ドクトル虎の巻
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ある勤務医の告白

ドクトル虎の巻 / 2007.04.28 12:28 / 推薦数 : 52

医師以外の方がどの程度ご覧になっているかはわかりませんが、今日は医師ではない一般の方向けに書いてみました。ご意見いただければ幸いです。 

一般の方は、医療の実態というのをあまりご存じないのではないでしょうか。病院の職員でさえ、勤務医の実態をあまり知らない人が多いのです。 

いきなり暗い話になってしまいますが、日本の勤務医は疲れています。日本の病院は、その大小を問わず、今大変な状況になっているのです。 

医療がますます高度化、高密度化しているのに、わが国は「聖域なき改革」で医療費総額を抑制しようとしています。そのしわ寄せがどんどん現場の医師、看護師、そしてつまるところ患者さんに押し寄せてきています。

 政治家や官僚の方々は、基本的に病気でない、活動的で優秀で頑健な人たちが多いので、病人のことは頭ではわかっているつもりで実は理解できていないのではと思います。

 はっきりいって現在の医師の勤務体制には問題があります。日本の医療は、基本的には原則昔ながらの「主治医」制です。これは患者さんひとりに対して原則ひとりの医師が入院外来を問わず一年365日、24時間責任を負うという、世界でもユニークな制度です。 

大病院の外来でも、担当の「主治医」の先生が決まっていることが多く、「○×先生の患者さん」といわれます。入院しても、主治医の先生はきまっています。患者さんにもし何かあれば、まず主治医に問い合わせます。 一人の医師が特定の患者さんのことを責任を持って把握しているということは、患者さんにとってはよいことです。しかし一方で、病気が重症になり、あるいは合併症がおこり、医療が高度化すると、その主治医の専門性や能力の限界に依存するという欠点があります。 

医師の立場から見ると、重症をもてば持つほど、夜中や休日に呼び出され、あるいは予め休日にボランティアとして診療を行うということが多くなります。

病気は祝祭日関係なくやってきます。わが国の勤務医は少数の幹部を除いて、原則年間365日、一日24時間オンコール勤務についているといってもよいでしょう。夜枕を高くして眠れるのは海外出張中だけということもあり得ます。

当直医がいるではないかと思われるでしょうが、当直医は下手をすると数百床に一人です。しかもその病気の専門医とは限らないのです。また、当直医は、当直業務としては本来すべきではない救急外来業務を緊急避難という名目の下にこなし(当直は時間外労働ではなく、突発事態のみに備えて原則的には休んでいるという前提に立っている)、病棟もみながら、日本の時間外医療を支えているのです。

一般に言われているように「医は仁術は死んだ。」のではなく、「仁術」によってのみ現在の日本の医療、特に時間外医療は支えられているのです。

決して病院の管理者が悪いのではありません。今の医療制度の下ではそうしないと病院経営が成り立っていかないのです。 

医師の当直についても、月曜日に当直勤務をすると、ほとんどの勤務医は、月曜朝出勤してから、そのまま連続で当直業務を行い、翌日火曜日には引き続いて通常勤務を行い、夕方まで32時間連続勤務するのがごく一般的に行なわれています。 

さらに、急性期病院の勤務医の仕事が夕方にきっちり終わることはありえません。救急で重症を受け持ったりすると、そのまま主治医としてまた連続して泊り込みということもめずらしくありません。

つまり、32時間連続勤務ならばまだましな方なのです。 この間に、外来や病棟回診、そして循環器の先生方は心臓カテーテル治療、外科系の先生方は手術等をこなしているのです。 

病院を扱ったテレビドラマなどでは、勤務医が朝「夜勤明けだからいまから帰ります。」というシーンが出てくるのですが、日本の病院ではまずありえません。製作者のあまりの無理解にみていて腹が立ち、思わずテレビを消してしまいます。 テレビに向かって、「そんなわけあるか!」と怒っていると、「おとうさん、作り物なんだからそんなに熱くならんでも。」と家族にたしなめられます() 

実質は明らかに労働基準法違反ですが、これには抜け道があるのです。医師の当直勤務は実質労働とはみなされず、休んで突発事態に備えているだけ(電話番のようなもの)とみなされているからなのです。しかし実際はフルに働いてへとへとになっているのです。

