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少し前に、「哲学的とは」なんて、柄にもない駄文を書いてしまいましたが(汗)、哲学ついでに、ちょっとおばかなことを考えてみました。
「暇人やなー」といわれそうですが、実はいまあまり暇はないのです。ある意味現実からの逃避かも(汗)。
「無」とは何ぞや?
何もないことが「無」でしょうか?
すべては「無」であるとすると、本当にこの世の中というのは実在しないのでしょうか?
少なくとも、いまここに、しょーもないことを考えてる私がおり、それに付き合ってくださっている心やさしいあなたがいらっしゃいます。
少なくともデカルトさんによれば、私やあなたはやっぱり存在するのです。
実は、「無」の定義の中には、「万物を生み出し、万有の根源となるもの。」という、定義があり、洋の東西を問わず、古くからある考え方のようです。なんやらよーわからんなあ。
ふと、思いました。
フーリエ変換というのがあります。すべての波形は、サイン、コサインの波に展開できる。だから、一つの楽器の音や一人の人の声を、スーパーウーファーや、ツイーターや、ミッドレンジスピーカーに分けてもちゃんと再生できるのです。
ちゅーことは、振幅ゼロの直線も、つまり、「無」も、数学的には無限の波に展開できるのです。「無」は「有」と等価なのです。
したがって、「無」は必ずしも「なにもない」のではなく、すごく可能性のある豊かなものなのです。
そういうことだったのかー。
仏教で言う「無」とは、そういう豊かなものなのではないでしょうか。
ここまで戯言にお付き合いいただいた心優しい皆様、ありがとうございました(汗)。
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理屈のみでは角が立ちます。
エトス、パトス、ロゴス、いずれも必要です。
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