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眠いのにNHKの深夜番組を見てしまいました。
以下ホームページより引用。
1944年、福井県敦賀市の歩兵119連隊にある命令が下った。任務は“退却支援”。ビルマ(現ミャンマー)戦線で壊滅状態にあった主力部隊を救出せよというものだった。味方の盾となり、連合軍の追撃を防ぐ敦賀連隊。補給もなく、マラリアや赤痢など病に倒れる兵士も続出した。敦賀連隊は約2700人が戦死。生存者は1000人にも満たなかった。元兵士たちの証言から、無謀な作戦にほんろうされたビルマ戦線の実像に迫る。
引用終わり。
悲惨な任務でした。
勝ち目のない戦、他の部隊の退却のための盾となれという命令。
部隊に与えられた速射砲の弾は、いくら撃っても連合軍の戦車の厚い装甲板に簡単に跳ね返されます。
物量共に圧倒的に優勢な連合軍に対して、わずか3週間分の武器食料のみで、あくまで戦えという、参謀本部。
武器食料はすぐに底をつきました。
連隊長は苦悩します。
軍人として、参謀本部の命令には絶対服従です。退却することはできません。
しかし、部下を犬死させたくない。
多くの兵隊さんは、戦わずして、栄養失調でマラリアにかかり、体に蛆がわき、餓死していきました。
連隊長は、ある日、軍刀をはずし、部下に渡します。
そして自ら連合軍の戦車に突撃し、戦死します。
連隊長を失った連隊は、退却することが許されるからです。
自分が生きていては、連隊は全滅する。
苦渋の選択です。
連隊長の気持ちを思うと目頭が熱くなりました。
この連隊長さんと参謀本部とは大違いです。
参謀本部は、大ばかやろうです。
自分たちは安全なところにいて、現場もみずに現地部隊には徹底抗戦を命じるのみです。
なにか、日本の今の病院の姿が兵隊さんにダブってきました。
不十分な物資で(医療費をどんどん削減して)、徹底抗戦(医療安全やインフォームドコンセントの徹底など質の高い医療)をやれと。
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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻忙しい若手ドクターのために
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コメント
コメント一覧
その一方で横着なひとたちがいて 歪んだシステムを 知ってか知らずか 現場に押し付けている という図が医療関係の組織や行政にあるのだと思います。
大失敗に終わった先の戦争の参謀ー現場の図と同じです。
心身の極限まで追い込む、あるいは犠牲者を生むようなシステムは続かないし、うまくいきません。現場でそういうことを強いられたら断固拒否するのが良いのです。
くれぐれも自分を大事にしてください。
日本のルネッサンスはいつ訪れるのでしょう。
日本の医師法には、「診療を求められたら拒否してはならない」という、きれいごとの、非人道的法律があります。
これは、もともと、国民皆保険を導入するときに、「こんな安い診療報酬でやってられるか!」という医師をださないために決められた法律ですが、その後拡大解釈され、「疲労の程度をもって診療を拒否してはならない」という、参謀本部、いやまちがえた、旧厚生省の通達がでています。
だから、自分を大切にしようとすると、ハードな現場から立ち去るしかなく、それが今社会現象(勤務医のたちさり)として起こっているのです。
だから、付け焼刃的に医師をふやしても、医療環境が変わらなければ、資格はあるが危険な現場にはいかないという人を増やすだけで、解決しません。
そのうち「参謀本部」だけになったりして。
私自身にも、解決策は見えていません。
でも、医療関係者以外の方に、ご理解いただけることが、第一歩かもしれませんね。
日本の技術者は、飛行機が撃たれても帰艦できるように、人間と燃料の周りを防弾しようとしたのですが、源田実が、「そんなモンはいらん。腕を磨いて弾に当たらないようにするのが大和魂だ」とかいって、むき出しの燃料タンクにペラペラの操縦室になったそうですね。
その結果、ワンショットライターとよばれて、大戦末期には零戦は連合軍の餌食になってしまいました。
多くの貴重なパイロットを失いました。
この人、たしか戦後参議院議員も勤めていたと思いますが、パイロットとしての実戦経験は皆無だったそうです。
バンクーバーの居住環境と東京のそれとの格差に仰天し、日本は経済大国だと奢ってはならない、良いくにづくりをしなければならないと思ったことがあります。
某高級官僚に話したところ、心配するな、五年でカナダを抜くよと笑いとばされました。
中枢の大所高所からみてるとそうなのかと安心しました。
あれから三十数年。あの豪傑笑いをしたやからとは会う気がしません。会ったらぶんなぐるかも・・・
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