ドクトル虎の巻
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慰めること

ドクトル虎の巻 / 2007.05.16 23:09 / 推薦数 : 10

ある病院の方々が、「英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻」をまとめて12冊も買ってくださいました。

購入者の中には結構ベテランの先生方もいらっしゃったので、恐縮しています。

特別サービスとして、著者サイン入りです()かえって値打ちが下がるような気もしたのですが、心をこめてサインしました。サインの前にかっこいい文言を入れたかったのですが、ドクトル虎の巻にはきまった「座右の銘」がないことに気がつきました。 

でも、以前から印象に残っている文言があります。 

 

To cure sometimes,

To relieve often,

To comfort always. 

 

16世紀を生きたフランスの外科医、Ambroise Pareの言葉とされています。原文はフランス語なのでしょうね。

臨床をなさっている先生方にとっては、へたな解説は不要でしょう。ジョンズホプキンス大のレジデントマニュアルにもあるくらいなので、ご存知の先生方も多いのでは。 

 

「病気は時々しか治すことはできない。けれども、症状をとってあげることはしばしばできる。そして慰めることはいつでも可能だ。」 

 

私たちは、患者さんが亡くなることは医療者の敗北だと教えられてきました。先輩からは全力を尽くして命を救えと教えられました。Cure(完全に治ること)が主たる目標でした。そのためにいろいろな医学研究が行われてきました。Cureをめざすには、科学者(ロゴス)に撤しなくてはなりません。

一般の方々にはドクターは冷徹で、冷たいように映っているかもしれません。ドクターは医学生の時の解剖実習以来、感情を抑える訓練をしています。急変時でもプロフェッショナルは取り乱してはいけないのです。でも患者さんを失った時、心の中ではプロとしてのプライドは傷つき、無力感と敗北感にさいなまれているのです。ご家族の悲しみに比べればそんなプライドなんて屁みたいだといわれるかもしれません。しかしつらいのは、身内をなくしたとき、身内にまで冷たいように思われることです。悲しくないわけはないのです。

もう何十年にもなりますが、父の病理解剖に立ち会ったことがあります。解剖中は一人の医師として不思議と冷静でした。でもその夜、布団の中で一人静かに泣きました。まるで昨日のことのように覚えています。 

ちょっと脱線しました。本当はcureできる病気は今でも少ないのです。そしてたとえcureが可能であったとしても、数十年、数年、数日、数時間の違いはあっても、本質的には人間はmortal(死すべきもの)です。

16世紀、医学が今ほど発達していなかった時代には、人間は死すべきものであるという自覚が強く、病気の苦痛をとり、慰めることが医療者の主な仕事だったのですね。 現代の医療の諸問題を鑑みるに、一般の方も、医療者も、共にこの医療の原点を忘れがちであるように思います。 

一般の方は、機械の修理のように人間の体を元通りに直すcureを期待する。マスコミも、あたかも不老長寿が可能であるかのようなあやしげな医学?を宣伝する。マスコミはCureができなければ、何かミスがあったのではないかと煽り立てる。普段お見舞いにこられない遠くの親戚の方に限って、医療ミスではないかといわれるのを時々経験します。

医療者の方もcureを目指し、cureできないものを敗北と考える。そして、relievecomfortが二の次になる。 

 

しかし、「生老病死」という事実を忘れてはいけないのです。医学と医療とは同じではありません。 

 

もうひとつ重要なこと。

 

Comfortには、時間が必要です。

機械的な流れ作業ではできません。

医療者にも反省すべき点はあると思いますが、どんどん数をこなさなければ病院がつぶれてしまうような今のわが国の医療体制では難しいのです。

Comfortを大切にしながら数をこなすには、それなりの社会投資が必要です。 ところが、国はますます医療費を削減しようとしています。

医療者の心の余裕なくして、どうしてcomfortができるでしょうか。

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