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「にちにちこれこうにち」と読みます。
はずかしながら、長らく「ひびこれこうじつ」と読んでいました。
学生時代、好日山荘(こーじつさんそー)というスキーショップがあったので(笑)。いまもあるのかな。
もともと、禅のことばで、「一日一日はそれぞれ独立しており、従ってそれぞれみな新しい佳い日である。」という意味だそうです。
白状しますと、「そんなこと思えるわけないやんか。しんどい日も、いやな日もあるで。坊主はわけのわからんこというなあ。」と思っていました。禅宗の方々、ごめんなさい。
あるとき、ふと気づきました。
これは、ROC解析や!
ご存知の先生方は多いと思いますが、専門外の方のために若干解説を加えます。 ROC解析とは、検査手法の診断能をみる方法です。
図をみてください。

ある検査について、縦軸に「感度」、横軸に「1-特異度」をとり、種々の検査値における結果をプロットすると、その検査法について曲線が得られます。この曲線の下の面積が大きいほど、検査法としては優れているのです。
図では、青色の曲線よりも赤色の曲線のほうが上にあり、赤色の曲線で表される検査法のほうが、感度、特異度ともに優れ、検査法としてはより良いほうほうです。
このROC曲線上の原点からの距離がもっとも短い点(赤丸および青丸)が、その検査の最適点(カットオフ点)になるのです。検査の優劣を比較するだけではなく、最適なカットオフ値を求めることができます。
どんなにしょぼい検査であっても(青色)、その曲線上のどこかには最適点(原点からもっとも近い点)は存在します。優れた検査(赤色の線)にも当然最適点は存在します。
緑の点、(感度100%、特異度100%)は神様です。この世には存在しません。どんなよい検査も、100%はないということです。
つまり、よい日であっても(赤色)、どんなに悪い日であっても(青色)、生きている限りそれぞれにおける最適点を見つけることは可能です。
曲線が動かせないのであれば、原点にできるだけ近い最適点を見つけ、そこで物事を作動させればよいのです。
その曲線における最適点をみつけておいてから、もし曲線が青に近ければ、徐々に赤に近づけるようにしていけばよいのです。
数学的にはかならず最適点が存在するのです。しかも、曲線の形状からは、ちょっとくらい最適点をまちがっても、結果が大きく異なることはないのです。かならずしもパーフェクトをねらわななくても良いのです。
これが、禅でいう「日々是好日」なのだと思いました。
珍解釈です。禅のお坊さんにはお叱りを受けるかもしれません。でもなんだか肩の荷がおりました。
それ以来、「日々是好日」ということばが好きになりました。
珍解釈にお付き合いいただきありがとうございます。
皆様方の肩の荷を軽くする一助になればうれしいです。
恐縮ながら、いつものコマーシャルです。
中堅医師の肩の荷を軽くする本です。
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勝ち組、負け組みということがよく言われますが、こういう言い方、大嫌いです。
(いつもは理屈っぽいドクトル虎の巻ですが、今回は珍しくパトスで迫ってみました(笑))。
働けない人は、負け組なのでしょうか。
病人は、負け組なのでしょうか。
身障者の方は、負け組なのでしょうか。
老人は、負け組なのでしょうか。
決してそんなことはないと思います。
キンさんギンさんは、お年をとられて生産活動ができなくなっても、日本中の人々の心をなごませてくれました。
ダウン症のお子様を、初老のお母様が連れてこられます。
もう中年といってよい患者さんはとても純粋な心をお持ちです。こちらが恥じ入ります。
長い年月の間には、いろんなことがあったでしょうが、親子の絆を感じます。
それを感じると、不覚にも涙腺が緩みそうになります。こちらも文句を言わずに働かなくっちゃと思います。
両足がなくても、車椅子で、明るく元気に通院されている方もおられます。こちらの方が元気をいただきます。
人に感動を与える生きざまって、とっても素敵ですね。
こちらこそ「ありがとう」をいいたくなります。
