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人の死に出会うこと

ドクトル虎の巻 / 2008.07.02 17:46 / 推薦数 : 4

 最近思うことがあります。

 医療に携わる人たちと、一般の人たちとの、コミュニケーションの齟齬が問題になることが多くなってきています。

 原因は色々在るでしょうが、その一つに、「人の死に出会う」という体験の有無というのがあるのではないでしょうか。

 昔は、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして両親。大家族制の下で、違う世代の人たちが一緒に暮らしていました。おじいちゃん、おばあちゃんのなくなる姿を、直接目にしていました。自分が良く知っている人の存在のこの世からの喪失を体験しました。

 高度成長時代以降、都市での労働力の需要増大により、人口分布は変化し、核家族が増えました。知っている人の死に立ち会うことは少なくなりました。

 一方、医療者は、人が亡くなる場に、いやでも立ち会わなければなりません。

 人が亡くなるということは、難しい現象です。科学ではなかなか説明できません。

 それまで精神的な活動をしていた個体が、水とたんぱく質その他のかたまりに変るのです。

 すべての人は、いつかは死を迎えるのです。それが現実です。

 人はそのとき、何を感じるのでしょう。

 さっきまで、それなりに元気だったのに。

 まだ経験の浅い若い先生たちが、精神的に成長していく過程には、「人の死への立会い」という、厳粛な瞬間が必要なのではと思います。誰も好き好んで立会いたい人はいませんが。

 「人の死」にこれだけ向き合わざるを得ないのは、戦地の兵隊さんやレスキュー隊はべつとして、医療者ぐらいではないでしょうか。

 人の死を実際に多く看取っている人と、あまり人の死を看取ったことのない人とでは、お互いに相手の考えを理解するのは難しいのかもしれません。

 元気だった人が、突然水とたんぱく質のかたまりになってしまっては、それまでに経験したことがなければ、とうてい受け入れは難しいでしょう。

 ましてや、お身内の方であれば。

 医療の問題にしても、きれいな会議室で、お金の理屈だけで議論しても、現実からは遊離してしまうのかもしれません。

 体験したことのないことは、なかなか頭ではわからない。

 お互いに想像力が必要なのではと思います。  

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 熱い心は必要ですが、時には、冷静になることも大切です。

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神は細部に宿る

ドクトル虎の巻 / 2008.06.30 18:29 / 推薦数 : 2

  英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻 解説シリーズ第61回です。

 解説シリーズ、ずいぶん久しぶりです() たまには英語の勉強もしなくっちゃ()

 たまたまテレビをつけたら、英語の教育番組をやっていました。最近の英語番組、なかなかいいですね。

 角を立てずに断る言い方というのをやっていました。これって、役立ちそう。

 ロックコンサートに誘われたという状況設定です。

 ロックにあまり興味がないので、やんわり断る。

 feel likeホニャララingを使いなさいということでした。

 正解は、

 I don’t feel like going to a rock concert.

といっていました。

生徒さんが、

 I don't feel like going to the rock concert.

といっていたのを、講師が、Very close!といって、直したものです。

 それを見ていた家人が、なんでtheやったらあかんの!といっていました。

もっともです。文法書を見ると、その種類全体を現すtheをつけてもよさそうなものですが、このばあいは、やはり普通はaを使うでしょうね。

そこまで解説はありませんでしたが、ドク虎、これは冠詞の説明に使えるぞと、にんまり。

 なぜかというと、theにすると、また、別のミュージシャンのロックコンサートのチケットを持ってこられそうな気がします。

 「あんたがさそってくれたミュージシャンのコンサートなんかつまんなくて行く気がしないわ!もっとノリノリのチョー有名なミュージシャンのチケットをもってきてよ!」という傲慢不遜な意味にとられる恐れがあるのです。

 aだと、「任意のロックコンサート」に行く気がしない、という意味になるので、もうロックコンサートのチケットを持ってこられる心配はありません。

 したがって、ここで、文法上の「正しさ」を争うのは無意味です。

 athe、どちらでも良いのではなく、状況によるのです。 ことばは、ツールです。おかれた状況で、何を伝えたいのかということを考えなければなりません。

 「神は細部に宿る」のです()

