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留学すれば、英語の論文がすらすら書けるようになる。
うそです。
アメリカ人は、2億人以上いますが、英語の論文を書ける人はごくわずかです。
留学すれば、英会話ペラペラになる。
これも、うそです。
もうずいぶん昔ですが、ドク虎は、まじめな留学生?で、リサーチのポスドクフェローだったので、ひどい日など、
朝に、
“Mornin’”
夕方、
“See ya.”
一日のうち、話す英語がこれだけの日もありました(汗)。だから、英会話は苦手です。
まあ、若いうちに学生の身分で留学すれば、ぺらぺらになるでしょうが。
留学すると、社会経験が豊富になる。
これだけは、本当です。貴重な経験が得られます。「おー、そんな考え方もあるのか!なるほどなあ。」日々発見です。他流試合です。
ちゅーことは、留学しても、論文が書けるようになるには、日本にいるのと変わらないぐらいの努力がいるっちゅーことです。
でもがっかりしないでください。
逆に言うと、日本でもがんばり次第で実力を身につけられるってことです。
南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻、どうぞご活用を(笑)。
なんだ、宣伝だったのか・・・(スミマセン)。
でも、ほんとうです。ポイントを知った上でがんばるのと、ただ闇雲にがんばるのとでは、ずいぶん違います。
確かに、あちらのボスの英語力はすばらしいものがありますが(あたりまえや)。
でも、忙しいボスを捕まえて論文をみてもらうのがたいへんなのは、世界共通(笑)。
ロジカルに物事を考える訓練は日本でもいくらでもできます。英語は一つのツールにすぎません。
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クリスマスも終わってしまいました。我が家でもツリーをかたづけなくっちゃ。
クリスマスついでに、ちょっとキリスト教っぽいお話を一席。
「ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(マタイによる福音書20章より)
キリスト教徒ではない、なんちゃって仏教徒のドク虎は、ながらくこのたとえ話が理解できませんでした。
そんな殺生な。一生懸命働かんでもええっちゅうことかいな。あとの人たちの方がトクやんか。ずるいでそんなん・・・
しかし、ドク虎の素朴な疑問は、必ずしも正しい考え方とはいえないのです。
確かに従来の新古典派経済学では、労働を不効用(苦痛)、賃金をこの不効用に対する補償ととらえているため、ドク虎のような考え方になってしまうのは当然なのです。しかし一方、労働できることを、「神の招き」「神の恵み」としてとらえるならば、すなわち、父母から元気な心と体をもらい、環境にも恵まれ、教育も受けることができ、運良く就職して仕事があるという状況は、もちろん個人の努力も必要ですが、決して個人の努力のみでは達成できるものではないのです。周囲の「恵み」があってこそです。
そういう意味では、いくら少しぐらい努力したからといって、多少の色はつけてもらってもいいとは思いますが、よく働いて成果があがったからといって、何百何千デナリオンを、当然自分だけの手柄のように要求するのは間違っているのです。 80年代にすでに崩壊した社会主義と、いま現在崩壊しつつある、某超大国が推し進めてきた市場原理主義との中間のいずこかに、落としどころがあるような気がします。
そのための前提として、新古典経済学における、「労働は苦役である」という発想から転換する必要があるでしょう。
我が国の崩壊しつつある医療システムも、両方の面を考慮しながら、落としどころを探っていかなければならないのではないでしょうか。
医師を、強制的に配置、働かせるという発想は、医療をこの「労働は不効用」であるとの、古い経済学理論に戻してしまうものに他ならず、ますます立ち去りが起こり、莫大なデナリオンなしでは成り立たなくなるでしょう。
そういうアプローチではなく、誤解を恐れずにあえて言うならば、むしろ労働できることが恵みであるという感覚、つまりプロとしてのやりがいや倫理性をどうすれば高められるかが重要なのではないでしょうか。
もちろん、アメリカ並みとは言いませんが、ある程度人口や医学の発達状況に応じた、諸外国並みの医療費総額は必要です。
いいものはそれなりにコストがかかるのです。数さえ増やせばいいと言うことにはなりません。
市井の一医師でも考えるこんなことを、政治経済の専門の方々がおわかりになっていないはずはないと思うのですが・・・
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世の中、人間の浅知恵では計り知れないことが多いです。
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文部科学省が、おもしろいことを言い出しましたね。
