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その昔、私の尊敬する上司がいっていました。
「○×君、リーダーの資格は、『ねあか』であることだよ。」と。
なにいってんだか。このおっさん。リーダーとしてもっと大事な資質、なんぼでもありそうやけど。
と、思っていました。
組織の長で、いろんな問題を処理しつつ、かつ、「明るい」というのは、難しいことです。
しばらくして、とある文言に出会いました。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。」
(新共同訳:テサロニケの信徒への手紙一5:16-18)
今の時代にあって、いつも 喜んでいろ、というのは大変難しいことです。
しかし、周囲の人たちへの感謝の気持ち、働いてくれる人たちへの感謝の気持ち、そして、自分自身の真摯な内省(祈り)の気持ちがあれば、どのような状況にせよ、喜ぶことは可能かもしれません。
一方、いくら恵まれていても、成果を上げていても、周囲に不満たらたらでは、「いつも喜んでいる」なんて不可能です。
どちらが幸せでしょうか。
喜ぶことを忘れ、自分で自分を不幸に陥れていることの、何と多いことか。
反省しなくては。
またまた勝手な解釈をしてしまいました。
キリスト教徒に叱られそう(笑)。
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「ねあか」でないと、論文もはかどりません(笑)。
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英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻 解説シリーズ第72回です。
若い人たちが書いた英語論文を添削するのは、その施設の、名なり功を遂げた、著名な教授の方々です・・・と言いたいところですが、実は、日本のエライ方々は、○×委員会、●△運営会議、なんちゃら班会議、●×審議会等々の掛け持ちで、実はエラくなればなるほど論文添削どころの騒ぎではありません(エラくないのでわかりませんが、そうではないかと想像しています)。
我が国の現実は、いわゆる中堅どころの先生方が、自分自身の論文も書きながら、それに加えて後輩たちの論文や研究の面倒もみられているのではないでしょうか。
しかも、外来は言うに及ばず、病棟や、検査、手術、心カテなどをやりながら・・・病棟や外来の師長さんたちのお話もありがたく拝聴し、対処しなければなりません。
「循環器は、もっとはやく心カテ終わらんかい。」という某部門の声にも答えなければなりません。
場合によってはなんちゃら委員会の委員長からのマル投げにも苦しめられながら。
しかし、このような中堅どころの先生方の八面六臂の活躍によって、日本の高度医療そして臨床研究は支えられているのです(汗)。
私ごときが、エライ先生方のために蘊蓄をたれる資格はまったくないのですが、こんなにがんばっている若手から中堅どころの先生方のために、ひとこと。
1. まずfirst authorに設計図を作らせましょう。この段階でデキル若手なら論理の整合性に問題があれば自分で気づきます。
2. 設計図の論理的整合性をみてあげましょう。
3. 設計図にデータの図表をはらせましょう。
4. ここまでやってはじめて英文を作ってもらいましょう。
5. 英文だけをチェックしていると、途中で迷路にはまります。挫折します。設計図をみながら英文をチェックしましょう。
6. それでも、「こんなこと、設計図にはかいとらんやないか。」「ちがうやないか。」ということもしばしばです。呼び出して内容を聞けばよいのですが、お互いに時間が合いません。夜もふければどちらもへとへとです。「きょうのところは、まあ、ええか。」どんどん先延ばしになります(汗)。
7. 意味不明の英文に遭遇したら、校閲者一人であれこれ考えるのは時間の無駄です。そこでやめましょう。「ここはどうなっとんねん。ここの日本語送れ。」部分的に日本語訳を作らせ、メールで送らせましょう。メールで指示です。
直訳せず、内容を日本語の短文で書かせるのです。せっかく苦労して英語を書いたのに、また日本語に逆戻りかい、と若い人は不満に思うかもしれませんが、母国語になおすという作業は、本質を深く考えるのに有効です。できる人なら、その段階を経るだけで論文が改善されていきます。今はやりのハイブリッドです。
少しはお役に立ちましたでしょうか。
口で言うほどうまくいかないときもありますが、やみくもに直そうとするよりは、効率はいいと思います。
お互い、しんどいですねえ(笑)。
でもこれで、後輩たちが元気になってくれれば、儲けものです。若手が元気になってくれれば、日本の医療崩壊もくいとめられるかも・・・(汗)。
本日は汗だらけのエントリーです(笑)。
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ドクターが元気になるための道しるべです。固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻 解説シリーズ第71回です。
久しぶりの解説シリーズです。また書いてしまいました。なんだか仕事がたてこんでくると妙に書きたくなります(笑)。
今の学生や研修医の先生って、「ビーコン」っていうんでしょうか?