それで厚生労働省の大臣の発言「勤務医の勤務時間は見かけ上ながいが、実際には休憩時間や研究が含まれる。」に、全国の勤務医は怒っているのです。勤務医は皆、一度大臣に当直勤務を体験していただきたいと思っているのです。 

こういう勤務医の実態は、一般の方はあまりご存じないのではないでしょうか。 私も一般の方に、「先生は外来は大変そうですが、週2日だけ働いて、たくさんお給料もらえていいですね。」といわれて、涙が出そうになったことがありました。 

もうひとつ、酷い法律があります。医師法による応召義務というものです。これは「正当な事由なくして医師は診療を拒否してはならない」というもので、一見もっともなように思えるのですが、旧厚生省の通達によれば、「単なる疲労の程度をもって診療を拒否することはできない」ということになっています。

ですから当直明けでふらふらになっていても診療を拒否してはならないのです。皆さん方はふらふらの医師に外来診療や手術、検査を受けているかもしれないのです。ふらふらの状態で診療して判断を誤ったら、誰が責任を取るのでしょうか。私は患者の人権も医師の人権も無視した憲法違反の法律だとさえ思います。

ふらふらになって働くというのは日本人の好きな美談のように思えるかもしれませんが、医師とて人間です。家族があり、自分自身も病気をし、悩みながら生きているのです。もしあなたが今にも疲労で倒れそうな医師に胸や腹を開けられて手術されることを考えるとどうでしょう。

諸外国の医療は契約であるという概念とは大きく違います。立法者の見識を疑います。かくしてベテランになった医師、いい先生だなあ、この先生にかかりたいなあという医師が次々と勤務医を辞めていきます。 

なぜ日本の医師たちはこのような状況下で今までやってこられたのでしょう。 医療は病気を扱う性質上、ある程度緩急があり、医療技術そのものもさほど高度でなかった時代には、たしかに厚生労働大臣のいわれるようにある程度余裕がありました。忙しいときは大変でしたが、暇になるときもありました。夜間救急車もそんなにしょっちゅう押し寄せては来ませんでした。

入院日数も長く、急性心筋梗塞を起こした患者さんなど普通に1ヶ月以上入院されていました。今は2週間弱で退院です。昔はある程度ゆっくり社会復帰され、入院患者さんやそのご家族ともゆっくりとお話できたのです。つまり20年前はもっと牧歌的で、確かに不確実ではあってもある程度休憩がとれたのです。

それでも当直のときはまるで地雷原をそっと歩いているような気がしたものです。しかし、現在では地雷原を歩きながらそれに加えて救急や急変をみて一晩中一睡もできないことの方が多いのです。今病院の幹部となっているドクター達が若かったころと今とでは状況はまったく変わっているのです。これを昔と変わらぬスタッフ数でこなしているので、むちゃくちゃな労働強化になっています。次から次へと流れ作業のように患者さんに接していると、人間関係の構築も難しくなります。

 さらに悪いことには、インフォームドコンセントという、日本語で「説明と同意」と訳されますが、説明を十分しなさい、承諾書をきちんと取りましょうということになっています。保険の契約書のような細かな文字の書類を前に、ますます実際の診断治療以外に書類作成やコンピュータ入力などの時間を取られます。

建前はたしかに立派なのですが、現実離れしつつあります。実際、「なんで先生はそんなにしょっちゅう紙をくれるんや。なんかやましいことがあるんとちゃうんか?」といわれた患者さんもおられました。聞くところによるとこれも諸外国に比べて理想主義の日本の実態の方が酷いらしいのです。 

今の若い勤務医の先生方や看護師さんたちは本当によくやってくれています。私は「いまどきの若い者は」とは一度も思ったことがありません。でもそろそろ限界に近づいていることは間違いありません。知り合いの日本の心臓外科医は、フランス人の心臓外科医に日本の勤務実態を話したところ、「お前は聖人か?」と絶句されたそうです。 

私も最近まで現役で当直をしていたころは、こんなことは口が裂けてもいえませんでした。口に出せば「医師として当然やろ。」「根性のないやっちゃ。」「おまえはそんなに楽したいんか。」「医は仁術や。」「医者は聖職や。」というもう一人の自分がいたからです。

