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少し前に、「哲学的とは」なんて、柄にもない駄文を書いてしまいましたが(汗)、哲学ついでに、ちょっとおばかなことを考えてみました。
「暇人やなー」といわれそうですが、実はいまあまり暇はないのです。ある意味現実からの逃避かも(汗)。
「無」とは何ぞや?
何もないことが「無」でしょうか?
すべては「無」であるとすると、本当にこの世の中というのは実在しないのでしょうか?
少なくとも、いまここに、しょーもないことを考えてる私がおり、それに付き合ってくださっている心やさしいあなたがいらっしゃいます。
少なくともデカルトさんによれば、私やあなたはやっぱり存在するのです。
実は、「無」の定義の中には、「万物を生み出し、万有の根源となるもの。」という、定義があり、洋の東西を問わず、古くからある考え方のようです。なんやらよーわからんなあ。
ふと、思いました。
フーリエ変換というのがあります。すべての波形は、サイン、コサインの波に展開できる。だから、一つの楽器の音や一人の人の声を、スーパーウーファーや、ツイーターや、ミッドレンジスピーカーに分けてもちゃんと再生できるのです。
ちゅーことは、振幅ゼロの直線も、つまり、「無」も、数学的には無限の波に展開できるのです。「無」は「有」と等価なのです。
したがって、「無」は必ずしも「なにもない」のではなく、すごく可能性のある豊かなものなのです。
そういうことだったのかー。
仏教で言う「無」とは、そういう豊かなものなのではないでしょうか。
ここまで戯言にお付き合いいただいた心優しい皆様、ありがとうございました(汗)。
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理屈のみでは角が立ちます。
エトス、パトス、ロゴス、いずれも必要です。
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コメント
コメント一覧
ラスト侍で渡辺謙の息子役の侍がトムクルーズが南北戦争の呪縛から逃れられず悩んでいた時に声を掛けます。
無の境地は日本の武道、茶道、およそ道のつくものには理想の境地のはずです。しかし、これをアメリカ人に教えるって難しいです。日本人は何となくでもイメージできますが、彼らの中でも理解がある人は日本の文化にも関心を持つのでしょう、きっと。
直線回帰も数ある曲線回帰の一つに過ぎないということでしょうか?
KYですみません。
お久しぶりです。お元気ですか。
「無」の境地、なかなか凡人にはなれません(汗)。
Bugsy先生
あまり真面目に考えないでください。
ざれごとです(汗)。
ただ、「無はすべての可能性の基となる」といわれても私は以前はピンとこなかったのですが、フーリエ変換だと考えると、「無」は何もない状態ではないということが直感的に理解できるようにおもいます。
つまり、何もない状態も「無」、無限のエネルギーが引き合って総和がたまたまゼロになった状態も「無」ということです。
ざれごとにお付き合いいただいた、こころやさしいおふた方に感謝です(笑)。
私はデカルトの“Cogit ergo Sum”という言葉が好きです。
「無」は何もないのではなく、無限なんですね。
存在しなければ思うことはできない・・
思っている我は幻ではなく実際に存在している・・
ん~深いです。
こんなわけのわからんエントリーにお付き合いいただきありがとうございます。
この年になってようやく哲学や数学はお互いに関連していて面白いものだったんだなあと思うようになりました(汗)。
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