 とはいえ、細部を気にするあまり、寡黙になってしまってはいけません。

 へたくそなボールでも、まず投げることが必要です。相手の胸元ドンピシャに投げなくても、暴投でも、まずボールを投げなければ、キャッチボールは始まりません。相手がうまければ、飛びついてでも取ってくれます。ドク虎もいつもやっています()

 もっとも、相手の胸元をねらう努力も必要です。毎回暴投では、相手も疲れてしまい、遊んでくれなくなります。これも相手に対する思いやりのうちです。

   

参考


南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

P117

 

理屈のみでは不十分です。脳内イメージの活用が大切です。

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無とは何か?

ドクトル虎の巻 / 2008.06.26 17:53 / 推薦数 : 2

  少し前に、「哲学的とは」なんて、柄にもない駄文を書いてしまいましたが()哲学ついでに、ちょっとおばかなことを考えてみました。

 「暇人やなー」といわれそうですが、実はいまあまり暇はないのです。ある意味現実からの逃避かも()

 「無」とは何ぞや?

 何もないことが「無」でしょうか?

 すべては「無」であるとすると、本当にこの世の中というのは実在しないのでしょうか?

 少なくとも、いまここに、しょーもないことを考えてる私がおり、それに付き合ってくださっている心やさしいあなたがいらっしゃいます。

 少なくともデカルトさんによれば、私やあなたはやっぱり存在するのです。 

 実は、「無」の定義の中には、「万物を生み出し、万有の根源となるもの。」という、定義があり、洋の東西を問わず、古くからある考え方のようです。なんやらよーわからんなあ。

 

 ふと、思いました。

 フーリエ変換というのがあります。すべての波形は、サイン、コサインの波に展開できる。だから、一つの楽器の音や一人の人の声を、スーパーウーファーや、ツイーターや、ミッドレンジスピーカーに分けてもちゃんと再生できるのです。

 ちゅーことは、振幅ゼロの直線も、つまり、「無」も、数学的には無限の波に展開できるのです。「無」は「有」と等価なのです。

 したがって、「無」は必ずしも「なにもない」のではなく、すごく可能性のある豊かなものなのです。

そういうことだったのかー。

仏教で言う「無」とは、そういう豊かなものなのではないでしょうか。

 ここまで戯言にお付き合いいただいた心優しい皆様、ありがとうございました()

 

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 理屈のみでは角が立ちます。

 エトス、パトス、ロゴス、いずれも必要です。

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Non-judgmental awareness

ドクトル虎の巻 / 2008.06.24 22:18 / 推薦数 : 0

  よい訳語がうかびません。

 Barry Green, Timothy Gallawayという人の書いたInner game of musicという本の中にでてきました。

 人前で緊張せずにちゃんと演奏できるための秘訣だそうです。

 よいわるいを考えずに、現状をあるがままに認識するということなのでしょう。

 これ、緊張緩和と、問題解決にたいへん有効です。

 たとえば、プレゼン前でひざがガクガクというときにも使えます。

 参加者の表情を詳しく観察するのです。前のほうに座っているバーコードおじさんの頭の髪の毛を数えるのでもかまいません。不思議に緊張がほぐれるそうです。

 しかし、言うは易し、行うは難し、です。人間は何らかの価値観に凝り固まっているので、現状を見る前に、つい、良い悪いの価値判断を入れてしまいがちです。

 ところが、価値観は、相手、時代によりどんどん変るのです。皆のあこがれの顔の小さなほっそりしたモデルさんなんて、天平時代にいけば、超ブ○です。

 まずレッテルをはらずに、善悪の判断をせずに、正確な現状認識からはじめたいものです。

 今回も自戒をこめて。

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 

 元気の出る本です。

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  移民の国アメリカは、ご存知のようにあまり治安が良いとはいえません。もしも日本も移民をたくさん受け入れたら、いまより治安が悪くなるのでしょうか。