今は若いドクター達が当直や呼び出しを代わりにがんばってくれているので、自分のことではないためかえって客観的に言えるのです。少しでも声を上げることが先輩の役目だと思っています。 

それではなぜこのような実態が放置されているのでしょうか。それは明白です。もし医師たちが声を上げて、まともに労働基準法に沿った勤務を要求すると、今のままでは手術や外来等も回らなくなり、病院は今の診療報酬では立ち行かなくなって崩壊し、わが国の医療そのものが音を立てて崩壊してしまうからです。

いまのままでは医師の善意に頼ってくさいものにはふたをせざるを得ないのです。 

 

結論を言います。決して医療費総額を削ってはいけないのです。逆にむしろ増やさなければならないのです。国民一人一人の身に降りかかってくることなのです。国民皆で、特に健康な人たちで医療費を負担するしかありません。そして医療費は増えるという前提の下で、医療制度を「現場の」専門化が集まって根本的に見直さなければなりません。大本営の机上の空論では危険なのです。それにはぜひ一般の方々の援護射撃が必要なのです。 

聖書の文句に「人がたとえ世界を手に入れたとしても、命を失ったら何の益があるだろうか。」という文言があります。健康は、すべての経済活動の前提になるのです。 医療費を抑制することは正しくないのです。 

こんなことをブログに書いたら、暗闇で刺されるからやめとけ、と忠告してくれた友人がいました。 

ありがたい忠告ですが、書かずにはいられませんでした。 

 

最後になぜ勤務医を続けるか。それは現時点で最新、最善に近い医療を行い得ること(もちろん状況によっては必ずしもそうは問屋がおろしませんが)、ほとんどの患者さんには喜んでいただけるということ、そして若手の優秀な先生方が巣立っていくのを見る喜びにあるのではないかと思います。 

Dr以外の一般の方々に呼んでいただければうれしく思います。長文お付き合いいただきありがとうございました。 

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素朴な疑問です。

風邪を引いたと思ったときに、それだけで医療機関を受診する国民って世界でどのくらいあるのでしょうか。

先日アメリカ人がクリニックにみえました。

のどの痛みです。

医療関係者の皆様ならよくご存知の総合感冒薬を処方しようとしました。

すると、これは何の薬かと。

成分を説明しました。すると、

「そんな薬はいらん。僕は抗生剤がほしくてやってきた。なぜなら、僕の今までの経験から、これは細菌性の咽頭炎の前兆である可能性が高いからである。」

「僕は日本人と違って単なるウイルス性の風邪で医者にかかるようなことはしないよ。」と。

妙に説得力がありました。

まさにbecauseの文化でした!)

医療関係の方ではありません。

文系の研究者でした。かなり理屈っぽい方でした。

久しぶりに「ロゴス」メインでムンテラしました。

でも満足して帰られたようです。

感冒はself-limiting diseaseですから、休養して様子を見るのが原則です。たしか米国滞在中は、風邪と思えばタイレノール(市販薬)だったように記憶しています。

持病のある方ならともかく、屈強な大人が風邪で医療機関にいく必要はないと思うのですが。

他の疾患の早期発見につながるという方もいますが、これは現場の感覚ではうそだと思います。

なぜなら、混んでいる外来で、風邪症状のみを訴える方に、詳しく問診して胸部レントゲンや採血をするということはまずありえないからです。総合感冒薬をだして、もしよくならなかったらまた来てねということになってしまいます。

いったい、諸外国で風邪のみで医師を訪れる国はどのぐらいあるのでしょうか。ふと疑問に思いました。

 

皆さん、くだんのアメリカ人に負けないよう、「ロゴス」を鍛えましょう。

 

そこでコマーシャルです。

「ロゴス」を鍛えるための薬です。

英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 

 

 

 

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魔法の言葉

ドクトル虎の巻 / 2007.04.23 22:03 / 推薦数 : 35

日本人はコミュニケーション下手だとよく言われます。

恥ずかしながら私もその一人です。

日本人同士はバックグラウンドに共通している部分が多く、黙っていても態度でわかってしまうためでしょうか。

ところで、英語には3つの「魔法の言葉」があるそうです。

(1)Please.