阪神淡路大震災の時も、ボランティアの方が避難所で奏でる音楽を聴いて、生きる元気をもらったといわれた方がありました。「人はパンだけで生きるのではない」って、こういうことだったんだなと思います。
人に感動を与えてくれる人たちを、必ずしも強くない人たちを、みんなで応援する社会であって欲しいものです。それが本当の「美しい国」ではないでしょうか。
身障者用のスペースに堂々と車を止める元気な人たちをみると、情けなくなります。
「美しい国」の医療費総額を削減してはなりません。
実は医療費を増やしても日本の経済は破綻しません。
素人が口幅ったいことを言うようですが、 IT時代になり、世の中がどんどん変わっているのに、「勝ち組・負け組」といった古い経済理論に固執するのは間違っているのです。
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中堅層の先生方は大変です。
プレイングマネジャーとして、臨床をしながら、若い先生方のお手本になりながら、指導もしていかなくてはなりません。
それに加えて最近は研修医制度もころころ変わります。
さらに臨床ばかりではなく、学会や論文にもだせといわれます。
それも自分の分だけでなく、若い先生方の書いた抄録もまず中堅がチェックしなければなりません。
臨床に追われる中で、ほとんど「マゾヒズム」の世界ですね(笑)。
でもここが踏ん張りどころです。
じつは、くちはばったいようですが、「英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻」を書いたのは、こういうたいへんな思いをしている、中堅どころの先生方にも(実は自分も含めて?)少しは楽になってもらおうと思う気持ちもあったのです。
抄録の「設計図」というのがあります。
これを若い先生方に書いてもらうことによって、私の経験ではずいぶん抄録チェックの労力が軽減されました。
論理構成(ロゴス)がおかしいと、せっかく手間隙かけて直した抄録が無駄になってしまうのです。
ぜひお試しください。
お役に立てれば幸いです。
参考
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養老先生の「バカの壁」が少し前に一世を風靡しましたが、世の中にはいろいろな壁があります。
堺屋太一さんによると、日本は「職縁」社会だそうです。
つまり、人間関係をすべて職場に求めるのだそうです。
なるほどそういわれると、ドクトル虎の巻も、これまで医療関係以外の方と親しくお付き合いする余裕はほとんどなかったことに気づきました。
この年になるとなにか人生を損したような気分です。
今を去ること、四半世紀も前のことです。
若かりしドクトル虎の巻は、ある患者さんの受け持ちになりました。
今やドクターの皆さんが嫌っている、某一般紙の社会部の編集長をされている方でした。
緊急入院後二週間ぐらい経過して、お元気になられたとき、しみじみいわれました。
「僕は、今まで自分たちの職業が世界で一番しんどい職業だと思っていましたが、先生方の仕事も大変なんですね。先生はいつ家に帰っているのですか。」
目つきの鋭い方でしたが、そのときは慈父のような目をしておられました。
若い記者さんたちが、うわべだけの取材をしてもわからないことを、この編集長さんは自ら体験されたようです。
気のせいか、それからしばらく、その某紙には、医療不信を煽るようなひどい記事はなくなったように思いました。
しばらくして、外来にこられました。
「僕は、文化部にうつったんですよ。」
飄々とされていましたが、ちょっと寂しそうでした。
それから某紙の論調がたどった道は、皆さんよくご存知のとおりです。
職業と職業の間には、超え難いコミュニケーションギャップがあるのではないでしょうか。
取材、報道が使命であるマスコミといえども、例外ではないようです。
お互いに、井の中の蛙なのですね。
ちなみに、外国では、組織のトップはかならず、そしてアスリートや芸能人でさえも、メディアトレーニングというのを受けるそうですね。
日本の院長副院長クラスも、メディアトレーニングが必要なのでは?
そんな時間も金もないか!?