レーダーのことではありません。ドク虎が学生の頃は、ときどきお世話になりました(汗)。
和製独語?だと思いますが、Wiederkommenからきた言葉です。
Come againつまり、「再試」です(涙)。
論文も、設計図段階でのビーコンが重要です。
設計図を書いた後、まず自分自身、他人の目で、設計図全体を見渡すのです。 当然、同僚や指導者にもみてもらいましょう。 そして、意見をもらって何回か「ビーコン」です。
筆頭著者の意見が優先ですが、相談相手は普通百戦錬磨の武将?です。参考にしない手はありません。
設計図の段階で、論理的な構成をしっかり決めておくのです。
英文チェックをしてくれる人と、設計図の段階で打ち合わせをし、何回かビーコンをしておくと、こちらの英文はまずくてもスムーズに直してくれます。
ちゅーか、校閲者のストレスも激減します。
設計図なしに、いきなり英文で書き下ろそうとすると、迷路に迷い込み、出られなくなることがあります。指導者共々、路頭に迷うことも・・・せっかく苦労して書いた英文の一部が、水泡に帰することがあります。
ただし、この方法が通用するのは、気さくに相談に乗ってくれる教授に恵まれた場合ですが・・・
でも本来、教授にとってもよいことをしているのだから、利害は一致するはずです。
乗ってこない教授はこちらから見捨てましょう。
昔はよかったという人もいますが、こと論文に関しては、いまの教授たちの方がよほど気さくで英語もできてものが言いやすい人が多いと思います。
このチャンスを利用しない手はありません。
あんたが年取っただけや・・・といわないでね(汗)。
設計図のノウハウについて、詳しくはこちらをどうぞ(笑)。
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砂上の楼閣にならないように、設計図をきちんと考えましょう。固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
マニュアルをつくれ、という声をよく聴きます。
マニュアルというカタカナ語は一見かっこいいのですが、日本語に訳すると「手引き書」です。
「手引き」というと、よちよち歩きの幼児または足もとのおぼつかないお年寄りの手を引いて横断歩道を渡るといったイメージでしょう。
マニュアルというのは、総じて、初心者用です。
マニュアルに様々な条件をすべて網羅できるわけではありません。もしそんなマニュアルがあるなら、それこそ膨大になって、索引を引くだけでへとへとでしょう。情報は多すぎれば、ないのと同じです。
マニュアルは、本来プロが使う者ではありません。もっとも時々初心に返って基本を確認することはよいことですけれど。
プロのバイオリン奏者が、マニュアルを見ながら演奏、なんて、考えられません。プロのピアニストが、楽典をみながら譜読みなんて、考えられません。
でも、一応資格のあるプロのくせに、マニュアルをほしがる人が多いのです。
プロのパイロットは使ってるじゃん。
たしかに、航空機の運航のように、天候以外はほぼ条件を予測することができる場合は、マニュアルも有効でしょうが、それでもいざハドソン川に不時着のような場合には、機長さんはマニュアルにない判断をびしばし要求されたはずです。
いったんマニュアルをつくれば、それが条件に適合しているか、周囲の状況が変わっていないか、つねにモニターし、常に改訂を繰りかえしていかなくてはなりません。すごい作業量です。
マニュアルだらけになれば、はて、これマニュアルにあったっけ、ということになります。変化の激しい状況でのマニュアルは、かえって危険です。
「手引き書」は、最小限にとどめておく方がよいのです。
バイトのにーちゃん、ねーちゃんではないのです。
すべてを否定するわけではありませんが。それでも、専門職でありながら、すべてにマニュアルを求める人々は多いです。
考え方があんちょこ過ぎます。
「もうちょっと、自分の頭で考えんかい!」と、叫びたくなります。
旧約聖書に出てくる、「王を求める人々」と同じです。
人類、あまりしんぽしとらんのかなあ。
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鵜呑みにするのではなく、 Critical thinkingは大切です。
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「留学と英語力」について、Bugsy先生から貴重なコメントをいただきました。有難うございました。
留学したからと言って、努力しなければ論文を書けるようになったり、英語がペラペラにはならないというの本当ですが、留学しても役に立たないよ、というのが本心ではありません。
逆に、留学のチャンスに恵まれず、日本にいて頑張っても、論文についてはそんなに不利ではないよ、といいたかったのです。
しかしながら、恥ずかしながら、短い留学期間は、私のいままでの人生にとって、また家族の人生にとっても、もっとも輝いていた時期でした。
とてもハッピーでした。
若い人たちには、機会があればぜひ留学をすすめたいと思います。
異国の地、異文化の地、異国語の環境で、たとえよい人たちに囲まれていたとはいえ、家族と肩をよせあって一緒に過ごしたことによって、家族の絆も深まったと思います。日本の勤務医にとって、家族の絆を深めるのは至難の業ですから、それだけでも儲けものでした。
こどもたちも、それまでになく、父親の存在を認識してくれたと思います(汗)。
また、日本の常識が、かならずしも外国では通用しないこともわかります。皆がいっていることも、まず自分で論理的に考えてみなければ、と思うようになります。
そういえば、私の留学前に、留学から帰ってきた人のことを、「あいつはアメリカにかぶれてかえってきよった。」とぼやいていた上司がいましたが、そうではありません。
たとえエライ人に言われたとしても、まず本当にそうか、自分の頭で確かめるようになっただけです。長い目で見れば、それは組織にとってもプラスなはずです。