(2)Thank you.

(3)I love you.

これらの魔法の言葉を使って、人にやって欲しいことをやってもらうのです。

確かに、彼らは日常よく使っています。

小さい子が、おかあさんにおねだりしているばあいなど、母親から、

Say, "Please!"

とよく言われていたのを思い出します。

あなたは最近奥様に(あるいはだんなに)この魔法をつかっていますか。

病棟の看護師さんにも使っていますか?

この場合(3)は若干問題あるかもしれませんが(笑)。

 

今日はかなり反省気味のドクトル虎の巻でした。

 

本日の参考文献です

英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻(p71)

 

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再び「ロゴス」

ドクトル虎の巻 / 2007.04.23 01:45 / 推薦数 : 2

「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

有名なヨハネによる福音書の冒頭です。

私は別にキリスト教徒ではないのですが、この意味が長年理解できませんでした。

ところが最近、「言葉=ロゴス」と置き換えてみると、すっきり理解できることに気づきました。

ロゴスとは、ギリシャ語でもともと人々が話す言葉の意味ですが、概念、意味、論理、説明、理由、理論、思想、理性といった意味があります。もともと新約聖書はギリシャ語で書かれていたのです。

ヨハネの福音書の冒頭は、別に難しいことをいっているのではなく、ルネッサンスのはるか前の時代に、高らかに理性の重要性を宣言したものではなかったのでしょうか。

「言葉」という訳が誤解をまねいているような気がします。

理屈は大切なのです。

若い人たちに、「屁理屈こねるな!」といってはいけません。

臨床にも、論文にも、「理屈」は大切です。

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学会の質疑応答を聴いていて、また若いDrたちの論文を添削していて、最近気づいたことがあります。

日本人の話や、原稿には、「従って」「Therefore」が多いのです。

我々日本人は、状況説明からはいって、言い訳を累々としたのち、自分の言いたいことを控えめに述べることが多い。

一方、英米人は、まず言いたいことをはっきり主張し、その後に理由を述べる人が多いように思います。

「おいおい、そんなに断言しちゃっていいの?」と思うことも多いのですが、わかりやすいことはたしかです。

下手な英語でとつとつと状況説明からはいると、たいてい途中までしか聞いてもらえません。

私はこれを「Thereforeの文化」と「Becauseの文化」と呼んでいます。

どちらのスタイルも理論的には間違いではないのですが、他人を説得する場合には、because型のほうが断然有利です。

英語論文のパラグラフもbecause型の構造になっています。

すなわち、そのパラグラフのサマリーとも言うべきトピック文が最初にあり、続いてトピック文を支えるサポート文で構成されます。

時間のないときは、パラグラフの最初の文のみ拾い読みすると大体の内容を把握できるのです。そうでない論文はたいした論文ではないとされます。とりあえず結論を書いてから、理由を説明していくのです。

さきにごちゃごちゃ説明すると、こいつは何かやましいことがあるのでは?たいして言いたいことはないのでは?と、痛くもない腹を探られることになります。

 スペキュレーションですが、狩猟文化と農耕文化の違いかもしれません。

農耕民族は、こつこつと仕事をして、最後に収穫です。おいしいものは最後にとっておくのです。

対して、狩猟民族は、チャンスのあるときにしか獲物は獲られないわけですから、先にとりあえずおいしいものを食べておくのではないでしょうか。

論文の書き方にも文化の違いが反映されているように思います。

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生・老・病・死

ドクトル虎の巻 / 2007.04.19 19:56 / 推薦数 : 3

知人に医者のくせに?僧籍を持っている人がいます。

医師免許を剥奪されても食っていけるので、ちょっぴりうらやましいのですが。

それはさておき、今どきの日本人は、人間は生まれ、老い、あるときは病気をし、そして誰もがいつかは死ぬのだというしごく当たり前のことを忘れているような気がします。

「生きている」ということは、すごいことなのです。

生命体では、一見熱力学の第二法則に反するようなエントロピーの減少が次々と起こっているのです。

厳密には外部とやり取りしているので、物理法則には反していないのですが。

まあその分周りに迷惑?をかけているのですね。

「生きている」ということは、ある意味、確率の低いことが次々と生じる、「奇跡」といってもよいかもしれません。

心臓の筋肉がばらばらに動かずに、つまり心室細動にならずに、洞調律を維持するほうが確率は低いのです。

こう書くと、なんだかオカルト宗教のようになってしまいますが、そうではありません。人体が複雑すぎるのです。その複雑系をなんとか理解しようとして、われわれはつたない「ロゴス」でもって挑んでいるのです。いつか「奇跡」を「ロゴス」で記述できることを夢見て。

