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英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻 解説シリーズ第18回。
臨床研究を楽しむ、というと、臨床研究なんてやっぱり医者の道楽なんじゃないか、という誤解を受けるかもしれませんが、それは違います。
予想通りの結果が得られることもありますが、同じような検査、治療をしているのに、結果が異なることがままあります。
いつまでたっても医学は完全ではないのです。
扱う対象が複雑系なので、なかなか学問の手に負えないのです。マニュアルだけでは解決しないのです。
そこで、臨床医であっても研究的な思考が必要になってくるのです。
高木先生という、現在循環器医として開業なさっている方が、とある学会の本に書かれていた文章ですが、たいへん共感を覚えました。循環器分野だけでなく、すべての分野の日本の若手の臨床医にも読んでいただきたいと思い、一部引用させていただくことにしました。
「(前略)臨床研究といってまず思い浮かぶのは、新しい検査技術が開発されると、まずその検査法を検証するための研究が行われる。(中略)この段階の研究はまさに最先端の研究で、論文も次々出てくるようなお祭り状態である。しかしながら、すべての臨床医がこのようなお祭りに参加できるわけではない。むしろ日本の臨床現場ではこのようなお祭り状態に遭遇することのほうがまれであろう。米国が世界の心臓病学をリードしているのがまぎれもない事実であるからだ。
かの国で開発された新しい技術が日本に入ってくる段階では、このようなお祭りの9割方はすでに終わっている。
日本の一部の施設に導入されると、そこで残りの1割もだいたい終わってしまう。その後しばらくして、自分の病院に新技術として導入された段階では、残されたものはほとんどないと感じるだろう。
しかし、日常臨床の現場では新しい臨床研究はできないとあきらめるのは早計である。初期の華々しく見える研究は、実はほんの氷山の一角にすぎず、本当の宝の山は水面下の見えない部分に隠れている可能性があるからだ。 すなわち、その技術を日常診療の道具として使う中で、きちんと臨床データをまとめ、検討すれば、きっと新しい臨床研究のテーマが見えてくる。その目利きになるためには、できるだけ海外の学会に参加して、かの地で彼らが今、何を討議しているかを聞くことをお勧めする。一見、やり尽されたようであって、実は残された疑問点がまだいっぱいあることに気づくことだろう。使い方さえ工夫すれば、少々古い心エコー図装置や今や珍しくもないIVUSも臨床研究の強力な武器になりうるのである。
このことに気付いたあなたは臨床研究のほんとうの面白さを知るに違いない。逆に、いくらあふれんばかりの新しい技術を持っていても、日常臨床の中でやりっぱなしにしていては、意義ある臨床研究を行っているとはいえないのである。」
(高木循環器科診療所長 高木 力:第54回日本心臓病学会学術集会記念随筆集より一部引用)
ちなみに高木先生はクリニックを開業されてからも、日々の臨床データをまとめ、英文誌に論文を発表されている、すごい方です。
蛇足になりますが、メーカーが開発した新しい装置を大学病院や基幹病院で臨床応用して研究発表するのを、私は「テストドライバー研究」と呼んでいます。論文にはしやすいですが、我々一般病院の臨床医はなかなか参加できない分野です。
もちろん、誰かがやらなければならない大切な仕事ではあるのですが、ただ使ってみて、これはいい、これはダメというだけでは、発展性がありません。あくまで患者さんのためにここが知りたいという臨床からのフィードバックが大切です。
テストドライバーの手をはなれた自動車がユーザーの手に渡り、新しい用途に役立つこともあるように、古い手法でも、それまで無視されていた情報を活用することによって新しい診断法が生まれることもあります。それにはきちんとした臨床データの裏づけが必要です。
そこが多忙な臨床医の苦労でもあり喜びでもあり、きちんと実際の患者さんのデータを押さえ、理論と現実の差をうめようとする姿勢をもつことは患者さんのためにもなります。
応援宜しく。
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