曰く、高校では英語の授業は英語でしなさいと。 はっはっは。
へそが茶を沸かします。
日本人が世界でダントツに英語ができない国民なのは、そーいうもんだいじゃねーだろ。
ドク虎だって、英語抄録の書き方の本は、日本語で書いています。
だって、読者の対象は、日本人ですから。
英語がすらすら読めるのなら、そんな本、いらんのですから。
英語の授業を聞いてすらすら理解できるのなら、そんな授業、うけんでもええやろ。
頭の柔らかい10歳の子供相手なら英語だけの授業はいいかもしれませんが、あいては、いい年をした高校生です。母国語を話せる人を雇うならまだしも、教えるのも日本人のおっちゃんおばちゃん(失礼)です。
現場の英語の先生の声が聞こえてくるようです。
「あんたら、現場を知らん者にいわれたないわ。」
でもドク虎は、実はいまの日本の英語の教師にははっきり言って不満たらたらです。
中学高校と、6年間も英語を教えながら、まともな論文ひとつ書ける英語力を身につけさせてくれないのです。
ドク虎自身は、幸運なことに、今考えてもすばらしい英語教師たちに恵まれました。たしかにすばらしい英語教師もたくさんおられます。
しかし、世界からみた日本人の平均的な英語力を考えると、日本の英語教育界全体は、頭をまるめてもらわなければなりません。
英語教師自身、受験英語を教えるプロかもしれませんが、現場で実用に耐える英語を使って仕事をしたことがない方がほとんどなのですから、仕方ないのでしょう。
だいたい、英文学を専攻した人が英語を教えるのが変なのです。
だから、文部科学省のむちゃくちゃな効果不明、意味不明の指示も、現場へのショック療法という意味はあるかもしれません。
でも、現場のプロの先生方の反発は目に見えるようですね。
ショックが効き過ぎて、厚労省の医療改革と同じように、それでなくても大変な現場にとどめを刺すかもしれません。
医療における、厚生労働省の、現状認識を誤った現場無視のころころ変わるむちゃくちゃな指示と共通点がありますね。
文系を出た、医療に素人のお役人が、現場を離れた白い巨塔の「御用学者」たちの意見だけを聴いて、机の上で考えた医療改革。
教育に素人のお役人が、現場を離れた「英語学の権威」の意見だけを聴いて、机の上で考えた英語教育改革。
現場の先生たち、生徒たち、ご愁傷様です。ますます英語塾や予備校が繁盛しそうですね。ひょっとして、そちら側の陰謀?
ところで、実は日本人は英語ができない方がよいこともあります。
もし皆英語が苦痛なくできるようになってしまったら、日本人医師の多くは海外に流出してしまうことでしょう。
私ももし母国語並みに英語ができて若ければ移住します(笑)。
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手段を云々する前に、まずターゲットをはっきりさせることです。
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つい最近まで、社会主義諸国の崩壊を目の当たりにして、資本主義諸国の政治家たちそして資本家たちは自信満々でした。「自由な市場競争が社会を活性化する」市場原理主義が闊歩しました。
その結果は・・・いまやご存じのように惨憺たるものでした。
振り子のように、極端から極端にふれてしまったのです。
現場を知っている人の言葉というのは、重みがあります。
高槻病院循環器科の高岡先生は、医療者向けのエッセイの中で、
「あるシステム研究家の著書に「安全」「安心」を得るために、原則として「みんな」が等しく受けることのできるサービスがある程度必要だ」とありました。たとえば、警察も警備会社のように民営化したら各社がサービスを競争しあうので国民はよりよい安全と安心を得るのではないかと思えるのですが、実際には民間組織では武装犯罪には対処できない。民間の武装を認めると、今度は武装集団が対抗して重武装するのでかえって治安が悪化していくだろうと著者は予想しています。」と書かれていました。
救急医療についても、
「金も人手もかかる救急医療を社会のインフラとして整備するのか、インフラとしては整備せず金のある人が自分の意思で医療を買うのか、選択するのは医療関係者ではなく国民です。」と書いておられます。
実際、インドでは救急車を呼んでもすぐにはやってこないので、お金持ちは民間の救急車を契約しています。貧乏人は、やってこない救急車をひたすら待ち続け、命を失うのです。最先端の医療レベルはきわめて高いのですが、大多数の人たちはその恩恵には浴さず、外国人による最先端医療の寡占状態(英語圏なので、コストを考えて英米から受診する患者さんが多い。これをメディカル・ツーリズムといいます。)が生じています。
このような状況下で、タージマハルホテルが爆破されたのは記憶に新しいところです。たしかにテロはとんでもないことですが、目先のテロだけを取り締まっても、社会のインフラを構築していかなければ、インドのテロはなくならないでしょう。
日本国民がそういう選択をしないことを願うばかりです。