ただし、複雑系はなかなか手に負えません。

従って、実戦には「ロゴス」だけでは太刀打ちできません。「エトス」「パトス」も必要になってくるのです。

ガイドラインやマニュアルだけでは不十分なのです。

でも「ロゴス」は重要です。「ロゴス」がなければ、医師も祈祷師と変わりません。

なんだか禅問答のようになって来ました(笑)。

人々がこの「生きる」という「奇跡」を認識していないということがトラブルの元のような気がします。

人間は生きているのが「当たり前」、死ぬのはおかしい。何らかの人為的ミスがあったのではないか、と。

私たちは仏教で言う生老病死の世界観を忘れてしまったのでしょうか。

日本のお坊さんたち、もっとがんばって欲しいです。

お堂の修復にお金がかかるのかもしれませんが、戒名に高額のお金をとっている場合ではないのです。

ちなみに日本人は医療費総額の半分近くを死後につかっているらしいですね。

 

 

 

 

 

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エトス・パトス・ロゴス

ドクトル虎の巻 / 2007.04.16 18:54 / 推薦数 : 14

おまじないのようなタイトルですが、今日はアルコール無しなので、真面目な話題です。

人を説得するのに必要な要素に、3つあるそうです。

エトス:こいつの言うことなら本当だと思わせる、いわゆるブランド効果。

パトス:相手の情感に訴えかける。ペーソス。

ロゴス:論理的に相手を説得する。

最近の「あるある」や「みのもんた」などをみていると、マスコミはどうやらエトスとパトスの塊のようで、ロゴスは無視しているように思います。

○×大学教授や、△□評論家のエトスを利用し、「かわいそう」「けしからん」と視聴者の感情をあおり、裏づけをとらずに取材費をケチって安く上げ、視聴率を上げればよいという、安易な手法に走っているようにみえます。

たしかに、ロゴスに訴えようとすると、エビデンスも必要だし、時間と金がかかります。しかも安易な面白さはない。

日本人はこまやかで、やさしくて、よい国民だと思いますが、昔から「理屈をいうな」と教育され、ロゴスを鍛えないまま大きくなってきてしまいました。

マスコミという「エトス」に弱く、感情に走りがちのように思います。

危険です。

一方、キリスト教圏では、「ロゴスは神」なのです(ヨハネによる福音書)。小さいころから、ある程度教養のある人たちはロゴスを鍛えられているのです。だからといって人間として優れているかどうかは別ですが。

論文を書くというのは、いろいろ目的はあるでしょうが、ひとつにはこのロゴスの力を鍛えるのに役立ちます。

日本のジャーナリストで、きちんと自分で学術論文を書いたことのある人はどのくらいおられるのでしょうか。

疑問に思います。

日本のジャーナリストは、もう少しロゴスの力を持って欲しいものです。

日本の雑誌には、ジャーナルはなく、マガジンしかないような気がします。

「ロゴスの力」は大切です。

でもムンテラの時は、「エトス」「パトス」もlお忘れなく。

 

 

