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KY、つまり「空気の読めない」人。
いったい空気とはなんでしょう。物事を考える場合、まず定義をはっきりさせなければなりません。
「空気」とは、広辞苑によれば、「その場の気分。雰囲気。」です。
つまりその場の気分を絶対視するのです。
ここには、人と異なることに対する恐怖があります。
正々堂々、理論を戦わせるより、付和雷同を選ぶのです。
「みんなちがって、みんないい。」の、金子みすずの詩とは対極にあります。
KYでない人は、裸の王様をみても、「結構なお召し物でございます。」といい、自らの保身を図ろうとするのですが、その保身も長続きしません。
そこには論理性のかけらもありません。
今を去ること60年前、多くの優秀な若者たちが、「空気を読んで」、全く勝ち目のない戦で死んでいきました。
今また若者たちの間で、そしてなぜか知性を代表すべきマスコミの間で、ふたたび論理を無視したKYを非難するような言葉が使われています。
きなくさいにおいがします。
「和して同ぜず」
私はこちらの論語の言葉の方が好きです。
KYJ(空気の読めない爺)でした。
人間の感情は大切なエネルギー、しかし、理論によるコントロールが必要です。
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