| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
< 急ブレーキと輸血 | メイン | プロとアマ >
イスラームについての講演の話の続きです。
中東のイスラーム諸国で、バスに乗るとします。
バスが、ある目的地を通るかどうかを尋ねると、通らない場合は、「通らない」といってもらえるそうですが、通る場合は、「はい」とは言わないそうです。
何というのでしょう?
「アッラーが思し召されるならば・・・」という答えが返ってくるそうです。
びっくりしますよね。
いったい、行くのか行かんのか、はっきりせい、なんとええかげんな、と。
しかし、よく考えてみると、そこを通ることになってはいるけれども、それは人間が仮に決めたことで、われわれ人間には厳密にはほんとうのことはわからない。
ただ、アッラーのみが知る、ということらしいのです。
その発想の謙虚さに、ちょっと、感動しました。
私たち日本人、普段、恵まれすぎて、思い上がっていますよね。
電車が時刻表通り発着するのは当たり前。
飛行機がちゃんと時刻通り飛ぶのは当たり前。
救急車がすぐに来て、当たり前。
お産が無事なのは、当たり前。
予約無しで、飛び込みですぐに見てもらえて、当たり前。
専門医がいつも対応してくれて、当たり前。
病気が治るのは、当たり前。
当たり前のことが起こらないのは、誰かが悪い。
しかし、世界の国々では、こんなことが当たり前の国のほうが、実は少ないのです。
本当は、「アッラーが思し召され」ないと、起こらないかもしれないのです。
たとえ「アッラーが思し召され」ても、多くの人たちが陰ではたらいてくれないと、実現しないことなのです。
厳しい自然環境、社会環境におかれた人たちの発想なのかもしれません。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
コメント
コメントはまだありません。コメントを書く