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学会発表、論文書き

ドクトル虎の巻 / 2007.04.13 22:39 / 推薦数 : 7

ただいま、学会に来ています。

このご時勢ですので、市中病院の分際で学会に参加するのもすごく気を使うのですが、幸いうちの病院の幹部には理解のある人がいて助かっています。

若いころは、学会は苦手でした。

なんでこんなに忙しいのに学会活動までせなあかんねんと密かに思っていました。

でも、学会場に来ると、病院にはない、まったりとした時間が流れています。

ホテルの部屋では、夜気兼ねなくこんなブログをゆっくり書く時間も取れます(笑)。

いろんな先生方が声をかけてくださいます。

アクティブな人から、刺激を受けます。

セちがらい世の中だからこそこういう時間が医師には必要なのです。

馬車馬のように働き、使い捨てされるばかりが能ではないのです。

外国からの参加者もおられます。

私事で恐縮ですが、私が12年前に書いた論文を覚えてくれていた外人ゲストがおられました。

ちょっぴり元気をもらいました。

私も最近データを出すパワーが落ちてきて、その分若い人たちががんばってくれるので、ぜひ若い人たちを応援したいと思っています。

若手の先生方、ぜひ「虎の巻」みてくださいね。

ちょっとアルコールが入ってハッピーになっている、ドクトル虎の巻でした。

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極楽蜻蛉

ドクトル虎の巻 / 2007.04.11 21:53 / 推薦数 : 5

外来の予約ミスで(自分のせいです)、ラッキー?なことに、予約が少なかったことがありました。(他の日にしわ寄せが行くだけなのですが。)

ふとした拍子に、患者さんと医療費の話になりました。

予約が込んでいてはとてもこんな話をする余裕はありません。

団塊の世代が退職すると、医療費がたいへんなことになり、日本の医療が崩壊するという先日の話です。

びっくりされていました。でも大変よく理解されたようです。

一般の人たちはほとんど何も考えていないようですね。

政府やマスコミは全くディスクロージャーしようとしません。

問題点を明らかにした上で、安くてプアな医療で我慢するのか、みんなで身銭を切ってよい医療を目指すのかきめるべきだと思うのですが。年度末に歩道を直している場合ではないと思うのですがね。

くさいものにはふたですね。

マスコミに出ている有名人のお医者さんたちがこんな話をしてくれるといいのですが、彼らもギャラをもらう身なので、すぐにおろされてしまうのでしょうか。

草の根的に、外来で時間をみつけてほんの一分でもこのような話をしていくのがよいのか。

でも時間がかかって外来の看護師さんたちにはにらまれそうですね。

なにかよい知恵があれば。。。。

 

 

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団塊の世代と医療費

ドクトル虎の巻 / 2007.04.07 16:54 / 推薦数 : 10

よく言われていることですが、すでに団塊の世代が定年を迎えつつあります。

いまの60代の方はお元気ですが、それでも収入がなくなれば医療保険も払わなくなります。

老人の数は増えます。

医療費は増大します。

ドクターの掲示板を見ていると、厚生労働省の官僚を目の敵にしています。

確かに現場を見ない人もいるでしょうが、彼らは彼らなりに医療の破綻を何とかしようと必死なのだとおもいます。

問題は、いままで、ドクターのボランティア精神でもって、資本主義諸国の中では超安い人件費で医療を維持してきてしまったことです。

おそらく、アメリカ人ドクターに日本の外来診療をやらせば、発狂すると思います。

日本の医師は専門医になってもレジデント並みの生活を送っている現状です。

我々は「井の中の蛙」だったのです。

何とか、国民に、日本の医療は決して悪くはないこと、このままでは医療を維持できず、破綻すること、そしてそれを防ぐには医療費総額を増やしてみんなでお金を負担すべきこと、道路が多少がたがたでも、ガードレールが多少さびていても、海峡に橋がなくても、それよりも救急医療や産科、婦人科はもちろん、専門性の高い科の陰でがんばっている内科系医療にも、もっとお金と人をつぎ込むべきことを、ディスクロージャーしなければなりません。

我々医師は、発言しなさ過ぎたのです。

じっと我慢して、いきなり爆発というのはいただけません。

何かよい方法はないでしょうか。

マスコミは自分たちにメリットがない限り(視聴率が上がらない限り)積極的には取り上げてくれません。

もっと社会的な、人と人とのつながりを大切にすべきなのかもしれません。

でも忙しくて今まで他職種の方々との付き合いなどほとんどなかった。

反省しています。

 

また宣伝で恐縮です。

この世知辛い医療情勢の中で、自分が元気になるための本です。現役ドクターにしかかけない本だと密かに思っています。

英語抄録・口頭発表・論文作成「虎の巻」

 

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