しかし、高岡先生はこうも書かれています。「ここにきて国民は「選択を放棄する」可能性が高いように思いはじめました。」
私も、同じように感じています。あなた任せではなく、付和雷同するのではなく、自らの頭で考えることが大切です。
赤信号は、みんなで渡っては危ないのです。
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ケネディーの名演説にあるように、人に何かをしてもらうのではなく、自分が今何をできるかを考えよ、子供たちにもそう教えていくべきなのでしょう。
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街はクリスマス気分ですね。
日本人は、外国人と見ると、この季節、よくメリークリスマスといってしまいます。クリスマスカードも、メリークリスマスと書いて年賀状感覚で送ります。
確かに、この季節外国人の家庭を訪れて、暖炉の周りに飾ってあるクリスマスカードをみるのはほのぼのとして楽しいものです。
でも水を差すようで申し訳ないのですが、ちょっと待ってください。青い目をして、金髪で、色が白いからといって、キリスト教徒だとは限りません。
十字軍にやられた側の子孫の人たちもいるのです。キリスト様を磔にした人たちの子孫もいるのです。特に医学の大学関係者には、ユダヤ教の人たちが多いです。
「何で俺たちが異教徒の祭りを祝福せなあかんのや。おれにけんか売ってるのか、この黒髪ブタ野郎。」と、にこにこしながら心の中では思っているかもしれません。
仏教徒のくせに、ツリーを飾り、ケーキをたべ、サンタクロースが訪れるどこかの国とは違うのです(実はうちもそうです。ドアに電飾をつけました(笑)。)
あまりよく知らない外国人には、
Season’s greetings!
Happy Holidays!
Have a nice holiday season!
といっておく方が無難かもしれません。
アメリカのメーシーズやサックス、ニーマンマーカスなどデパートには、Merry Christmasという垂れ幕は、50年代の昔はともかく今はないはずです。
なぜかモールの中心にサンタさんはいて、座って写真を撮ってくれますけれどね。子供たちは強い(笑)。
女性方にとってはHappy Holiday Salesでしょうか・・・いまごろは。
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立場が違えば、考え方も変わります。無知も時に人を傷つけます。
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裁判員制度についての番組がテレビを賑わせているようです。
最近、元裁判官で今は弁護士をしているという高校時代の同級生の講演を聴く機会がありました。裁判員制度についてです。いろいろ勉強になりました。
でも、ちょっと驚きました。一般の人たち、自分たちが裁判員にされたら大変だという認識はあるようですが、自分が被告席にたって裁判員制度で選ばれた人たちに裁かれるかもしれないという視点からの発言はなかったのです。
むしろ、元気のいいお年よりのOBさんは、「自白して明らかに犯人だとわかっているのに、「容疑者」という言い方はおかしい。」などと言う発言がありました。自分が冤罪に巻き込まれるかもしれないという発想がないのですねえ。
流石に法律家の彼は、「それは外国でもbe accusedといって、犯人とは言わない。」と答えていましたが、一般の人たちの、それもかなり経験を積んだといえる人たちの、司法に対する無邪気な信頼です。
いくら優秀な人間といえども、人間は間違いを犯す可能性がある。自分もいつ冤罪をうけるかもしれない。人の断罪には慎重でなければならない。そういう危機感をあまり抱いていないのですね。
日本人は、死刑に7割から8割の人たちが賛成だそうです。先進諸国にくらべて遙かに大きな数字です。
異論はあろうかとおもいますが、死刑にしてしまえば、冤罪であったばあい、救いようがありません。
日本の一般の方々の感覚は、被告席に座ることがあるかもしれないと日々思いながら仕事をしている現在の日本の医師とは大違いだなあと感じてしまいました。
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立場が違えば、考え方も変わります。お互いに相手の立場を想像できる力が必要です。
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日本語のサービスと、英語のserviceとは全然意味が違うという話を少し前に書きましたが、有名なところでは、論文ではあまり使うことのない単語、naïveもそうですね。
日本語で、ナイーブな彼、というと、ちょっとイケメンで、細面で、繊細で優しい彼が目に浮かぶのではないでしょうか。
ところが、英語でHe’s naïve.というと、幼稚で無知で、彼氏にしたくない子供っぽい男という意味になってしまいます。
You’re so naïve.