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目からウロコでした。
ドクトル虎の巻も、知らず知らずの間にマスコミや官僚さんたちに洗脳されていたように思いました。
今の社会分析の前提が間違っているという話です。
官僚機構は、日本と日本人との将来についての極端な悲観論を「解決策を添えずに」垂れ流しているというのです。
自らの権力を保つために、官僚たちは、いつも「短期楽観・長期悲観」論を打ち出す。
日本人は、悲観主義大好きなので、これが受けてしまうのです。
どうやら医療費削減もその一環のようです。
たしかに人口ピラミッドを見ると、どんどん高齢者が増えていくのは事実なのですが、「高齢者は働けない」という前提が誤っているというのです。
いまの60代の方々はとてもお元気です。判断力もあり、未熟な若者をやとうより、トラブルも少ないかもしれません。
厚生労働省の統計は、いまだに明治時代と同じ感覚で、15歳以上65歳以下を「生産年齢人口」としているのですが、いまどき15歳で働いている若者は少ないのです。一方、70歳でも元気に仕事をしている方もたくさんおられます。
小生が考えていた、「医療費を増やせば健康な高齢者が増え、実質労働人口も減らず、景気は上向く」ということと一脈通じるものがあると思いました。
暗い話題が多かったので、ちょっぴり元気をもらいました。
こちらのほうも、勤務医の元気のために、どうぞ宜しく。
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Don't be a hero.
皆さんよくご存知の、ERという救急医療を題材にしたテレビ番組で、シニアレジデントのドクターベントンが医学生のカーターに言った言葉です。
たしか急患が立て込んで、学生のカーター君が昼飯をたべずにベントンを手伝おうとしたときのことです。
「このひよっこが!何もできんくせにいっぱしの英雄きどってんじゃねえよ!」とでも訳すのでしょうか。
そのあと、ベントンはカーターに、昼飯を食いに行けといい、自分は患者の処置に向かいます。
ことばは悪いですが、愛情のこもった先輩の言葉ですね。
ERはよくできた番組だったと思いますが、実は私はER大嫌いでした。なんで病院から帰ってきてからまでおんなじ様な場面をみなあかんねんと思っていました。
最近は現場を離れることも多くなってきたため、ERを見る心の余裕も出てきました(笑)。
たしかに、ちゃらちゃらした日本の病院ドラマに比べてよくできています。
日本のドラマは、最近小道具こそ本物っぽくなってきましたが、「ありえん」のオンパレードです。
一人の外科医が、僻地で乳がんの手術をしたり、一人で開頭術(脳外科の手術)をしたり。内科医の私が見てもこいつは化け物か?というドクターがでてきます。
こんなことをいうと、お父さんは夢を壊すといって家族からしかられるのですが。
日本のほとんどの勤務医に、
Don't be a hero.
という言葉をかけたいと思います。
でも、今の日本は、ドクターに、
Be a hero!
といっているようです。
老人が増えれば、当然、医療の必要性も増えます。
医療費総額は増えます。
でも、これが社会経済を圧迫することはないのです。
逆にものつくりは、ほとんどの資金や技術が中国や東南アジアにながれてしまい、日本の雇用を促進しません。
サービス業である医療に投資することは、日本国内の雇用を促進することでもあるのです。
経済活動には、まず健康です。
元気なお年寄りをふやせば、その豊かな経験を生かして、若い人のようなパワーは望めないにしても、安全に、かつ要領よく仕事をこなしてくれるのです。
医療費を削減しないといけないという固定観念が間違っているのです。
医療問題、はじめに削減ありきではなく、もっと根源から考えてもらえないでしょうか。
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ある病院の方々が、「英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻」をまとめて12冊も買ってくださいました。
購入者の中には結構ベテランの先生方もいらっしゃったので、恐縮しています。
特別サービスとして、著者サイン入りです(笑)。かえって値打ちが下がるような気もしたのですが、心をこめてサインしました。サインの前にかっこいい文言を入れたかったのですが、ドクトル虎の巻にはきまった「座右の銘」がないことに気がつきました。
でも、以前から印象に残っている文言があります。
To cure sometimes,
To relieve often,
To comfort always.
