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ブッシュ大統領は、イラク戦争を始める際に、
We'll bring them to justice.
といったそうです。
俺は正しい。裁いてやる。正義の鉄槌を下してやる!
ということでしょう。
考えてみると、すべての紛争のはじまりには、「自分は正しい」という思い込み、「聴く耳を持たぬ」という姿勢があるような気がします。
すべての命題には、前提条件があるのです。前提条件が違えば、結論も異なるのです。
仕事ですが、インドに行く機会がありました。
ヒンズー教には、カースト制度というのがあります。
我々からみれば、とんでもない差別主義の制度です。
ヒンズー教の人たちには申し訳ないのですが、宗教のくせに、なんというけしから教えだと常々思っていました。
しかし、インドを訪れ、実際に貧しい人たちの暮らしぶりをみて、思いました。
カースト制度は、このどうしようもない目の前の厳しい現実に対する、一つの「慰め」としての役目もあったのではないかと。
「この世の現実を受け入れなさい、そして、置かれた環境の中で精一杯生きれば、次の世ではよいことがあるのですよ。」という。
勿論、マルクスの言うように「宗教は阿片」なのかもしれません。
確かに、この論理は次の世がなければ単なるまやかしにしか過ぎません。
気休めかもしれません。 でも、私たちは死に瀕している人に向かって、あえて「あなたはもうすぐ死にますよ」というでしょうか。気休めを必要とする人がいるのです。
大勢の貧しい人たちが懸命に生きているのを現実に目にしたとき、輪廻転生や、悪名高いカースト制でさえも、人間が生きていくために、生まれるべくして生まれてきた思想なのかもしれないと思ってしまいました。
ヒンズー教の人たちは、私たち異教徒に寛容です。自分たちは豚や牛を食べませんが、私たちが食べることはとやかく言いません。
このようなことは、日本にいて、机の上で勉強するだけでは、まったく考えなかったことでした。
理論は大切だといっても、「机上の空論」は危険なのですね。実際に見聞し、体験することによって、理解は深まります。
最近よく取り上げられるようになった終末期医療の問題にしても、現場をはなれた机上の議論が、問題を複雑にしているような気がします。
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