だって、上司といえども、神様のように間違いを犯さないわけではないのですから。
与えられた環境を最大限に生かす努力が必要です。
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なんちゃって仏教徒のドク虎ですが、キリスト教のぶどう園の喩えに続き、なぜか心にひっかかっている、こんどはユダヤ教の聖典、旧約聖書のお話を一席。
お暇な方はお付き合いください。ただし解釈は独断ですが・・・。
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主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。
彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。
彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。
あなたに対しても同じことをしているのだ。
今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」
サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。
彼はこう告げた。
「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。
まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。
また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。
また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。
また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。
あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。
また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。
その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。
しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」
民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。
「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」
新共同訳 サムエル記上8章7-20節
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これって、こわーい神様の言葉だと思うから、昔のおとぎ話だと思うのですけれど、「神様」を「自然の摂理」「真理」「論理」と置き換えると、現代にもそのまま当てはまります。以下はドク虎の独断と偏見の珍解釈です(笑)。
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「国民は、生活が物質的に豊かになるにつれ、日々惰性で過ごすことになれ、自分の頭で考え、「真理」をもとめ、「論理」に基づいて思考し、行動することを退け、他人に指示される奴隷の道を選んだ。
昔から今に至るまで、人間は「論理」や「真理」の追究を捨てて、ほかのいろいろなことを大事にしてきた。
今はいってもしかたがないので彼らの声に従いなさい。
ただし、彼らにはっきり警告し、なんでもエライ人に任せ切ってしまうと、どういうことになるか、よく教えておきなさい。
エライ人たちを監視しておかないと、エライ人たちは庶民の息子たちを徴用する。あなた方の息子たちに血を流させても体制を守ろうとする。徴兵し、エライ人たちのための業務に従事させ、あるいは武器を造らせる。
また、あなたたちの娘を徴用し、パートとして働かせるが、必要がなくなればすぐ首にできる弱肉強食の制度をつくる。
一方で、こつこつ働いても収入が得られないような制度を作り、自分たちは労働せずに座っているだけで巨額の金が得られるような社会をつくろうとする。
あなたたちの収入のうち多くを徴収し、エライ人たちやその取り巻きに分け与える。
民間会社に対しては、すぐれた者を霞が関に呼び出し、自分たちのために資料を提出させる。
こうして、あなたたちはエライ人の奴隷となる。
その日あなたたちは、自分が選んだエライ人のゆえに、泣き叫ぶ。
しかし、それまでないがしろにした「論理」はもはやその日、あなたたちに答えてはくれない。
しかし国民はこの声に聞き従おうとせず、言い張った。
「いいえ。我々にはどうしてもなんでも決めてくれるエライお上が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、お上が裁きを行い、お上が陣頭に立って進み、力によって国を守るのです。我々は何も考えなくてよいからその方が楽なのです。」
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王を求める群衆というのは、要するに、いまはやりの、「指示待ち族」「マニュアル人間」ちゅーことですね。
日本が旧約聖書の時代にタイムスリップしなければよいのですが・・・心配です。
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ロジカルに物事を考えること、そしてそれをうまく人に伝えることは、普段から訓練しなければできません。私も人のことは言えません。一生勉強です。
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