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文系と理系って、どうもぴったりくる訳語がありません。
理系ってScience?
じゃあ文系はScienceではないの?文系ってhumanities?
なんのこっちゃ?
わが国は、どうもこの文系理系の区別が強すぎるように思います。
日本と米国の大学しか知りませんが、向こうの学生は、それぞれの専攻科目の名前は言いますが、あんたは文系、私は理系、ってあまりいわないような気がします。
実際、文学博士も、経済学博士も、工学博士も、理学博士も、医学博士以外はすべてPhDでひとまとめです。
尤も日本で言う医学博士というのは米国にないので、いつも説明に困るのですが。
学位論文を書いて通ったのなら、それはPhDだと、米国の工学部の人に言われました。
米国のメディカルスクールは学部を卒業後に入学するので、卒業までにトータル8年かかり、MDという称号になるのですが、論文を書くわけでもなく、いわゆるお医者さんです。
日本は6年で、国家試験に合格すればお医者さんですね。
一応紛らわしいので日本でもMDと表記しますが。
ちなみに、米国では一部の州でDOというお医者さんの称号もあります。Doctor of Osteopathyです。
これには歴史的な背景があるようです。興味があれば調べてみてください。
脱線しました。
Wikipediaによれば、文系(感覚的)、理系(論理的)と言った、日常会話に用いる人の気質を指すこともあるようです。
へんですね。文系だって論理が必要ですし、理系だって、ブレークスルーにはセンスが大切です。
ドク虎が考えるに、これは西洋諸国に遅れを取ったとあせった明治政府が、取り急ぎ効率よく学問を学ばせるために、いらんことはするな、自分の分野に専念せよという意味で、高等学校以上のエリートたちに強要した分類なのではないでしょうか。
専門分野での学習効率をたかめるために、「器用貧乏」ということを強調したのではないでしょうか。
今の入試制度にも色濃く残っています。
「数学なんて、社会人になったら、まったくいらん。俺は使ったことがない。」 と、うそぶく自称文系の大人は多いです。
そのくせ、自分の子供が数学で0点を取ってくるとしかります。
矛盾していませんか。
こんなレベルの低い大人が社会を牛耳っているから、日本はアカンのです。
白状すると、ドク虎もつい最近まで、「実社会に数学なんていらん」と思っていた口です。
統計も、パソコンソフトに入力すれば勝手に答えを出してくれます。お金の計算も、エクセルに入れれば答えが出ます。やっぱり数学なんかいらんかった。
ところが、数学そのものは直接使うことがなくても、数学的思考は、日常生活にとても役に立つのです。
最近やっと気付きました(めちゃ遅―という声が聞こえてきそうです)。
たとえば、文系理系を問わず、皆さんが苦しんでいる長時間の会議。
なかなかまとまりません。
まず、形式論理に騙されないよう、前提条件の違いに注意するのです。
また、Aという条件とBという条件が相反するばあい、その間を取るように考えるとうまくいきます。
パーフェクトを避けるのです。
最適化問題です。
当たり前ですが、この当たり前をわすれて、喧々諤々、延々議論が続くのです。
前提条件がおかしいのですから、時間の無駄です。
いずこもパーフェクトな選択枝なんてありえません。
もっと大学教養や高校で数学を勉強しておけばよかったと今頃思っているドク虎です(汗)。
当時教養部には、「あんたがたお医者さんになるンやったら、数学はいらん」といってテキトーに講義していた教師がいました(笑)。
元に戻ります。あまり、文系、理系という分類にこだわるのは、百害あって一理ぐらいでしょうか・・・
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忙しい若手ドクターのために
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