 恥ずかしながら、そう考えてしまっていました。

 ところが、学会でカナダのトロントに行く機会があり、驚きました。

 なんと、人口の8割以上が最近外国から移住して来た人たちだそうです。

 街の治安状態は、とても良いようで、夜の12時近くでも、平気で女性一人で街を歩いています。地下鉄や、鉄道、交通機関も発達しています。他の米国の大都市では考えられないことです。いやな事件の多い最近の日本よりも治安が良いのかもしれません。

 トロントは、確か北米一、二を争う、安全で住みやすい都市に選ばれていたはずです。治安が悪いのは、移民を受け入れるせいではなかったのです。

 こういう「反証」をみると、なんだか嬉しくなります。

 やはり、「政治」は大切ですね。

 適切な場を用意すれば、良いところにはよい人たちが集まり、若い人たちはちゃんと働いてくれるのです。

 某「藪」大統領の国のように、弱肉強食にしてしまっては、治安は悪化するのです。そうなってしまえば、最終的にはたとえお金持ちでもアンパッピーになってしまいます。ボディガードなしでは街をあるけませんからね。

 そこで一発逆転の発想です。

 日本も、人口の増えている途上国から、若い移民をどんどん受け入れ、きちんと教育し、若年人口を増やすという選択枝はないのでしょうか。

 治安も良くなり、経済も良くなり、医療もよくなり、めでたし、めでたし?

 おっと、その前提として、利権にとらわれない、ちゃんと全体を見渡す「政治」が必要でした()

 少なくとも副効果として日本人一般の英語能力はダントツに高まり、世界を舞台に活躍できる日本人が増えると思いますが、いかがでしょう()

 素人のたわごとでした。 

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 今回気付いたこと:頭をやわらかくしなければいけません。そうと気づかぬ間に先入観にとらわれてしまっています。

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  今日の外来の最後は、少し疲れました。

 フィリピンの方がこられました。

 日本に住まれていて、日本語はかなりおじょうずです。しばらく日本語でお話していましたが、病気の説明をしだすと、理解するのがちょっとつらそうです。表情が暗くなりました。

 そらそうでしょう。内容が医学的なことですもんねえ。

 しかも、世界の中でも難しい、日本語ですもんねえ。

 こちらも、だんだん日本語が変になって来ました。

 しゃーない、特別大サービス()

 「アナタ、エイゴダイジョウブデスカ?」と、なぜかちょっと怪しい日本語で尋ねました。

 すると、とてもうれしそうな顔をされました。

 おー、ぐんと話が通じやすくなったじゃあーりませんか。

 とてもきれいな英語をはなされます。

 こちとらは、普段エイゴなんかでは患者さんに説明しなれていないので、結構大変でした()

 特に、専門分野である循環器以外の医学用語はすぐに出てこないので、思いつく簡単な単語を使って回りくどく説明します。

 それが却ってよかったのかもしれません。

 検査の予約をして、喜んで帰っていかれたのをみて、こちらもちょっと元気をいただきました。

 それに、まあ無料で英会話スクールにいったと思えば・・・。

 それにしても、失礼ながらそんなに高学歴の方のようにはお見受けしませんでしたが、母国語ではないはずなのに英語はとても流暢でした。

 きっとお国では英語ができないとなかなか仕事にもありつけないのでしょうねえ。日本で苦労していなければ良いのですが。

 

 外来の看護師さんが、「日本はいい国やわあ。英語できなくても暮らして行けるもん。よかったわあ。」と、妙に感動していました() 

  

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 やっぱり、英語は強力な助っ人でした。

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若死にのすすめ

ドクトル虎の巻 / 2008.06.20 01:11 / 推薦数 : 0

 