とアメリカ人の彼にいってしまうと、別れ必定(汗)。
まだまだありますね。
昔、留学中、娘の幼稚園の先生にだんなの勤務先を聞かれたかみさんが、私の留学先の大学名をいうと、大学の教員だと誤解したらしく、
Oh, your husband is very smart.
とおせじをいってくれたことがあるのですが、当時からメタボだった私の体型が頭に浮かんだうちのかみさんは、
Oh, no. He’s not smart at all.
といっちゃったんですよね(泣)。相手も返答に困ったでしょうね。
ごぞんじ、スマートって、日本語ではやせてるって意味に使いますが、英語ではcleverの意味で使います。
あと、ちょっとはずかしー思いをしたのが、ヒアリング。「ヒアリングができない」という言い方がありますが、英語のhearingは聴覚の意味なので、耳が悪いということになってしまいます。
ヒアリングというカタカナ語をつかっていると、つい英語でもそういってしまいます。
これは「虎の巻」にも書きました。
古いところでは、ブリキ。これは、brick(煉瓦)の意味なのですが、かつて煉瓦を輸入したときのケースが金属のスズの容器に入っていたことから、これは何だと尋ねたときに誤解が生じたものらしいです。
普段から、カタカナ語ばかり多用していると、つい変な英語をつかっちゃいそうですね。
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議論する前に、まずお互い言葉の定義を明確に把握することが重要です。論文や発表でも同じです。
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古いパソコンが立ち上がらなくなってしまったので、パソコンを買い換えると、当然ながら「微少軟弱」という会社が作っている「眺望窓」というOSがついてきました。
これがまあ、ひどいですね。
1.メモリをくうという噂だったので、今までの倍の2GBにしたのですが、足りないようです。
今まで1GBのメモリで機嫌良く動いていた、プレゼンの動画が動かなくなりました。メモリー屋さんとぐるなのでしょうか。メモリーを増やしたくても、一枚捨てないと増設できません。あーあ。また画素数を落として編集し直さなくてはなりません。
2.買って1週間もたたないうちに、立ち上がらなくなりました。
曰く、「プロファイルの読み込みに失敗しました。」そんなん、失敗するなよ。全データを失ったかと思い、ひやっとしました。別のパソコンからネットで検索すると、「眺望」については、ままあることらしいです。解決策が見つかりました。1時間ほどで復活しました。やれやれ。もうちょっとでリカバリーディスクを使って全部消してしまうところでした。
3.日本語変換が、パーでんねん。
どんどん変な学習をし、いつまでたっても誤変換です。辞書に追加登録しているのに。文節の区切りも、どんどん細かくなっていきます。頼みの綱のアップデータをいれてみても、あんまり賢くなりません。
原稿を書いていると、最初は誤変換をおもしろがる余裕があったのですが、だんだん腹が立ってきました。おいおい、パソコンのくせに仕事の邪魔するなよ。仕事をサポートするためのOSやろ!
