心地が大層良いのです。後輩にも行こうよと奴らの抄録も書いています。
自分は医師になり始めの頃出会った疾患を 時が経つにつれ疑問が生じてきたので 臨床や基礎研究を行ってきたのです。研究をすればするほど その病態に新しい疑問が湧いてきたのです。結局同じ疾患を医師になって以来ずっとあつかっています。そういう意味では幸せです。
「なんでも診る医師」にはなれず common diseaseはわかりません。わからんことを早く自覚して、専門性を見つけて病院での自分の居場所を見つけなさいよとは いつも言う言葉です。
今では「なんでも診る医師」とは「何も診れない医師」と思っています。研修期間を2年間終わっただけの医師が仮に自信満々ならば 信用しませんね。
生兵法は医療過誤のもとです。
コメントありがとうございます。
>今では「なんでも診る医師」とは「何も診れない医師」と思っています。
若い頃は、何でも診る医師にあこがれましたが、医師になって何年たっても何でも診る医師にはなれません。
「何でも診る」プライマリーケア医だって、救急医だって、専門医のバックアップがあってこそ機能するのです。
そのへんが、行政も、一般の方も、特にマスコミは、わかっていないように思います。
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