16世紀を生きたフランスの外科医、Ambroise Pareの言葉とされています。原文はフランス語なのでしょうね。
臨床をなさっている先生方にとっては、へたな解説は不要でしょう。ジョンズホプキンス大のレジデントマニュアルにもあるくらいなので、ご存知の先生方も多いのでは。
「病気は時々しか治すことはできない。けれども、症状をとってあげることはしばしばできる。そして慰めることはいつでも可能だ。」
私たちは、患者さんが亡くなることは医療者の敗北だと教えられてきました。先輩からは全力を尽くして命を救えと教えられました。Cure(完全に治ること)が主たる目標でした。そのためにいろいろな医学研究が行われてきました。Cureをめざすには、科学者(ロゴス)に撤しなくてはなりません。
一般の方々にはドクターは冷徹で、冷たいように映っているかもしれません。ドクターは医学生の時の解剖実習以来、感情を抑える訓練をしています。急変時でもプロフェッショナルは取り乱してはいけないのです。でも患者さんを失った時、心の中ではプロとしてのプライドは傷つき、無力感と敗北感にさいなまれているのです。ご家族の悲しみに比べればそんなプライドなんて屁みたいだといわれるかもしれません。しかしつらいのは、身内をなくしたとき、身内にまで冷たいように思われることです。悲しくないわけはないのです。
もう何十年にもなりますが、父の病理解剖に立ち会ったことがあります。解剖中は一人の医師として不思議と冷静でした。でもその夜、布団の中で一人静かに泣きました。まるで昨日のことのように覚えています。
ちょっと脱線しました。本当はcureできる病気は今でも少ないのです。そしてたとえcureが可能であったとしても、数十年、数年、数日、数時間の違いはあっても、本質的には人間はmortal(死すべきもの)です。
16世紀、医学が今ほど発達していなかった時代には、人間は死すべきものであるという自覚が強く、病気の苦痛をとり、慰めることが医療者の主な仕事だったのですね。 現代の医療の諸問題を鑑みるに、一般の方も、医療者も、共にこの医療の原点を忘れがちであるように思います。
一般の方は、機械の修理のように人間の体を元通りに直すcureを期待する。マスコミも、あたかも不老長寿が可能であるかのようなあやしげな医学?を宣伝する。マスコミはCureができなければ、何かミスがあったのではないかと煽り立てる。普段お見舞いにこられない遠くの親戚の方に限って、医療ミスではないかといわれるのを時々経験します。
医療者の方もcureを目指し、cureできないものを敗北と考える。そして、relieveとcomfortが二の次になる。
しかし、「生老病死」という事実を忘れてはいけないのです。医学と医療とは同じではありません。
もうひとつ重要なこと。
Comfortには、時間が必要です。
機械的な流れ作業ではできません。
医療者にも反省すべき点はあると思いますが、どんどん数をこなさなければ病院がつぶれてしまうような今のわが国の医療体制では難しいのです。
Comfortを大切にしながら数をこなすには、それなりの社会投資が必要です。 ところが、国はますます医療費を削減しようとしています。
医療者の心の余裕なくして、どうしてcomfortができるでしょうか。
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まだ食事を取っておられない先生方、ごめんなさい。
(私もまだですが。)

(ホットペッパーグルメサイトより)
おいしそうですね。
でも、今日は英語で抄録を書く話です。
学会抄録に大切なもの、それは3つあります。
(1)ネタ
(2)シャリ
(3)職人技
(1)ネタは、専門家の興味を引く最新のテーマのことです。
ネタがよくなかったり、鮮度がよくなかったら、採択されません。
(2)シャリは、良質のデータです。
データはネタを支えるのに必要かつ十分でないといけません。多すぎても(関係ないデータがごちゃごちゃしていても)駄目、少なすぎたらネタを支えきれません。
(3)そして、職人技。
これは、2つの要素があります。論理構成と、英語表現です。このうち、論理構成がもっとも重要です。
そして、最後にスピード。
ぐずぐずしていては、ネタが干からびてしまいます。
あとは、こちらをご覧ください。
英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻 page 3-
日本人の底力をみせてやりましょう!