 ついに、ドク虎も、「医療亡国論」の某お役人に洗脳されてしまったのか・・・

 ご安心ください。まだそこまで愚かではありませぬ。

 南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻」を、失礼かと思いつつも、専門分野こそ違いますが、とある尊敬する大先輩に献本しました。

 意外にも、こちらが恥ずかしくなるほどほめていただきました。

 「若いころに苦労して論文を投稿したことを思い出しました。50年前にこういう本が欲しかった。」といっていただきました。

 著者冥利につきるとはこういうことでしょう。こちらこそ元気をいただきました。ありがたいことです。

 パソコンやワープロのない時代に英文ペーパーを書く苦労は察するに余りあります。図書館に足を運んで膨大なIndex Medicusを引き、書いては直し、直してはまた直され、まるで賽の河原です。

 

 ところで、その大先輩に、「若さ」についてのある英文を教えていただきました。

 Samuel Ullmanによる一文です。

 終戦直後、日本の指導者層の人たちはこの文章を胸にがんばったそうです。

 

 

                                  YOUTH

                      by Samuel Ullman 

 

 Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

 

 Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite, for adventure over the love of ease.  This often exists in a man of sixty more than a body of twenty.  Nobody grows old merely by a number of years.  We grow old by deserting our ideals.

 

 Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul.  Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

 

 Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living.  In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

 

 When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty. 

 お時間のない方のために、ひとことでいうと、若さというのは必ずしも暦年齢に一致しないということです。

 60歳の若者もいれば、20歳の老人もいる。年をとるのは、情熱を失うからだ。いつも心のアンテナを張って、美、希望、喜び、勇気、力を、人々から、そして天から受け取っていれば、たとえしわになり、ひざが硬くなったとしても80歳でも元気で若死にできるというものです。

  これを教えていただいて、ドク虎は勇気付けられました。ご同輩の方々、何かと厳しいご時勢ですが、少しは元気がでましたでしょうか。

 

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 アンテナを張って、受信も大事ですが、時には発信することも元気になる秘訣です。

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お年寄りから力をいただく

ドクトル虎の巻 / 2008.06.18 19:21 / 推薦数 : 2

 回診していて思うことがあります。

 理屈では説明できませんが、お年寄りの患者さんから、元気をいただくのです。

 額に刻み込まれた深いしわをみていると、この方はどんな人生を歩んでこられたのだろうと。

 若造には想像もつかないような経験もなさったのかもしれません。

 ひとりひとりが、かけがえのない、二つとない人生を歩んでおられます。

 年をとるということ、それ自体が、日々新たなチャレンジです。細かい字も見にくくなり、耳も遠くなり、限られた時間、限られた体力の中で、いかに充実した生をいきるか。

 お金や名誉など、若いときに比べてもはや相対的にあまり意味がなくなってきます。(もっとも死ぬまではお金が全くなけりゃこまりますが。) 

そして、いつかは遠くへ旅立つのです。

 我々皆例外ではありません。

お年寄りを見ると、頭が下がります。

とくに笑顔のお年よりは素敵です。

  

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 

 熱い心は必要ですが、時には、冷静になることも大切です。

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無知とこだわりの危険

ドクトル虎の巻 / 2008.06.15 21:57 / 推薦数 : 5

  よく知りもしないのに、あることにこだわること。

 よく調べもしないのに、他人を非難すること。

 

 決してやってはいけないことです。

 だいたい戦争の始まりは、そんなもんです。

 人間ですから、いろいろ限界はあります。知識にも、限界があります。

 そして、悲しいかな、理論というのは、穴だらけです。

 完全な理論というのは、物理学の世界でさえ存在しません。ましてや、医学、そして人間社会における理論なんて、穴だらけです。

 理論のみにたよると、危険です。いわゆる机上の空論です。

 「筋を通す」というのは、ある意味危険です。「その筋」の人たちが脅しによくつかう手です。

  しかし、感情に流されると、もっと危険です。

  現場のフィードバックが必要です。

 そのためには、まず、「価値判断を入れずに」現状分析をおこなうこと

  これがすべての基本です。 自戒をこめて。  

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 熱い心と理論は、車の両輪です。

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離別と再会

ドクトル虎の巻 / 2008.06.07 09:20 / 推薦数 : 2

 