噂では、日本語のフロントプロセッサの開発を、開発コストをけちってアジアの某国に丸投げしているようです。外人が日本語のプロセッサを開発しているということですね。本当だったら、そら、あかんやろ。変に納得です。
仕方がないので、とりあえずニッポンは阿波の国の会社が作っている日本語変換の試用版を入れました。やれやれ、これで快適に。やっぱり日本製はいい(笑)。
パソコンを変えたために、よけいな作業が増えて、仕事がかなり滞ってしまいました。セットアップやトラブルシューティングだけで、仕事したような気に・・・なってませんが、精神衛生によくありません。
ユーザーの心と体に悪いOSです。
OSだけではありません。「事務所2007」も、できることは「事務所2003」と大して変わらないくせに、操作性が2003とはかなり違いメニューが複雑です。誰がこんなメニューの分類を考えたんや。責任者出てこい!
いままで2003で快適にできていた簡単な操作をするのに、まだ戸惑っています。おい、どこにメニューがあるねん。探すのに一苦労です。ああしんど。仕事効率が落ちました。くそー、しばらく原稿は書かんぞ!人の原稿のチェックもせんぞ!エクセルも使わんぞ!(といいながら、ブログに逃げている軟弱な私です(汗)。あんたが年取って学習能力ないだけや、とつっこまないでね。)
パソコンにチョー弱い人だったら、そのまま我慢して使うのやろなー、と思うと、パソコン素人のドク虎としては、他のユーザーも気の毒になり、もっと腹が立ってきました。
前のOS「相互基盤窓」は、あと6年間はサポートされるようですから、もし遊びではなく、仕事で使われるパソコンを購入される方は、「眺望窓」は避けられた方が無難かと。まだ「相互基盤窓」にダウングレードという手も、一部のメーカーでは可能なようです。
いったい、「微少軟弱」は、どうなってしまったのでしょう。豊富な資金と、優秀なエンジニアを抱えながら、創業者が抜けると、こんなになってしまうのですね。
「微少軟弱」は、方向性を見失っているように見えます。これだけユーザーをないがしろにして、ぶたぶたのメタボOSを売りつけて平気なんですかねえ。やっぱり、トップは大切です。
以上、もともと「林檎」ラブだったドク虎が、互換性のために仕方なく「微少軟弱窓」を使っているので、多少割り引いて読んでくださいね。
本稿は、個人の体験に基づく意見であり、客観的エビデンスはありません。ご参考まで。
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教訓:大事な仕事の前にパソコンを買い換えるのはやめましょう。
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院内で職員対象にアンケートがきました。
第一項に曰く、「病院がサービス業であるという意識をもって遂行しているか。」 皆さんはいかがでしょうか。 ドク虎はもちろんYesです(笑)。
なぜなら、経済学の定義によれば、医療はまちがいなくサービス業(service industry)なのです。
経済学では、形のあるものを作る仕事以外は、すべてサービス業に分類されます。 従って医療ばかりではなく、教育や宗教もサービス業なのです。芸術家や、スポーツ選手もそうですね。カトリックのローマ法王も、浄土真宗の大谷門主も、街のお坊さんも、警察官も、裁判官も、内閣総理大臣も、サービス業に従事されているのです。
そういう意味では、このアンケートの文章には問題はないのですが、医療行為が、ものを作る仕事ではないことは、当たり前ですよね。なぜあえてこの質問が第一番にくるのでしょうか。この質問者は、「サービス業」を厳密な経済学上の意味で使っているのでしょうか。
多くの日本人は、「サービス」という言葉の意味をはき違えているように思います。 日本語で「サービス」というと、お客様である「神様」が、弱い立場の接客係に、
「もうちょっとサービスしてよ。」(追加料金なしでもっとホニャララしてよ(笑)、またはもうちょっと安くしてよ。)
または、店員さんが神様に向かって、 「これ、サービスしておきます。」(今回はただでおまけしておきます。そのかわりまたきてね。へこへこ。) というイメージですね。
ところが、英語のserviceは違います。
コウビルド英英辞典によると、
Service
A service is something that the public needs, such as transport, communications facilities, hospitals, or energy supplies, which is provided in a planned and organized way by the government or an official body.
You can sometimes refer to an organization or private company as a particular service when it provides something for the public or acts on behalf of the government.