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新米ブロガー、ドクトル虎の巻は、本日非常に筆が重いです。
ある恐ろしい事実に気づいてしまいました。
これに気づいた人間は、この世から抹殺されるかもしれません。
あらかじめお断りしますが、ドクトル虎の巻は、いわゆる社会派のドクターではありません。申し訳ないですが、あらゆる政治的活動とは無縁の生活を送っています。
前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります。
最近、勤務医をアンロードするために開業医さんたちに、時間外対応、24時間対応をさせようという動きがあります。
これについては、当然ながら、開業医さんたちから、色々と反発がでています。
勤務医にとっては一見よいことのように思われる方もあるかもしれません。
しかし、冷静に考えて見ましょう。
一人の人間の能力は、そうそう異なるものではありません。
その前提に立って考えて見ましょう。
次の図を見てください。

縦に長い三角形は、専門医です。横に長い三角形は、プライマリケアを主とする開業医さんです。面積はその能力を表します。実際にはこの中間型が存在することはいうまでもありませんが、いずれも簡略化するためにステレオタイプを表しています。
上の段は、総合病院です。専門医の集団で、重症の疾患、まれな疾患にも対応できますが、すべての疾患に対応できるわけではありません。赤色の矢印で示すように、むしろ開業医さんのほうが対応できる部分もあります。特に現状では、勤務医不足により、くしの歯が抜けたような部分が増加し、軽症でも分野によっては大病院といえども適切な対応ができない場合があります。
下の段は、プライマリケアを主とする開業医さんです。個人の能力としては専門医と変わらないのですが(三角形の面積)、底辺と高さの割合が異なります。すなわち、軽症疾患は幅広く対応可能なのですが、重症疾患、特殊疾患については理論的には対応できないのです。
具体例は、急性心筋梗塞です。
24時間対応といっても、開業医さんが急性心筋梗塞を見た場合、速やかに後送病院に搬送し、適切な治療を行わなければ、死亡率はWHOの開発途上国を含めた世界平均の死亡率50%をこえると考えられます。一方、緊急カテーテルが直ちにおこなえる専門病院に直に搬送された場合の死亡率は8%といわれています。
すなわち、百歩譲って開業医さんの24時間対応がもし現実に可能だったと仮定しても、後送病院が整備されていなければ、重症例は死んでいくのです。
私が恐ろしいと感じたのは、私でも気づくようなこんな簡単な事実を、優秀な方々が(誰とはいいませんが)わかっていないはずはないということです。判っていながら、このような制度を提唱しているということなのです。
軽症の人だけたすけましょう、重症の病人は社会にとって、重荷になるので不要だと、抹殺されてもよいと考えてるとしか思えないのです。
恐ろしいことです。
どなたか、ドクトル虎の巻は考えすぎだと、反論してください!お願いします!
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こんな過激な見出しを書くなんて、ドクトル虎の巻はどうしてしまったのでしょう。明日から病院で働けなくなるんでは?
とご心配のご同業の方は、どうぞご安心ください。
専門外の学会にはなかなか参加する機会がないのですが、看護師さんたちのシンポジウムに会場のお手伝いとして参加したときの話です。
ある看護大学の教授の方が話されていました。
私は学生たちに「生意気なナースになりなさい」と教えていますと。
とても共感を覚えました。
もっとも、「生意気」というのは、ただ師長さんやドクターのいうことを素直に聞かないというのではありません。
「クリティカル・シンキング」をしなさいということなのです。
日本語に訳してしまうと、「批判的思考」となってしまうのですが、これは誤訳です。
「重要な思考」「論理的思考」とでもいったらよいのでしょうか。
つまり、ドクターや、先輩の言うことを、ただ鵜呑みにするのではなく、この人の病態はいまどうなのか、いまなぜこの指示が出されたのか、それがなせ必要なのかを自分なりに考え、疑問点はたしかめなさいということなのです。
これは看護師さんたちにだけ必要な資質ではありません。
ドクターを含め医療者すべてに必要です。
マニュアルだけに頼るのは危険です。
マニュアルにはすべての状況が網羅されているわけではありません。
規則さえ盲目的に守っていれば事故は起こらないというものではありません。
先日の、「法令遵守が日本を滅ぼす」にもつながっているのです。
たしかに、そういう「生意気な」ナースさんには(失礼!)、ドクトル虎の巻も、若いころずいぶん助けられました(笑)。
「生意気な」ナースさん、大歓迎です。
これからもお手柔らかに。
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