 もう8年になります。

 ドク虎は別れを告げようとしていました。

 場所はフロリダ州、オーランド、American College of Cardiologyという学会の最終日、会場の前でした。

 それまでは、ほぼ毎年逢瀬を重ねていました。

 遠距離恋愛です。相手は・・・もちろん女性です()

 名は、コロンビアといいます。

 なんと、ドク虎は不良中年だったのか・・・と、早とちりしないでください。残念ながら、相手は人間ではありません。

 (コロンビアはアメリカの文学的な女性擬人名です。)

 留学から帰国し、某研究所を経て、とある基幹病院に移り、そこから地域医療に専念しようと、さらに地域の病院に移動した年でした。

 American College of Cardiologyには、特別正会員(Fellow of the American College of Cardiology, FACC)というのがあり、循環器の専門医の中である基準を満たせば会員の相互推薦によりFACCになることができるのですが、アメリカ人と日本人で推薦してくれる人があり、その認証式に日本から参加を許されたのです。

 生まれて初めてもごもごとヒポクラテスの宣誓をしました。

 ちなみに、ブッシュ大統領夫人のバーバラさんも、名誉FACCです。このあたり、向こうの学会は賢いですね。大統領の奥さんを味方につけるなんて。

 脱線しました。

 大学や、ナショナルセンターでは、循環器の分野では、世界のトップを走っているAHAACCなどの米国の学会に演題を出すことがある意味要求されます。プレッシャーでもあり、やりがいでもあったわけです。

 しかし、専門分野あたりの症例数の少ない地域の病院では、まずそういうことはできません。

 自分で選んだ道なのに、なんだか感無量でした。もう、学会発表で米国の土をふむことはなくなるのです。自分でも意外でしたが、ちょっとウルウルきてしまいました。

 コロンビアよ、さようならー。

 急にアメリカの土がいとおしくなりました。

 手のひらで、学会場前の土をそっとふれて、別れを告げました。

 甲子園で負けて去っていく球児達の気持ちが少しは分かったような気がしました。

 

 それから2年後、一本の電話をいただきました。「こちらに来ないか?」若手医師の間では「野戦病院」と呼ばれる、某病院からのお誘いでした。

 そこには、心カテや救急など、医療技術習得に燃える若手がいました。

 真夜中の緊急の役にはあまり立たない年寄りを拾ってもらったのだから、がんばっている若手の人たちに、少しでもお役にたてることはないか。そう思ってはじめたのが「虎の巻」作戦です。

 当初は、臨床にプラスアルファすることにより、若手のモチベーションを高めることが目的でした。

 「いそがしいのに、いらんお世話や。」といわれるかもと、遠慮がちにはじめました。

 とても結果がついてくるとは思いませんでした。

 ところが、あにはからんや、AHAACCにどんどん採択されだしたのです。野戦病院から、AHAACCに。そして、CirculationJACCにまで。

 しんどいことを要求するのに、「俺たちマゾやなあ」といいながら、皆も元気になってくれます。

 うれしい誤算でした。

 上司から、若手の監督で行ってきなさいと・・・逆玉の輿ならぬ、逆かばん持ちです。野戦病院のくせに海外出張を許可してくれる幹部も太っ腹。

 というわけで、別れて数年で、チームの応援団長として、またコロンビアと再会しました。

 今のところ、まだ別れなくてもよさそうです()

 もちろん、「虎の巻」作戦だけではだめです。

 頑張る若手チームと、それまで先輩たちによって培われていた、臨床に対する真摯な姿勢があればこそです。 

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南江堂 英語抄録・口頭発表・論文作成虎の巻

 

 コロンビアちゃんとデートする方法です()

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