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人様に迷惑をかけてはいけません。
子供のころ、よく言われました。
そりゃそうでしょう。 でも、ちょっと待ってください。
物事の本質を考えるには、外国語に訳してみるのがよいのです。
英語に訳してみましょう。
なんと訳せばいいのでしょうか。
私の英語力では、ぴったり来る訳文がありません。
Be a good guy!とか、Behave yourself!でしょうか?
こちらのほうが、なんだかポジティブですね。
そういえば、英語圏ではあまり「人様に迷惑をかけてはいけない」ということは言わないような気がします。
生物というのは、エントロピーを減少させることにより存在する特異点なのです。従って周囲のエントロピーを増大させなければ存在し得ないのです。
つまり、生物は「周りに迷惑」をかけなければ、生きていけないのです。 生きていく限り、どんな生物でも、周囲の環境に多少の負荷をかけているのです。
したがって、「人様に迷惑をかけてはいけません。」ということを、とことん追求すると、理論的には「死」しかありません。
明治時代に、「人生すべて不可解なり。」という言葉を残して自殺した超秀才の第一高等学校の学生がいたそうですが、全く人に迷惑をかけずに生きようとすると、そういう結論になってしまうのはわかります。
もしも迷惑をかけないということをとことん追及すると、老人や、病人や、体の不自由な人は、「人様に迷惑」なので、よくない存在だということになります。
このばあい「人様に迷惑をかけてはいけない」という言葉は、とても冷たく響きます。
たとえ健康で仕事をバリバリこなし、国に税金を十分払っている人であっても、何らかの迷惑をかけずには生きていられないはずなのです。宇宙全体から見れば、所詮、「目くそ鼻くそ」の違いです。
環境に多少の負荷をかけながら、すなわち人様に多少の迷惑をかけながら、それをはっきりと自覚し、相手に感謝しつつ、自分もできる範囲で人様に迷惑をかけられることによって、お互いに共存共栄を計っていくというのが、宇宙の生物の新参者としての人間の本来あるべき姿なのではないでしょうか。
「人様に迷惑をかけてはいけない。」とだけ教えるのは、理論的には正しくないのです。
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コメント
コメント一覧
ただ、最近のアメリカ人と日本人は、他人に迷惑を過剰にかけすぎるので、「人様に迷惑をかけてはいけない」という言葉は、ブレーキとしては有効だとは思いますが。
私が私の娘に教えているのは「人様に迷惑をかけてしまうのは人間なんだから仕方がない。迷惑をこうむるのも仕方がない。これは人として生きている限りやむを得ないことである。ただし、これは迷惑をかけることを正当化する理由にしてはならない。迷惑をかけるのとかけられるのは、どちらもほどほどであるのが理想だ」ということです。
簡単に言うと、中道を進めと、娘には行っています。一番大切なのはバランスなんだと。
釈尊も中道を進むように説いてます。私は信仰らしい信仰は持ってませんが、「中道を進め」という言葉は名言だと思ってます。
コメントありがとうございます。
たしかに、人の迷惑を考えろといいたくなるような人たちも増えてきたような気がするこのごろですね。
私が声をかけたかったのは、真面目すぎる人たちにです。
人に迷惑をかけてはいけないと思うあまり、自分を責める人たちにです。
私自身も、かつて研究医として生きていたときには、「俺は社会のごくつぶしでは?」と悩んでいたことがありました(笑)。
人間社会の懐は広いのですね。
> 人に迷惑をかけてはいけないと思うあまり、自分を責める人たちにです。
なるほど、そういう主旨だったのですね。ならば私も全く同感です。
もともと日本人は良くも悪くも真面目すぎるという人が多すぎるのも事実です。現在ではそういった人たちが精神的に追い詰められ、自死したり、鬱病を発症する例が多発しています。
そういった意味でも何事もバランスというものが大事だと思います。真面目「過ぎる」のはやはり人や社会にとっても有害だと私も思います。過ぎれば、その反対方向への反動も過ぎたことになってしまいます。それでは人生も社会も不安定になってしまいます。
真面目さを強要する現在の日本社会というものにも問題を感じています。
論語に「過ぎたるは及ばざるがごとし」という孔子の言葉が残っていますが、その通りだと思います。
真面目すぎてもいけないし、不真面目すぎてもいけない。結局はうまくバランスをとることが人にも社会にも好ましいと私は考えています。
そういった意味で、現代ほど、私を含めて人間一人一人が自分自身に対して「行過ぎたことをしていないか、考えていないか」を検証しながら生きていく必要がある時代はないのではないでしょうか。
ちなみに「中道を生きる」とか「バランスをとりながら生きる」だとかそういったことを考えて生きるように考え始めたのは、もともと世の中は減衰しない振り子運動のようなものだ、という認識が高校生の時分からあるのと、認知行動療法をすることで、その考えはますます強化されました。
振り子の振れ幅は小さければ小さい方が望ましいと、かなり昔から考えていました。
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