If an organization or company provides a particular service, they can do a particular job or a type of work for you.
Services are activities such as tourism, banking, and selling things which are part of a country’s economy, but are not concerned with producing or manufacturing goods.
などなど、まだまだいろんな意味がありますが、日本語のサービスの語感とはかなりかけ離れています。公的機関による専門的な業務というのが第一義にくるのです。その他、兵役や、宗教的儀式という意味もあります。外国で、「モーニング・サービス」をくださいというと、教会の早朝ミサに案内されるかもしれません。言ってみたことがないのでわかりませんが(笑)。
一方、日本語の「サービス」は、かなり違っています。「接待」「接客」「おまけ」「無料奉仕」に近いでしょうか。
単に「医療はサービス業だ。」というと、誤解する人は少なくないでしょう。
病院で「接待」「無料奉仕」を期待すると、期待を裏切られ、がらの悪い関西弁で恐縮ですが、
「おい、にーちゃん、サービス悪いで。もっとはよみたらんかい。」
「なんで待たされてサービス悪いのに金をはらわなあかんのや。」
「ねーちゃん、はよなおしたらんかい。」
「なんでなおせんのや。サービスがなっとらん。」という人たちが出てきそうです。
サービス業イコール接客業というのは、「定義のすり替え」です。定義のすり替えというのは、実は詐欺師がよくつかう手法です。
ドク虎は、医療は「接客業」ではなく、むしろサービス業の中の「コーチ業」だと思っています。もちろん、でかい態度で高圧的な、けしからん医師も一部にいるかもしれませんが、もし患者さんに、「おタバコをおすいになってよろしいですよ。」「おなか一杯召し上がってもいいですよ。」と、その場でこびへつらって、たとえ病院の評判が一時的によくなったとしても(なるわけないか)、病気が少しもよくならなければ、何にもならないのです。多くの患者さんたちは病院に接待を期待はしていないのです。
接待を求めるならば、もっと別のところに行くでしょう。
経験的にも、病気についての大切な情報を教えてもらったときにこそ、感謝していただけます。べつにくそ丁寧に対応したからと言って、感謝された経験はありません。時間的に余裕のあるときはいいのかもしれませんが、余裕のないときには、かえって不自然なものです。
病気をコントロールする主体は患者さん自身で、医療者はあくまでプロとしてアドバイスをする立場なのです。
カタカナ語おそるべし。定義のすり替え、要注意です。
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議論する前に、まず定義を明確にすることが重要です。論文や発表でも同じです。
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手前味噌かもしれませんが、医療者というのは、ドクター、ナース、技師さんたちを含めて、いわゆる「まじめ」な人が多いように思います。
真面目でなく、いいかげんだったら、危なくて命をあずけられませんよね。
給料さえもらえば、手を抜いてやろうと考えているような人は、あまりいないように思います。
それはいいのですが、真面目すぎるのも、考えものです。 世の中、いろいろな要素が絡み合い、絶妙なバランスで進行しています。
病院機能評価は、いわゆる「その道の権威」がきめた基準で審査されます。病院関係者は、一生懸命「まじめ」に基準を達成しようとします。
第三者の目で評価することは大切ですが、周りをよく見ないと、実はえらいことになってしまいます。
一つの指標にのみとらわれ、それを100%実行しようとすると、他がおるすになります。
かえってリスクが増します。
一生懸命達成しようとすると、数をこなすことはできません。
みてもらえない患者さんがでてきます。 責められるのは、現場です。
真面目が組織を滅ぼすということもあるのです。 一見いいかげんにやっているように見える場合の方が、バランスがとれて、結果的には安全なこともあるのです。
いいかげんは、「良い」「加減」に通じます。 なにごとも、一つの指標にこだわるあまり100%をねらってはいけません。 常に頭を柔らかくしておく必要があるのです。
そういえば、旧帝国陸海軍、皆おおまじめでしたよね。でも、戦争には負けました。
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困ったときこそ、冷静な、理論的なアプローチが有効です。定義をはっきりさせ、命題が成り立つ条件をきちんと吟味することが重要です。
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