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最近思うことがあります。
医療に携わる人たちと、一般の人たちとの、コミュニケーションの齟齬が問題になることが多くなってきています。
原因は色々在るでしょうが、その一つに、「人の死に出会う」という体験の有無というのがあるのではないでしょうか。
昔は、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして両親。大家族制の下で、違う世代の人たちが一緒に暮らしていました。おじいちゃん、おばあちゃんのなくなる姿を、直接目にしていました。自分が良く知っている人の存在のこの世からの喪失を体験しました。
高度成長時代以降、都市での労働力の需要増大により、人口分布は変化し、核家族が増えました。知っている人の死に立ち会うことは少なくなりました。
一方、医療者は、人が亡くなる場に、いやでも立ち会わなければなりません。
人が亡くなるということは、難しい現象です。科学ではなかなか説明できません。
それまで精神的な活動をしていた個体が、水とたんぱく質その他のかたまりに変るのです。
すべての人は、いつかは死を迎えるのです。それが現実です。
人はそのとき、何を感じるのでしょう。
さっきまで、それなりに元気だったのに。
まだ経験の浅い若い先生たちが、精神的に成長していく過程には、「人の死への立会い」という、厳粛な瞬間が必要なのではと思います。誰も好き好んで立会いたい人はいませんが。
「人の死」にこれだけ向き合わざるを得ないのは、戦地の兵隊さんやレスキュー隊はべつとして、医療者ぐらいではないでしょうか。
人の死を実際に多く看取っている人と、あまり人の死を看取ったことのない人とでは、お互いに相手の考えを理解するのは難しいのかもしれません。
元気だった人が、突然水とたんぱく質のかたまりになってしまっては、それまでに経験したことがなければ、とうてい受け入れは難しいでしょう。
ましてや、お身内の方であれば。
医療の問題にしても、きれいな会議室で、お金の理屈だけで議論しても、現実からは遊離してしまうのかもしれません。
体験したことのないことは、なかなか頭ではわからない。
お互いに想像力が必要なのではと思います。
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熱い心は必要ですが、時には、冷静になることも大切です。固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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